東久留米市
ひがしくるめし 東久留米市 | |||
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富士見テラスからの富士山とまろにえ富士見通り | |||
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国 | ![]() |
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地方 | 関東地方 |
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都道府県 | 東京都 |
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団体コード | 13222-5 |
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法人番号 | 3000020132225 |
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面積 | 12.88km2 |
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総人口 | 116,309人 [編集] (推計人口、2018年10月1日) |
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人口密度 | 9,030人/km2 |
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隣接自治体 | 清瀬市、東村山市、小平市、西東京市 埼玉県新座市 |
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市の木 | イチョウ |
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市の花 | ツツジ |
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市の鳥 | オナガ |
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東久留米市役所 | |||
市長 | 並木克巳 |
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所在地 | 〒203-8555 東京都東久留米市本町三丁目3番1号 北緯35度45分28.8秒東経139度31分47.5秒 ![]() |
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外部リンク | 公式ウェブサイト |
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■ ― 区 / ■ ― 市 / ■ ― 町・村 | |||
ウィキプロジェクト |
東久留米市(ひがしくるめし)は、東京都の多摩地域東部にある人口約11万6千人の市。
目次
1 地理
1.1 隣接している自治体
2 歴史
2.1 年表
2.2 時系列地形図
2.3 市名の由来
3 人口
3.1 昼夜間人口
4 地域
4.1 町名
4.2 集合住宅
5 行政
5.1 市長
5.2 議会
5.3 財政
5.4 警察
5.5 消防・救急
5.6 広域行政
5.7 ゴミ処理
5.8 不祥事
6 地域交流
7 国政・都政
7.1 国政
7.2 都政
8 産業
9 教育
9.1 小学校
9.2 中学校
9.3 青少協
9.4 高等学校
9.5 その他の学校
9.6 図書館
10 交通
10.1 鉄道
10.2 バス
10.3 道路
11 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
11.1 名所・旧跡
11.2 祭事・催事
11.3 公園
12 市内の主要商業施設
13 東久留米を舞台とする作品
14 東久留米市の関連人物
14.1 出身人物
14.2 縁のある人物
15 脚注
16 参考文献
17 関連項目
18 外部リンク
地理
都心から約25キロ離れた武蔵野台地の中央部にある。市西端の小平霊園(さいかち窪)を水源とする黒目川と、市中心部を水源とする落合川が市内の中心部を流れ、市の東端で合流する。土地全体は西から東へかけゆるく傾斜しており、この傾斜断面から湧水が豊富に湧き出す。そのため一部湧水は水道水の原水になっている。北は野火止用水(別名:伊豆殿堀)で清瀬市、埼玉県新座市と境を隔てる。ひばりが丘・東久留米・八幡・滝山・久留米西団地など大規模団地が多く、これらの地域では高齢化の進行が著しい地区が見られる。市全体では高齢化率は27.0%となっている(2016年3月1日住民基本台帳)。
平成22年国勢調査によれば、東京都特別区部への通勤率は33.2%である。
隣接している自治体
- 北東 - 埼玉県新座市
- 北 - 清瀬市
- 西 - 東村山市
- 南 - 小平市
- 南東 - 西東京市
歴史
年表
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、門前・神山・落合・小山・南沢・前沢・下里・柳窪・柳窪新田・栗原新田の10村、田無町の飛地を編入して神奈川県北多摩郡久留米村が誕生。
1893年 - 三多摩が神奈川県から東京府に移管。
1915年 - 4月15日、武蔵野鉄道(池袋〜飯能・現在の西武池袋線池袋〜吾野)開通・東久留米駅開設。
1956年 - 8月1日、久留米町として町制施行。北多摩郡の中では最も遅い町制施行であった[1]。- 昭和30年代後半から、東久留米、滝山、ひばりが丘団地などの大型団地次々誕生、人口急増(1960年(昭和35年)からの10年間で4.1倍)。一時期人口78,000人の日本一人口の多い町となる。
1970年10月1日 - 市制施行と同時に自治体名を改称し、東久留米市となる。
1983年 - 防災行政無線が整備される。
1984年4月1日 - 防災行政無線が開局される。
時系列地形図
- 「歴史的農業環境閲覧システム」による「迅速測図」
- 明治初期から中期にかけての当時の地図
- 「今昔マップ on the web」による時系列地形図
- 1896~1909年 当時の地図
- 1917~1924年 当時の地図
- 1927~1939年 当時の地図
- 1944~1954年 当時の地図
- 1965~1968年 当時の地図
- 1975~1978年 当時の地図
- 1983~1987年 当時の地図
- 1992~1995年 当時の地図
- 1998~2005年 当時の地図
市名の由来
「くるめ」と読み書く地名となった由来や説はいくつかある[2]。
- 古代の車持部の住地という説[2]
くるみの方言という説[2]
- 小さな平地を意味するという説[2]
- 市内を流れる黒目川の「クロメ」が転じて「クルメ」という地名になったという説[3]。元々は、黒目川は「クルメ」とも呼ばれており、後年の人々が当て字として久留米・久留目・来梅・黒目などの漢字表記を用いたのが広まり、「久留米」の名が認知された[4]。
一般的には市内の北部を流れる現在の「黒目川」からついたといわれている。
市制施行時、既に福岡県久留米市が存在したため、行政的な混同を避け、また駅名の東久留米が住民に親しまれていたため「東久留米市」とした[5]。
人口
![]() | |
東久留米市と全国の年齢別人口分布(2005年) |
東久留米市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 東久留米市 ■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
東久留米市(に相当する地域)の人口の推移![]() ► | |
総務省統計局 国勢調査より |
昼夜間人口
2005年に夜間人口(居住者)は115,023人である。市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は90,315人で昼は夜の0.785倍の人口で、夜間に比べて昼の人口は2万5千人ほど減る。昼夜間人口比0.785は東京23区および東京都市部25市の中で狛江市、稲城市、西東京市に次いで4番目に小さい数字で、東久留米市がオフィスや工場・学校が少なく住宅の多い街であることが示されている。
通勤者・通学者で見ると市内から市外へ出る通勤者34,555人、市外から市内へ入る通勤者は13,680人と通勤者では市外へ出る通勤者のほうが多く、学生でも市内から市外に出る通学生は5,352人、市外から市内へ入る通学生は1,519人と学生でも昼は市外へ流出する人数のほうが多い[6]。なお、国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで16万人おり、この項の昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に若干の誤差は生じる。
地域
町名
東久留米市では、全域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。住居表示実施前の町名等欄で下線がある町名はその全部、それ以外はその一部である。
- この一覧は未完成です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
町名 |
町名の読み |
町区域設定年月日 |
住居表示実施年月日 |
住居表示実施前の町名等 |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
上の原一丁目 |
うえのはら |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字神山 |
|
上の原二丁目 |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字神山 |
||
神宝町一丁目 |
しんほうちょう |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字神山 |
|
神宝町二丁目 |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字神山 |
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金山町一丁目 |
かなやまちょう |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字神山 |
|
金山町二丁目 |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字神山 |
||
氷川台一丁目 |
ひかわだい |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字門前、大字小山 |
|
氷川台二丁目 |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字門前、大字小山 |
||
大門町一丁目 |
だいもんちょう |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字門前 |
|
大門町二丁目 |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字門前、大字落合 |
||
東本町 |
ひがしほんちょう |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字小山、大字門前、大字落合、大字南沢 |
|
新川町一丁目 |
しんかわちょう |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字落合、大字南沢、大字門前 |
|
新川町二丁目 |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字落合、大字南沢、大字門前 |
||
浅間町一丁目 |
せんげんちょう |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字南沢、大字落合 |
|
浅間町二丁目 |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字南沢、大字落合 |
||
浅間町三丁目 |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字南沢、大字落合、大字栗原新田 |
||
学園町一丁目 |
がくえんちょう |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字南沢、大字落合、大字栗原新田 |
|
学園町二丁目 |
1966年6月1日 |
1966年6月1日 |
大字南沢、大字落合、大字栗原新田 |
||
ひばりが丘団地 |
ひばりがおかだんち |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢、大字前沢 |
|
本町一丁目 |
ほんちょう |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢 |
|
本町二丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢、大字小山、大字門前 |
||
本町三丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢、大字落合 |
||
本町四丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢、大字落合 |
||
小山一丁目 |
こやま |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字小山 |
|
小山二丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字小山 |
||
小山三丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字小山 |
||
小山四丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字小山 |
||
小山五丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字小山、大字下里 |
||
幸町一丁目 |
さいわいちょう |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢、大字小山 |
|
幸町二丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字小山 |
||
幸町三丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字落合、大字南沢、大字小山 |
||
幸町四丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字前沢、大字神山、大字南沢、大字小山、大字落合 |
||
幸町五丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字小山、大字下里、大字神山 |
||
中央町一丁目 |
ちゅうおうちょう |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢 |
|
中央町二丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢 |
||
中央町三丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢 |
||
中央町四丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢 |
||
中央町五丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢、大字前沢 |
||
中央町六丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢、大字前沢 |
||
南沢一丁目 |
みなみさわ |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢 |
|
南沢二丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢 |
||
南沢三丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢 |
||
南沢四丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢 |
||
南沢五丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢 |
||
前沢一丁目 |
まえさわ |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字前沢 |
|
前沢二丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字前沢 |
||
前沢三丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字前沢、大字南沢 |
||
前沢四丁目 |
1969年11月1日 |
1969年11月1日 |
大字前沢 |
||
前沢五丁目 |
1969年11月1日 |
1969年11月1日 |
大字前沢 |
||
南町一丁目 |
みなみちょう |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字前沢、大字柳窪新田、大字南沢 |
|
南町二丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字柳窪新田 |
||
南町三丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字柳窪新田、大字南沢、大字前沢 |
||
南町四丁目 |
1968年8月1日 |
1968年8月1日 |
大字南沢、大字前沢 |
||
滝山一丁目 |
たきやま |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
||
滝山二丁目 |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
|||
滝山三丁目 |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
|||
滝山四丁目 |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
|||
滝山五丁目 |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
|||
滝山六丁目 |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
|||
滝山七丁目 |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
|||
下里一丁目 |
しもさと |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
||
下里二丁目 |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
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下里三丁目 |
1969年11月1日 |
1969年11月1日 |
大字下里、大字田無、大字柳窪 |
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下里四丁目 |
1969年11月1日 |
1969年11月1日 |
大字下里、大字田無、大字野火止 |
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下里五丁目 |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
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下里六丁目 |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
|||
下里七丁目 |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
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柳窪一丁目 |
やなぎくぼ |
1969年11月1日 |
1969年11月1日 |
大字柳窪 |
|
柳窪二丁目 |
1969年11月1日 |
1969年11月1日 |
大字柳窪、大字柳窪新田 |
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柳窪三丁目 |
1969年11月1日 |
1969年11月1日 |
大字柳窪、大字柳窪新田 |
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柳窪四丁目 |
1969年11月1日 |
1969年11月1日 |
大字柳窪 |
||
柳窪五丁目 |
1969年11月1日 |
1969年11月1日 |
大字柳窪 |
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野火止一丁目 |
のびどめ |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
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野火止二丁目 |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
|||
野火止三丁目 |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
|||
八幡町一丁目 |
はちまんちょう |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
||
八幡町二丁目 |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
|||
八幡町三丁目 |
1970年10月1日 |
1970年10月1日 |
|||
弥生一丁目 |
やよい |
1969年11月1日 |
1969年11月1日 |
大字柳窪新田 |
|
弥生二丁目 |
1969年11月1日 |
1969年11月1日 |
大字柳窪新田 |
集合住宅
- 都市再生機構ひばりが丘団地(住居表示も「ひばりが丘団地」) - 昭和34年 → 現:ひばりが丘パークヒルズ
- 都市再生機構東久留米団地(上の原) - 昭和37年 → 現:グリーンヒルズ東久留米(平成23年建替)
- 都市再生機構滝山団地(滝山) - 昭和43年
- 国家公務員共済組合連合会東久留米第2団地 - 昭和43年 : 東村山都市計画事業(一団地の住宅施設)
- 東京都住宅供給公社久留米西団地(下里) - 昭和44年 : 東村山都市計画事業(一団地の住宅施設)
- 都市再生機構滝山第2団地 - 昭和45年 : 東村山都市計画事業(一団地の住宅施設)
- 東京都住宅供給公社下里団地(下里) - 昭和48年
行政
市長
並木克巳(2014年1月20日就任、2期目)
- 歴代市長
- 藤井顕孝(1970年 - 1975年)[7]
- 石塚政寿(1975年 - 1978年)[8]
- 伊藤孝次郎(1978年 - 1982年)
- 吉田三郎(1982年 - 1990年)
稲葉三千男(1990年 - 2001年12月、3期途中で体調不良のため辞任。東大名誉教授)- 野崎重弥(2002年1月20日 - 2010年1月19日、2期。元市議)
馬場一彦(2010年1月20日 - 2014年1月19日、1期。元市議)
並木克巳(2014年1月20日 -、2期目。元市議)
議会
- 定数 22人、現員 21人
- 直近の一般選挙 2015年4月26日(任期満了日 2019年4月30日)
- 議長 野島武夫(のじま たけお、2017年6月6日就任)
- 副議長 梶井琢太(かじい たくた、2017年6月6日就任)
- 会派(2017年12月25日現在)[9]
会派名 | 議員数 | 代表者 |
---|---|---|
自民クラブ |
6 | 島崎清二 |
公明党 | 5 | 阿部利恵子 |
日本共産党 | 4 | 村山順次郎 |
未来政策フォーラム | 3 | 富田竜馬 |
市民自治フォーラム | 2 | 間宮美季 |
無会派(久留米ハートネット) | 1 |
財政
- 2015年度予算における一般会計支出額は約390億円である。
1990年代に、東久留米駅東口区画整理事業、新市庁舎、スポーツセンターなど建設事業が相次ぎ、地方債残高は2000年度末時点で300億円を突破。経常収支比率も2003年度決算で92%と深刻である。前市長の稲葉三千男時代に行われた事業が多く、稲葉が革新系だったことから、保守系からの革新市政の批判が未だ続いている。なお、稲葉の娘・間宮美季が現在同市議である。
警察
警視庁田無警察署の管轄である。同署は西東京市(旧・田無市)にあり、以前から東久留米市・旧田無市・旧保谷市(一部地域を除く)を管轄している。
- 市内の駐在所・派出所
- 上の原
- 学園前
- 下里
- 滝山
- 野火止
- 東久留米駅前
- 前沢
- 南沢
- 門前(旧門前交番、現門前地域安全センター)
消防・救急
2010年4月1日より東京消防庁に常備消防事務を委託。これに伴い東久留米市消防本部と新川出張所は東京消防庁に移管され、前沢出張所は廃止された。
東京消防庁 第八消防方面本部 東久留米消防署(幸町)
- 新川出張所
広域行政
多摩北部都市広域行政圏協議会
- 多摩地域北東部の西東京、小平、東村山、清瀬、および本市の5市で施設の相互利用、イベントの共同開催などを行っている。通称「多摩六都」。「六都」とは合併前の田無、保谷を含めたものだが、名称は合併後も継承されている。西東京市内に多摩六都科学館を持つ。また、図書館利用カードの共通化を進めており、1枚のカードで東久留米、清瀬、西東京の図書館で利用できる。
- 昭和病院組合
清瀬、小金井、小平、西東京、東村山、東大和、武蔵村山および東久留米市により組織され、小平市にある公立昭和病院を運営している。
ゴミ処理
西東京市、清瀬市と共同で、「柳泉園組合」を設立し、当市内(一部東村山市にまたがる)に清掃工場を設置する。可燃ごみは同清掃工場で、不燃ごみは多摩地域の他の自治体同様に、日の出町の最終処分場に埋め立てる。
2017年10月をもってダストボックス式の回収を終了し、個別収集に変更された。2017年10月2日から家庭ごみ有料化が始まった[10]。
不祥事
- パワハラ自殺
2013年8月、職場の人間関係が原因で2011年より2年間うつ病で休職し、職場復帰に向け、2013年5月より短時間出勤を続けていた学校給食職員が、上司である学務課長からの暴言により自死した。この件で相談を受け、市役所に改善を求めていた保健師は、対応の鈍かった市役所に抗議のため同月末に辞職。遺族は東京地方裁判所に市役所を提訴した。2016年12月15日、市役所は遺族に1,500万円の解決金を支払い、復職プログラムを作ることを約束して和解した[11][12][13]。
地域交流
群馬県高崎市 旧榛名町地域
1986年(昭和61年)10月1日当時の群馬県榛名町と姉妹都市提携したが、2006年(平成18年)10月榛名町が群馬県高崎市と合併したため、姉妹都市提携が解消された。ただし、旧榛名町地域とは地域間交流という形で交流事業は継続している。- 市役所の屋外ひろばに榛名町から贈られた梨と梅の木が植わっている。
国政・都政
国政
衆議院小選挙区選挙では東京20区(東村山、東大和、清瀬、東久留米、武蔵村山)に属す。近年選出の議員は以下のとおり。
- 2017年10月(第48回衆議院議員総選挙)
- 小選挙区選出:木原誠二(自民)
- 比例復活:宮本徹(共産)
都政
北多摩4区(清瀬、東久留米)に属す。定数は2人。近年選出の議員は以下のとおり。
- 2017年7月
- 細谷祥子(都民)
- 原紀子(共産)
産業
- 工場
グローブライド本社・工場:前沢(旧ダイワ精工)
宮坂醸造東久留米工場:前沢
コカ・コーライーストジャパンプロダクツ 多摩工場:野火止
山崎製パン武蔵野工場:柳窪
- かつてはヤクルト工場がコカ・コーラ工場向い(八幡町)に立地していた。豊富な地下水資源を利用して活況を示していた一例である。
- 特産品
- 柳久保小麦 - 江戸時代の嘉永4年(1851年)に現在の東久留米市柳窪の奥住又右衛門が、旅先から持ち帰った種により栽培が行われていた。香りや味がよくうどんの材料に適し、背の高い麦わらは屋根を葺く材料に向いていたが、収量の多い一般の小麦が出回った事で昭和17年頃に姿を消した。1988年に又右衛門の子孫が農林水産省生物資源研究所に保管されていた種を譲り受けて生産を復活し、うどんやかりんとうなどの加工品として販売されるようになった[14][15][16]。
CATV
J:COM関東 西東京局(旧・タイタスコミュニケーションズ):前沢
アニメーション
タマ・プロダクション:幸町→2011年3月9日→破産
- すたじおガッシュ:東本町
教育
小学校
- 市立
- 第一小学校
- 第二小学校
- 第三小学校
- 第四小学校(2012年3月31日閉校)
- 第五小学校
- 第六小学校
- 第七小学校
- 第八小学校(2010年3月31日閉校)
- 第九小学校
- 第十小学校
- 小山小学校
- 神宝小学校
- 南町小学校
- 本村小学校
- 下里小学校
- 滝山小学校(2004年3月31日廃校)
- 私立
- 自由学園初等部
中学校
- 市立
- 久留米中学校
- 西中学校
- 東中学校
- 南中学校
- 大門中学校
- 下里中学校
- 中央中学校
- 私立
自由学園男子部中等科(※自由学園男子部高等科を併設している。)
自由学園女子部中等科(※自由学園女子部高等科を併設している。)
青少協
青少年健全育成協議会の略称
それまでの「青少年問題協議会」の名称が2005年(平成17年)度より「青少年健全育成協議会」に改正される。内容、市からの補助金等の変更はなく、略称も「青少協」と同じ。
東久留米市から年間280万円の補助金が組まれている。中学校区ごとに組織され、地域清掃活動、文化活動などを行う。
高等学校
- 都立
東久留米総合高等学校(旧久留米高等学校)
- ※ 久留米高校定時制課程は、2008年度末(2009年3月)をもって閉課
- 久留米西高等学校
- 私立
自由学園高等科(※自由学園中等科を併設している。)
その他の学校
東京学芸大学附属特別支援学校 - 1954年に附属竹早中学校の特別支援学級として始まる。1966年に市内に移転。2004年に50周年を迎えた。
クリスチャン・アカデミー・イン・ジャパン - 1950年に、キリスト教の外国人宣教師などの子供たちが通うために設立されたインターナショナル・スクール。幼稚園から高校まで、キリスト教に基づく一貫教育を行っている。この影響からか市内や近辺には教会が多く、宣教師の施設やキリスト教書店などもある。- 自由学園最高学部
図書館
東久留米市立図書館
- 中央図書館
- 滝山図書館
- 東部図書館
- ひばりが丘図書館
交通
東久留米駅
鉄道
西武鉄道
池袋線
- 東久留米駅
- 市内の駅は東久留米駅のみだが、この駅よりも最寄となる ひばりヶ丘駅(西東京市)、清瀬駅(清瀬市)、西武新宿線の花小金井駅(小平市)、小平駅(小平市)などを利用する市民もいる。
バス
西武バスが市内各地域を結ぶ。
- 市内下里に西武バス滝山営業所がある他、西武バス西原車庫(滝山営業所の支所にあたる)・西武バス小平営業所・西武バス新座営業所の各路線が当市内に乗り入れている。
深夜急行バス:池袋駅東口→前沢十字路→東久留米総合高校→小手指駅北口線(西武バス練馬営業所担当)が運行されている。
銀河鉄道:2008年4月より東村山駅と柳泉園グランドパークを結ぶ路線を開設。東久留米市には他に下里四丁目(久留米西団地内)にも停留所を設置。- 東久留米市では、周辺自治体にあるようなコミュニティバスは2016年3月現在運行されていない。運行についての検討も行われたが、2012年2月に馬場市長の任期中は実証運行は困難であるとの市長報告を発表した[17]。
道路
都市化に対し道路整備が遅れていたことから、平成期に建設・開通した都市計画道路も多い。
- 東西方向
東京都道5号新宿青梅線(通称:新青梅街道)
東京都道・埼玉県道4号東京所沢線(通称:所沢街道)
- 現在、新宮前通りと野火止通り間の拡幅及び歩道設置工事を行っている。
東京都道・埼玉県道4号東京所沢線(通称:新所沢街道)(下里〜前沢南〜南町一丁目先間完成)
- 所沢街道のバイパスの役目を負うべく、同街道南側にほぼ平行して建設中。小金井街道の前沢南交差点より西側は市道として既に開通済みであるが、同交差点以東は東京都道4号として供用、さらに東側の西東京市との境界までは用地取得が完了し、建設が進められている。また、西東京市内も用地取得が開始された[18]。西側の市道区間の先、東村山市内の470mの区間が、都道として2012年6月28日に開通した[19]。さらに西側は、2011年9月に所沢入間バイパスまでの延伸が、都市計画決定された[20]。
- 南北方向
東京都道15号府中清瀬線(通称:小金井街道)
- 現在、前沢交差点より北部分の道路拡幅用地を確保している。
東京都道248号府中小平線(通称:新小金井街道)
- 小金井街道「松山三丁目」交差点より分岐し小金井街道の西側に平行しており、清瀬市〜東久留米市〜小平市〜小金井市〜府中市へと至る。滝山団地の中央部を貫く区間は団地開設時に整備された。2006年3月、西武新宿線との立体交差事業が完了し全線が開通した主要道。
- その他
- 東京都道・埼玉県道234号前沢保谷線
- 旧市役所の前を通ることから、市役所通りとも呼ばれていた。
- 東京都道・埼玉県道24号練馬所沢線
- 主要地方道の扱いだが市内〜新座市にまたがる区間には乗用車同士のすれ違いも困難な狭隘路がある。市内には一方通行区間もある。
- 東京都道129号東村山東久留米線
- 東村山市から滝山団地中央交差点までの区間。滝山中央通りとなっている区間を除き、生活道路なみの狭隘路が続く。
東村山都市計画道路3・4・19号小金井久留米線(東3・4・19号線、通称:まろにえ富士見通り)
- 東久留米駅西口からまっすぐ伸び、東京都道15号府中清瀬線(小金井街道)に合流して前沢4丁目へ至る都市計画道路。用地取得困難物件と無電柱化で難航していたが[21]、2016年3月30日に小金井街道との交差点(前沢北)までの区間が開通した。
東京都道125号東久留米停車場線(通称:浄牧院通り)
- 東久留米駅東口からまっすぐ伸びる都市計画道路。市内は東村山都市計画道路3・4・20号東久留米駅神山線(東3・4・20号線)として整備が進められてきており、金山町二丁目から神宝町二丁目(新座市境)までの約530メートルの区間が2018年10月25日に開通して全通した。新座市境より先の埼玉県区間については、新座都市計画道路3・4・8号東久留米志木線として新座市により事業中であり、最終的に東久留米駅東口から新座駅南口付近を経由し志木駅南口に至る一体の道路として整備される計画である。既に新座市石神一丁目~堀ノ内三丁目と本多一丁目の区間を除く大部分が開通済みであり、開通区間は平林寺大門通り、新座中央通りという通称で呼ばれている。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
名所・旧跡
落合川と南沢湧水群[2] - 平成20年に環境省から『平成の名水百選』に選定された。東京都内で百選に選定された名水は当所のみ。1日の湧水量は約1万トンであり、『東京の名湧水57選』にも選定されている。また、近年、市内を水源とする黒目川、落合川の河川域で、BOD(生物化学的酸素要求量)が減少し、水質が改善した[22]。
- 2010年12月17日には、国土交通省、環境省などが後援で『湧水保全フォーラム全国大会 in ひがしくるめ』が開催され、秋篠宮文仁親王が臨席して「落合川と南沢湧水群」や立野川を視察した。
黒目川天神社 - 平成15年に東京都環境局から『東京の名湧水57選』に選定された湧水源がある。- 富士見テラス - 東久留米駅西口に併設。国土交通省から『関東の富士見百景』に選定された(東久留米駅自体も『関東の駅百選』に選定されている)。冬至の日には、日没の頃にここから富士山を望むと、夕日が富士山の山頂にかかって沈んでいく「ダイヤモンド富士」と呼ばれる現象が見られる[23]。
- 多聞寺
- 浄牧院
- 大円寺
- 宝泉寺
- 米津寺
- 氷川神社
- 八幡神社
祭事・催事
- 東京花祭り
- 滝山・前沢みんなの夏祭り
- 東久留米市市民みんなのまつり
公園
竹林公園 - 昭和49年4月、都市公園法に基づく都市緑地として開設された。昭和57年に『新東京百景』として選定された竹林、平成15年に東京都環境局から『東京の名湧水57選』に選定された湧水源がある。面積は3600平方メートル。- 小山台遺跡公園
- 六仙公園(暫定開放中、現在造成中)
- 滝山公園
- 白山公園
市内の主要商業施設
- ショッピングセンター
- 東久留米ショッピングセンター QURUNE(クルネ)
イオンモール東久留米[24](イオン東久留米店[25]) - 南沢五丁目。売り場面積2万8000平方メートル[26]・総床面積8万5000平方メートル[27]。
- 食料品
イトーヨーカドー 東久留米店(現在の店は2代目)
ザ・プライス滝山店(2018年2月閉店)
西友 東久留米店- 西友 滝山店
マルエツ 東久留米店
マルフジ 東久留米店
オザム 下里店
スーパーヤマザキ 山崎製パングループの食品スーパー。市内4店舗
ビッグ・エー(24時間営業のスーパー 市内3店舗)
- 電化製品
- ヤマダ電機テックランド 東久留米野火止店(QURUNE内、東久留米前沢店を移転)
コジマ New東久留米店(2017年2月閉店)- ケーズデンキ東久留米店
- ホームセンター
島忠 小平店
ドイト 東久留米店
ケーヨーデイツー 東久留米南町店
- 衣料品
ユニクロ 東久留米クルネ店(東久留米店を移転)
東久留米を舞台とする作品
河童のクゥと夏休み:2007年7月公開のアニメ映画。原作は東久留米市を舞台としているわけではないが、原作者木暮正夫が東久留米市に住んでいたことがきっかけとなり、アニメでの設定として東久留米市が舞台となった。映像の中では、実在する街並みがそのまま描写されているシーンも数多く見ることができる。また市内には、河童にまつわる伝説が多く残されており、今回のアニメ映画とともに街の活性化を狙っている。市ではもう一つの舞台で、同じく河童に縁のある遠野市との交流も行っている[28][29]。
滝山団地
滝山コミューン一九七四:2007年5月、講談社発行。明治学院大学教授の原武史が東久留米市立第七小学校時代に受けた集団主義の教育を、今日の観点から回想した。2008年度講談社ノンフィクション賞受賞。
大きい1年生と小さな2年生:1970年、偕成社発行。2014年3月にアニメミライ出品作として劇場公開・アニメ化。主人公まさやが怖くて通れなかった「くらいさかみち」のモデルといわれているのが堂坂。
東のくるめと隣のめぐる:2015年、角川書店発行。我孫子祐の漫画。- 縁のある作品
めぞん一刻:作品の舞台「時計坂」として、東久留米駅北口駅舎や商店街、黒目川などの市内の様子をモデルにした風景が出てくる[30][31]。ただし、「一刻館」の所在地を東京都練馬区とする原作の描写も存在する(61話に一刻館の住所を書いた手紙が登場する)。
東久留米市の関連人物
出身人物
赤松健 - 漫画家
荒木宰 - 漫画家
阿久津陽一郎 - 俳優、劇団四季所属。
朝吹まり - 漫画家
勇静華 - 女優
こいとちくわ - お笑い芸人
郷野聡寛 - 総合格闘家
国分太一 - タレント(TOKIO)
斉木洋子 - フリーアナウンサー
三遊亭天どん - 落語家
三遊亭遊子 - 落語家
椎名へきる - 声優、歌手
soulJa - ミュージシャン
羽仁知治 - ミュージシャン
松原隆二 - シンガーソングライター
パパイヤ鈴木 - ダンサー
ヒライハルキ(平井遥樹)- ミュージシャン(The Birthday)
藤森祥平 - TBSアナウンサー
矢野聖人 - 俳優、モデル
吉川ひなの - 女優
吉川プリアンカ - ミスワールド2016日本代表・モデル
蜷川実花 - 写真家、映画監督
縁のある人物
手塚治虫 - 漫画家。逝去時に本市在住。元々は埼玉県飯能市への移住を希望したが、家族の反対などで東久留米市に落ち着いたとされる。本市の成人式において講演を行ったことがある(1983年)。
高橋留美子 - 漫画家。出身は新潟市だが、上京後に本市に在住していたことがある。『めぞん一刻』の「時計坂」は本市内をモデルにしており、「時計坂駅」も東久留米駅がモデルである。
蜷川幸雄 - 演出家。生前に本市在住。蜷川実花の父。
志村けん - タレント。東京都立久留米高等学校卒。
中村憲剛 - サッカー選手。川崎フロンターレ所属、日本代表選手。東京都立久留米高等学校卒。
阿部拓馬 - サッカー選手。ベガルタ仙台所属。東京都立久留米西高等学校卒。
原日出子 - タレント。東京都立久留米西高等学校卒。
パパイヤ鈴木 - タレント。第三小学校、久留米中学校卒。
真島昌利- THE BLUE HEARTS、THE HIGH-LOWS、ザ・クロマニヨンズのギター。東京都立久留米西高等学校卒。
綾小路きみまろ - 漫談家。個人事務所が市内下里に存在する。自身は山梨県に在住。
HI-D - ミュージシャン(R&B)。東京都立久留米西高等学校卒。
上松秀実 - 大門中学校卒。
木暮正夫 - 児童文学作家(上記参照)。逝去時に本市在住。
古田足日 - 児童文学作家。逝去時に本市在住。
坪田譲治 - 児童文学作家。逝去時に本市在住。また三男の坪田理基男も本市在住の児童文学作家。
田畑精一 - 挿絵画家。古田との共作が多い。
Fullmember - ミュージシャン。本市在住。
オトノ葉Entertainment - ミュージシャン。本市在住。MCべんきちは第五小学校、南中学校卒である。
来生たかお - シンガーソングライター・作曲家。本市在住。
SoCo - 関西で活動するラジオパーソナリティ。10代後半に大阪から単身上京し市内に住んでいた[32]。
脚注
注釈
出典
^ 東久留米市 1979, p. 766.
- ^ abcd東久留米市史教育委員会 1983, p. 2.
^ 東久留米市教育委員会 2005, p. 30.
^ 東久留米市史教育委員会 1983, p. 3.
^ 東久留米の名前の由来 - 東久留米市ホームページ
^ 東京都 2008, pp. 152-153.
^ 東久留米市 1979, p. 741.
^ 東久留米市史教育委員会 2012, p. 151.
^ “会派別名簿”. 東久留米市議会. 2018年1月31日閲覧。
^ 「広報ひがしくるめ」2017年10月1日号、東久留米市、p.1
^ 【NHK】2016年12月15日付「うつ病の職員自殺 東久留米市と遺族が和解」
^ 【時事通信】2016年12月15日付[1]
^ 【BuzzFeed】2016年12月15日付「うつから復帰訓練中「お前の行くところはない」と言われ……東久留米市職員の自死裁判・市が1500万支払いで和解」
^ 東久留米市 わが街いいトコ!!
^ 市民のページ 身近な農作物
^ 柳久保小麦とは - コトバンク
^ 市長説明会「任期中のコミュニティバスなどの実験運行が難しくなったことについて」 - 東久留米市ホームページ
^ 西東京3・4・9号保谷東村山線の事業に着手します。 2011年9月28日
^ 東村山3・4・11号線(一般都道226号~野火止通り)の車道部(約470メートル)を交通開放します! 2012年6月28日 正午 交通開放
^ 埼玉県議会定例会 2012年2月
^ 東3・4・19号線整備事業の期間延伸などについて説明会を実施します 2012年3月26日
^ 『かんきょう東久留米平成28年度版』東久留米市環境安全部環境政策課 2017年 p.13
^ ダイヤモンド富士 東久留米市
^ イオンモール東久留米
^ イオン東久留米店
^ 経産省/6月の大規模小売店舗、東久留米市にイオン2.8万㎡ - 流通ニュース 2012年8月7日。同10月23日閲覧
^ イオン東久留米ショッピングセンター 基本設計 - UD設計 2012年10月23日閲覧
^ 東久留米市HP「河童のクゥと夏休みガイドマップ(PDFファイル)
^ asahi.com 河童の「クゥ」で街おこし 東京・東久留米
^ 「めぞん一刻」の駅舎お別れ 取り壊しに住民「悲しい」 (朝日新聞、2008年11月14日付)
^ めぞん一刻住民会議「一刻館の思いで 或る愛の物語」1993年ワニブックス
^ 走攻会(SoCo)Profile - 2014年4月20日閲覧
参考文献
- 『東久留米市史』、1979年。
- 『東久留米の近代史』、2012年。
- 『東久留米市文化財資料集(9)』、1983年。
- 『東京都の昼間人口2005』 東京都、2008年。
- 『東久留米の江戸時代』 東久留米市教育委員会、2005年。
関連項目
久留米市 - 福岡県
- 方角地名
外部リンク
- 東久留米市公式サイト
東京都東久留米市 (@higashikurume_p) - Twitter
東久留米市 - Facebook
ウィキメディア・コモンズには、東久留米市に関するカテゴリがあります。
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