ビルダーバーグ会議






オランダのビルダーバーグホテル。1954年に最初の会議が開かれ、その名の由来となった。


ビルダーバーグ会議(ビルダーバーグかいぎ、英語:Bilderberg Meetings, Bilderberg conference, Bilderberg Group, Bilderberg Club)は、1954年から毎年1回、ヨーロッパと北米間の対話を促進を目的として行われる会合[1]ビルダーバーグ・クラブビルダーバーグ・クラブビルダーバーグ・ソサエティとも呼ばれる。




目次






  • 1 概要


  • 2 歴史


  • 3 ビルダーバーグ会議の歴代議長


  • 4 ビルダーバーグ会議の開催地


  • 5 ビルダーバーグ会議についての諸説


    • 5.1 陰謀論や批判




  • 6 脚注


  • 7 関連書籍


  • 8 関連項目


  • 9 外部リンク





概要


主に北米とヨーロッパ諸国から政治家や官僚、多国籍企業・金融機関の代表やヨーロッパの王族、貴族の代表者など約130人が出席し[2]、北米や欧州の各地で開催され、政治経済や環境問題等の他分野に渡る問題について討議する完全非公開の会議が年に一回開催される。事務局はオランダのライデン。現在の議長は、アクサのCEO、アンリ・ドゥ・キャストゥル(英語版) (2012年~)。会議は厳重な警備の下、開催地の高級ホテルを借り切って行われる。
出席者リスト、議題はある程度ウェブサイトで公表され、ジャーナリストやコラムニスト等も招待されるが、会議での討議内容自体は非公開であり記事になることはない[3]


公式に、ヨーロッパと北米間の対話促進を会議の目的として謳っており[4]、ヨーロッパ(ロシアは含まれない)および北米に位置する国からの参加者が大半を占め、他地域からの参加者はオーストラリアやニュージーランドも含め例外的で稀である。ヨーロッパと言ってもロシアからの参加は稀。非欧州、非北米諸国からの参加者は、過去、日本、中国、ロシア[5]
、イラン、イラク、ニュージーランド、イスラエル、パキスタン等の国籍が確認されている。日本からは2009年にアテネで開かれた会議に当時国際エネルギー機関事務局長を務めていた田中伸男が参加した。2011年のスイス・サンモリッツでの会議には中国から外務次官として傅瑩が参加した。



三極委員会と並び、世界を牛耳るための組織などといった陰謀論や批判の対象となることも多い。



歴史


ポーランドの政治活動家のジョセフ・レティンガー(英語版)(Joseph Retinger)[6]は、当時ヨーロッパに広がり始めていた、反アメリカ主義等への懸念から、オランダのベルンハルト王配[7]に欧米の有力者で定期的に討議する国際的な会議の創設を提案した。働きかけを受けたベルンハルト王配は、ベルギーの元首相のパウル・ファン・ゼーラント(Paul Van Zeeland)やCIA長官のウォルター・ベデル・スミス(Walter Bedell Smith)、アイゼンハワー大統領のアドバイザーを務めていたチャールズ・ダグラス・ジャクソン(英語版)(Charles Douglas Jackson)らに働きかけ、ベルンハルト王配の主導によって創設された。第1回は1954年5月29日から31日にオランダヘルダーラント州レンカムのオーステルベーク(英語版)(Oosterbeek)[8]にあるビルダーバーグホテル(the Hotel de Bilderberg)[9]で開かれた[10]。最初の会議には、西ヨーロッパの11ヶ国から50名、アメリカからは11名が参加した。
冷戦中に、欧州の北大西洋条約機構(NATO)加盟国と米国の橋渡しを目指したとされる[11]


1970年代頃からその存在を一般に知られるようになった。



ビルダーバーグ会議の歴代議長




  • ベルンハルト王配 オランダ (1954–1975)


  • サー・アレック・ダグラス=ヒューム イギリス (1977-1980)


  • ヴァルター・シェール ドイツ(1981-1985)


  • エリック・ロール(英語版) (Eric Roll, Baron Roll of Ipsden) イギリス(1986–1989)

  • 第6代キャリントン男爵ピーター・キャリントン イギリス (1990–1998)

  • ダヴィニオン子爵エティエンヌ・ダヴィニオン(英語版) (Étienne Francois Jacques Davignon, Viscount Davignon)ベルギー (1999–2011)


  • アンリ・ドゥ・キャストゥル(英語版) (Henri de Castries) フランス (2012~)



ビルダーバーグ会議の開催地


ビルダーバーグ会議は基本的に年に1回開催されている。



  • 1954年 (5月29日-31日) オランダ・オーステルベーク、ビルダーバーグホテル

  • 1955年 (3月18日-20日) フランス・バルビゾン

  • 1955年 (9月23日-25日) 西ドイツ・ガルミッシュ=パルテンキルヒェン

  • 1956年 (5月11日-13日) デンマーク

  • 1957年 (2月15日-17日) アメリカ合衆国・ジョージア州セントサイモン島

  • 1957年 (10月4日-6日) イタリア・ラツィオ州フィウッジ

  • 1958年 (9月13日-15日) イギリス・ダービーシャーバクストン

  • 1959年 (9月18日-20日) トルコ・イスタンブール

  • 1960年 (5月28日-29日) スイス・ニトヴァルデン準州ビュルゲンシュトック、パレスホテル

  • 1961年 (4月21日-23日) カナダ・ケベック州

  • 1962年 (5月18日-20日) スウェーデン・サルショバーデン

  • 1963年 (5月29日-31日) フランス・カンヌ

  • 1964年 (3月20日-22日) アメリカ合衆国・バージニア州ウィリアムズバーグ

  • 1965年 (4月2日-4日) イタリア・ロンバルディア州チェルノッビオ

  • 1966年 (3月25日-27日) 西ドイツ・ヴィースバーデン

  • 1967年 (3月31日-4月2日) イギリス・ケンブリッジ

  • 1968年 (4月26日-28日) カナダ・ケベック州モントランブラン

  • 1969年 (5月9日-11日) デンマーク・ヘルシンゲル

  • 1970年 (4月17日-19日) スイス

  • 1971年 (4月23日-25日) アメリカ合衆国・バーモント州ウッドストック

  • 1972年 (4月21日-23日) ベルギー・クノック

  • 1973年 (5月11日-13日) スウェーデン

  • 1974年 (4月19日-21日) フランス・オート=サヴォワ県メジェーヴ

  • 1975年 (4月22日-24日) トルコ・イズミル

  • 1976年 (ロッキード事件のため中止[12]

  • 1977年 (4月22日-24日) イギリス・デヴォン州トーキー

  • 1978年 (4月21日-23日) アメリカ合衆国・ニュージャージー州プリンストン

  • 1979年 (4月27日-29日) オーストリア・バーデン・バイ・ウィーン

  • 1980年 (4月18日-20日) 西ドイツ・アーヘン

  • 1981年 (5月15日-17日) スイス・ニトヴァルデン準州ビュルゲンシュトック、パレスホテル

  • 1982年 (5月14日-16日) ノルウェー・ヴェストフォル県サンデフィヨルド

  • 1983年 (5月13日-15日) カナダ・ケベック州モンテベロ

  • 1984年 (5月11日-13日) スウェーデン・サルショバーデン

  • 1985年 (5月10日-12日) アメリカ合衆国・ニューヨーク

  • 1986年 (4月25日-27日) イギリス・スコットランド、グレンイーグルス

  • 1987年 (4月24日-26日) イタリア・ロンバルディア州チェルノッビオ

  • 1988年 (6月3日-5日) オーストリア

  • 1989年 (5月12日-14日) スペイン・トシャ島(オ・グローベ、ガリシア州)

  • 1990年 (5月11日-13日) アメリカ合衆国・ニューヨーク州グレンコーヴ

  • 1991年 (6月6日-9日) ドイツ・バーデン=バーデン

  • 1992年 (5月21日-24日) フランス・エヴィアン=レ=バン

  • 1993年 (4月22日-25日) ギリシア・ブリアグメニ

  • 1994年 (6月2日-5日) フィンランド・ヘルシンキ

  • 1995年 (6月8日-11日) スイス・ニトヴァルデン準州ビュルゲンシュトック、パレスホテル

  • 1996年 (5月30日-6月2日) カナダ・オンタリオ州キングシティー

  • 1997年 (6月12日-15日) アメリカ合衆国・ジョージア州レイク・レイニエ

  • 1998年 (5月14日-17日) イギリス・スコットランド、ターンベリー

  • 1999年 (6月3日-6日) ポルトガル、シントラ

  • 2000年 (6月1日-4日) ベルギー、ブリュッセル郊外

  • 2001年 (5月24日-27日) スウェーデン

  • 2002年 (5月30日-6月2日) アメリカ合衆国・バージニア州チャンティリー

  • 2003年 (5月15日-18日) フランス・ベルサイユ

  • 2004年 (6月3日-6日) イタリア・ピエモンテ州ストレーザ

  • 2005年 (5月5日-8日) ドイツ・ロッタッハエゲルン

  • 2006年 (6月8日-11日) カナダ・オンタリオ州オタワ郊外カナタ、ブルックストリートホテル

  • 2007年 (5月31日-6月3日) トルコ・イスタンブール、リッツ・カールトンホテル

  • 2008年 (6月5日-8日) アメリカ合衆国・バージニア州チャンティリー

  • 2009年 (5月14日-16日) ギリシア・アテネ[13][14][15]

  • 2010年 (6月3日-6日) スペイン・シッチェス

  • 2011年 (6月9日-12日) スイス・サンモリッツ、スヴレッタ・ハウス

  • 2012年 (5月31日-6月3日) アメリカ合衆国・バージニア州チャンティリー、ウエストフィールズ・マリオットホテル

  • 2013年 (6月6日-6月9日) イギリス・ワットフォード、グローブホテル

  • 2014年 (5月31日-6月2日) デンマーク・コペンハーゲン、マリオットホテル

  • 2015年 (6月11日-6月14日) オーストリア・チロル テルフス、インターアルペン ホテル・チロル

  • 2016年 (6月9日-12日) ドイツ・ドレスデン

  • 2017年 (6月1日-4日) アメリカ合衆国・バージニア州チャンティリー

  • 2018年 (7月7日-10日) イタリア・トリノ



ビルダーバーグ会議についての諸説


ビルダーバーグ会議は、欧州、北米の政治家や多国籍企業・金融機関の代表やヨーロッパの王族、貴族などの代表者による会議であり、非欧米諸国からの出席者は少ない[16]


出席者のおよそ2/3が多国籍企業ないし多国籍金融機関の経営者、国際メディア、およそ1/3が各国の政治家と言われている。毎年、アメリカから30人、欧州各国から80人、国際機関などから10人とも言われている。また、著名な大企業であっても自薦では参加者を送ることができないと言われている。


第二次世界大戦後の大西洋関係の再構築にビルダーバーク会議は極めて重要な役割を果たしたとする見解がある[17]


王立国際問題研究所、外交問題評議会、三極委員会とも関係がある。ビルダーバーグ会議出席者とこれらの組織のメンバーには重複が認められる。ビルダーバーグ会議の情報は重複するメンバーによって下部組織に伝達されると見る説がある[18]
ビルダーバーグ会議が日本の受け入れを拒否したため、1973年に日米欧委員会(2000年より三極委員会)が設立されたと言われている[19]


リップルウッド(ティモシー・コリンズ)の背後にはビルダーバーグ会議が存在すると言う[20]


1991年の会議には、当時アーカンソー州知事だったビル・クリントンが招待された。クリントンは会議の1年半後の1993年1月にアメリカ大統領に就任した。1993年の会議にはイギリス労働党のトニー・ブレアが招待された。ブレアは会議の4年後の1997年5月にイギリス首相に就任した[21]


メンバーの中心は、デイヴィッド・ロックフェラーやキッシンジャーなどの中道派(国際協調主義)である。ネオコンと呼ばれる人々にも会議の常連が存在する。G8、NATO等の首脳会議の決定に会議で話し合われたことが影響を与えるという指摘や、メンバーが外交問題評議会とかなり重複しているという指摘があると言う[22]


デイヴィッド・ロックフェラーは自叙伝及び盛田昭夫との対談でビルダーバーグ会議について述べている[23][24]


アレックス・ジョーンズはドキュメンタリー「Endgame: Blueprint for Global Enslavement」でビルダーバーグ会議を扱っている。



陰謀論や批判


ダニエル・エスチューリン(Daniel Estulin)は以下のように主張している。



  • 各年のビルダーバーグ会議の決定に従って、各国政府、財界への工作、メディアを通じた世論操作が発動される。

  • その都度、議論されるトピックは国際政治経済状況による異なるが、最終目標は、あくまでも欧米による世界統一権力の樹立である。そのための手段として、メディアおよびネットの国際的支配、国民総背番号制[25]と「人体埋め込みチップ」[26]、GPSによる大衆監視、電子通貨システムを通じた国際通貨統合、人口抑制といったサブ・テーマが継続的に取り扱われている。


  • 9.11以降、米国・ネオコン派に対して米国・非ネオコン派および欧州派の意見対立がある。

  • 1997年の会議でビルダーバーグでは、カナダからケベック州を分離した残部をアメリカに統合する計画を検討する予定であったが、ダニエル・エスチューリン、ジェームス・P・タッカー(Jim P.Tucker,Jr)[27]らの活動により、「トロント・スター」紙をはじめとするカナダのマスコミが大々的にビルダーバーグ会議について報道するに至った。それが国際世論の注目を集めたことにより、計画は頓挫した。その結果、ダニエル・エスチューリンは暗殺されかけた[28]



脚注





  1. ^ “BRIEF HISTORY”. 2017年1月8日閲覧。


  2. ^ List of Bilderberg participants


  3. ^ 産経新聞朝刊 2003年6月22日


  4. ^ “BRIEF HISTORY”. 2017年1月8日閲覧。


  5. ^ “Final list of Participants”. 2017年1月8日閲覧。


  6. ^ 大戦後の欧州統合運動の提唱者であり、欧州統合運動(European Movement)、欧州評議会(The Council of Europe)の設立に尽力した。ジョゼフ・コンラッドの友人としても知られている。


  7. ^ ベアトリクス女王の父。1976年にロッキード事件に巻き込まれるまで、議長を務めた。


  8. ^ オーステルベークはマーケット・ガーデン作戦でも知られている。


  9. ^ ビルダーバーグ会議の名の元となった。


  10. ^ 第1回会議の直後、1954年8月30日にフランス議会はEDC条約の批准を否決し、欧州防衛共同体構想は実現しなかった。


  11. ^ 産経新聞朝刊 2003年6月22日


  12. ^ 本来はアメリカ合衆国バージニア州ホットスプリングスのホームステッドで開催予定であった。


  13. ^ The most powerful elite will meet in Athens Grreporter.info - News from Greece


  14. ^ 2009年の会議、ウォールストリート・ジャーナルの記事 The Elite Gather in Greece for a Not-So-Secret Meeting


  15. ^ 2009年の会議、タイムズ(The Times)の記事 Shadowy Bilderberg group meet in Greece — and here’s their address


  16. ^ David Rothkopf の著書Superclass - The Global Power Elite and the World They Are Making によると世界の60億人は6000人のエリート(The Superclass)によって統治されていると言う。世界経済フォーラムの「ダボス会議」の招待客は3000人超である。戦前のフランスでは「200家族(200家族資本)」がフランス経済を支配したと言われる。


  17. ^ 日米中協力―新たな三辺関係の模索


  18. ^ 園田義明『最新アメリカの政治地図』 講談社 2004年


  19. ^ 1972年、デイヴィッド・ロックフェラーは日本の受け入れをオランダ王室に打診したが断られたため、ズビグネフ・ブレジンスキーに日本をメンバーとする会議を創設することを提案した(「3極委員会 新たな転機」(春原剛)日本経済新聞 2008年1月21日)。西側の「大西洋同盟重視派」が反対したとも言われている(中田安彦『ジャパン・ハンドラーズ―日本を操るアメリカの政治家・官僚・知識人たち』
    日本文芸社 2005年)。参考:日本国際交流センター 三極委員会(トライラテラル・コミッション)



  20. ^ 浜田和幸『ハゲタカが嗤った日―リップルウッド=新生銀行の「隠された真実」』 集英社インターナショナル 2004年


  21. ^ 『SAPIO』小学館 2004年12月08日


  22. ^ ネオコンは中道派の別働隊だった?


  23. ^ デイヴィッド・ロックフェラー(楡井浩一 訳) 『ロックフェラー回顧録』 新潮社 2007年、「盛田・ロックフェラー対談」 読売新聞 1991年12月3日朝刊及びデイヴィッド・ロックフェラー、盛田昭夫『21世紀に向けて』 読売新聞社 1992年 参考:世界を動かしたロックフェラー デイヴィッド・ロックフェラー『ロックフェラー回顧録』asahi.com 書評 ロックフェラー回顧録


  24. ^ デイヴィッド・ロックフェラーは「ビルダーバーグは本当に、きわめて興味深い討論グループで、年に一度ヨーロッパと北アメリカの両方にとって重要な問題を論じ合っている―ただし、合意に達することはない。」 と述べている(『ロックフェラー回顧録』新潮社 2007年)。


  25. ^ 米国では1936年に社会保障番号が年金制度の加入資格を持つ市民に付けられた。欧州・アジアの諸国では、1940年代~1970年に住民登録番号や国民保険番号が住民登録制度に基づき全国民に付けられた。


  26. ^ 人体埋め込みチップの一種VeriChipについての記事。体内埋め込みIC「VeriChip」、“知性の領域への侵食”は許されるのか究極のテロ対策!? 人体埋め込み医療チップ「VeriChip」でセキュリティ認証


  27. ^ ジェームス・P・タッカーはJim Tucker's Bilderberg Diary(『ジム・タッカーのビルダーバーグ日記』、日本語訳未刊)等の著者、ビルダーバーグ会議の取材で知られる記者、ライター。タッカーはヴィクター・ソーン(Victor Thorn)らと同じく「アメリカン・フリー・プレス」紙(American Free Press)に寄稿している。「アメリカン・フリー・プレス」はリバティ・ロビー(Liberty Lobby)
    の新聞「スポットライト」の後継紙。



  28. ^ Bilderberg 1996: A close call for thwarting a scheme to partition Canada




関連書籍



  • 『ユダヤ=フリーメーソン 謎の国際機関』 新人物往来社 1991年

  • 中田安彦『ジャパン・ハンドラーズ―日本を操るアメリカの政治家・官僚・知識人たち』 日本文芸社 2005年

  • 中田安彦『世界を動かす人脈』 講談社 2008年

  • 中田安彦『アメリカを支配するパワーエリート解体新書』 PHP研究所 2009年

  • デイヴィッド・ロックフェラー(楡井浩一 訳) 『ロックフェラー回顧録』 新潮社 2007年

  • デイヴィッド・ロックフェラー、盛田昭夫『21世紀に向けて』 読売新聞社 1992年

  • 浜田和幸『ハゲタカが嗤った日―リップルウッド=新生銀行の「隠された真実」』 集英社インターナショナル 2004年

  • 園田義明『最新アメリカの政治地図』 講談社 2004年

  • ジョン・G・ ロバーツ、グレン・デイビス(森山尚美 訳)『軍隊なき占領 戦後日本を操った謎の男』 講談社 2003年

  • ベンジャミン・フルフォード『解体されるニッポン』 青春出版社 2008年

  • ベンジャミン・フルフォード『アメリカが隠し続ける金融危機の真実』 青春出版社 2008年

  • ユースタス・マリンズ(天童竺丸 訳)『世界権力構造の秘密』上巻・下巻 成甲書房 2007年

  • 田原総一朗『日本のパワー・エリート』 光文社 1980年


  • 越智道雄『秘密結社 アメリカのエリート結社と陰謀史観の相克』 ビジネス社 2005年

  • 赤間剛『神々の陰謀』I・II・III 時の経済社 1984年、1985年

  • 桐生操『秘密結社 世界を動かす「闇の権力」』 中央公論新社 2007年

  • 『SAPIO』「ネオコン人脈も蝟集する世界最強の秘密結社「ビルダーバーグ」の真実」 小学館 2004年12月8日

  • Gary Allen and Larry Abraham None Dare Call It Conspiracy (1971)

  • G.アレン、L.エブラハム(湯浅慎一 訳)『INSIDER―<世界統一>を謀る恐怖のシナリオ』太陽出版 1986年(None Dare Call It Conspiracyの日本語訳)

  • Carroll Quigley Tragedy & Hope: A History of the World in Our Time (G.S.G.& Associates, Incorporated ,1975)

  • Robert Gaylon Ross, Sr. Who's Who of the Elite : Members of the Bilderbergs, Council on Foreign Relations, & Trilateral Commission (RIE ,2000)

  • Jim Marrs Rule by Secrecy: The Hidden History That Connects the Trilateral Commission, the Freemasons, and the Great Pyramids (Harper Paperbacks ,2001)

  • Victor Thorn The New World Order Exposed (Sisyphus Press ,2003)

  • Jim Tucker Jim Tucker's Bilderberg Diary (American Free Press,2005)

  • Daniel Estulin The True Story of the Bilderberg Group (Trine Day,2007)

  • ダニエル・エスチューリン(山田郁夫 訳)『ビルダーバーグ倶楽部 世界を支配する陰のグローバル政府』 バジリコ 2006年(The True Story of the Bilderberg Groupの日本語訳)


  • David Rothkopf Superclass: The Global Power Elite and the World They Are Making (Farrar, Straus and Giroux ,2008)

  • Heinz Duthel The Bilderberger Group - Saviors or Destroyers? (Lulu.com ,2008)

  • H. Paul Jeffers The Bilderberg Conspiracy (Citadel ,2009)



関連項目



  • 三極委員会

  • 王立国際問題研究所

  • 外交問題評議会

  • ダボス会議

  • 太平洋問題調査会

  • en:List of Bilderberg attendees

  • en:The Superclass List

  • フリーメイソン



外部リンク







  • 公式サイト

  • BILDERBERG MEETINGS CHANTILLY, VIRGINIA, USA, 31 MAY-3 JUNE 2012

  • BILDERBERG 2012 YILININ KATILIMCI LISTESI

  • BBC News Inside the secretive Bilderberg Group

  • BBC News Bilderberg: The ultimate conspiracy theory


  • bilderberg.org(市民グループのサイト)

  • CBC News Online INDEPTH: THE BILDERBERG GROUP Informal forum or global conspiracy?

  • Prison Planet Official 2008 Bilderberg Participant List

  • American Free Press Bilderberg Puts Heat on ‘Loose Cannon’ Bush Over Mideast Policy

  • American Free Press BILDERBERG SCARED

  • American Free Press Change? Obama Inner Circle Filled With Bilderbergers


  • The Bilderberg group guardian.co.uk


  • The most powerful elite will meet in Athens Grreporter.info - News from Greece




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