新弟子検査




新弟子検査(しんでしけんさ)は、大相撲力士を志望する者が受検する検査のこと。合格すると、日本相撲協会に登録され正式な力士として認められる。力士志望者の最初の関門といえる。ちなみに正式な力士になる前に部屋で過ごしている弟子を見習と呼び、過去の記録には検査に辿り着けなかった力士の最高位として残っている場合がある。


新弟子検査を受けるためには入門したい相撲部屋の師匠となる親方経由で日本相撲協会に力士検査届と必要な書類を提出する必要がある。検査は毎本場所前、初日の数日前に行われる。検査に合格すれば、合格した場所の前相撲から相撲をとる。




目次






  • 1 受検資格


  • 2 歴史


  • 3 第二新弟子検査


    • 3.1 検査項目




  • 4 検査担当者


  • 5 出典





受検資格




  • 中学校卒業以上である(各国の義務教育を終了している)こと

  • (検査日において)年齢は23歳未満であること(幕下または三段目付出が承認された場合と、2017年1月場所以降は相撲をはじめ主に格闘技で一定の実績(中学生以下での成績を除く)を持っていると理事会が認めた場合[1]は、25歳未満


検査は体格検査内臓検査が行われる。


体格検査


  • 身長167cm以上体重67kg以上(就職場所と言われる3月場所は中学卒業見込者に限り身長165cm以上、体重65kg以上となる)。

    • 2012年3月場所までは身長173cm以上、体重75kg以上という基準でこの基準に満たない受検者は第二検査(後述)を受検することになっていた。2015年3月場所までは中学卒業者の基準緩和は身長のみだった。第二検査が存在していたときには、この体格検査を『第一検査』と呼ぶこともあった。


    • 幕下付出および三段目最下位格付出を承認された者に対しては、体格は不問とする。



内臓検査


  • 健康診断、心電図、エコー検査で健康面で不安がないかを確認する。

体格検査と同時に行なわれる健康診断で不合格になる新弟子も出ることがあるが、次の場所までに治して再検査を受けることは可能である。例えば今野満也(後の琴の若)は最初の血圧検査で174を出して不合格となったが、翌場所には合格している。この健康診断は精度に問題があるという指摘もあり、相撲作家の石井代蔵は1980年前後の新弟子検査を見て「入門前から糖尿病の新弟子がいる」と証言している[2]



歴史


古くは明治時代の関脇玉椿(公式には身長159cmとされているが、実際には153cmだったという説がある。)のように、現在では考えられないような小柄な力士が存在したばかりか、幕内上位で横綱と渡り合う程の活躍を見せた時代もあるが、当時の新弟子検査については現存する資料に乏しく、いかなる基準で合否を判定していたのかが定かではない。


以前に、身長が足りず不合格になった大受や舞の海は頭にシリコーンを埋めて身長を高くして合格(現在では健康への悪影響を危惧して禁止されている)、そして舞の海がきっかけで幕下付出適用者の体格基準が廃止された。また、兄弟子に頭を殴ってもらいこぶを作ったり、床山にすき油で髪を高く盛り上げてもらい受検する者も多くいた(舞の海も検査当時は「兄弟子にお願いして頭を殴ってもらいこぶを作り、床山さんにお願いして髪を固めてもらった」と答えている)。過去には頭の上にコルクを乗せ、髪の毛を被せて隠して受けた新弟子もいるが、検査担当の親方に見つかって取り上げられ、不正行為による不合格とされた(翌場所は髪を持ち上げる方法で合格)。さらに、髪を盛り上げても基準に届かないため苦肉の策としてかかとを大きく浮かす形で背伸びを敢行し合格を果たした受検者もいる。新弟子検査に合格するために髷を結ってその分身長を稼ぐという手段も報道上で言及されている[3]


体重不足の新弟子が大量に水を飲んで体重計に飛び乗り、針を大きく振れさせて瞬間的に基準を超えることを狙うのは昔から多用される方法である。体重に限った話ではないが、親方が体格不足の新弟子に対し目溢しで合格の判を押すことはよくあることで、特に自分の弟子の検査を担当する時には多かった。体重不足の新弟子に対し、検査担当の親方がこっそり体重計に足を乗せた例や廻しに鉛を仕込んで体重を誤魔化した例もある。パンツの中に鉄球を隠し持っている新弟子を見た親方が、それを知りながら敢えて見逃して合格にさせた[4]例もある。


1944年には太平洋戦争の激化の影響を受けて新弟子が極端に不足する状態に陥ったため、この頃は身長や体重が当時の規定以下でも素質や健康の面を考慮されて入門を許されるという柔軟な規定の運用が為された。また、昭和戦前以降しばらくは検査が場所前、場所後にも実施された[5]


1956年から57年にかけて、体格基準に満たない新弟子を自費養成力士として初土俵を踏ませることが認められた時期があった。これは、幕下昇進か、再検査合格を条件としたものだったが、すぐに廃止されている。これを適用された力士の中に北の富士勝昭や浅瀬川健次がいる。


2007年7月場所前には史上初めて、応募者が0だったことにより新弟子検査が中止となった。なお、2018年7月場所前の新弟子検査も応募者が皆無だったことにより実施されなかった[6][[7]


2008年11月場所以降は厚生労働省の指導により外国出身力士に対して初土俵前に興行ビザの取得[8]が義務付けられたため、外国出身力士の初土俵は新弟子検査の翌場所となる(新弟子検査合格後でないと興行ビザの申請はできないので、手続きに通常要する時間を考えると新弟子検査合格の当場所にはビザが間に合わない)。この場合は新弟子検査に合格してから初土俵までの期間は在位場所数には含まれない。興行ビザ取得後に初土俵を踏むように変更された後の初めての受検者は東龍と貴ノ岩(共に2008年11月の新弟子検査を受検)である。



第二新弟子検査


第二新弟子検査とは平成の若貴ブーム沈静後、受検者層の拡大を狙い、2001年から2012年にかけて実施された新弟子検査であった。


新弟子検査の体格基準に達しない受検者のうち身長167cm以上、体重67kg以上の者を対象とし、体力検査を行い、平均的な体力があれば合格となる。3月場所、5月場所、9月場所の入門希望者を対象に、両国国技館で年3回行われた。新弟子検査の体格基準が緩和されたことに伴い2012年3月場所を最後に廃止された。



検査項目



  1. 背筋力

  2. ハンドボール投げ

  3. 握力 

  4. 上体起こし 

  5. 垂直とび 

  6. 反復横とび

  7. 50m走 

  8. シャトルラン


第二検査受検者で最初に関取に昇進したのは豊ノ島である。2007年11月場所には、磋牙司が、第二検査から2人目の昇進を果たした。2010年3月場所に十両に昇進した益荒海は、同検査から3人目の関取となる。2011年1月場所に鳰の湖が同検査から4人目の関取となった。



検査担当者


検査担当者には時の審判部長・副部長が必ず就くことになっている。また必要に応じて審判部配属ではない副理事(2008年9月までは監事)、役員待遇も担当することがある。2017年1月30日現在の担当者は二所ノ関(審判部長)、玉ノ井、芝田山、藤島(審判部副部長)、友綱(審判部副部長)、山科(審判部副部長)の6人である。



出典




  1. ^ “格闘技経験者ら、新弟子検査の年齢制限緩和 日本協会”. 産経ニュース. (2016年9月29日). http://www.sankei.com/sports/news/160929/spo1609290033-n1.html 2016年9月29日閲覧。 


  2. ^ 石井代蔵 『真説大相撲見聞録』 新潮社(新潮文庫)、1987年。ISBN 978-4101430027。


  3. ^ “160cm最小兵誕生!決まり手は背伸~び”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2012年12月27日). http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20121227-1064693.html 2015年7月29日閲覧。 


  4. ^ もちろん本来なら不正行為により不合格の判定を出される所である。


  5. ^ 『相撲』2012年5月号、 95頁。


  6. ^ 「名古屋場所、新弟子検査の受検者が0人 2度目」- 日刊スポーツ 2018年6月27日19時5分]


  7. ^ 『相撲』2018年10月号 p.124


  8. ^ 出身国の在日大使館で興行ビザ申請手続きをしなければいけない。









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