田口隆祐





















































田口 隆祐

Ryusuke Taguchi 2018.jpg
2018年

プロフィール
リングネーム
田口 隆祐
マスクド・ホース
プロレスラー戦国炎舞
本名
田口 隆祐
ニックネーム
ファンキー・ウェポン
オーマイ&ガーファンクル
ドロップキック・マスター
タグチジャパン監督
身長
180cm
体重
91kg
誕生日
(1979-04-15) 1979年4月15日(39歳)
出身地
宮城県岩沼市
所属
新日本プロレス
スポーツ歴
レスリング
サッカー
陸上
トレーナー
山本小鉄
木戸修
エル・サムライ
デビュー
2002年11月22日
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田口 隆祐(たぐち りゅうすけ、1979年4月15日 - )は、日本の男性プロレスラー。宮城県岩沼市出身。血液型O型。新日本プロレス所属。宮城県仙台第一高等学校→東海大学卒業。




目次






  • 1 来歴


    • 1.1 少年時代


    • 1.2 2002年


    • 1.3 2003年


    • 1.4 2004年


    • 1.5 2005年


    • 1.6 2006年


    • 1.7 2007年


    • 1.8 2008年


    • 1.9 2009年


    • 1.10 2010年


    • 1.11 2011年


    • 1.12 2012年


    • 1.13 2013年


    • 1.14 2014年


    • 1.15 2015年


    • 1.16 2016年


    • 1.17 2017年




  • 2 得意技


    • 2.1 フィニッシュ・ホールド


    • 2.2 打撃技


    • 2.3 投げ技


    • 2.4 関節技


    • 2.5 飛び技


    • 2.6 フォール技


    • 2.7 その他


    • 2.8 合体技・連携技


    • 2.9 挑発行為




  • 3 道標明


    • 3.1 概要


    • 3.2 略歴




  • 4 タイトル歴


  • 5 入場テーマ曲


  • 6 決め台詞


    • 6.1 決めポーズ




  • 7 人物・エピソード


  • 8 出演


    • 8.1 ドラマ


    • 8.2 バラエティ


    • 8.3 映画


    • 8.4 ウェブテレビ


    • 8.5 雑誌連載




  • 9 作品


    • 9.1 CDシングル




  • 10 脚注


  • 11 外部リンク





来歴



少年時代


宮城県仙台第一高等学校サッカー部、東海大学レスリング部の出身[1]



2002年


3月、新日本プロレスのスカウト部長になる前の木村健悟にスカウトを受け、9月の入門テストに合格し、新日本に入寮。


11月22日、後楽園ホールにて矢野通を相手にプロレスデビュー[1]。その後、前座戦線で活躍し、かなり早い段階で頭角を現す。また、ドロップキックの空中姿勢に定評があったことから「ドロップキックマスター」という異名を付与された。



2003年


ジュニアヘビー級戦線で活動し、BEST OF THE SUPER Jr.(以下「BOSJ」)に初出場。



2004年


ヤングライオン杯、ヤングライオン闘魂トーナメントを制覇する[1]



2005年


2月、メキシコ・CMLLへ海外遠征に出発、同団体で元全日本プロレスの奥村茂雄とツナミ・デル・オリエンテTsunami del Oriente)を結成する。10月、緑のオーバーマスクをかぶり凱旋帰国した[1]



2006年


長期メキシコ遠征帰国後から、勝利後にリング上で自身のテーマ曲である「MASTER OF DROPKICK」に乗りながら、「タグダンス」と呼ばれる踊りを披露するようになった。


初公開となったのは、2006年1月28日後楽園ホールにて、ファンキー仕様の髪型を初披露した田口がタイガーマスクと組み、後藤洋央紀、田中稔組と戦った試合で田口が後藤からピンフォール勝ちを収めた試合後に、多少中途半端ながら披露された(その直後に小バカにした態度で田中稔に真似されていた)。


2月19日、エル・サムライとのタッグで稔&後藤組の保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦して、この試合で勝利を収め同王座の第16代王者組に輝いた[1]



2007年


3月、エル・サムライが新日本ジュニアの底上げを図るべく立ち上げた養成施設「サムライジム」の門下生第一号として入門[1]。師であるサムライからスパーリングを通じてテクニックを伝授された後、IWGPジュニアヘビー級王座を保持する稔に挑戦を表明。田中稔からは、「ベルトとサムライジムの看板を賭けたダブルタイトルマッチだ」と挑発され、4月13日にIWGPジュニア王座に初挑戦。最後はHEATクラッチに敗れ看板も奪われたものの、BOSJ開幕戦で稔から勝利を収め、さらに予選を1位通過するといった実績を残し、稔に再挑戦を要求。


7月6日、稔と再戦して最後はどどんで勝利を収め、自らの敗北によって奪われたサムライジムの看板を取り返すと共にIWGPジュニア王座初戴冠を果たした[1]



2008年


3月、NEW JAPAN CUPに初出場。ZERO1-MAX(現:ZERO1)との対抗戦も経験した[1]



2009年


2009年1月、モーターシティ・マシンガンズ(アレックス・シェリー & クリス・セイビン組)の手に渡り他団体流出を許してしまったIWGPジュニアタッグ王座を奪還すべく、プリンス・デヴィットとタッグチーム、Apollo 55を結成。2度の挑戦を経てジュニアタッグ王者となり、同年のG1 TAG LEAGUEでは、ヘビー級選手に混じって出場し、ジュニアタッグチームでありながら準優勝を果たす好成績を残した。その中でもゴールデンラヴァーズ(飯伏幸太 & ケニー・オメガ組)とは幾度となく好勝負を展開。



2010年


2010年10月11日のDESTRUCTION'10にて行われた両チームのタイトルマッチは、ジュニアタッグとしては史上初となるプロレス大賞・年間最高試合賞を受賞する快挙を成し遂げた[1]



2011年


2011年1月22日にマスカラ・ドラダから勝利を収めてCMLL世界ウェルター級王座を獲得[1]



2012年


2012年6月10日のBOSJでは、ロウ・キーから勝利を収めて初優勝を果たす[1]など、シングルプレーヤーとしての実力の片鱗を見せつけた。



2013年


ジュニアタッグ戦線においては、Apollo 55として常にトップを張り続け、同タッグとして合計4度に渡ってIWGPジュニアタッグ王者となり、通算13度の防衛を果たすなどマルチに活躍してきたが、4月7日のINVASION ATTACKのジュニアタッグ王座戦後、デヴィットに背後から襲撃され、一方的にApollo 55解散を突きつけられ、パートナーから一転して対立関係へと発展した。さらに6月のBOSJ公式戦で腰を負傷し、「第三腰椎神経根引き抜き損傷の疑い」と診断され長期欠場に追い込まれた[2]



2014年


1月5日、久々に公の場に姿を見せた田口は、リングに上がり復帰を発表した。自身を裏切り、BULLET CLUBを結成してヒールターンを果たしたデヴィットを標的として見据えることを宣言した。復帰以降、田口は宣言通りデヴィットとの抗争に明け暮れ、INVASION ATTACK 2014でデヴィットと決着戦と銘打たれたシングルマッチで対戦。戦前の予想に反してクリーンファイトで挑んできたデヴィットに最後はどどん・ジ・エンドを決めて勝利。試合後に袂を分かったデヴィットと握手を交わして和解したが、翌日になってデヴィットは新日本を退団した。これに対して田口は、「もし次に目の前に現れたら、それはボクとデヴィットの第2章となる」と語り、一連の抗争に終止符を打った[3]
9月21日、DESTRUCTIONにてKUSHIDAを破り、約7年ぶりにIWGPジュニアヘビー王座に戴冠した。この試合前に「自分にベルトがあったら『もっとふざけられる権利』を手に入れる」と発言[4]していた田口は実際の試合後のコメントで、「オーマイ&ガーファンクル」といった謎のフレーズを連呼、第69代王者に戴冠したことから自身を「シックスナインチャンピオン」と称するなど自由奔放な発言を連発した。その後のコメントでも田口は下ネタを連想させる発言を繰り返すようになり、異質なキャラクターを確立させていった。



2015年


1月4日、レッスルキングダムにて、BULLET CLUB入りしたかつての好敵手ケニー・オメガに敗れてIWGPジュニア王座陥落(防衛回数2回)。同月に「NJPW PRESENTS CMLL FANTASTICA MANIA2014」ではツタンカーメンのマスク、コスチューム姿で試合を行った。



2016年


1月4日、レッスルキングダムの第0試合1分時間差バトルロイヤルに出場後、同日のIWGPジュニア王座戦では挑戦者のKUSHIDAのセコンドとしてバック・トゥ・ザ・フューチャーのドクの姿で登場。KUSHIDAに1度負けた後再び王者に返り咲いたケニーのセコンドについていたヤング・バックスを蹴散らしてKUSHIDAの勝利に貢献。



2017年


1月5日、東京・後楽園ホールで行われた「NEW YEAR DASH!!」にて中西学、棚橋弘至とのタッグでロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(LIJ)のBUSHI、EVIL、SANADA組が持つNEVER無差別級6人タッグ王座に挑戦し勝利を収め、第10代王者に戴冠[5]。これを機に、田口を"監督"としたユニット「タグチジャパン」を結成し活動を開始する。後に同じくLIJとベルト争いをしたドラゴン・リー、マイケル・エルガンらとも共闘した。


だが、2月11日の大阪・大阪府立体育会館で行われた「THE NEW BEGINNING in OSAKA」にて、LIJ(BUSHI、EVIL、SANADA)組に敗れ、NEVER無差別級6人タッグ王座から陥落した[6]。同大会のIWGPジュニアヘビー級王座戦で、王者であるLIJの高橋ヒロムがドラゴン・リーに勝利したことを受け、ヒロムに挑戦を表明した。田口はコメントで、「ヒロム、いや高橋ヒロム、すごい試合、感動したよ。こんなにセイシをかけて戦う姿に興奮して自然と足がリングに向かったよ」「すげえセイシかけたな。こんなにセイシかけて、オレ、戦えるかなって思ったけどさ、まだまだセイシかけて戦ってないなって思ったわけ。もっともっとセイシかけて戦いたいなと思ったわけ。このベルトとセイシをかけて試合してくれ」と挑発した。また「返事を聞かせてほしいんだわ。五・七・五で」とヒロムに求めると場内は爆笑の渦に。(ちなみに高橋ヒロムはこの後バックステージにて「田口さん 取れるもんなら 取ってみろ」と見事五・七・五でコメントしている。) 困惑したヒロムがベルトで殴りかかると巧みにかわして左足にオーマイ&ガーアンクルを決めた[7]


3月6日、東京・大田区総合体育館で行われた「旗揚げ記念日」興行にてヒロムの持つIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦するが、善戦するも敗れ戴冠とはならなかった[8]


4月4日、東京・後楽園ホールで行われた「Road to SAKURA GENESIS 2017」にてリコシェ、棚橋とのタッグでNEVER無差別級6人タッグ王座を懸けてLIJ(BUSHI、EVIL、SANADA)組とリマッチして勝利し第12代王者となった[9]


5月3日、福岡・福岡国際センターで行われた「レスリングどんたく 2017」にてLIJ(BUSHI、EVIL、SANADA)組とNEVER無差別級6人タッグ王座をかけて戦うが、防衛に失敗した[10]


8月13日、東京・両国国技館で行われた「G1 CLIMAX 27」にて、リコシェとのタッグでマット・ジャクソン&ニック・ジャクソン組の持つIWGPジュニアタッグ王座に挑戦。試合はリコシェのシューティングスタープレスにより15分13秒で勝利し第53代王者となるが試合後のインタビュー中、鈴木軍のタイチのディーヴァであるあべみほが現れ、タグチジャパン入会を希望することに。誓いのキスをすると見せかけた後に田口が目を閉じた瞬間、田口はあべに平手打ちを食らわせた。その後、田口はタイチと金丸義信の襲撃を受けた。3人が去った後、恍惚の表情を浮かべた田口は壁によりかかって、「まだまだ踏みつけられ足りないんだよ! もっと踏みつけてもらいたいから、挑戦させてやるよ」とコメントした[11]。以来、あべみほに心底嫌われ、次の広島でのタイトルマッチを欠場にまで追い込んだ。


12月17日、東京・後楽園ホールで行われた「Road to TOKYO DOME 2017」にてJRAとのコラボ企画としてマスクド・ホースなる覆面レスラーが出場。ロッポンギ3Kのメンバーと対戦した。入場前に流された会場VTRでは「騎手:田口隆祐」と表記された上、田口のテーマ曲をそのまま使用して入場。試合序盤にはキャプテン・ニュージャパンの真似を行ったり、試合終盤になると尻を使うムーヴを多用するなどした。翌18日の後楽園ホール大会にもマスクド・ホースが引き続き出場し、鈴木軍のメンバーと対戦。この日は試合開始早々にタイチからマスクを剥がれそうになり、紐が緩んだ状態のまま技の攻防を行った拍子にマスクが外れ、あっさりと正体が露見した。試合終盤には田口の技をそのまま使用し、自分でマスクを脱ぐ等している。



得意技


師と仰ぐサムライと同じく日本のジュニアヘビー級の中では比較的長身のため、その身長や長い手足を利した攻撃を得意とする。独特の技名がつけられているのも特徴で、新技開発に余念がない選手とされているが、短期間の内に使用されなくなることも多い。また、技ではないがかつて馳浩も得意としていた両手を首の後ろで組んで腰をグラインドするパフォーマンスを決めポーズとして使用していた。



フィニッシュ・ホールド



どどん

現在の田口の主なフィニッシャーの一つ。相手の背後に回りタイガー・スープレックスの要領で固め、仰け反るように上に持ち上げて一旦静止してから腕のフックを外して開脚ジャンプし、うつ伏せに落下した相手を顔面からマットに叩きつける。相手を持ち上げた後は、そのまま背後から相手の腰を抱えて両足をフックする形になるため持ち上げられた相手は自然と柔道で言うところの前受身の態勢で落下する。メキシコでは比較的ポピュラーな技で、こちらは類似技もまとめて単純にフェイス・バスターと呼ばれることが多い。

名前の由来は、田口が通っている「どんぶり どどん」という店名であることを週刊プロレスで明かしている。





ロッキー・ロメロにオーマイ&ガーアンクルを極める田口。



オーマイ&ガーアンクル

2014年9月5日に初公開された技。田口がデビューから12年もの長期に渡り研究・温存していたと自称するもので、この技で約7年ぶりにIWGPジュニア王座奪取に至っており、以降はどどんに並ぶ田口の代表的なフィニッシャーとして使用され始めた。披露当初は単にアンクルホールドと表記されていたが、後にジュニア王座戴冠後のコメントで発した「オーマイ&ガーファンクル」をもじって、「オーマイ&ガーアンクル」と技名が変更された。



打撃技



ヒップアタック

田口が試合を組み立てる上で多用される打撃技。2014年10月のIWGPジュニア王座戦から使用され始め、いつしか試合では序盤での攻防戦がこの技のみになる程、田口の代名詞的な技として定着した。以降、田口は年を重ねる毎に尻を強調したパフォーマンスを誇示するようになっているが、相手に攻撃を読まれてかわされたり、アトミック・ドロップで迎撃されることも多くなっている。

スライディングケツ

ヒップアタック系ムーブのひとつで、尻餅をついた相手の顔面に向かって放つヒップアタック。各媒体の試合結果などではスライディングヒップアタックと表記されることもあるが、本人によればこちらが正式名称となっている[12]

ケツイェ

2016年3月27日のTAKAみちのく & タイチ戦で初公開[12]。相手が片膝または膝立ちのときに放つヒップアタック。中邑真輔の滾りをオマージュした「ギタり」を経て繰り出していく。名前の由来も中邑のフィニッシャーであるボマイェから。

ドロップキック


ヤングライオンの頃より愛用している技。フォームの華麗さと打点の高さからドロップキック・マスターの異名を取るに至っており、2004年のスーパージュニア公式戦では獣神サンダー・ライガーから同技を決めて勝利を収めている。ヒップアタックを使用し始めてからは影を潜めるようになったが、ここぞという場面で繰り出されるようになっている。

ミサイルキック

ドロップキックの派生技でコーナーポスト最上段から放つオーソドックスなものの他に、エプロンからトップロープに飛び乗り放つスワンダイブ式、コーナーに振られた際に一度コーナー脇のセカンドロープに足を掛け、振り向きざまに素早く放つ三角飛び式などレパートリーは多い。

電動こけし


本間朋晃の得意技である「小こけし」のオマージュムーブ。倒れ込む直前に股間に手を当てて小刻みに身体を震わせてから放つヘッドドロップ。

タイムボンバー

いわゆるアックスボンバーで、「TIME BOMB」の異名を取る高橋ヒロムに対抗して考案した技。「タイムボンバー!」と叫びながら放っていくのが特徴である。

ヒサシ・ヤマダ


KUSHIDAのマサヒロ・タナカに対抗してアンダースローで相手の腹部にパンチを見舞う技。技名の由来は、元阪急ブレーブスの投手の山田久志から。

デコ掌底

2018年4月27日から使用し始めた繋ぎ技。相手のおでこに右手だけで連続で掌底を見舞っていく技。

スミ・ミツオ

左のサイドスロー式パンチ。2018年5月24日に初公開された。技名の由来は元プロ野球選手の角盈男から取った。



投げ技



ご当地スープレックス

手を「こ」の字にして放つ変形のハーフネルソンスープレックス。田口は試合前からプロモーションで「郡山スープレックス」を予告しており、実在しないのでは?という大方の予想を裏切り2018年の5月30日に披露された。SHOからスリーカウントを奪う。同年10月16日のSUPER Jr. TAG LEAGUE 2018の後楽園ホールでの試合では同型の「後楽園スープレックス」を披露。今度はYOHからスリーカウントを奪う。なお、郡山スープレックスは右腕が下、左腕が上の「こ」の字になっているのに対して、後楽園スープレックスは右腕が上、左腕が下の「こ」の字になっている。

スーパーどどん

いわゆる雪崩式で放つどどんで、通常型と比較すると使用頻度は低い。

くるくるどどん[13]

2011年4月29日のCMLL世界ウェルター級選手権試合、タイチ戦で初公開されたラ・ミスティカ式のどどん[14]。人工衛星ヘッドシザーズの要領で相手に飛びつき、そのまま投げ飛ばさず相手の後方に着地しながらどどんを放っていく。しかし、どどんシリーズの中では一番使用頻度は低い。

ミラノ作どどんスズスロウン

変型のストマック・ブロック。上述のどどんと同様のムーブで抱え上げた相手を自らの折り曲げた両膝に腹部からめり込ませる。発案者はかつてライバル関係にあったミラノコレクションA.T.で、ミラノがApollo 55との抗争中に挑発の意を込めて開発した。その後ミラノが引退し、田口がこの技を初公開したのは2011年5月26日の飯伏幸太戦であった[15]。同技で勝利を収めており、以降、開発者であるミラノに敬意を表し、「ミラノ作」の名を冠して継続使用している。

どどん・ジ・エンド

2014年4月6日のプリンス・デヴィット戦で初公開。アルゼンチン・バックブリーカーで担ぎ上げた相手の後頭部を跳ね上げ、空中でうつ伏せになるように旋回させて落とすタイプのどどん。従来のどどんと比べて遠心力が加えられていることから、受け身を取りづらくしている。

裏どどん[16]

相手をパワーボムの要領で担ぎ上げて、勢いそのままに後方へ倒れ込みながら相手を顔面からマットに叩きつける。ジャンボスープレックスと同型。

スリー・アミーゴス

ロコモーション式ブレーンバスター。エディ・ゲレロが得意とした技で、三発目で返されることもしばしば。

前落とし

アメリカでゴートバスターと呼ばれる技と同型。かつては、オデレータバスターの名称として使用していた。ブレーンバスターの態勢で持ち上げた相手を開脚ジャンプした自身の股の間に前面から叩きつけるフェイス・バスターでヒロ斉藤が得意とした顔面砕きブレーンバスターのシットダウン式とも言える。どどんへの布石として用いられることが多い。

鹿殺し

田口のメキシコ無期限遠征後から名前は知られていたが、しばらく未公開のままに終わっていた技。形はリバース・ゴリー・スペシャル・ボムと同型。2006年のスーパージュニアでサングレ・アステカ相手に初公開される。技名は劇団鹿殺しに由来[17]

フィッシャーマンズ・スープレックス


4代目タイガーマスクのベルトに挑戦する際、この技の元祖である小林邦昭に伝授された技。元祖である小林同様、ソバットから繋げる連携も見せており、投げてから後方回転して腕ひしぎ逆十字固めに移行することもある。現在では全く見られない。

スタラマンチ

田口が使用するブレーンバスタースラムの名称。

バカプリャハ


フィッシャーマンズ・バスターの要領で相手を頭上まで担ぎ上げ、首に回していた左腕のクラッチを解き、右肩あたりに左手を添え直し、スパイン・バスターのように自らの股の間に相手を背中からマットに叩き付ける技。斎藤了が使用するシュリンプと同型。



関節技



カラ・パリダ

コブラクラッチ式のクロスフェイスで、大谷晋二郎のキングコブラホールドやアメリカン・ドラゴンのコブラクラッチ・クロスフェイスの類似技。

スタラマンチ

2010年のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアで初公開したサブミッションタイプのスタラマンチで、相手の両足を交差させるように自らの足で固めながら相手の両腕を交差させるように相手の首に回し、最後に自分の体を横倒しにしながら相手の足と首を複合的に痛めつける関節技。

ラ・アタタタ

いわゆる変型腕固め。四つん這いとなった相手の左サイドから左腕を捉えて自らの右足に巻きつけた後、相手の背中を跨るようにして振り上げた左足を相手の首筋に引っ掛けて前転。自分の体がマットに尻餅をつくような形に移行し、相手の左腕を自らの右足で引っ掛けた状態から、相手の右腕を腕ひしぎ逆十字固めで極める。

名前の由来は、Twitterでの公募から決定した[18]

寄り目式腕固め


永田裕志の得意技でもある「腕固め」のオマージュムーブ。永田が白目をむくのに対して、田口の場合は寄り目にして腕を極めていく。



飛び技



プランチャ・スイシーダ

対角コーナーから放っていく三角飛び式を使用。田口のかつてのタッグパートナーであるデヴィットが肩車で対戦相手を担ぎ上げてから放っていく型も存在していた。

円盤中毒

2008年3月14日のNEW JAPAN CUP一回戦、獣神サンダー・ライガー戦で初公開[19]。コーナーポストから飛び上がると同時に左方向へ水平回転し、フロッグ・スプラッシュの要領で体を伸び縮みさせながら、自らの体重を浴びせて相手の体の上に落下する。

ノータッチ・トペ・コン・ヒーロ

トップロープを飛び越えて前方回転しながら相手に体を浴びせていく体当たり。田口のかつてのタッグパートナーであるデヴィットの新日本退団後は、仕掛ける前にデヴィットの決めポーズである「翼のポーズ(俯いた状態で片膝をつきながら両腕を水平よりやや上に広げる)」を決めてから放つことが多い。



フォール技



外道クラッチII

相手の左腕をラ・マヒストラルの要領で絡みつかせてから繰り出す外道クラッチ。田口が外道との抗争中に編み出したオリジナル技。

外道クラッチガエシーノ


外道クラッチのカウンタームーブ。外道クラッチを仕掛けてきた相手の両足を掴んで引き倒すのと同時に、自らの両膝を伸ばしながら前屈の状態に移行させ、前屈みとなった相手の首に手を回して前方へと転がして、エビ固めのように覆い被さりながら丸め込む。

サムライクラッチガエシーノ[20]

エル・サムライが使用するサムライクラッチのカウンタームーブ。サムライクラッチで丸め込まれた際に、繰り出した相手の両肩がマットにつく前に前転し、相手の両足に自分の両足を挟み込みながら丸め込む。

変型外道クラッチ(ジャパニーズロックネッククラッチ)[21]


回転足折り固めのカウンタームーブ。自らの両腿の上に跨った相手のブリッジをブロックして丸め込まれないように抑え、相手の胴体を自らの両足で挟み込みながら横方向へ回転し、外道クラッチの要領で相手の両肩をマットに押さえ込む。田口は同技を「ジャパニーズロックネッククラッチ」と命名したが、正式名称として扱われることはなった。

マジックミラーGO!

背後から両手で相手の両目を塞ぎこんだ後、狼狽えた相手の右サイドに移行して首投げの要領でマットに倒し込み、相手の右足を取って丸め込むフォール技。


偽どどん[22]

相手の背後から両腕をダブルチキンウィングに固めてそのまま体重を落として後方へ反り投げ、最後は自分の体をブリッジをするように仰け反らせながら相手の両肩をマットに付けさせてフォールを奪う丸め込む技。オースイスープレックスと同型。



その他



走らせるヤツ

相手にひたすらロープワークをさせてスタミナを消費させるムーブ。

なかったことに

ヒップアタックを放つがガン無視され、勢いそのままにリングの外に落ちていく、避けられるという立派な技。技名の由来は、何もなかったことにしてそのあとも試合が進んでいくことから。



合体技・連携技



中西学



人間トーテムポール

中西がチョークスラムで相手を抱え上げ、田口がトップロープからネックブリーカー・ドロップを放ち同時に中西が相手の体を投げ捨てる。ZERO1-MAX(現:ZERO1)対抗戦に向けて開発した。

上からドンどどん

田口が相手の背後に回りタイガー・スープレックスの要領で固め、中西が"上からドン!"を決めてから"どどん"を決める技。





プリンス・デヴィット



ブラックホールバケーション

田口がどどんの体勢で担いだ相手にデヴィットがプリンスズ・スロウンを放つ。

ブラックサンデー

ブラックホールバケーションの形で相手を持ち上げ、デヴィットが相手の頭部を脇に挟み、田口がどどん、デヴィットがブラディサンデーの要領で落とす。

ブラックサンデーV2

田口が鹿殺しの要領で相手を高々と持ち上げ、デヴィットが急角度のブラディサンデーを見舞う技。

ムーンランディング

田口がパワーボム、デヴィットのバッククラッカーをミックスした荒技。






中西学、棚橋弘至



日本三景型オーマイ&ガーアンクル

田口がオーマイ&ガーアンクル、中西がアルゼンチン・バックブリーカー、棚橋がテキサスクローバーホールドをそれぞれ決める3人による関節技。





挑発行為



中邑真輔の真似

中邑が新日本プロレスを退団した2016年以降も引き続き使用している。

ギタる

2015年初旬頃より発動。中邑真輔の「タギリ」ポーズを田口流にアレンジし、対中邑戦などで使用する挑発行為(試合前や入場時に、中邑の入場時同様手をクロスさせタギリながらリングに向かう)。各試合後のコメントにおいて、中邑を「本店」と呼ぶ。

オヤァイ!!

中邑の試合中や試合後の「イヤァオ!!」を田口流にアレンジした挑発行為。ロープ際で相手の技をロープを持ち、ブリッジでかわす時や、対戦相手を挑発する時に使用。「イヤァオ!!」を逆から言った言葉。





Los Ingobernables de Japonの真似


タグチジャパン対Los Ingobernables de Japonの試合でEVILの手を胸に当てる、内藤哲也の入場テーマ曲(STARDUST)に乗ってロープをドラムみたいに叩く。BUSHIを真似てトップコーナーに座る、等。

キープオンジャーニー


石森太二が黒歴史だと語る闘龍門X時代に所属していたアイドルユニット「セーラーボーイズ」のシングル「キープオンジャーニー」の振り付け。石森の保持するIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦することが決定してから田口は「セーラーボーイズ」についてTwitter上やバックステージコメントなどで繰り返し言及していたが、Road to THE NEW BEGINNING後楽園大会の第3試合にてとうとうリング上で完璧な振り付けを披露。最初こそ石森に頭を抱えるほどの多大な精神的なダメージを与えていたが、繰り返し行ううちに抵抗をつけられ、タイトルマッチ本番ではとうとう逆に本人に踊られるに至った。



道標明




























道標 明
生誕
1979年????
ジャンル
演歌
職業
歌手
担当楽器

活動期間
2015年 -
レーベル
キングレコード

道標 明(みちしるべ あきら、1979年 - )は、田口が扮するキャラクターである。カードゲーム「キングオブプロレスリング」のゼネラルマネージャー。演歌歌手とされている。当初はあくまでもプロレスラー田口隆祐とは別人という扱いとされていたが、後に自身の口から同一人物であることを明らかにした。



概要


キャラクターのプロフィール上では、本名不明[23]。生年月日不明の36歳(2015年現在)[23]。出身地が不明ながら現住所は愛知県名古屋市とされている[23]。性格はピュアだが、ファッションが派手[23]で、七三分けの髪型に緑のスパンコールジャケット、白のパンツスーツに緑の星型メガネをかけた風貌をしている。


3歳の頃から西島三郎なる架空の演歌歌手の歌を聞いて育ち、16歳の頃に西島に弟子入りを志願し西島ファミリーの一員となる[23]。2015年現在は名古屋に住居を構える西島ファミリーの寮に暮らしながら、20年も下積み生活を送っているとされている[23]



略歴


2015年9月17日、幕張メッセで行われた東京ゲームショウ2015にて初登場し[24]、台本にない展開にMCや関係者が困惑して当の本人もキャラ設定の定まらない状態だったが、以後、動画共有サイトでGM就任会見動画がアップされた他、キングオブプロレスリングのCMやイベントに出演している。12月24日には「せいなる夜のみちしるべ」と題されたコンサートも催された[25][26]


2016年6月15日、都内のキングレコードスタジオ内にてCDデビューを発表したのと同時に、正体が田口隆祐であることをカミングアウトした[27]


7月27日、キングレコードから「みちしるべ」(作詞・道標明、作曲・北村陽之介)でデビューした[27]。2016年からNJPWWORLDで、2017年から[null AbemaTV]格闘技にて「道標明の人情酒場物語」を開始、MCを務める。



タイトル歴


新日本プロレス



  • IWGPジュニアヘビー級王座 : 2回 (第52、69代)


  • IWGPジュニアタッグ王座 : 6回(第16、24、26、28、30、53代)


パートナーはエル・サムライ→プリンス・デヴィット×4回→リコシェ。


  • NEVER無差別級6人タッグ王座 : 3回(第10、12、19代)

パートナーは棚橋弘至 & 中西学→棚橋弘至 & リコシェ→真壁刀義 & 矢野通。


  • J SPORTS CROWN〜無差別級6人タッグトーナメント〜 優勝(2010年、2011年)

パートナーは後藤洋央紀 & プリンス・デヴィット。



  • BEST OF THE SUPER Jr. 優勝(2012年)


  • ヤングライオン杯 優勝(2004年)


CMLL


  • CMLL世界ウェルター級王座 : 1回(第25代)

闘龍門MEXICO

  • ヤマハカップ優勝(2005年)


パートナーは堀口ひろみ。

プロレス大賞


  • 年間最高試合賞(2010年)

10月11日両国国技館、IWGPジュニアタッグ選手権試合、プリンス・デヴィット & 田口隆祐 vs 飯伏幸太 & ケニー・オメガ


入場テーマ曲



  • MASTER OF DROPKICK / ONE TRACK MIND - 現在使用中のテーマ曲。

    • 新日本プロレスワールドでは「権利上の都合」による楽曲の差し替えまたは消音対応の対象曲となっていたが、2017年3月6日の旗揚げ記念日興行以降の放送分から「権利上の都合」の対象外となり、そのまま放送されるようになった。


  • TAKE IT



決め台詞




オーマイポーズ


  • 「オーマイ&ガーファンクル」

2014年9月、IWGPジュニアヘビー級王座に戴冠した試合後のコメントで初めて発言。一部では流行語となり、Tシャツやパーカーが製作された。

  • 「ウィー・アー・タグチジャパン!!」

2017年にタグチジャパン結成して以降、勝利を収めた試合の締めで発言する台詞。郷ひろみ風。

  • その他、コメントやマイクパフォーマンスには下ネタを想起させる単語を多用する(「セイシをかけて」「たまたまです」など)。


決めポーズ


  • オーマイポーズ[28]


親指と人差し指をつけて輪を作った両手を顔の高さまで上げ、同時に右足だけを上げる[28]。初公開は2014年11月頃[28]

考案者は「新日本プロレスBi-Monthly」内で連載されていた「キンプロ女学院」の生徒役を務めた花房里枝、高橋美衣。写真撮影の時に「なんかポーズを作りましょう」と提案されたことがキッカケで生まれたポーズだが、リング上で披露した際には、右足だけを上げる一工夫を加えてオリジナル感を出した[28]



人物・エピソード



  • 自身について「目立つタイプの選手ではない」と自己分析する田口だが、2014年9月にIWGPジュニアヘビー級王座戴冠後からは、「オーマイ&ガーファンクル」をはじめとした独特かつ自由すぎるコメントで異彩を放つようになっていった。これは2013年6月に腰を負傷して欠場中、公式サイト等で掲載されている試合後のコメントをチェックしていると、中邑真輔のコメントに目が行ったことがキッカケとなっている。大体の選手は次の試合に対する意気込みを語る中、中邑の発するコメントに異質なものを感じ取り、それ以降田口は「言葉を意識するようになった」「人を惹きつけるような言葉を考えるようになった」と述べている[29]

  • 趣味は将棋[30]。2012年には「将棋世界」誌上の段位認定問題をクリアしアマ六段の認定を受けたほどの腕前[31]。全国中学生選抜将棋選手権大会の宮城県代表になったこともある[32]。将棋棋士の郷田真隆とは『将棋世界』誌上での対談[32]を機に交友があり、郷田がプロレスファンであることもあり、度々田口の試合を観戦に訪れている[33]。将棋芸人によるライブ『将棋の王将』にも将棋好きプロレスラーとして出演[34]。アマ初段のザブングル・加藤歩に判定勝利している。


  • あべみほに心から嫌われている。



出演



ドラマ




  • STAND UP!ヴァンガード(2012年5月、テレビ東京)


  • ファイヤーレオン(2013年10月、TOKYO MX)


  • 99.9 -刑事専門弁護士-(TBS)

    • SEASON Ⅰ・最終話(2016年6月19日) - 「いとこんち」の客 役

    • SEASON Ⅱ・第1話(2018年1月14日) - 「田口ジャパン」2017年イメージキャラクター 役





バラエティ



  • タモリ倶楽部(2011年2月11日、テレビ朝日)「平成のリングで絶滅の危機 昭和を彩った懐ワザを蘇らせよう!」回

           (2012年9月21日、テレビ朝日)「イケメンレスラー棚橋弘至の苦悩 急所攻撃を食らい続ける僕の○玉は大丈夫なのか?!」回にゲスト出演



映画



  • パパはわるものチャンピオン(2018年9月、ショウゲート)- 寄田/ギンバエマスク 役[35]


ウェブテレビ


  • 道標明の人情酒場物語(2016年11月配信開始、NJPWWORLD 2017年6月配信開始、AbemaTV格闘チャンネル)- 道標明 役


雑誌連載



  • キンプロ女学院 田口隆祐のオーマイ&ガーファンクル講座(ベースボールマガジン社『新日本プロレス Bi-monthly』VOL.1 - VOL.3)2014年11月29日 - 2015年3月28日[36] ※生徒役は花房里枝、高橋美衣。

  • キンプロ女学院 田口隆祐のオーマイ&ガーファンクル講座★elfin'といっしょ(ベースボールマガジン社『新日本プロレス Bi-monthly』VOL.4 - VOL.6)2015年5月29日 - 9月29日[37] ※辻美優の加入によるリニューアル。

  • 田口隆祐のキンプロ一人男学院(ベースボールマガジン社『新日本プロレス Bi-monthly』VOL.7 - VOL.11)2015年11月28日 - 2016円7月28日


  • 週刊ヤングジャンプ(2016年No.32 7月21日号、集英社)W田口のギタるぜ! 新日本プロレス!![38] - 田口華との競演



作品



CDシングル


  • 「みちしるべ」(2016年7月27日、キングレコード) - 道標明名義


脚注


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  1. ^ abcdefghijk“選手名鑑”. 新日本プロレス公式サイト. 2016年11月10日閲覧。


  2. ^ “『DOMINION 6.22』田口隆祐選手欠場と一部対戦カード変更のお知らせ”. 新日本プロレス公式サイト. 2013年6月17日閲覧。


  3. ^ “【田口隆祐が語る、5.3飯伏幸太戦、デヴィットへの想い】「飯伏選手は、所属と言ってもスポット参戦ばかり、おもしろくはないですね」”. 新日本プロレス公式サイト. 2014年4月30日閲覧。


  4. ^ “【9.21 神戸目前!】 KUSHIDAに衝撃の挑発三昧!! 「ベルトを奪って“ふざけられる権利”を手にする!」田口隆祐にインタビュー!!”. 新日本プロレス公式サイト. 2014年9月19日閲覧。


  5. ^ “NEW YEAR DASH !! 1/5(木) 第7試合 NEVER無差別級6人タッグ選手権試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2017年9月11日閲覧。


  6. ^ “THE NEW BEGINNING in OSAKA 2017 2/11(土) 第5試合 NEVER無差別級6人タッグ選手権試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2017年9月11日閲覧。


  7. ^ “新日本・ヒロムがリー撃破V1も田口が挑戦名乗り「五・七・五で返事しろ」”. デイリースポーツオンライン. 2017年8月25日閲覧。


  8. ^ “旗揚げ記念日 3/6(月) 第7試合 IWGPジュニアヘビー級選手権試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2017年9月11日閲覧。


  9. ^ “Road to SAKURA GENESIS 2017 4/4(月) 第8試合 NEVER無差別級6人タッグ選手権試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2017年9月11日閲覧。


  10. ^ “レスリングどんたく 2017 5/3(月) 第7試合 NEVER無差別級6人タッグ選手権試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2017年9月11日閲覧。


  11. ^ “G1 CLIMAX 27 – 東京・両国国技館 <優勝決定戦> 8/13(日) 第5試合 IWGPジュニアタッグ選手権試合”. 新日本プロレス公式ウェブサイト. 2017年8月25日閲覧。

  12. ^ ab“∞6田口隆祐9〜道標明〜∞”. Twitter. 2016年3月27日閲覧。


  13. ^ “今年も大盛況!! 5.3『レスリングどんたく』西武トラベル観戦ツアーの前夜祭開催!!”. 新日本プロレス公式サイト. 2011年5月3日閲覧。


  14. ^ “NEW JAPAN BRAVE 2011 - 広島・広島グリーンアリーナ - 第5試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2011年4月29日閲覧。


  15. ^ “BEST OF THE SUPER Jr.XVIII ~Bring it on!~ - 東京・後楽園ホール - 第8試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2011年5月26日閲覧。


  16. ^ “NEW JAPAN ROAD - 香川・高松市総合体育館 - 第2試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2013年5月5日閲覧。


  17. ^ “鈴木健.txt@yaroutxt”. Twitter  (2013年5月19日). 2015年7月1日閲覧。


  18. ^ “∞6田口隆祐9〜道標明〜∞”. Twitter. 2011年12月10日閲覧。


  19. ^ “Circuit2008 NEW JAPAN CUP 〜Who is the highest〜 - 広島・広島グリーンアリーナ - 第6試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年3月14日閲覧。


  20. ^ “Circuit2010 NEW JAPAN SOUL - 東京・後楽園ホール - 第2試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2010年7月11日閲覧。


  21. ^ “BEST OF THE SUPER Jr. XX - 兵庫・明石市立産業交流センター - 第9試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2013年6月2日閲覧。


  22. ^ “Road to レスリングどんたく 2014 - 大分・大分イベントホール - 第1試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2014年5月1日閲覧。

  23. ^ abcdef参考文献『新日本プロレスBi-Monthly (ビーマンスリー) vol.7』2015年 12/24号、頁61 - 63掲載 「田口隆祐のキンプロ男一人学院<新連載>」より。


  24. ^ “田口隆祐がキンプロGMに就任!道標明の名でギタリマスターとしても活躍へ!? ライガーが待望のキンプロ初収録”. バトルニュース (2015年9月17日). 2015年12月20日閲覧。


  25. ^ “キンプロSPイベント『道標明ファーストコンサート Powered by 田口隆祐』12月24日(木)クリスマスイヴに開催決定!!”. 新日本プロレスリング (2015年12月16日). 2015年12月20日閲覧。


  26. ^ “新人演歌歌手(?) 道標明ファースト・コンサートXmasイヴに開催”. OTOTOY (2015年12月17日). 2015年12月20日閲覧。

  27. ^ ab“新日本プロレス・田口が演歌歌手デビュー「道標明」として作詞も担当”. 東スポWeb. 2016年6月15日閲覧。

  28. ^ abcd参考文献『新日本プロレスBi-Monthly (ビーマンスリー) vol.10』2016年 6/25号、頁63掲載 「決めポーズ解説⑩田口隆祐」より。


  29. ^ 参考文献『週刊プロレス』2017年5月24日号、頁71 - 74掲載 「MY TURNING POINT<85>田口隆祐」より。


  30. ^ “【対局者募集】田口隆祐の「俺だけ将棋レスラー」インタビュー”. Dropkick. 『Dropkick』チャンネル(Dropkick編集部) (2014年5月9日). 2015年4月16日閲覧。


  31. ^ 郷田棋王か澤田四段か 将棋界でプロレス世代闘争はじまる!? - 多重ロマンチック・2012年5月12日

  32. ^ ab「将棋世界」2014年4月号「スペシャル対談 田口隆祐 × 郷田真隆」


  33. ^ 郷田新王将はプロレスファン 新日両国大会観戦で大喜び - スポーツニッポン・2015年4月6日


  34. ^ “アマ三段・田口選手がプロ棋士・佐藤紳哉六段にハゲしく肉薄!! ライブ『将棋の王将』は笑いあり、驚きありで大盛り上がり!!【イベント報告】”. 新日本プロレスリング (2015年4月16日). 2015年8月6日閲覧。


  35. ^ “パパはわるものチャンピオン : 作品情報 - 映画.com” (日本語). 映画.com. https://eiga.com/movie/87659/ 2018年7月6日閲覧。 


  36. ^ “週刊プロレス”. SportsClick (2014年11月29日). 2014年11月30日閲覧。


  37. ^ “5/29(金)発売『新日本プロレスBi-Monthly』vol.4「キンプロ女学院」は【新入生はジャイアントスイングがお好き!?】の巻♪”. キングオブプロレスリング トレーディングカードゲーム (2015年5月29日). 2015年5月29日閲覧。


  38. ^ “W田口(隆佑&華)のギタるぜ!新日本プロレス!!”. 週刊ヤングジャンプ公式サイト (2016年7月7日). 2015年7月9日閲覧。



外部リンク







  • 新日本プロレス 公式プロフィール


  • ∞6田口隆祐9 ~道標明~∞ (@taguchiryusuke) - Twitter


  • 田口隆祐 (taguchiryusuke) - Instagram










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