安芸国
安芸国 | |
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![]() ■-安芸国 ■-山陽道 | |
別称 | 芸州(げいしゅう) |
所属 | 山陽道 |
相当領域 | 広島県西部 |
諸元 | |
国力 | 上国 |
距離 | 遠国 |
郡・郷数 |
8郡63郷 |
国内主要施設 | |
安芸国府 | 広島県安芸郡府中町 |
安芸国分寺 | 広島県東広島市(安芸国分寺跡) |
安芸国分尼寺 | (推定)広島県東広島市 |
一宮 | 厳島神社(広島県廿日市市) |
安芸国(あきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。
目次
1 「安芸」の名称
2 領域
3 沿革
3.1 近世以降の沿革
4 国内の施設
4.1 国府
4.2 国分寺・国分尼寺
4.3 神社
5 地域
5.1 郡
5.2 江戸時代の藩
6 人物
6.1 国司
6.1.1 安芸守
6.1.2 安芸介
6.2 守護
6.2.1 鎌倉幕府
6.2.2 室町幕府
6.3 戦国大名
6.4 武家官位としての安芸守
6.4.1 江戸時代以前
6.4.2 江戸時代
7 安芸国の合戦
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
「安芸」の名称
安芸は古くは「阿岐」と書いた。『古事記』には「阿岐国」と記載されている。スサノオノミコトの拠点は出雲国 、安来(現;山陰、島根県)の地であり歴史的に混同されることが多かった。
領域
明治維新の直前の領域は、広島県広島市、呉市、竹原市、大竹市、廿日市市、安芸高田市、江田島市、安芸郡、豊田郡の全域および三原市の一部(概ね和田浜町、和田、宗郷、新倉、新倉町、沼田町、高坂町許山、久井町土取、久井町山中野、久井町小林、大和町大草、大和町大具、大和町椋梨、大和町下草井以西)、尾道市の一部(瀬戸田町各町・因島洲江町・因島原町)、三次市の一部(秋町・粟屋町)、東広島市の大部分(豊栄町飯田・豊栄町吉原を除く)、山県郡の大部分(北広島町西八幡原の一部を除く)にあたる。
沿革
7世紀に阿岐国造の領域に安芸国が設置された。
近世以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」の記載によると、明治初年時点では全域が安芸広島藩領であった(522村・313,164石余)。蔵米3万石を安芸広島新田藩に分知していたが、封地は定めず。
沼田郡(42村・25,941石余)、安芸郡(48村・38,327石余)、佐伯郡(85村・39,307石余)、山県郡(74村・31,639石余)、高田郡(59村・43,836石余)、高宮郡(36村・17,923石余)、賀茂郡(90村・57,557石余)、豊田郡(88村・58,630石余)
- 明治2年12月26日(1870年1月27日) - 広島新田藩が広島藩に編入。
- 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により広島県の管轄となる。
国内の施設
国府
平安時代編纂の倭名類聚抄によれば国府は安芸郡にあった。遺跡は見つかっておらず、正確な位置は不明である。現在の安芸郡府中町と推定される。また、国分寺が作られた東広島市西条に求める説もある[1]。
国分寺・国分尼寺
- 安芸国分寺
- 広島県東広島市西条町吉行。
神社
- 延喜式内社
- 『延喜式神名帳』には、以下に示す大社3座3社が記載されている。小社はない。大社3社は、全て名神大社である。
佐伯郡 速谷神社 (廿日市市)- 佐伯郡 伊都伎島神社 (現 厳島神社、廿日市市)
安芸郡 多家神社 (安芸郡府中町)
総社・一宮以下
- 総社 多家神社に合祀。
- 一宮 厳島神社
- 二宮 速谷神社
地域
郡
沼田郡 - 「ぬたぐん」と読む。鎌倉期までに豊田郡に編入され消滅した。寛文4年(1664年)に佐東郡を改称した近世沼田郡(こちらは「ぬまたぐん」と読む)とは領域が異なり、現在の東広島市東部や三原市西部などが該当。全7郷。
賀茂郡 - 現在の東広島市中部など。1956年(昭和31年)に豊田郡と所属市町村を調整。全9郷。
安芸郡 - 現在の安芸郡や呉市西部など。鎌倉期までに安北郡と安南郡に分割され、江戸期に安南郡を再改称した。全11郷。
佐伯郡 - 現在の広島市南西部や廿日市市など。鎌倉期までに佐東郡と佐西郡に分割され、寛文4年(1664年)に佐西郡を再改称。全12郷。
山県郡 - 現在の山県郡とほぼ同じ。全8郷。
高宮郡 - 鎌倉期までに高田郡に編入。江戸期に安北郡を改称した近世の高宮郡とは領域が異なる。現在の安芸高田市高宮町・甲田町・美土里町などは古代高宮郡の領域であったとされる。全6郷。
高田郡 - 現在の安芸高田市西部など。後に高宮郡と統合・再編される。全7郷。
豊田郡 - はじめは「沙田郡」(ますたぐん)と表記。中世までに改称された。芸予諸島のうち広島県に属する部分の多くは豊田郡。全6郷。
江戸時代の藩
広島藩、福島家(49.8万石)→浅野家(42.6万石)
広島新田藩(広島藩支藩、3万石)
人物
国司
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安芸守
坂上苅田麻呂:宝亀2年(771年)任官
藤原園人:延暦4年(785年)任官
藤原伊勢人:大同元年(806年)任官
豊前王:承和14年(847年)任官
紀綱雄:嘉祥元年(848年)任官
橘真直:嘉祥2年(849年)任官
橘貞根:嘉祥3年(850年)任官
清原瀧雄:斉衡元年(854年)任官
百済安宗:天安2年(858年)任官
大和吉直:天安2年(858年)任官
藤原関主:貞観3年(861年)任官
基兄王:貞観7年(865年)任官
藤原興世:貞観11年(869年)任官
橘岑守:貞観11年(869年)任官
安倍肱主:仁和2年(886年)任官- 源頼清
源有光:康平5年(1062年)頃
平清盛:久安2年(1146年)任官
平経盛:保元元年(1156年)任官
平頼盛:保元元年(1156年)任官- 源季遠
佐伯景弘:寿永元年(1182年)任官
安芸介
百済河成:承和13年(846年)任官
守護
鎌倉幕府
- 1189年 - ? : 武田信光?
- 1196年 - 1221年 : 宗孝親
- 1231年 - ? : 武田信光
- 1235年 - ? : 藤原親実
- 1270年 - 1276年 : 武田信時
- 1293年 - ? : 名越宗長
室町幕府
- 1335年 - 1345年 : 武田信武
- 1345年 - 1368年 : 武田氏信
- 1371年 - 1390年 : 今川貞世
- 1392年 - 1394年 : 細川頼元
- 1394年 - 1400年 : 渋川満頼
- 1404年 - 1406年 : 山名満氏
- 1406年 - 1411年 : 山名熙重
- 1418年 - 1419年 : 山名教孝
- 1429年 - 1433年 : 山名時熙
- 1433年 - 1454年 : 山名持豊
- 1454年 - ? : 山名教豊
- 1462年 - 1475年 : 山名是豊
- 1475年 - ? : 山名政豊
戦国大名
- 安芸武田氏
- 毛利氏
- 吉川氏
- 小早川氏
武家官位としての安芸守
江戸時代以前
- 足利安芸守
- 石川盛義
- 加地春綱
- 北条高広
- 黒川晴氏
- 小早川弘景
- 小早川弘平
- 小早川盛景
- 宍戸隆家
- 諏訪頼満
- 諏訪時継
武田信賢:安芸分群守護
武田光和:安芸武田家当主- 仁科盛能
毛利季光(安芸介)
江戸時代
- 安芸広島藩主
浅野光晟:第2代藩主
浅野綱長:第4代藩主
浅野吉長:第5代藩主
浅野宗恒:第6代藩主
浅野重晟:第7代藩主
浅野斉賢:第8代藩主
浅野斉粛:第9代藩主
浅野慶熾:第10代藩主
浅野長訓:第11代藩主
浅野長勲:第12代藩主
- その他
大久保忠増:相模小田原藩第2代藩主・老中
大久保忠真:小田原藩第7代藩主・老中
酒井忠一:安房勝山藩第8代藩主
諏訪忠虎:信濃諏訪藩第4代藩主
諏訪忠厚:諏訪藩第6代藩主
本庄道貫:美濃高富藩第9代藩主
松平資俊:常陸笠間藩第2代藩主、遠江浜松藩初代藩主
森長記:播磨三日月藩第2代藩主
安芸国の合戦
1517年 : 有田中井手の戦い、毛利元就 × 武田元繁
1523年 : 鏡山城の戦い、尼子経久・毛利元就 × 大内氏
1540年 - 1541年 : 吉田郡山城の戦い、毛利・大内連合軍(毛利元就、陶晴賢) × 尼子詮久
1554年 : 折敷畑の戦い、毛利元就 × 陶晴賢(宮川房長)
1555年 : 厳島の戦い、毛利元就 × 陶晴賢
1866年 : 芸州口の戦い(長州征討)、長州藩 × 江戸幕府
脚注
^ 岸田裕広・編『広島県の歴史』(山川出版社、1999年)33-34頁。
参考文献
- 岸田裕広・編『広島県の歴史』、山川出版社、1999年。
角川日本地名大辞典 34 広島県- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
- 令制国一覧
- 安芸
安芸(戦艦)‐旧日本海軍の戦艦。薩摩型戦艦の2番艦。艦名は安芸国に因む。
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