サロモン・カルー




















































































































サロモン・カルー Football pictogram.svg

Salomon Kalou 4716.jpg
名前
本名
サロモン・アルマン・マグロワール・カルー
Salomon Armand Magloire Kalou
愛称
サルー
ラテン文字
Salomon KALOU
基本情報
国籍
コートジボワールの旗 コートジボワール
生年月日
(1985-08-05) 1985年8月5日(33歳)
出身地
オウメ
身長
186cm
体重
79kg
選手情報
在籍チーム
ドイツの旗 ヘルタ・ベルリン
ポジション
FW
背番号
8
利き足
右足
ユース
1993-1999
コートジボワールの旗 ASECミモザ
クラブ1

クラブ

出場

(得点)
2003-2006
オランダの旗 フェイエノールト

69

(35)
2004
オランダの旗 エクセルシオール (loan)

11

(4)
2006-2012
イングランドの旗 チェルシー

156

(36)
2012-2014
フランスの旗 リール

67

(30)
2014-
ドイツの旗 ヘルタ・ベルリン

43

(15)
代表歴2
2007-
コートジボワールの旗 コートジボワール

81

(29)

1. 国内リーグ戦に限る。2015年12月20日現在。
2. 2015年3月26日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

サロモン・アルマン・マグロワール・カルー(Salomon Armand Magloire Kalou, 1985年8月5日 - )は、コートジボワール・オウメ出身のプロサッカー選手。コートジボワール代表。ブンデスリーガ、ヘルタ・ベルリン所属。ポジションはフォワード。兄のボナベントゥル・カルーは元コートジボワール代表のサッカー選手である。




目次






  • 1 経歴


    • 1.1 クラブ


    • 1.2 帰化騒動


    • 1.3 代表




  • 2 個人成績


  • 3 タイトル


    • 3.1 クラブ


    • 3.2 個人




  • 4 脚注


  • 5 関連項目


  • 6 外部リンク





経歴



クラブ


元フランス代表のジャン=マルク・ギユーがコートジボワールに設立したアカデミーの出身。


コートジボワール代表でもある兄のボナベントゥル・カルーの勧めでASECミモザから2003年に当時兄の所属していたフェイエノールトに移籍するが、結局兄とは入れ替わる形での入団となってしまう。フェイエノールトではディルク・カイトとエールディヴィジ屈指の2トップを形成した。その後すぐにフェイエノールトと提携関係にあるSBVエクセルシオールへのレンタル移籍を経て、2004-05シーズンにレギュラーポジションを獲得。その年は31試合に出場して20得点をたたき出し、一躍その名をオランダ中に轟かせオランダの年間若手最優秀選手に贈られるヨハン・クライフ賞を受賞。翌2005-06シーズンも34試合に出場し15得点と安定した活躍を見せる。


2006-07シーズンはチェルシーFCに移籍。移籍1年目のシーズンでリーグ戦27試合出場6得点を記録した。2008-09シーズンのアフリカ年間若手最優秀選手賞に選ばれた(年間最優秀選手賞はトーゴのエマニュエル・アデバヨール)。2010年は出場機会数こそは減るものの、4月25日のストーク・シティFC戦でチェルシーでは自身初となるハットトリックを達成するなど能力の高さを証明している。


2011-12シーズン終了後、チェルシーを退団、その後LOSCリール・メトロポールに4年契約で移籍した。


2014年8月31日、ドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンと2017年6月までの3年契約を結んだと発表した[1]



帰化騒動


カルーはコートジボワールの出身だが、オランダ代表でのプレーを望んでおり、帰化の申請をしていた。A代表のマルコ・ファン・バステン監督もカルーを絶賛し、「カルーはオランダ代表としてプレーするべきだ」と発言していて何度もカルーのプレイを視察に来ていた。カルー自身もコートジボワール代表のオファーを断り続け(A代表の出場歴がある選手は他の国のA代表としては出場できない。ただし、年齢制限のある代表しか出場歴がない場合は、他のA代表としての出場は可能)あとは移民局からの判断を待つだけとなる[要出典]


しかし移民に寛容な政策をとってきたオランダだが、EU統合後は移民に対して厳しい処置を取るようになってきていた。そんな中で、サッカーにはあまり興味のない女性大臣のリタ・フェルドンクが、カルーの帰化を簡単に認めなかった。通常なら帰化には最低でも5年の月日が必要だが、この時点でカルーは2年しかオランダでのプレイ経験がなかった。ファン・バステン監督も公式に反論し「申請が通れば、必ず代表に招集する」とまで言い、一時は再検討となったが、結局帰化は認められず、2006 FIFAワールドカップの出場はならなかった[要出典]



代表




コートジボワール代表でのカルー


上記の騒動もあって結局カルーは「母国コートジボワール代表としてプレイする」と語り、その後コートジボワールのA代表にデビューしている。2008年には、北京オリンピックに出場した。



個人成績











































































































































































































































































クラブ
シーズン
リーグ
FAカップ
リーグカップ
国際大会
合計
出場
得点
アシスト
出場
得点
アシスト
出場
得点
アシスト
出場
得点
アシスト
出場
得点
アシスト

フェイエノールト
2003-04
2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0

エクセルシオール (loan)
2003-04
11 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 11 4

フェイエノールト
2004-05
31 20 2 3 0 0 0 7 4 40 27
2005-06
36 15 2 0 0 0 0 2 0 40 15
オランダ
80 39 4 3 0 0 0 9 4 93 46

チェルシー
2006-07
33 7 5 7 1 2 6 1 3 11 0 0 57 9 10
2007-08
30 7 9 3 1 1 4 2 0 11 1 0 48 11 10
2008-09
27 6 4 6 2 3 2 1 2 8 1 1 43 10 10
2009-10
23 5 3 4 1 0 3 3 0 6 3 0 36 12 3
2010-11
31 10 3 3 2 1 1 0 0 6 0 2 41 12 6
2011-12
12 1 1 5 1 0 2 1 0 7 2 0 26 5 1
イングランド
156 36 25 28 8 7 18 8 5 49 7 3 251 59 40
通算
236 75 25 32 11 7 18 8 5 58 11 3 344 105 40


タイトル



クラブ


チェルシーFC



  • プレミアリーグ (1) : 2009-10


  • FAカップ (4) : 2006-07, 2008-09, 2009-10, 2011-12


  • フットボールリーグカップ (1) : 2006-07


  • コミュニティーシールド (1) : 2009


  • UEFAチャンピオンズリーグ (1) : 2011-12



個人



  • ヨハン・クライフ賞 2005


脚注





  1. ^ ヘルタ・ベルリン、カルー獲得を発表Goal 2014年9月1日




関連項目



  • ボナベントゥル・カルー

  • ディルク・カイト

  • 兄弟スポーツ選手一覧



外部リンク







  • 公式ウェブサイト

  • BBC Sport profile


  • Salomon Kalou - Soccerbase


  • サロモン・カルー – FIFA主催大会成績 (アーカイブ)










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