マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・ボルボーン=ドス・シシリアス
マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス・イ・オルレアンス María de las Mercedes de Borbón-Dos Sicilias y Orleans | |
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バルセロナ伯爵夫人 | |
続柄 | カルロ・タンクレーディ第5子 |
称号 | バルセロナ伯爵夫人、スペイン王妃(追尊) |
全名 | María de las Mercedes Cristina Genara Isabel Luisa Carolina Victoria de Todos los Santos |
出生 | (1910-12-23) 1910年12月23日 スペイン王国、マドリード |
死去 | (2000-01-02) 2000年1月2日(89歳没) スペイン、ランサローテ島、ラ・マレタ御用邸 |
配偶者 | フアン・デ・ボルボン・イ・バッテンベルグ |
子女 | ピラール フアン・カルロス1世 マルガリータ アルフォンソ |
父親 | カルロ・タンクレーディ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ |
母親 | ルイーズ・ドルレアン |
マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス・イ・オルレアンス(スペイン語: María de las Mercedes Cristina Genara Isabel Luisa Carolina Victoria de Todos los Santos de Borbón-Dos Sicilias y Orleans, 1910年12月23日 - 2000年1月2日)は、バルセロナ伯フアンの妃。前スペイン王フアン・カルロス1世の母。イタリア語名はマリア・メルチェデス(Maria Mercedes di Borbone-Due Sicilie)。
生涯
両シチリア王国の旧王家ブルボン=シチリア家出身(最後の国王フランチェスコ2世の甥)でスペイン王子でもあったカルロ・タンクレーディと、その2度目の妻ルイーズ・ドルレアン(パリ伯フィリップの娘)の次女として、マドリードで生まれた[1]。父が軍務に就いていたセビリアで育ち、スペイン第二共和政が成立すると、一家はカンヌへ亡命、後にパリへ転居した。
1935年1月、アルフォンソ13世の王女ベアトリスの結婚式の際、ベアトリスの弟であるフアンと出会い、同年10月に結婚した。1942年にフアンにはバルセロナ伯位が授けられた。
一家はカンヌとローマに暮らし、第二次世界大戦が勃発すると、フアンの母である王妃ビクトリア・エウヘニア(エナ)とローザンヌに暮らした。戦後、一家はエストリルで暮らした。1976年、フアン・カルロスのスペイン王即位に伴い、一家はスペインへ帰国した。
1982年に臀部を骨折、1985年には左大腿骨を骨折し、晩年は車椅子での生活を余儀なくされた。
マリアはアンダルシア文化と闘牛をこよなく愛した。孫娘である王女エレナが挙式をセビリアで挙げたのは、マリアがセビリアを好んだからであった。セビリアを本拠地とするレアル・ベティスのサポーターでもあった。
2000年1月2日、スペイン王室揃って新年を祝ったランサローテ島の別荘で、心臓発作のため薨去。葬儀は王妃の礼をもって執り行われ、エル・エスコリアル修道院に埋葬された。
子女
2人には4子が生まれた。
ピラール(1936年 - )
フアン・カルロス1世(1938年 - )
マルガリータ(1939年 - )- アルフォンソ(1941年 - 1956年)
備考
^ 父の先妻はスペイン王アルフォンソ12世の第1王女で同名のマリア・デ・ラス・メルセデスであり、またアルフォンソ12世の最初の王妃(この王女の母ではない)も同名のマリア・デ・ラス・メルセデスであった。