後桃園天皇
後桃園天皇 | |
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後桃園天皇像(陽明文庫蔵) | |
第118代天皇 | |
在位期間 1770年5月23日-1779年12月16日 | |
元号 | 明和 安永 |
先代 | 後桜町天皇 |
次代 | 光格天皇 |
誕生 | 1758年8月5日 平安京(京都) |
崩御 | 1779年12月6日 |
陵所 | 月輪陵 |
父親 | 桃園天皇 |
母親 | 藤原富子 |
女御 | 近衛維子 |
子女 | 欣子内親王(光格天皇中宮) |
皇居 | 京都御所 |
後桃園天皇(ごももぞのてんのう、1758年8月5日(宝暦8年7月2日) - 1779年12月6日(安永8年10月29日))は、江戸時代の第118代天皇(在位:1770年5月23日(明和7年4月28日) - 1779年12月16日(安永8年11月9日))。幼名は若宮。諱は英仁(ひでひと)。
なお、急逝による後継の準備のため、実際よりも後の日付で崩御が発表されており、在位日が崩御後も続いている(宮内庁所蔵「後桃園院御凶事前後記」)。
目次
1 系譜
1.1 系図
2 略歴
3 死後
4 略年表
5 在位中の元号
6 陵・霊廟
7 脚注
8 参考文献
9 関連項目
系譜
桃園天皇の第一皇子。母は関白太政大臣一条兼香の娘で桃園女御の恭礼門院・藤原富子。同母弟に伏見宮貞行親王がいる。
女御:近衛維子(盛化門院)(1759-1783)
- 第一皇女:欣子内親王(光格天皇中宮)(1779-1846)
養子
- 兼仁親王(光格天皇、閑院宮典仁親王の第六王子)(1771-1840)
系図
114中御門天皇 | 閑院宮直仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
115桜町天皇 | 典仁親王 (慶光天皇) | 倫子女王 | 鷹司輔平 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
117後桜町天皇 | 116桃園天皇 | 美仁親王 | 119光格天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
118後桃園天皇 | 120仁孝天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
桂宮淑子内親王 | 121孝明天皇 | 和宮親子内親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
122明治天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
略歴
明和5年2月19日(1768年4月6日)に立太子。皇太子が今上天皇の子でないのは熙成親王(長慶天皇の弟、のちの後亀山天皇)以来400年ぶりで2018年現在最後の例[1]。今上天皇の甥が皇太子になったのは益仁親王(光明天皇の甥、のちの崇光天皇)以来430年ぶり[2]。明和7年(1770年)伯母後桜町天皇の譲位を受けて即位。
在位中の安永2年(1773年)には、朝廷の経理などを行う口向に属する地下官人による大規模な不正が発覚し、江戸幕府による処分が行われた(安永の御所騒動)。
病気がちであり、安永8年(1779年)に在位のまま22歳で崩御。
死後
子が欣子内親王のみであったので、急遽閑院宮家より養子を迎え(閑院宮師仁親王、即位後は兼仁に改名)、光格天皇として即位させた。欣子内親王はのちに光格天皇の中宮となり、6年後の寛政12年1月22日(1800年2月15日)、第三皇子温仁親王を出産するも、夭折。その後、文化13年1月28日(1816年2月25日)に再び第七皇子悦仁親王を出産するが、こちらも文政4年2月11日(1821年3月14日)に6歳で夭折し、これにより中御門天皇からの皇統は完全に途絶えてしまうこととなった。
略年表
- 宝暦9年1月18日(1759年2月15日) 儲君となる
- 宝暦9年5月15日(1759年6月9日) 親王宣下
- 明和5年2月19日(1768年4月6日) 立太子
- 明和5年8月9日(1768年9月19日) 元服
- 明和7年4月28日(1770年5月23日) 践祚
- 明和8年11月9日(1771年12月14日) 大嘗祭
在位中の元号
明和 (1764年6月2日) - 1772年11月16日
安永 1772年11月16日 - (1782年4月2日)
陵・霊廟
陵(みささぎ)は、宮内庁により京都府京都市東山区今熊野泉山町の泉涌寺内にある月輪陵(つきのわのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は石造九重塔。
また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。
脚注
^ この間に泰成親王(後亀山天皇の弟)が皇太子になっていた説もある。
^ 『日本史小百科 天皇』児玉幸多編 東京堂出版 1981
参考文献
- 宮内省図書寮 編『後桃園天皇実録』1~2巻(ゆまに書房、2006年) ISBN 4843320374
関連項目
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