プリマス・ブレザレン
福音派の源流の一つ |
ディスペンセーション主義 |
---|
![]() |
関連記事 |
人物 |
ジョン・ダービ ハル・リンゼイ・高木慶太 |
団体 |
プリマス・ブレズレン ダラス神学校 |
神学 |
患難期前携挙説 千年期前再臨説 |
歴史 |
ナイアガラ聖書会議 |
関連項目 |
レフト・ビハインド |
キリスト教 ポータル |
プリマス・ブレザレン(The Plymouth Brethren)は、保守的、福音主義的なキリスト教運動であり、聖書に基づく教理を目指して興った組織である。
運動は1820年代のアイルランド島ダブリンにさかのぼり、ブレザレン(兄弟たち)の名称は聖書から来ているが、具体的に組織化されたのは1831年で、ジョージ・ウィグラムとベンジャミン・ウィルズ・ニュートン、ジョン・ダービらを中心に組織された[1]。教職制度の否定や毎週日曜日の聖餐、教派に縛られないことなどを謳った。そして運動の拡大に伴い、教派に縛られない教会の在り方に共鳴したジョージ・ミュラーやロバート・チャップマンも、この運動に関与していった。
しかし後にメンバー間の教義の違いや仲違いが原因で、プリマス・ブレザレンは1848年に決定的な内部分裂を起こし、
オープン・ブレザレン - 他の教派に対して穏健な態度を取り、信徒同士の交流も行なっているグループ(ジョージ・ミュラーなど)。
エクスクルーシブ・ブレザレン - 教義理解を共有するグループ以外とは、たとえブレザレン同士でも、一切交流を持たない排他的なグループ(ジョン・ダービ)。
以上のとおり、2つの派に分かれることとなった。
なお、ブレザレン運動の言説の勢いが増した結果、ダービの思想の中心となるディスペンセーション主義や患難前携挙説が大いに広まったが、ジョージ・ミュラーやベンジャミン・ウィルズ・ニュートンらは、患難前携挙説について否定的で、患難後携挙説に注目していた[2][3]。
このことからもわかるように、ブレザレンの思想はグループや派閥、伝道者ひとりひとりによって異なる場合があり、「ブレザレンの思想」として単純に言い表すことは難しい。例えば、フレドリク・ブルースのように、ディスペンセーション神学を容認しない信徒も存在する。
なお日本では、ブラザレン派・同胞派・キリスト集会と呼ばれることもある。
著名なブレザレン
アンソニー・ノリス・グローブス(初期のプリマス・ブレザレン運動に大きな影響を与えた)- ジョージ・ミュラー
- ロバート・チャップマン
- ジョン・ネルソン・ダービー
ジョセフ・スクライヴェン(「いつくしみ深き」の作詞者)- フレドリク・ブルース
- H・G・ブランド
乗松雅休(日本プロテスタント初の海外宣教師)- 五十嵐健治
- 上田貞治郎
関連項目
キリスト集会
脚注
^ Livingstone, Elizabeth A. (2000). The Concise Oxford Dictionary of the Christian Church. Oxford: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-280057-2.
^ Cordner, Michael. "The Rapture of the Church". Online Library. Northwestern Theological Seminary. Retrieved 27 June 2010.
^ 「背教が起こり、滅びの子が現れるまで、イエス様が来ないことを、聖書ははっきりと断言している。」とミュラーは語っていた。Mueller, Susannah Grace (1883). Preaching tours and missionary labours of George Mueller. p. 148.