2000年の野球
2000年 こちらもご覧下さい |
---|
社会 |
政治 経済 法 労働 教育 交通 |
文化と芸術 |
映画 日本公開映画 音楽 ラジオ 日本のテレビ 芸術 文学 出版 囲碁 |
スポーツ |
スポーツ 日本競馬 サッカー 自転車競技 相撲 バスケ バレー 野球 NFL 競輪 |
科学と技術 |
科学 気象・地象・天象 台風 鉄道 航空 |
地域 |
日本 日本の女性史 |
各年のスポーツ |
1998 1999 2000 2001 2002 |
日本競馬 |
1998 1999 2000 2001 2002 |
サッカー |
1998 1999 2000 2001 2002 |
自転車競技 |
1998 1999 2000 2001 2002 |
相撲 |
1998 1999 2000 2001 2002 |
バスケットボール |
1998 1999 2000 2001 2002 |
バレーボール |
1998 1999 2000 2001 2002 |
野球 |
1998 1999 2000 2001 2002 |
NFL |
1998 1999 2000 2001 2002 |
競輪 |
1998 1999 2000 2001 2002 |
■ヘルプ |
< 2000年 | 2000年のスポーツ
目次
1 競技結果
1.1 日本プロ野球
1.1.1 ペナントレース
1.1.2 日本シリーズ
1.1.3 個人タイトル
1.1.4 ベストナイン
1.2 アマチュア野球
1.3 メジャーリーグ
1.4 国際大会
1.4.1 シドニーオリンピック
2 できごと
2.1 1月
2.2 2月
2.3 3月
2.4 4月
2.5 5月
2.6 6月
2.7 7月
2.8 8月
2.9 9月
2.10 10月
2.11 11月
2.12 12月
3 誕生
4 死去
5 脚注
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
|
|
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月21日(土) | 第1戦 | 福岡ダイエーホークス | 5-3 | 読売ジャイアンツ | 東京ドーム |
10月22日(日) | 第2戦 | 福岡ダイエーホークス | 8-3 | 読売ジャイアンツ | |
10月23日(月) | 第3戦 | 読売ジャイアンツ | 9-3 | 福岡ダイエーホークス | 福岡ドーム |
10月24日(火) | 別イベント開催のため中断 | ||||
10月25日(水) | |||||
10月26日(木) | 第4戦 | 読売ジャイアンツ | 2-1 | 福岡ダイエーホークス | 福岡ドーム |
10月27日(金) | 第5戦 | 読売ジャイアンツ | 6-0 | 福岡ダイエーホークス | |
10月28日(土) | 第6戦 | 福岡ダイエーホークス | 3-9 | 読売ジャイアンツ | 東京ドーム |
優勝:読売ジャイアンツ(6年ぶり19回目) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 松井秀喜 | 巨人 | 松中信彦 | ダイエー | | |
最優秀新人 | 金城龍彦 | 横浜 | 該当者無し | | ||
首位打者 | 金城龍彦 | 横浜 | .346 | イチロー | オリックス | .387 |
本塁打王 | 松井秀喜 | 巨人 | 42本 | 中村紀洋 | 近鉄 | 39本 |
打点王 | 松井秀喜 | 巨人 | 108点 | 中村紀洋 | 近鉄 | 110点 |
最多安打 | R.ローズ | 横浜 | 168本 | 小笠原道大 | 日本ハム | 182本 |
盗塁王 | 石井琢朗 | 横浜 | 35個 | 小坂誠 | ロッテ | 33個 |
最高出塁率 | 松井秀喜 | 巨人 | .438 | イチロー | オリックス | .460 |
最優秀防御率 | 石井一久 | ヤクルト | 2.61 | 戎信行 | オリックス | 3.27 |
最多勝利 | M.バンチ | 中日 | 14勝 | 松坂大輔 | 西武 | 14勝 |
最多奪三振 | 石井一久 | ヤクルト | 210個 | 松坂大輔 | 西武 | 144個 |
最高勝率 | 工藤公康 | 巨人 | .706 | 小野晋吾 | ロッテ | .722 |
最優秀救援投手 | E.ギャラード | 中日 | 36SP | R.ペドラザ | ダイエー | 38SP |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 工藤公康 | 巨人 | 松坂大輔 | 西武 |
捕手 | 古田敦也 | ヤクルト | 城島健司 | ダイエー |
一塁手 | R.ペタジーニ | ヤクルト | 松中信彦 | ダイエー |
二塁手 | R.ローズ | 横浜 | 大島公一 | オリックス |
三塁手 | 江藤智 | 巨人 | 中村紀洋 | 近鉄 |
遊撃手 | 石井琢朗 | 横浜 | 松井稼頭央 | 西武 |
外野手 | 松井秀喜 | 巨人 | イチロー | オリックス |
金本知憲 | 広島 | 柴原洋 | ダイエー | |
新庄剛志 | 阪神 | S.オバンドー | 日本ハム | |
指名打者 | N.ウィルソン | 日本ハム |
アマチュア野球
第71回都市対抗野球大会優勝 : 川崎市(三菱自動車川崎)
第27回社会人野球日本選手権大会優勝 : 松下電器
- 第49回全日本大学野球選手権大会優勝 : 亜細亜大学
第31回明治神宮野球大会
- 大学の部優勝 : 慶應義塾大学
- 高校の部優勝 : 東福岡
- 大学の部優勝 : 慶應義塾大学
第72回選抜高等学校野球大会優勝 : 東海大相模(神奈川県)
第82回全国高等学校野球選手権大会優勝 : 智辯学園和歌山高等学校(和歌山県)
メジャーリーグ
詳細は「2000年のメジャーリーグベースボール」を参照
ワールドシリーズ優勝:ニューヨーク・ヤンキース
- アメリカンリーグ優勝:ニューヨーク・ヤンキース
- ナショナルリーグ優勝:ニューヨーク・メッツ
国際大会
シドニーオリンピック
詳細は「2000年シドニーオリンピックの野球競技」を参照
順位 | 国・地域 |
---|---|
1 | アメリカ合衆国 |
2 | キューバ |
3 | 韓国 |
4 | 日本 |
5 | オランダ |
6 | イタリア |
7 | オーストラリア |
8 | 南アフリカ |
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
1月
1月4日 - 前年に日本ハムファイターズを戦力外となった古溝克之が現役引退を表明[1]。
2月
2月29日 - 大阪近鉄バファローズのキャンプにテスト生で参加していた、前阪神タイガースの山村宏樹がテストに合格し、正式に入団[2]。
3月
3月3日 - オリックス・ブルーウェーブは二軍チームの名称を「サーパス神戸」とすると発表[3]。
3月26日 - 川崎球場での最後のプロ野球の試合となった千葉ロッテマリーンズと横浜ベイスターズのオープン戦は10本塁打のロッテが22-6で勝利[4]。
3月31日 - セントラル・リーグ公式戦が開幕[5]。
4月
4月1日 - 西武ライオンズが開幕戦の対日本ハム戦(西武ドーム)で延長10回裏に鈴木健のサヨナラ安打で6対5で勝利。前年の対ダイエー戦に続く2年連続開幕戦でのサヨナラ勝利はパ・リーグ史上初[6]。
4月7日
中日ドラゴンズのメルビン・バンチが、対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)で日本プロ野球史上68人目(79度目)のノーヒットノーランを達成[7]。
ヒューストン・アストロズの新本拠地ミニッツメイド・パークが開場。
4月8日 - 阪神の大豊泰昭が、対広島東洋カープ戦(広島市民球場)で史上39人目の250号本塁打と史上199人目の1000本安打を達成。
4月9日 - ウエスタン・リーグで阪神がリーグ新記録の開幕8連勝(最終的に1分を挟んで10試合連続勝利)[8]。
4月11日
デトロイト・タイガースの新本拠地コメリカ・パークが開場。
サンフランシスコ・ジャイアンツの新本拠地SBCパークが完成
4月14日 - 阪神が対中日戦に勝利し(甲子園)、監督の野村克也が監督通算1200勝、日本プロ野球史上史上8人目[8]。
4月30日 - 横浜の駒田徳広が対広島戦(横浜)で日本プロ野球通算2000試合出場[9]。
5月
5月2日 - ロッテは対近鉄戦(千葉マリン)の0-0で迎えた9回裏無死からフランク・ボーリックの前川勝彦から本塁打で、パ・リーグ史上20度目の「サヨナラ本塁打による1対0試合」[10]。
5月6日 - 中日の監督の星野仙一と立浪和義、大西崇之が審判に暴行を働いたとして退場処分。星野は出場停止5日間と制裁金50万円、立浪に出場停止5日間と制裁金20万円、大西に出場停止10日間と制裁金20万円の処分がそれぞれ科せられる[5]。
5月9日 - ダイエーの吉永幸一郎が日本プロ野球通算1000安打、史上200人目[11]。
6月
6月1日 - ダイエーの秋山幸二が日本プロ野球新記録の通算1588三振[11]。
6月8日 - セ・リーグ会長の高原須美子が巨人のダリル・メイに対し、前日の試合で「著しく品位を欠いた投球を行った」として出場停止10日間と制裁金50万円を科す[5]。
6月20日 - 近鉄のナルシソ・エルビラが、対西武戦(大阪ドーム)で日本プロ野球史上69人目(80度目)のノーヒットノーランを達成[7]。
6月22日 - 日本ハムの小笠原道大が6月6日からこの日まで球団新記録の13試合連続得点[12]
6月28日 - ダイエーの秋山幸二が日本プロ野球通算350二塁打[11]。
7月
7月2日 - ロッテ対オリックス戦(宮城球場)で、4対4の同点で迎えた8回裏2死一塁で、オリックスは代打小川博文を起用、ロッテは小林雅英を登板させ、小川への2球目が暴投で、一塁走者のイチローが三塁で憤死しこのイニング終了し、9回表にロッテが勝ち越し、小林が日本プロ野球史上初の対戦打者0人の勝利投手[13]。
7月4日 - ダイエーの小久保裕紀が6月20日からこの日まで球団新記録の10試合連続打点[14]。
7月5日 - ヤクルトの石井一久が対巨人戦(神宮)で日本プロ野球通算1000奪三振、史上103人目[15]。
7月6日 - ダイエーの浜名千広が日本プロ野球通算1000試合出場[11]。
7月16日 - オリックスは対近鉄戦(大阪ドーム)でパ・リーグ史上5度目の毎回の15四球(死球含む)。試合は10-5でオリックスが勝利。
7月17日 - 日本プロ野球実行委員会は2001年の公式戦を140試合制でおこなうことで合意、同月21日のオーナー会議で決定[3]。
7月20日 - 阪神の大豊泰昭が審判に暴行を働き退場処分、7月28日から8月3日までの出場停止処分と制裁金20万円の処分が科せられた[5]。
7月23日 - オールスターゲーム第2戦がグリーンスタジアム神戸で行われ、セ・リーグが12-4で勝利。オリックスのイチローがオールスター史上初の通算2度目の1試合4安打と、オールスター新記録の10試合連続安打[16]。
8月
8月7日 - 西武の松坂大輔が対オリックス戦(神戸)で9回に代打で打席に入り、2点適時打。パ・リーグで投手が打席に立ったのは2年ぶり、安打を記録したのは9年ぶり、代打で打席に立ったのは25年ぶり[17]。
8月18日 - 福岡ダイエーホークスの秋山幸二が日本プロ野球通算2000試合目の出場となった対ロッテ戦(北九州市民球場)で、史上28人目の通算2000本安打を達成。ドラフト制導入以降のドラフト外入団選手では史上初[18]。
8月21日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が行われ、和歌山県の智弁和歌山が千葉県の東海大浦安に11-6で勝利し、3年ぶり2回目の優勝達成。
8月26日 - 近鉄の鷹野史寿が8月22日の対ロッテ戦の第2打席からこの日の対西武戦の第2打席まで、球団タイ記録8打数連続安打と、球団新記録の5四死球を含む13打席連続出塁を記録[19][20]。
8月29日 - 西武対オリックス戦(西武ドーム)は延長12回9-9の引き分けに終わり、試合時間はパ・リーグ史上最長の5時間32分[3]。
9月
9月3日 - 阪神は対横浜戦(甲子園)でトニー・タラスコが球団通算7000本塁打[8]。
9月6日 - ヤクルトの高津臣吾が対阪神戦(神宮)で日本プロ野球通算150セーブ、史上3人目[15]。
9月7日 - 近鉄の大塚晶文が8月6日の対ロッテ戦からこの日のオリックス戦まで球団新記録の9試合連続セーブ[21]。
9月6日
- 横浜の駒田徳広が対中日戦(ナゴヤドーム)で史上29人目の日本プロ野球通算2000本安打を達成[9]。
- ダイエーの吉永幸一郎が対日本ハム戦で日本プロ野球通算150本塁打、史上115人目[11]。
9月13日 - ダイエーの若田部健一が対ロッテ戦で日本プロ野球通算1000投球回、史上285人目[11]。
9月17日 - ダイエーの今季主催試合観客動員がパ・リーグ最多記録の254万6千人[11]。
9月21日 - オリックスのトロイ・ニールが退団。
9月22日 - 広島の監督の達川晃豊の退団が決定。
9月24日
- 巨人が対中日戦(東京ドーム)に9回裏に二岡智宏のサヨナラ本塁打で5対4でサヨナラ勝利で4年ぶり29度目のセ・リーグ優勝達成[22]。
- ダイエーの小久保裕紀が対近鉄戦で日本プロ野球通算150本塁打、史上116人目[11]。
9月27日 - シドニーオリンピックの野球競技の決勝戦と3位決定戦が行われ、キューバがアメリカ合衆国に4-0で勝利し優勝。3位決定戦は大韓民国が日本に3対1で勝利。
9月28日 - ヤクルトの石井一久が対巨人戦(神宮)で日本プロ野球通算1000投球回、史上287人目[15]。
9月29日 - 横浜の監督の権藤博が退任[9]。
10月
10月1日 - ヤクルトは岡林洋一に戦力外通告[23]。
10月5日 - オリックスの野田浩司が現役引退。
10月9日 - 横浜の新監督に前西武監督の森祇晶が就任[9]。契約は3年[24]。
10月11日 - セ・リーグのシーズン公式戦全日程が終了。 ヤクルト対神宮戦(神宮)で広島の金本知憲が宮出隆自から今季30号本塁打を放ち、日本プロ野球史上8人目の打率3割、30本塁打、30盗塁のトリプルスリーを達成。ヤクルトの石井一久が1回1/3を無失点に抑え、最優秀防御率を獲得、2位の中日の山本昌との0.004差はセ・リーグ史上最僅差の争いとなった。ヤクルトの岡林洋一はこの試合が引退試合となり、先発で1イニングを無失点に抑えた[25]。ヤクルトの古田敦也が日本プロ野球新記録の1088守備機会、ヤクルトのシーズン46失策と守備率.991はセ・リーグ新記録[15]。
10月12日 - オリックスのイチローがポスティングシステムでのメジャーリーグ挑戦を表明[26]。
10月13日 - ダイエーの藤井将雄が肺がんで死去[3]。
10月14日 - 広島の新監督に山本浩二の就任を発表。背番号は永久欠番の8に決定。
10月21日 - 同月26日にかけてニューヨーク・ヤンキース-ニューヨーク・メッツのワールドシリーズが実現。同じニューヨークに属する球団同士の対戦は1956年のヤンキース対ブルックリン・ドジャース以来44年ぶり。
10月28日 - 日本シリーズの第6戦が行われ、巨人がダイエーに9-3に勝利し、4勝2敗で6年ぶり19回目の日本一達成。
10月 - パ・リーグは1位ダイエー、5位オリックス、6位近鉄の3球団からシーズン2桁勝利投手が出ず。1シーズンに3球団と、Aクラスも含めて優勝チームから出なかったのはパ・リーグ史上初[27][28]。
11月
11月2日 - ダイエーにペドロ・バルデスが入団[11]。
11月13日 - ダイエーの湯上谷竑志が現役引退の会見を行う[29]。
11月19日 - MLBシアトル・マリナーズがNPBオリックス・ブルーウェーブのイチローのポスティング・システムでの交渉権を1312万5000ドル(日本円で約14億円)で落札[30]。
11月20日 - ダイエーにトニー・ミッチェルが入団[11]。
11月30日 - 前ボルチモア・オリオールズのマイク・ムッシーナがニューヨーク・ヤンキースに移籍。- 11月30日 - シアトル・マリナーズが、ポスティング・システムで交渉権を獲得したイチローと正式契約[30]。
12月
12月3日 - オリックスからドラフト1位で指名された敦賀気比高校の内海哲也が同球団との2度目の入団交渉で、入団拒否の意思を示し、球団側も獲得を断念[31]。
12月6日 - 前巨人の橋本清と中日の日笠雅人がダイエーに入団[11]。
12月11日 - NPB阪神タイガースからFAの新庄剛志がMLBニューヨーク・メッツと3年契約を結んだことを明らかにした[32]。
12月17日 - ヤクルトからFAの川崎憲次郎が中日へ入団[33]。
12月18日 - 巨人の大野倫がトレードでダイエーに移籍[11]。
12月27日 - 巨人の佐藤充がトレードでダイエーに移籍[11]。
誕生
死去
1月20日 - 岩本信一(*1921年)
2月27日 - 伊賀上良平(*1917年)
3月7日 - 鶴岡一人(*1916年)
5月14日 - 丸尾千年次(*1917年)
6月16日 - 長持栄吉(*1918年)
6月19日 - 飯田徳治(*1924年)
6月 - 関口朋幸(*1960年)
7月16日 - 森下重好(*1920年)
8月12日 - 秋山登(*1934年)
9月16日 - 田部輝男(*1916年)
10月13日 - 藤井将雄(*1968年)
10月22日 - 新山彰忠(*1939年)
11月5日 - 高野光(*1961年)
11月20日 - 三浦真一郎(*1946年)
12月11日 - 白石勝巳(*1918年)
脚注
^ 村瀬秀信 『プロ野球最期の言葉』 イースト・プレス、2010年、173頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
ISBN 9784781604664。
^ “【2月29日】2000年(平12) 元阪神ドラ1、病を克服し晴れてバファローズ合格”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2008年2月16日). 2016年1月9日閲覧。
- ^ abcdパシフィック・リーグ略史(1949年~2000年) Archived 2014年02月16日, at the Wayback Machine. パ・リーグ公式サイト
^ “【3月26日】2000年(平12)“川崎劇場”ついにフィナーレ 10本塁打で花添える”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2008年3月20日). 2016年1月9日閲覧。
- ^ abcdセリーグHistory Archived 2013年11月19日, at the Wayback Machine. セ・リーグ公式サイト
^ “【4月1日】2000年(平12) 松坂命拾い…パ・リーグ初!西武2年連続サヨナラ発進!”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン. 2016年1月9日閲覧。
- ^ ab“無安打無得点試合 (ノーヒットノーラン)”. 日本野球機構公式サイト. 2016年1月9日閲覧。
- ^ abc“阪神タイガースヒストリー2000-2004”. 阪神タイガース公式サイト. 2016年1月9日閲覧。
- ^ abcd『ホエールズ&ベイスターズ60年の軌跡』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年、67頁。
ISBN 9784583616179。
^ 記録メモ(個人打者編) Archived 2013年12月12日, at the Wayback Machine.パ・リーグ公式サイト
- ^ abcdefghijklm『王貞治監督 ホークス14年の軌跡』 福岡ソフトバンクホークスマーケティング〈SOFTBANK MOOK〉、2008年、32頁。
ISBN 9784797348309。
^ 個人打撃連続記録(1) Archived 2013年12月3日, at the Wayback Machine. パ・リーグ公式サイト
^ “【7月2日】2000年(平12) 何かが起こる日曜日 “勝ち逃げ”小林雅英、初の珍記録”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年7月1日). 2016年1月9日閲覧。
^ 個人打撃連続記録(2) Archived 2013年12月3日, at the Wayback Machine.パ・リーグ公式サイト
- ^ abcd“球団のあゆみ2000年代”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト. 2016年1月9日閲覧。
^ “【7月23日】2000年(平12) イチロー、100万円もらっても「シャレにならん」”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年7月1日). 2016年1月9日閲覧。
^ 個人投手ゲーム記録[リンク切れ]パ・リーグ公式サイト
^ “【8月18日】2000年(平12) 秋山幸二、2000試合で2000本安打達成”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン. 2016年1月9日閲覧。
^ 『ベースボール・レコード・ブック 日本プロ野球記録年鑑2001』 ベースボール・マガジン社 編、ベースボール・マガジン社、2000年、101頁。
ISBN 4583035993。
^ 13打席連続出塁は近鉄球団記録、8打数連続安打は近鉄球団タイ記録 [1][リンク切れ] パ・リーグ公式サイト
^ 個人投手連続記録(1) Archived 2013年12月3日, at the Wayback Machine. パ・リーグ公式サイト
^ “【9月24日】2000年(平12) 54年ぶりの奇跡!長嶋監督、初めてドームで舞った”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン. 2016年1月9日閲覧。
^ 村瀬秀信 2010, p. 76.
^ 村瀬秀信著4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史 (双葉文庫)、双葉社、2016年、P45
^ “【10月11日】2000年(平12) 20世紀最後のセ公式戦 小数第3位とトリプルスリー”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2008年10月8日). 2016年1月9日閲覧。
^ “【10月12日】2000年(平12) イチロー、ついにメジャー挑戦!話は夏から進んでいた…”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年10月1日). 2016年1月9日閲覧。
^ これまでは1998年5位の近鉄を除いてすべて最下位チーム。
^ 記録メモ(チーム・その他編) Archived 2014年02月13日, at the Wayback Machine. パ・リーグ公式サイト
^ 村瀬秀信 2010, p. 218.
- ^ ab“【11月9日】2000年(平12) イチローに14億円入札 マリナーズ「どうしても欲しい」”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2007年11月5日). 2016年1月9日閲覧。
^ “【12月3日】2000年(平12) 破格の提示にもやっぱり…内海哲也、オリックス入り拒否”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年12月1日). 2016年1月9日閲覧。
^ “【12月11日】2000年(平12) 12億5千万円より“最低年俸” 新庄剛志「場所見つかった」”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン. 2016年1月9日閲覧。
^ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2011年12月26日、 43頁。
|