戦国大名





戦国大名(せんごくだいみょう)は、日本の戦国時代に数郡から数カ国規模の領域を一元的に支配した大名を指す。



元亀元年頃の戦国大名版図(推定)




目次






  • 1 概要


  • 2 出自


  • 3 支配


  • 4 主な戦国大名


    • 4.1 蝦夷地・奥羽


    • 4.2 関東


    • 4.3 甲信越・東海・北陸


    • 4.4 畿内近国


    • 4.5 山陽・山陰・四国


    • 4.6 九州




  • 5 その他の勢力


    • 5.1 寺院勢力


    • 5.2 神社勢力


    • 5.3 公家方(公家政権)


    • 5.4 武家方(間接的に全国を支配した武家政権)




  • 6 現在の旧大名家


  • 7 脚注


    • 7.1 注釈


    • 7.2 出典




  • 8 参考文献


  • 9 関連文献


  • 10 関連項目


  • 11 外部リンク





概要





北条早雲は戦国大名





早水藤左衛門と萱野三平 から刃傷事件の報告を受ける大石内蔵助(赤穂市大石神社)。


戦国時代の地域権力を指す言葉としては、古くは「戦国大名」の他に「分国大名」「領国大名」「戦国諸侯」など様々な呼称が用いられていたが、1953年に専門誌である『歴史学研究』にて安良城盛昭(164号「太閤検地の歴史的前提(2)」)と菊地武雄(166号「戦国大名の権力構造」)が、
あいついで「戦国大名」の用語を用いたことがきっかけで普及したと言われている[1]


「戦国大名」の定義については現在に到るまで曖昧さを残したまま検討が続けられているが、おおむね室町時代の守護大名と比べると、戦国大名は、室町将軍など中央権力と一線を画し、守護公権のあるなしに関わらず国内を独自に統一する権力を有する。また、有力国衆など被官・家臣の統制を強化し家中(家臣団)を構成し、領国内において軍役を課すシステム(例えば貫高制)を確立している。


最初の戦国大名は北条早雲の興した後北条家であり、戦国時代の嚆矢とされる一方、天下統一の際に最後の戦国大名としても名を残している。


領国内の治安を維持し統一を図るため、独自に被官・家臣間、領民間の争いを調停した。そのため目安制を導入し領民や家臣からの訴え出を把握し、評定衆による裁判を行わせるなどして、大名主導により紛争の解決を行い、その基準を明文化した分国法(戦国法)を制定するものもあった。戦国法の制定は戦国大名の大きな要素として評価される事もあるが、分国法を制定していた戦国大名は少数である。このような戦国大名による独自性の高い強固な領域支配を大名領国制という。これは守護大名の守護領国制がより集権性を高めて発展した支配形態とも評価される。


守護大名が室町幕府より守護に任じられたという権威を根拠とする事により支配を行い、守護職は令制国単位であるため、その支配も守護に任じられた令制国内に限られたのに対して、戦国大名は、下克上により従来の守護を打倒するなど、その実力によって領国支配を確立して軍事行動や外交などを独自の権限で行った。そのため戦国大名の領国は令制国単位に限られず、領国拡大を行い複数の令制国にまたがる勢力圏を確立したり、あるいは令制国内部の一定領域において独立した支配権を確立した。


こうした守護公権と戦国法による戦国大名の公権力性は、中世後期の日本列島において戦国大名の領国を主権的な「国家」としてみなせるもので、戦国大名を地域国家として評価する理解が存在する(勝俣鎮夫ら)。


一方で、戦国期においても室町将軍体制は守護補任や地方の抗争を調停するなど一定の影響を及ぼしており、戦国大名は領国支配・拡大を行うにあたって地域支配の正統性を保証・追認させ、近隣大名を凌駕するために、幕府に運動し守護への補任を受ける事例も多い。こうした戦国期の室町将軍・守護職のあり方や戦国大名の家中において自立的な国衆の存在から、戦国期を室町将軍体制の解体過程とみなし、戦国大名を室町期守護からの権力の変質はありつつも連続性のあるものとして捉え、戦国大名を地域国家とみなす考えには否定的な戦国期守護論も提唱されている(矢田俊文ら)。


また、戦国期においても室町幕府直轄の室町殿御分国では守護、守護代の権力が維持されており、室町殿御分国内で国人領主から一国規模以上の戦国大名となったのは毛利氏、長宗我部氏のニ氏のみ、九州の龍造寺氏を含めても三氏に過ぎないことから、国人領主の戦国大名化は関東御分国内特有のものとされている[2]


一方で、戦国大名は武田信玄の信濃守護補任など地域支配への明瞭な影響の認められない事例も存在し、戦国大名は守護公権とは別に独自の大名権力をもっていたと評価されている。また、支配正統性の確立・近隣への優越という動機に基づいて、朝廷へ多額の貢納を行う見返りに 官位(武家官位)を獲得する戦国大名も多数存在しており、権威づけが守護職に限られないのも戦国大名の特徴である。これにより衰亡寸前だった天皇の権威が再認識されることとなり、天皇は戦国末期~安土桃山期の天下統一に少なからぬ役割を果たした。


戦国大名などの地域権力による領国拡大化が進展すると大名領国同士が接し、戦国大名家は相互に同盟関係を結び、また境界などをめぐって合戦を繰り広げた。こうした状況のなかで尾張国の織田信長は当初室町将軍を推戴しつつ、間接的に天下人である室町将軍の公権を用いて影響力を強めていたが、やがて室町将軍を追放しつつも天下人の地位を保ち、他大名家への影響を及ぼし続けた(織田政権)。信長のあとには豊臣秀吉が天下統一を達成し、中央政権としての豊臣政権を樹立し、豊臣政権は諸大名家への介入を強め、戦国大名の独立性は否定されていく。


豊臣政権の後には徳川氏による江戸幕府が成立し、徳川氏は室町将軍家と同じく征夷大将軍職を世襲するが主従関係にある諸大名を守護に任じることは行わず、戦国大名は幕藩体制のもと近世大名へと移行していった。


戦国大名は以上の特徴をもつことが指摘されているが、一方で戦国大名論が研究されたものは主に東国地域であり、対して戦国期守護論は室町将軍の御分国で影響力の強かった畿内・西国を中心に展開されている。


東国地域は駿河今川氏や甲斐武田氏など守護大名に出自をもつ大名家から相模後北条氏のような非守護大名家の戦国大名も存在し、関東から東北地方には守護から国衆まで多様な出自で、なおかつ一国以下の郡規模の地域勢力が分立しており、戦国大名の定義には曖昧さが残されている点が指摘され、現在に到るまで検討が続けられている[注釈 1][注釈 2]



出自


戦国大名の出自を概観すると、宇都宮氏・佐竹氏・今川氏・武田氏・土岐氏・六角氏・大内氏・大友氏・島津氏らのように守護大名を出自とする例、朝倉氏・尼子氏・長尾氏・三好氏・長宗我部氏・神保氏・波多野氏・織田氏・松永氏らのように守護代やその臣・陪臣を出自とする例が多数を占めたが、毛利氏・田村氏・龍造寺氏・筒井氏らのように国人層や宗教勢力を出自とした例も多い。その他、後北条氏・斎藤氏のように幕府吏僚・浪人を出自とする者も少なからずいた。また、守護と関東管領を兼ねていた上杉氏の例や、北畠氏のように国司から、或いは土佐一条氏のように公家から戦国大名化した例もあった。


管領や四職といった幕府の宿老の多くが勢力を失った背景には通常これらの大名は京都に在住し、守護代に領国を任せていた事が大きく関係している。


出自が、守護大名や守護代である戦国大名も、実際には、島津氏・織田氏のように半ば国人領主化した分家・庶流などが、養子縁組などで本家を襲った例も多い。



支配


戦国大名は、領国内に一円的な支配を及ぼした。この領国は高い独立性を有しており、地域国家と呼びうる実態を持っていた。戦国大名は、国人・被官層を家臣として組織化し、自らの本拠地周辺に集住させて城下町を形成する等により、国人・被官層と土地・民衆との間の支配関係を解消もしくは弱体化しようと図った。在地社会に対しては、在地社会の安全を確保する見返りに軍役を課すとともに、検地を実施して新たな租税収取体系を構築した。また、国人・被官層及び在地社会における紛争を調停する基準として分国法を制定する者もいた。こうした戦国大名による地域国家内の支配体制を大名領国制という。


ただし、戦国大名は、地域国家内において必ずしも超越的な存在ではなかった。戦国大名の権力基盤は、家臣として組織化された国人・被官層だった。室町時代中期頃から日本社会に広がった一揆は、国人・被官層にも浸透しており、国人・被官層は自らの利権を共同で確保していくため、国人一揆といった同盟関係を構築していた。そして、戦国大名は国人・被官層が結成した一揆関係に支えられて存立していたのであり、国人・被官層の権益を守る能力のない戦国大名は排除されることもあり、こうした事例は主君押込と呼ばれた。



主な戦国大名





蠣崎氏、松前勘解由と従者像。元の写真(1854年、ペリーの箱館来航時に撮影)は日本最古の銀板写真の一つで重要文化財。


以下のリストには戦国大名と国衆の区別に議論のある家も含む。



蝦夷地・奥羽


(北海道、陸奥、出羽)




  • 蠣崎氏

  • 大浦氏(津軽氏)

  • 浪岡北畠氏

  • 南部氏

  • 高水寺斯波氏

  • 葛西氏

  • 大崎氏

  • 伊達氏

  • 相馬氏

  • 二本松氏

  • 田村氏

  • 岩城氏

  • 陸奥石川氏

  • 白河結城氏

  • 二階堂氏

  • 蘆名氏





  • 安東氏

  • 戸沢氏

  • 小野寺氏

  • 大宝寺武藤氏

  • 天童氏

  • 最上氏






関東


(常陸、下野、上野、下総、上総、安房、武蔵、相模、伊豆)




  • 佐竹氏

  • 小田氏

  • 那須氏


  • 宇都宮氏(下野宇都宮氏)

  • 佐野氏

  • 壬生氏

  • 皆川氏

  • 小山氏

  • 山内上杉氏


  • 横瀬氏(由良氏)

  • 上野長野氏





  • 下総結城氏

  • 千葉氏

  • 上総武田氏

  • 正木氏

  • 里見氏

  • 扇谷上杉氏

  • 多賀谷氏

  • 江戸氏

  • 相模三浦氏


  • 北条氏(後北条氏)






甲信越・東海・北陸


(佐渡、越後、越中、能登、加賀、越前、甲斐、信濃、飛騨、美濃、駿河、遠江、三河、尾張)





  • 長尾氏(上杉氏)

  • 神保氏

  • 椎名氏

  • 畠山氏

  • 朝倉氏

  • 甲斐武田氏

  • 高梨氏

  • 信濃村上氏

  • 真田氏

  • 海野氏

  • 仁科氏

  • 小笠原氏

  • 諏訪氏

  • 木曾氏





  • 江馬氏


  • 三木氏(姉小路氏)

  • 土岐氏

  • 斎藤氏

  • 今川氏


  • 松平氏(徳川氏)

  • 水野氏

  • 斯波氏


  • 織田氏

    • 織田政権:朝廷を庇護した戦国大名の政権







畿内近国


(近江、若狭、丹後、丹波、山城、伊勢、志摩、伊賀、大和、紀伊、河内、和泉、摂津)




  • 京極氏

  • 浅井氏

  • 六角氏

  • 若狭武田氏

  • 一色氏

  • 内藤氏

  • 赤井氏

  • 波多野氏

  • 関氏

  • 神戸氏

  • 長野工藤氏

  • 北畠氏





  • 筒井氏

  • 大和越智氏

  • 松永氏

  • 仁木氏


  • 宮部氏(土肥氏)

  • 河内畠山氏


  • 細川氏

    • 細川政権:朝廷を庇護した戦国大名の政権







山陽・山陰・四国


(播磨、美作、備前、備中、備後、安芸、但馬、因幡、伯耆、隠岐、出雲、石見、周防、長門、讃岐、阿波、淡路、土佐、伊予)




  • 赤松氏

  • 別所氏

  • 山名氏

  • 美作後藤氏

  • 美作三浦氏

  • 浦上氏

  • 宇喜多氏

  • 備前松田氏

  • 庄氏

  • 三村氏

  • 備後山内氏

  • 安芸武田氏

  • 毛利氏

  • 吉川氏





  • 南条氏

  • 尼子氏

  • 大内氏

  • 十河氏


  • 三好氏

    • 三好政権:朝廷を庇護した戦国大名の政権


  • 安芸氏

  • 本山氏

  • 長宗我部氏

  • 土佐一条氏

  • 河野氏

  • 伊予宇都宮氏

  • 西園寺氏

  • 京極氏






九州


(豊前、豊後、対馬、壱岐、筑前、筑後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩)




  • 大友氏

  • 宗氏

  • 宗像氏

  • 立花氏

  • 少弐氏

  • 秋月氏

  • 蒲池氏

  • 田尻氏

  • 筑紫氏

  • 西牟田氏

  • 龍造寺氏

  • 鍋島氏

  • 松浦氏

  • 宇久氏

  • 大村氏

  • 有馬氏





  • 菊池氏

  • 阿蘇氏

  • 相良氏

  • 土持氏

  • 北原氏

  • 田中氏

  • 伊東氏

  • 肝付氏

  • 島津氏






その他の勢力



寺院勢力



  • 日光山輪王寺


  • 比叡山(延暦寺)

  • 園城寺


  • 浄土真宗本願寺派(一向宗)

  • 浄土真宗高田派

  • 興福寺

  • 東大寺


  • 根来衆(根来寺)

  • 熊野別当


  • 石山本願寺などの寺院



神社勢力



  • 平泉寺白山神社

  • 諏訪大社

  • 日吉大社


  • 賀茂神社

    • 上賀茂神社

    • 下賀茂神社




  • 石清水八幡宮
    • 離宮八幡宮



  • 祇園社(現 八坂神社)

  • 多武峰


  • 宇佐神宮などの神社



公家方(公家政権)


  • 朝廷


武家方(間接的に全国を支配した武家政権)



  • 室町幕府(足利氏)

    • 篠川公方

    • 稲村公方


    • 古河公方(足利氏)

    • 小弓公方

    • 鎌倉公方


    • 堀越公方(足利氏)

    • 越中公方

    • 越前公方

    • 堺公方


    • 平島公方(阿波公方)




現在の旧大名家


  • 現当主が矢印で記した家祖(または初代藩主)と血縁関係がある場合は○、ない場合は●で示す。





  • 徳川氏 - 現当主 : 徳川恒孝○ ← 徳川家康


  • 肥前有馬氏 - 現当主:有馬匡澄○ ← 有馬義純


  • 相馬氏 - 現当主:相馬行胤○ ← 相馬師常


  • 真田氏 - 現当主 : 真田幸俊●盧


  • 阿蘇氏 - 現当主 : 阿蘇惟邑(叔父の治隆が現大宮司)○ ← 阿蘇惟豊


  • 吉川氏 - 現当主は血縁的には毛利隆元・毛利輝元の男系子孫。●


  • 京極氏 - 現当主 : 京極高晴、元靖国神社宮司○ ← 京極高通、京極高吉


  • 長宗我部氏 - 現当主 : 長曽我部友親、元新聞記者○ ← 長宗我部国親


  • 南部氏 - 現当主 : 南部利文、実業家○ ← 南部光行


  • 武田氏 - 現当主 : 武田邦信●


  • 上杉氏 - 現当主 : 上杉邦憲⚫




  • 細川氏 - 現当主 : 細川護熙、第79代 内閣総理大臣○ ← 細川忠興


  • 宗氏 - 現当主 : 宗立人○ ← 宗義智


  • 最上氏 - 現当主 : 最上義治、画家●


  • 佐竹氏 - 現当主 : 佐竹敬久、秋田県知事○ ← 佐竹義重


  • 織田氏 - 現当主 : 織田信孝、ジャーナリスト●


  • 前田氏 - 現当主:前田利恭、前田利祐の子○ ← 前田利家


  • 島津氏 - 現当主 : 島津修久○ 島津義弘、島津忠恒


  • 毛利氏 - 現当主 : 毛利元栄、毛利元敬の子○ ← 毛利元就


  • 足利氏 - 平島公方 : 足利義弘●、古河公方 : 足利浩平●


  • 伊達氏 - 現当主 : 伊達泰宗○ ← 伊達政宗


  • 秋月氏 - 現当主 : 秋月種高○ ← 秋月種実


  • 浅井氏・明智氏・北畠家・斎藤氏 : 氏族としては滅亡したが、血を引く著名な人物として今上天皇がいる(浅井長政、明智光秀、お市の方、北畠晴具、斎藤道三等の血を引いている)。


  • 大友氏 - 大友宗麟の娘のジェスタ(清田鎮忠室)は大友氏流清田氏に嫁いで血を残し、後に清田氏からは細川忠興の側室・幾知(清田鎮乗の娘)が出る。幾知は細川立孝(宇土藩主)を産み、宗家が絶えた後は立孝の子孫が熊本藩を継いだ。その為、細川斉茲以降の細川氏当主は宗麟の子孫であり、元内閣総理大臣の細川護煕もその一人である。


なお、ここに記したものは一部のみである。



脚注



注釈


[ヘルプ]



  1. ^ 例えば、市村高男や藤木久志は関東地方の戦国大名を後北条氏のような「統一権力」と結城氏・宇都宮氏・那須氏などの数郡程度の支配者である「地域権力」の2種類に分け、黒田基樹は「国主」として認知されていた両上杉氏(山内・扇谷)・後北条氏・里見氏および天正期に彼らとほぼ同等の支配体制を確立した佐竹氏のみを戦国大名とした。だが、実際には後北条氏・上杉氏・武田氏などが結城氏のような規模の武家に対して同格扱いの書札礼を用いた例や「大名衆」と「国衆」がほぼ同義あるいは同じ対象相手に対して用いられている例もあり、戦国大名の定義づけや類型化には複雑な問題を抱えている(荒川善夫「史料に見る東国戦国大名の類型」)。なお、関東の数郡規模の大名を戦国大名から外すことについては、土佐一国を支配した長宗我部氏が戦国大名で、同氏とほぼ同規模の石高領域を支配していた宇都宮氏が下野一国の支配していないことを理由に戦国大名ではないとするのはおかしい(一国以上を支配していたか否かという量的側面は基準にはならない)という江田郁夫の批判がある[3]


  2. ^ 東国において一国未満の勢力しか持たない戦国大名が多いのは、他の地域よりも令制国が広大である事も原因であり、例えば伊達氏の領国は最盛期においても陸奥国の一部に過ぎないが、実質は複数国にまたがる支配領域を持つ戦国大名の勢力に匹敵あるいは凌駕するものであった。



出典


[ヘルプ]




  1. ^ 荒川善夫「史料に見る東国戦国大名の類型」『戦国期東国の権力と社会』岩田書店、2012年 ISBN 978-4-87294-780-9(原論文:『千葉史学』34号(1990年))


  2. ^ 今岡典和、『戦国期の守護権をめぐって -越前朝倉氏の場合- 』、「関西福祉大学社会福祉学部研究紀要 12」、p.56~57、関西福祉大学社会福祉学部研究会、2009年。


  3. ^ 江田郁夫『戦国大名宇都宮氏と家中』岩田書院、2014年、P2-3。




参考文献



  • 永原慶二『戦国大名』小学館、1975年

  • 勝俣鎮夫『戦国法成立史論』

  • 杉山博『戦国大名』

  • 小和田哲男『戦国大名』(中公新書637)、中央公論社、1981年12月。

  • 『上杉謙信のすべて』

  • 『武田信玄のすべて』

  • 『毛利元就のすべて』

  • 渡邊大門『戦国誕生―中世日本が終焉するとき―』講談社、2011年



関連文献



  • 黒田基樹 『百姓から見た戦国大名』ちくま新書、筑摩書房、2006年 ISBN 4480063137


関連項目



  • 大名領国制

  • 豪族

  • 城下町

  • 分国法

  • 戦国時代史料の一覧

  • 戦国時代の人物一覧



外部リンク


  • 戦国大名の軌跡を追う



Popular posts from this blog

android studio warns about leanback feature tag usage required on manifest while using Unity exported app?

SQL update select statement

'app-layout' is not a known element: how to share Component with different Modules