ヨアシュ יְהֹואָשׁ
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ユダ王
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在位 |
紀元前837年頃 - 紀元前800年頃 |
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死去 |
紀元前800年頃
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配偶者 |
エホアダン |
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子女 |
アマツヤ
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王朝 |
ダビデ朝 |
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父親 |
アハズヤ
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母親 |
ジビア |
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ヨアシュは、ユダ王国の第8代の王である。
生涯
アハズヤの子として生まれる。アハズヤ王がイエフに殺されると、アハズヤの母アタルヤが女王になり、自分の地位を脅かすダビデの王家の者を謀殺した。
しかし、アハズヤの姉妹で大祭司エホヤダの妻となっていたエホシェバによって、ヨアシュとその乳母が助け出された。ヨアシュは6年間、主の宮にかくまわれて大祭司夫妻に保護され、養育された。ヨアシュが7歳になった時に、大祭司エホヤダが軍隊を味方に就けてクーデターを起こし、アタルヤを捕らえて処刑してヨアシュを即位させた。エホヤダは、宗教的政治的な契約を民に結ばせて、主と新王ヨアシュに対する忠誠を誓わせた。ユダの国民はバアルの宮と祭壇の像を破壊した。ヨアシュは、エホヤダと共に賢明な政治を行った。
だが、エホヤダの死後、ヨアシュとユダの国民は神に背いて、アシェラと偶像に仕えた。エホヤダの子ゼカリヤがヨアシュの罪を責めたが、ユダの国民がヨアシュの命令によりゼカリヤを殺害した。直後、アラムの王ハザエルがユダ王国を侵略してエルサレムを陥落させ、主の宮の宝物を略奪した。
ヨアシュはやがて家来達から信頼を失い、ついには謀反を起こされ、病床にあったところを殺害された。ヨアシュの遺体はダビデの町に葬られたが、王の墓には埋葬されなかった。息子アマツヤが王になり、父ヨアシュを殺害した家来を処刑したが、その家来の子供たちの命は助けた。
参考文献
古代イスラエルの王
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イスラエル王国 |
サウル前1000-前961 / イシュ・ボシェテ前1000 / ダビデ前1000-前962 / ソロモン前962-前922 / レハブアム前922
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ユダ王国 |
レハブアム前922-前915 / アビヤム前915-前913 / アサ前913-前873 / ヨシャファト前873-前849 / ヨラム前849-前842 / アハズヤ前842 / アタルヤ前842-前837 / ヨアシュ前837-前800 / アマツヤ前800-前783 / ウジヤ前783-前742 / ヨタム前742-前735 / アハズ前735-前715 / ヒゼキヤ前715-前687 / マナセ前687-前642 / アモン前642-前640 / ヨシヤ前640-前609 / エホアハズ前609 / エホヤキム前609-前598 / エホヤキン前598 / ゼデキヤ前597-前587
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北イスラエル王国 |
ヤロブアム1世前922-前901 / ナダブ前901-前900 / バシャ前900-前877 / エラ前877-前876 / ジムリ前876 / オムリ前876-前869 / アハブ前869-前850 / アハズヤ前850-前849 / ヨラム前849-前842 / イエフ前842-前815 / ヨアハズ前815-前801 / ヨアシュ前801-前786 / ヤロブアム2世前786-前746 / ゼカリヤ前746 / シャルム前745 / メナヘム前745-前738 / ペカフヤ前738-前737 / ペカ前737-前732 / ホセア前732-前722
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ハスモン朝 |
アリストブロス1世前104-前103 / アレクサンドロス・ヤンナイオス前103-前76 / サロメ・アレクサンドラ前76-前67 / ヨハネ・ヒルカノス2世前67-前66 / アリストブロス2世前66-前63 / ヨハネ・ヒルカノス2世(復位)前63-前40 / アンティゴノス前40-前37
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ヘロデ朝 |
ヘロデ前37-前4 / アグリッパ1世34-44 / アグリッパ2世44-100?
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