さいとう・たかを
さいとう・たかを | |
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本名 | 齊藤 隆夫 |
生誕 | (1936-11-03) 1936年11月3日(82歳) ![]() |
国籍 | ![]() |
職業 | 漫画家 |
活動期間 | 1955年 - |
ジャンル | 劇画 |
代表作 | 『ゴルゴ13』 |
受賞 | 第21回小学館漫画賞青年一般部門 第50回小学館漫画賞審査員特別賞(いずれも『ゴルゴ13』による) 和歌山県文化表彰文化賞 |
公式サイト | さいとう・プロダクション 東京都中野区 |
さいとう・たかを(本名:齊藤 隆夫、1936年11月3日 - )は、日本の漫画家。和歌山県生まれ、大阪府堺市出身[1]。東京都中野区、岩手県花巻市在住。
貸本漫画時代に劇画の分野を確立した人物の一人であり、一般漫画の世界に転向後も『ゴルゴ13』をはじめとする数々のヒット作品を生み出した、劇画界の代表的人物である。また「さいとう・プロダクション」を設立し、各スタッフの分業体制により作品を制作するという方式を確立した。
目次
1 来歴
1.1 少年時代
1.2 貸本漫画家デビュー
1.3 上京・劇画工房誕生
1.4 さいとう・プロダクション設立
1.5 一般漫画誌進出
1.6 近年
2 人物
3 さいとう・プロダクション
4 リイド社
5 作風への批評
6 受賞歴
7 作品リスト
7.1 劇画作品
7.2 活字作品
8 さいとう・プロダクション スタッフ
8.1 現スタッフ
8.2 過去のスタッフ・アシスタント
9 テレビなどへの出演
10 脚注
11 外部リンク
来歴
少年時代
1936年(昭和11年)、5人兄弟の末子として和歌山県に生まれるが、生後まもなく転居し、のちに大阪府堺市に移り住む。さいとう自身は43歳になるまで和歌山で生まれたことを知らなかった[2]。父親はさいとうが幼い時に家を出たため、母親が理髪店を営みながら女手一つで子供5人を育てた[3]。小さいころは図工(美術)科目とケンカが得意の、いわゆる不良少年であり、将来の夢はボクサーか画家になることであった。中学時代には府の絵画展で金賞を獲得している。
1950年に堺市立福泉中学校を卒業し、実家の理髪店で働き始める。当時は漫画に興味がなく将来の夢は挿絵画家だったが、挿絵業界は今後狭まっていく、あるいは自分の考えている方向とは違う方に行くだろうという漠然とした不安感[4]から、当時はまっていた映画や進駐軍が持ち込んだ「10セント・コミックス」に影響を受け[1]、ストーリー漫画を志す。同時期に手塚治虫の『新寶島』を見て衝撃を受け、「紙で映画が作れる!」と興奮したという[3]。当時のさいとうは手塚の影響を受け、柔らかなタッチの絵を描いていた。
貸本漫画家デビュー
1952年には家業である理髪店を姉と継ぐが、1955年に仕事の合間に2年近く掛けて描いたストーリー漫画『空気男爵』を大阪の貸本出版社日の丸文庫に持ち込む。等倍の紙に漫画を描いたため、社長の山田秀三にダメ出しをされるが、絵は上手かったためデビューが決まる。それ以降、日の丸文庫の看板漫画家として単行本を次々と発表する。1956年には漫画に専念するために家業の理髪店を辞めるが、母親は激怒して漫画を親の仇であるかのごとく嫌うようになった。さいとうによれば、自身が漫画家として大成した後も「母親は漫画家という職業を死ぬまで嫌い、病床に置かれた僕の本に一度たりとも触れなかった」と述べている[5]。同年には辰巳ヨシヒロや松本正彦らと同じアパートで共同生活を送りながら漫画を描きはじめた。当時、さいとうは高校生だった川崎のぼるをアシスタントとして働かせていたが、さいとうの人使いが荒かったことから、川崎は早々に逃げ出している。
上京・劇画工房誕生
1958年(昭和33年)先輩漫画家の久呂田まさみに連れられ上京、東京都国分寺市のアパートに居を構える。1959年、国分寺に居住していた日の丸文庫系劇画家のさいとう・たかを、辰巳ヨシヒロ、石川フミヤス、K・元美津、桜井昌一、山森ススム、佐藤まさあき、松本正彦ら8人で劇画制作集団「劇画工房」が結成される。人気劇画家の制作集団とあって貸本出版社からの執筆依頼が殺到し多数の貸本劇画短編集を出版するが、組織論や仕事配分、ギャラの分配などで揉め、翌年1960年春に劇画工房は短期で分裂した。
さいとう・プロダクション設立
「劇画工房」の分裂後、佐藤まさあきや川崎のぼる、南波健二、ありかわ栄一ら、ガンアクション系の劇画家5人で新・劇画工房の設立を計画するが頓挫。その計画を元に1960年(昭和35年)東京都国分寺市に自らの漫画制作会社「さいとう・プロダクション」を設立。さいとうの組織論に共鳴していた石川フミヤスらがスタッフに加わり、さいとうの兄の斉藤發司がマネージャーを務めることになる。以後、多数の貸本劇画を出版する。中でも『台風五郎』はシリーズ化され人気を博した。
1962年(昭和37年)貸本劇画家有志と「劇画集団」を設立。メンバーはさいとう・たかを、横山まさみち、永島慎二、南波健二、石川フミヤス、ありかわ栄一、旭丘光志、都島京弥、いばら美喜、山田節子、武本サブロー、影丸譲也、他。もっとも、この団体は漫画制作を目的とした新・旧劇画工房とは違い劇画家の親睦のための団体であり、一般読者会員にも会報などを発行していた。
一般漫画誌進出
貸本業界の崩壊後は一般漫画誌に進出。1967年、時代劇アクション劇画『無用ノ介』(週刊少年マガジン)を連載。劇画路線のマガジンを代表するヒット作となった。その後、1968年(昭和43年)10月より連載開始の『ゴルゴ13』(ビッグコミック)は、一度も休載することなく連載45年を越え、現在も連載中の長寿漫画で日本の「劇画」の代名詞である。『ゴルゴ13』は高い評価を受け、1976年(昭和51年)1月には1975年度小学館漫画賞の青年一般部門を受賞し、2005年(平成17年)1月には2004年度小学館漫画賞の審査委員特別賞を受賞した。
近年
近年は『ゴルゴ13』『鬼平犯科帳』『仕掛人・藤枝梅安』の3作の長期連載を軸に活動、大ベテランとなっても月産150ページ以上の旺盛な執筆活動を展開していた。しかし、2008年に武本サブロー、2014年に石川フミヤスと、長年にわたって仕事を支えてきたチーフアシスタントが相次いで死去したこともあって、さいとうの作業量が増加。2015年2月、体力的な負担を理由に『仕掛人・藤枝梅安』の休載を決定、残り2作品の連載執筆に専念しつつ、『梅安』再開も模索したが、結局体力の限界を理由に2016年3月『仕掛人・藤枝梅安』連載終了を告知、現在は『ゴルゴ13』『鬼平犯科帳』2作品に活躍の場を絞り、新作を送り出している。
人物
- 中学生のころ、「こんなもんただのクイズだ、試験でもなんでもない。個人の能力がわかるはずがない」と考え、一度もまともに試験を受けなかった。しかし、ある教師が担当になったとき、いつものように答案用紙を白紙で返すと、その教師はさいとうの答案用紙を持って来て机の上に置き、「これを白紙で出すのは君の意思だから構わない、しかしこの答案用紙を提出するのは君の義務なんだから、自分の責任の証明として名前だけは書け」と諭されて感銘を受け、それを期に人間の約束と責任について深く考えるようになったという。この教師の姓が「東郷」であり、『ゴルゴ13』の名の一部となった。
- さいとうの少年時代のやんちゃぶりは自伝的漫画「いてまえ武尊」に詳しい。さいとう曰く「飼い猫を焼いて食ったこと以外はほぼ実話」としている。
- 漫画家になってからも、友人の永島慎二を殴ろうとしたヤクザをメンチを切って追い払う、泥酔して絡んできた久呂田まさみを投げ飛ばす、などの数々の武勇伝がある。
- さいとうの父親が営んでいた理髪店を放り出し、写真家・画家・彫刻家などを目指すが挫折し、出奔して家を出ていったことから、母親は芸術関係の仕事を人一倍嫌悪していた。父親の絵をさいとうの目の前で何の躊躇もなく竈にくべて焼き「男が芸術で食べていけるわけが無い」と吐き捨てたという。
- さいとうの兄の斎藤發司も同様で、自分がさいとう・プロダクションおよびリイド社の代表取締役社長になった後にも、子供に「漫画など読むな」と説教していたという。
- 『漫画少年』ファンの友達に勧められ、一度だけ『漫画少年』に投稿した経験があり、それが審査員の手塚治虫に悪い見本として取り上げられ酷評されたという[6](しかし実際には投稿欄の手塚によると思われていた文章は、編集者が書いたものであり手塚は忙しくて名前だけ貸していた状態であったことが後に分かる)。
- デビュー当初はSF志向があったが、若い労働者が主体だった貸本漫画の客層がそれを受け入れなかったため、アクション漫画がメインになっていった。
- さいとう・プロダクションのある中野区に在住しているが、妻の出身である岩手県にも居を構えている。なお、『ゴルゴ13』で岩手県出身の商社マン(後に商社を辞めて帰郷)をたびたび登場させたり、東條英機が戦犯として逮捕された自分の奪還を企てた者に達観の心境を示す場面があるなど、漫画の中に岩手県への思いが示されている。
- 1980年代にはゴルフに熱中しており、山梨の富士野屋別館には交流の深い漫画家仲間である石ノ森章太郎・北見けんいち・ちばてつや・つのだじろう・藤子不二雄A・古谷三敏らと書いた寄せ書きが額縁入りで飾られている(松本零士も来る予定だったが、原稿が間に合わず参加できなかったという)。
- 趣味はテレビや映画鑑賞、若いころからの大相撲ファンでもある。元大相撲力士の三濱洋俊明は母方の親戚。
能見正比古の提唱した血液型性格診断の熱烈な信奉者であり、血液型の著書を複数出している。- 元妻のセツコ・山田との間に娘が2人いるが、この姉妹はじゃんぐる堂の共同ペンネームで同人誌・商業誌に漫画を執筆している。
- かつては作画をGペンで行っていたが、現在は太さの違うサインペンでペン入れを行っている。また、ネーム後には基本的に下書きをせず、いきなりペン入れから始める。キャラクターは眉毛やモミアゲといった特徴的な部分から書き始める。
- 作中の台詞の数字は固有名詞を除いて全て漢数字を使う。
- 大阪府堺市の名誉大使として、2014年9月26日に委嘱を受けた[7]。
- 愛煙家であり、過去には葉巻(細巻きのメキシコ産の銘柄を愛煙していた)やパイプも喫煙したことがあると語っている。執筆も喫煙しながら行う。嗜好していた銘柄は、プレミア・ワンやメビウス・ディースペックなどとのこと。元々は、吸い終えた煙草の火で次の煙草に着火するという、チェーンスモーカーであったらしいが、現在の喫煙量は1日40本ほどになったと話す[8]。
さいとう・プロダクション
「さいとう・プロダクション」は、初めて漫画制作に分業体制や脚本部門を置いた漫画制作プロダクションである。漫画アシスタントは低賃金長時間労働が一般的であるが、さいとう・プロは雇用条件に気を配っており、スタッフの待遇の良さには定評がある。分業で漫画制作することによって無理なく長期連載を請け負うことが出来ているゆえに可能なビジネスモデルである。
例えば、手塚治虫が手塚プロダクションで漫画作品を描いた場合には、手塚治虫個人の名前だけが作家名として表記されるのが常であったが、さいとうたかをプロダクションの作品の場合は、最後のページでスタッフ一覧のクレジットタイトルが映画作品と同様に示されている。但し、単行本ではこれらのクレジットは削除されており、単なる余白となっている。
リイド社
リイド社はさいとう・プロの出版部門が分社化されたものであり、さいとうの兄の斎藤發司がリイド社およびさいとう・プロダクションの代表取締役社長を務めてきた(2016年6月8日、視床梗塞のため84歳で死去)。設立当時、大手出版社では漫画雑誌の出版がメインで、単行本を出版するということをあまりしていなかったため、その当時からの慣例で、さいとうの漫画は他社の雑誌に連載されている作品であっても単行本はリイド社から出版されている(『ゴルゴ13』は、小学館『ビッグコミック』連載で、単行本はリイド社、小学館でも一部再刊)。
作風への批評
前述の通り、さいとうの作品はプロダクション形式で、それぞれのエキスパートが集まって漫画製作をしているものであったが、1990年代後半までは一部の漫画家・漫画評論家がそれをきちんと理解しなかったため、「目だけ描いている漫画家」など、いわれのない批判を受けることが多かった。
夏目房之介はさいとうの描く女体を、不特定多数がよってたかって色っぽいだろうと思う線をかき集めたために、個人の思い入れが極めて希薄である、と吾妻ひでおなどと対比して評している(ただし夏目は、さいとうが完全分業制による漫画制作というビジネススタイルを確立したことに対しては一定の評価をしている)。また、いしかわじゅんはさいとうの書き文字(擬音)を例にとり、新人であった時代からいっさい変化していないことを挙げ、進歩する意志を失った証拠として批判している。もっとも、さいとう本人は、作品が「色あせてしまう」ため「その時代の観念、その時代の常識では絶対描かない」ことを「作品を描く時に一番気をつけている」と述べており[3]、意図的に作品を描いていることを言明している。
受賞歴
- 1976年1月 - 第21回小学館漫画賞青年一般部門(『ゴルゴ13』)
- 2003年11月 - 紫綬褒章
- 2003年11月3日 - 第一回理容チョキちゃん大賞(主催・全理連) 受賞[9]
- 2005年1月 - 第50回小学館漫画賞審査委員特別賞(『ゴルゴ13』)
- 2010年4月 - 旭日小綬章
- 2017年11月 - 第2回まんが郷いわて特別賞 受賞
- 2018年1月 - 和歌山県文化表彰文化賞[10]
作品リスト
劇画作品
- 怪盗シュガー
- 影狩り
- 空気男爵
- 『雲盗り暫平』シリーズ
- 『ゴルゴ13』シリーズ
- 『仕掛人・藤枝梅安』シリーズ
- 『ホーキング』
- THE シャドウマン[11]
- サイレント・ワールド
- ベリー・ファーザー
- 『サバイバル』シリーズ
- 七人の侍
『007』シリーズ - フレミング原作『死ぬのは奴らだ』、『サンダーボール作戦』、『女王陛下の007』、『黄金の銃を持つ男』の劇画化[12]。全4冊- 『台風五郎』シリーズ
- 『歴史劇画 大宰相』 - 戸川猪佐武の『小説吉田学校』を漫画化。
- 『デビルキング』シリーズ
- 『バロム・1』シリーズ
- 『ブレイクダウン』シリーズ
- いてまえ武尊
- 『東京捜査戦線 いぬ棒』シリーズ
- サバイバル
- 漂流
- 『無用ノ介』シリーズ
- OPERATIONG.G.
- 『鬼平犯科帳』シリーズ
太平記 (マンガ日本の古典)- 水滸伝
- 血闘!新選組
毒ダネ特派員カスガ(『KASUGA』シリーズ)- 『キティ・ホーカー』シリーズ
- 『マッド★メガ』シリーズ
- 『挑戦野郎』シリーズ
- 『海上特殊救難隊-板垣豪-』シリーズ
- 『捜し屋禿鷹登場!!』シリーズ
- 織田信長
- 武田信玄
- 北条時宗
- ホテル探偵DOLL
- 武芸紀行
- 『刺客 怨み菱』シリーズ(脚本:工藤かずや)
過去からの声(原案:手塚治虫)
鯨神(原作:宇能鴻一郎)
日本沈没(漫画:さいとうプロ、原作:小松左京)
買厄人 九頭竜(石ノ森章太郎『買厄懸場帖 九頭竜』をリメイク)
活字作品
- 『劇画家生活30周年記念 さいとう・たかを 劇画の世界』(1986年、リイド社)ISBN 4-947538-60-0
- 『さいとう・たかをのコーヒーブレイク 俺の秘密ファイル』(1992年、フローラル出版)ISBN 4-930831-08-3
- 『さいとう・たかをの【ゴルゴ流】血液型人物観察術』(2002年、PHP研究所)ISBN 4-569-62043-4
- 『さいとう・たかを 劇・男』(劇・男制作委員会、2003年、リイド社)ISBN 4-8458-2374-8
- 『俺の後ろに立つな―さいとう・たかを劇画一代』(2010年、新潮社)ISBN 978-4-10-325731-8
- 「画業60周年記念出版 さいとう・たかをゴリラコレクション 劇画1964」、リイド社、ISBN 978-4-8458-4420-3(2015年11月12日)。
さいとう・プロダクション スタッフ
現スタッフ
以下はさいとう・プロダクション会社案内―制作スタッフ(2018-04-30 閲覧)を参照にして記述
- いとう・たかし
- 千葉利助
- 赤司教
- 宇良尚子
- 徳富祐
- 上農博昭
- 北原功士
- 小松翔太
- 木村周司
過去のスタッフ・アシスタント
- 石川フミヤス
- 武本サブロー
甲良幹二郎 - 2018年頃から『鬼平犯科帳』に構図として参加し復帰している。- K・元美津
小池一夫(脚本)- 青木和夫
- なかざと遊生
- TAKU
- 正村弟
- 横井仁司
- 谷平由佳
- 川崎のぼる
- 南波健二
- 磯田和一
- 伊賀和洋
- 神田たけ志
- 叶精作
- 神江里見
- 小山ゆう
- やまさき拓味
- やまおか玲次
山本又一朗(プロデューサー、トライストーン・エンタテイメント代表取締役社長)
折茂賢司(ゲームプロデューサー)- 上柚宇大
- クニムラ利雄
- 杉本洋平
- 大野恵
テレビなどへの出演
- 2006年2月5日、「情熱大陸 さいとうたかを」、毎日放送。[13]
- 2015年9月25日、「浦沢直樹の漫勉 『さいとう・たかを』」、NHK Eテレ。[14]
- 2015年12月14日(月)22:00-23:00、「漫道コバヤシ♯22「画業60周年記念!ゴルゴ13シリーズ さいとう・たかをSP」」、フジテレビONE。
- 2016年5月26日発売の週刊文春2016年6月2日号 頁64-67に、樋口武男の「複眼対談」第68回で、対談記事「さいとう・たかを 劇画家」が掲載。
脚注
- ^ ab“さいとう・たかをプロフィール”. さいとう・プロダクション. 2018年2月28日閲覧。
^ “「故郷に認められ本当にうれしい」 さいとう・たかをさんに和歌山県文化賞授与(2018年1月20日)”. 産経ニュース. 2018年2月28日閲覧。
- ^ abc『探検バクモン』2013年1月23日付放送分
^ 石ノ森章太郎『漫画超進化論』(河出書房新社、1989年)p.86-87
^ 荒俣宏 「日本まんが 第弐巻: 男が燃えた!泣いた!笑った! 」 p.34
^ 石ノ森章太郎『漫画超進化論』(河出書房新社、1989年)p.87
^ “堺の魅力を発信 「堺名誉大使」「堺親善大使」”. 堺市]. 2018年2月28日閲覧。
^ “「先生とタバコとの出会いをお聞かせください」”. iRONNA. 2018年6月28日閲覧。
^ シャンテ・サロンニュース Archived 2013年9月24日, at the Wayback Machine.
^ “和歌山県文化表彰”. 和歌山県 企画部企画政策局文化学術課. 2018年2月23日閲覧。
^ 『SPコミックス 劇画座招待席60 THE シャドウマン ACT.1』 リイド社、281頁の奥付より。
^ 原作でのシリーズを通じての大ボスが、ブロフェルド(スペクターのNо.2=首領)からミスター・ビッグ(黒人の麻薬王)に変更されている。
^ “さいとう・たかを(劇画家): 情熱大陸”. 毎日放送. 2017年12月14日閲覧。
^ “さいとう・たかを | 浦沢直樹の漫勉 | NHK”. NHK. 2017年12月14日閲覧。
外部リンク
- さいとう・プロダクション
- さいとう・たかをインタビュー
- インタビュー「プロ意識が支えた40年」新刊ニュース 2009年4月号より抜粋の記事、インタビュアーは石川淳志
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