国鉄115系電車
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国鉄115系電車 (共通事項) | |
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![]() 信越本線(新津ー古津間)を走行する115系 ( 2014年9月15日) | |
基本情報 | |
運用者 | 日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 東海旅客鉄道 西日本旅客鉄道 しなの鉄道 伊豆急行 |
製造所 | 汽車製造 日本車輌製造 川崎車輛→川崎重工業 近畿車輛 東急車輛製造 日立製作所 |
製造年 | 1963年 - 1983年 |
製造数 | 1,921両 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 | 直流1,500V[1] |
最高運転速度 | 100 km/h[1] |
設計最高速度 | 100 km/h |
起動加速度 | 1.6 km/h/s (1M1T) 2.0 km/h/s (2M1T) |
減速度(常用) | 3.0 km/h/s |
減速度(非常) | 4.0 km/h/s |
全長 | 20,000 mm[2][3][4][5][6] |
全幅 | 2,956 mm[2][9][10][11][12][13][14][15] |
全高 | 4,077 mm |
車体 | 鋼製[1] |
台車 | DT21B形・TR62形[7] |
主電動機 | 直流直巻[1]MT54[8] |
主電動機出力 | 120 kW[1] |
駆動方式 | 中空軸平行カルダン駆動方式 |
歯車比 | 1:4.82 |
制御方式 | 抵抗制御・直並列組合せ・電動カム軸方式 |
制御装置 | CS15形制御器CS15A[8](300番台を除く) |
制動装置 | 発電ブレーキ・抑速ブレーキ併用電磁直通ブレーキ |
保安装置 | ATS-S・ATS-P(一部)・ATS-Ps(一部) |
国鉄115系電車(こくてつ115けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した近郊形直流電車である。
目次
1 概要
1.1 開発の経緯
1.2 製造終了後
2 構造
2.1 車体
2.2 車内設備
2.3 台車・機器
3 形式
3.1 新造形式
3.2 改造形式
4 新造車
4.1 基本番台
4.1.1 モハ114形800番台
4.2 300番台
4.3 1000番台
4.4 2000番台
4.4.1 モハ114形2600番台
4.5 3000番台
5 改造車
5.1 クモハ115形・クモハ114形
5.1.1 500番台(国鉄時代)
5.1.2 1500番台(国鉄・JR東日本)
5.1.3 550番台(JR西日本)
5.1.4 6000・6500番台(JR西日本)
5.1.5 1000番台(JR西日本)
5.1.6 1600番台(JR西日本)
5.1.7 1000・1500番台(JR西日本)
5.2 モハ115・モハ114形
5.2.1 3500番台(JR西日本)
5.2.2 6000番台(JR西日本)
5.3 クハ115形
5.3.1 550番台・650番台(国鉄時代)
5.3.2 600番台(国鉄・JR西日本)
5.3.3 750番台(JR西日本)
5.3.4 1200番台(国鉄・JR東日本)
5.3.5 1400番台(国鉄時代)
5.3.6 1500番台(国鉄・JR東日本)
5.3.7 1600番台(国鉄時代)
5.3.8 2000番台(国鉄時代)
5.3.9 2500・2600番台(JR西日本)
5.4 サハ115形
5.4.1 7000番台(JR西日本)
5.5 5000番台(JR東海)
6 他系列への改造車
6.1 サハ111形300番台
6.2 クハ111形
6.3 クハ401形
7 各種改造工事
7.1 冷房化改造
7.1.1 国鉄
7.1.2 JR東日本
7.1.3 JR東海
7.1.4 JR西日本
7.2 特別保全工事
7.3 高速化改造
7.4 体質改善工事
7.5 車両更新工事(JR東日本)
7.6 ワンマン改造工事(JR東日本)
7.7 ロングシート改造
7.8 前面強化工事
7.9 トイレ追設工事
7.10 リニューアル改造(JR東日本)
7.11 訓練車化改造
7.12 前照灯シールドビーム化改造
7.13 半自動ドアスイッチ設置改造(JR西日本)
8 事故廃車
9 運用の変遷
9.1 国鉄時代
9.1.1 東北本線および高崎線上野口・上越線・日光線・両毛線
9.1.2 中央東線
9.1.3 新潟地区
9.1.4 長野地区
9.1.5 静岡地区
9.1.6 山陽地区(岡山・広島・下関)
9.1.7 特殊な試験運用
9.2 JR東日本
9.2.1 現在の配置車両基地
9.2.1.1 高崎車両センター(髙タカ)
9.2.1.2 長野総合車両センター(長ナノ)
9.2.1.3 新潟車両センター(新ニイ)
9.2.2 過去の配置車両基地
9.2.2.1 豊田車両センター(八トタ)
9.2.2.2 小山車両センター(宮ヤマ)
9.2.2.3 松本車両センター(長モト)
9.2.2.4 長岡車両センター(新ナカ)
9.3 JR東海
9.3.1 静岡車両区(静シス)
9.4 JR西日本
9.4.1 現在の配置車両基地
9.4.1.1 福知山電車区(福󠄁フチ)
9.4.1.2 岡山電車区(岡オカ)
9.4.1.3 下関総合車両所運用検修センター(広セキ)
9.4.2 過去の配置車両基地
9.4.2.1 網干総合車両所(神ホシ)
9.4.2.2 下関総合車両所広島支所(広ヒロ)
9.5 しなの鉄道
9.6 伊豆急行
10 脚注
10.1 注釈
10.2 出典
11 参考文献
11.1 書籍・DVD
11.2 雑誌
12 外部リンク
概要
寒冷地区・急勾配路線での運用を目的にした近郊形車両で1963年(昭和38年)から1983年(昭和58年)まで改良を重ねながら1,921両[注釈 1]が製造された[1]。
開発の経緯
国鉄の新性能電車は、1957年(昭和32年)に製造を開始した101系通勤形電車を祖とし、その後は151系特急形電車・153系急行形電車とともに増備が進められた。また、鹿児島本線・常磐線の交流電化により3扉セミクロス交直流両用となる401・421系が1960年から製造が開始された。しかし、東海道線東京口などでは80系電車や客車など2扉車が使用されており、増加する通勤客に対応できないことから、401・421系と同等の車体構造を持つ111系が製造された[16]。
さらに同時期には山間部路線でも電化が始まり中長距離列車が運行されるようになったが、111系が搭載する出力100kW級のMT46系主電動機では出力不足が如実であり、編成の組成において電動車を多くした高MT比とするか、補助機関車の連結が要求された[16]。しかし電動車を増やす場合、製造・運転・保守ともに高コストとなり不経済であることから、111系をベースに主電動機の出力増強を目的に開発されたのが113系と本系列である[16]。
製造終了後
会社名 | 1987年(昭和62年)の分割民営化時 | 2019年(平成31年)1月末時点 | 残存率 |
---|---|---|---|
JR東日本 |
1,186両 |
24両 |
2.02% |
JR東海 |
99両 |
0両 |
0% |
JR西日本 |
590両 |
315両 |
53.3% |
しなの鉄道 |
- |
62両 |
- |
計 |
1,875両 |
401両 |
21.3% |
1985年(昭和60年)度末時点で新製車1921両・113系への転用改造4両・113系からの編入改造6両の計1,923両が車籍を有していたが、同年には後継となる211系電車が製造開始されたため1986年(昭和61年)から老朽廃車が開始された[17]ほか、汎用性の高さから編成両数を減らして本数を増やすため中間車の先頭車化改造を多数実施した[1]。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には事故廃車2両・老朽化廃車45両・他形式(401系)への改造1両を除いた計1,875両が東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継された[18][19]。
その後は老朽化や後継形式への置換えにより0・300番台車の多くは廃車となった。またJR東日本からしなの鉄道へ33両[20]、伊豆急行へ27両が譲渡された。また、しなの鉄道には2013年3月15日に169系廃車代替分として14両、2015年3月14日に北陸新幹線金沢延伸に伴う第三セクター化用として15両譲渡されている。2019年1月末現在ではJR東日本・JR西日本・しなの鉄道で401両が残存する。
構造
同時期に製造された113系が暖地・平坦地向けであるのに対して、本系列は113系と基本的な部品の共通化をしつつも山間部・寒冷地・急勾配路線での運用を考慮し耐寒耐雪構造・勾配対策が施工された[16]。またローカル線への投入が想定されたためクハ115形2両+モハ115形・114形ユニットで組成される4両編成を最小単位として運用できる構造を採用[8]。1966年にはクモハ115形の製造開始により3両編成での組成も可能となった[21]。本節では主に各区分の共通仕様について記述し、区分ごとに異なる部分は当該節を参照されたい。
車体


横須賀色(クリーム1号・青15号)
111系・113系と同設計となるモノコック構造による鋼製車体で前面中央に貫通扉を装備するほか、153系と同様に第1種縮小限界へ抵触させないため裾絞りとした[2]車体幅は2,900mmである[22]。
側面には片側3か所に開口幅1,100mm[注釈 2]の客用扉を設置しており、ドアエンジンは半自動機能を持ち手動での開扉も可能とした新設計のTK8形を鴨居部分に搭載する[23]。これは寒冷地区で扉の開放を極力抑える目的から装備されたが、気動車で採用した方式と異なり車掌スイッチによって容易に自動・半自動の切替が可能とされた。
側窓は戸袋部分を除いて2段上昇式または上段下降下段上昇式である。開閉方向は製造時期によって異なる。
車体は耐寒耐雪構造であり[23]、屋根上通風器は冬期に冷気や雪の遮断が可能な押込式を採用した[24]。
塗装は黄かん色の地に車体裾と上部に緑2号を配した「湘南色」を標準としたが、中央東線での運用車両はクリーム1号の地に青15号(濃青色)の「横須賀色(通称スカ色)」である。配色は前面下部を斜め(V字形)に塗り分けた113系に対し本系列では貫通扉を除き前面下部を直線状(U字形)に塗り分けた[25]。後にこの2種以外の塗装も採用された[16]。
- 113系の「スカ色」に対して本系列では「山スカ色」とも呼ばれる。
車内設備
座席は他の一般的な国鉄近郊形電車と同様、扉間に対面式固定クロスシート(ボックスシート)[26]を配し、扉周り戸袋部にロングシートを配したいわゆるセミクロスシートである(鉄道車両の座席も参照)[22]。
区分によっては一部の座席配置が異なるほか、クハ115形ではトイレが設置・未設置の差異もあり、設置車両では後位3位側隅部がトイレとなる[2][16]。
車内色は、当時の近郊形で標準的に用いられていた淡緑で、座席モケットは青をベースとした[2]。
台車・機器
※いずれも基本番台製造開始時に搭載された機器を基準に解説を行う。設計変更などによるマイナーチェンジ等は当該番台の項目を参照のこと。
台車は枕バネ・軸バネはいずれもコイルバネとし、ウィングバネ式軸箱支持機構・スウィングリンク式揺れ枕機構を採用する国鉄新性能電車の標準形式となるDT21B形動力台車・TR62形付随台車を装着する[23]。
- TR62形はディスクブレーキを採用[27]。
主電動機は定格出力120kWのMT54形直流直巻電動機を歯数比1:4.82 (17:82) で搭載する[23]。
走行系機器類は113系と同一仕様であるが、M車のモハ115形に搭載される主制御器は勾配区間での運用に対応するためノッチ戻し機構[注釈 3]ならびに抑速ブレーキを装備したCS15A形[29][注釈 4]とした。
- 113系との併結運転は機器類が共通しているため可能であるが、主制御器が異なるためノッチ戻しならびに抑速ブレーキの使用は不可となる[23]。
- ノッチ戻し機構ならびに抑速ブレーキは当初同時期に開発された165系電車のみに搭載される計画だったが、所要両数が多い場合は電磁接触器の装着よりも差動歯車を活用するメリットが大きいことから本系列にも搭載された[2]。
M'車のモハ114形には集電装置として国鉄標準型であるPS16形菱形パンタグラフ[2]、2000L級[注釈 5]空気圧縮機 (CP) を搭載する。
Tc車のクハ115形はMC37形マスター・コントローラー[26]を搭載するほか、偶数(上り)向き・奇数(下り)向き両方への方向転換が可能な両渡り構造を採用した[24]。
形式
本系列は同時期に製造された113系と異なり、すべて普通車のみで製造された。ただし以下の線区で1等車(現・グリーン車)となるサロ115形が計画されたが、いずれも見送られた[30][31]。
- 初期投入対象路線のうち東北本線・高崎線では一部列車に1等車が組込まれていたことから、戸閉機構を全自動式としサロ111形とほぼ同一構造車の新造計画。
- 宮原電車区(現・網干総合車両所宮原支所)のグリーン車組込編成が担当していた宇野線快速運用を1980年(昭和55年)に岡山電車区の本系列へ置換える際に宮原所属のサロ113形[注釈 6]を種車に転用する改造計画。
新造形式
- クモハ115形
- 主制御器・主抵抗器を搭載する制御電動車[32]で、モハ114形とユニットを組む。急行形のMc車とは異なり、主電動機冷却風取入口は、クモハ103形などと同様に前位寄り戸袋窓上部の設置とした。0番台は全車モハ114形800番台とユニットを組む[33]。全車が奇数(東海道本線上で東京)向き。当初に設計された形式ではなく、中央本線投入の際に乗り入れ先となる富士急行線が3両編成までに制限されていたため1966年(昭和41年)から製造された[24]。
- モハ115形
- 主制御器・主抵抗器を搭載する中間電動車[32]で、モハ114形とユニットを組む。後述のモハ114形・クハ115形とともに製造開始時からの形式である。
- モハ114形
電動発電機 (MG) ・空気圧縮機 (CP) などの補助機器ならびにパンタグラフを搭載する中間電動車[32]。クモハ115形またはモハ115形とユニットを組む。
- クハ115形
- 制御付随車[32]。一部番台区分を除き後位3位側隅にトイレを設置する。本系列ではCPをモハ114形に集約したためクハ111形で実施されたCPの有無による番台区分はない。
- サハ115形
- 1966年(昭和41年)に製造開始された中間付随車[32]。基本番台・300番台では後位3位側隅にトイレを設置する[2]。
改造形式
- クモハ114形
- 2両編成を組成するためモハ114形からの改造で登場したMG・CP等の補助機器とパンタグラフを搭載する制御電動車。クモハ115形と同様、前位台車用側主電動機冷却風取入口は前位側戸袋窓上部取付を採用する。
新造車
基本番台
115系基本番台 | |
---|---|
![]() クハ115-1 | |
基本情報 | |
製造年 | 1963年 - 1971年 |
製造数 | 569両 |
主要諸元 | |
車両定員 | ()内は着席。 クモハ115:120(68) モハ115・114:128(76) クハ115:116(64) サハ115:124(72) |
自重 | クモハ115:39.1t モハ115:37.4t モハ114:36.7t クハ115:29.8t サハ115:27.7t |
全高 | 4,140 mm |
車体高 | 3,654 mm |
歯車比 | 17:82=1:4.82[2] |
1963年1月から1971年(昭和45年)にかけて製造された569両[34]のグループで、以下の特徴を持つ。
- 客室窓部はユニット窓ではなく四隅に丸め処理を実施。
- 全車とも当初は冷房装置は搭載せずに落成[34]。
- クモハ・クハ115形の前照灯は大型の白熱灯で、中間組み込み時には助士席側を折りたたみ客室(立席)への転換可能な構造。
- クハ115形は方向転換可能な両渡り構造を採用[24]。
- 空気圧縮機 (CP) はMH80A-C1000形をモハ114形に2基搭載する。これは大容量タイプのC2000形が開発途上であったことに起因するが、後年にC2000形1基への換装を可能とした設計を採用した[35]。
- 広域波動輸送に対応する目的から製造されたモハ114-818 - 831・モハ115-94 - 107・クハ115-193 - 216・サハ115-25 - 30は新製時から横軽対策施工車である。
また増備途上で以下の設計変更も実施された。
- クハ115形では、47- は雨樋を乗務員室扉上まで延長[34]、99- は最前部通風器が大型で落成[7]。
- 昭和40年度民有車の電動車ユニットモハ115・114-83- は、主制御器内部配線改良を実施したCS15B形に、空気圧縮機をMH113A-C2000M形1基搭載に変更[35]。
- 昭和41年度第1次債務車のモハ115-94- は、主制御器を継電器無接点化を実施したCS15C形に変更[36]。
- 昭和43年度本予算車のクハ115-215- ・モハ115-107- ・モハ114-831- は、耐雪性能向上の観点から以下の変更を実施。
- 客室引き戸のステンレス化。
- クロスシート取手の形状変更[34]。
- AW-5形空気笛へ耐雪シャッター設置。
- AW-2[注釈 7]予備笛を追加[7][34][36]。
- 主制御器を応荷重装置準備工事ならびに耐雪構造強化を実施したCS15E形に変更。
- 主電動機を耐寒構造強化を実施したMT54B形に変更[36]。
- 昭和45年度第2次債務車のモハ115-127- は、主制御器を限流・減圧継電器などで無接点化したCS15F形に変更[36]。
1963年3月の宇都宮運転所[注釈 8]を皮切りに、新前橋電車区(現・高崎車両センター)・三鷹電車区(現・三鷹車両センター)・小山電車区(現・小山車両センター)へ新製配置された。
後に新潟・静岡・岡山・下関の各地区にも転出したために分割民営化時にはJR東日本・JR東海・JR西日本に承継。2015年度までに改造車以外は廃車された。
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|
モハ115-1 |
モハ114-1 |
- クモハ115-1 - 17
- モハ115-1 - 135
- モハ114-1 - 121
- クハ115-1 - 228
- サハ115-1 - 37
モハ114形800番台


中:車端低屋根部
下:モハ114-831
狭小断面トンネルが存在する中央本線高尾以西では、レール面からのパンタグラフ折畳高さが4,000mmの制約が設けられていた。したがってモハ114形の4,140mmでは入線が不可能でPS16形パンタグラフの取付部分のみ屋根高さを180mm下げパンタグラフ折畳高さ3,960mmとした「低屋根車」として対応させることになり、801-に番台区分[注釈 9]され汽車製造・日本車輌・川崎車輌で31両が製造された[24]。
低屋根部の室内天井には扇風機の代わりに換気扇(ファンデリア)を、低屋根肩部に外気取入用の風道を設置する[37]。他の仕様は同時期に製造された基本番台と同一だが車重が基本番台車に比較すると0.3t軽い36.4tとなったほか、本区分とMM'ユニットを組成するクモハ115形・モハ115形は基本番台の続番[注釈 10]で製造された。
後に折畳高さの低いPS23形パンタグラフが開発されたために300番台以降では、身延線用2600番台を除き低屋根構造は廃止された。
- 801-817(三鷹電車区新製配置車)
- 1966年製造。クモハ115形とMM'ユニットを組成して中央東線・篠ノ井線で運用された。
- 801・802は1985年に新前橋区に転出。分割民営化時には後述する805 - 817とともにJR東日本に承継。802は1989年に豊田区に、801は1990年に北長野運転所(現・長野総合車両センター)に再転出となるが、1991年にはともに訓練車モヤ114-1・2へ改造された。1995年に2が、2000年に1が廃車され形式消滅した。
- 803・804は1985年に沼津機関区(現・沼津運輸区)へ転出。1986年に静岡運転所(現・静岡車両区)へ再転出となり分割民営化時にはJR東海に承継。803は1989年に、804は1991年に廃車となった。
- 805 - 817は1986年11月に豊田電車区(現・豊田車両センター)に転出。1990年に805が廃車となったものの残りの11両は2000年12月に松本電車区(現・松本車両センター)へ再転出。2001年以降は東北本線(宇都宮線)・高崎線へのE231系投入により捻出された300番台・1000番台の松本区転入により伊豆急行へ譲渡された808・810・812・815・817を除き廃車された。
- 818-831(小山電車区新製配置車)
- 1967年 - 1968年に製造。広域運用が想定される波動輸送対応名義から低屋根のほか横軽対策も併施された。三鷹配置車と異なる点は東北本線・高崎線系統の運用実態に合わせモハ115形とMM'ユニットを組成する。
- 818 - 821・824 - 826・828 - 830は1979年に御殿場線72系電車老朽取換用ならびに後の身延線運用[注釈 11]も考慮した上で沼津機関区へ転出。分割民営化時にはJR東海へ承継。このうち821・824・825は1990年 - 1991年に工程簡素化のため低屋根部分には冷房風道を設置せずファンデリアを残存させた上でC-AU711D形集約分散式冷房装置搭載改造工事を施工され5821・5824・5825に改番した。非冷房車を含め1999年までに全車廃車となった。
- 831は耐雪性能向上の観点からステンレス製客用扉や手掛け形状などの設計変更[34]が実施された唯一の1968年製造車である。上述したグループとともに1979年には沼津転出が行われたが、1986年に岡山電車区へ再転出となりJR西日本へ承継。冷房化改造は未施工のまま1996年に廃車。
- 小山区に残存した822・823・827は全車国鉄時代に冷房改造を施工されJR東日本に承継。822・823は2002年に廃車。豊田車両センター訓練車編成に組成され残存していた827も2014年1月28日に廃車となり区分消滅した[38]。
300番台
115系300番台 | |
---|---|
300番台 横須賀色 | |
基本情報 | |
製造年 | 1973年 - 1977年 |
主要諸元 | |
車両定員 | ()内は着席定員。 クモハ115:118(67) モハ115・114:128(76) クハ115:114(63) サハ115:124(72) |
自重 | クモハ115: 43.0 t モハ115: 41.0 t モハ114: クハ115: 33.1 t サハ115: 31.5 t |
主電動機 | MT54D[39] |
制御装置 | CS15F[39] |
113系1000番台同様のモデルチェンジが実施された区分番台[40]。1973年(昭和48年)から製造開始され小山電車区・新前橋電車区・三鷹電車区に新製配置された。
- 基本番台からの主な変更点
- 当初よりAU75C形集中式冷房装置[39]を搭載し、扇風機を廃止した[3]。
- モハ114形に自車を含め最大4両に給電可能な冷房電源供給用MH135-DM92形・160kVA電動発電機 (MG) と関連機器を搭載した[3]。このため車体中央後位側戸袋窓上部に電動発電機用冷却風取入口を設置した。
- 低圧制御回路引通用ジャンパ連結器をKE58形2基からKE76形3基に変更[注釈 12]。
- KE58・76形は互換性があるため在来車との混結は可能であり、増設された1基は冷房装置ならびに将来搭載される側面電動行先表示器(方向幕)の指令など新たに設置されたサービス機器制御用である。
- 製造工数削減と保守省力化のため客室窓の組付け方法を変更し、別製造・後取付の外バメ式ユニット窓に変更[26]。先行採用されていた急行形車両(上段ラッチ下降式・下段ラッチ上昇式)のものとは異なり、上段引掛け上昇式・下段ラッチ上昇式で、下段も幕板に収納した場合、窓が全開となる。
1972年(昭和47年)に発生した北陸トンネル火災事故の教訓から、長大トンネル走行時の火災対策を強化する目的でA-A基準に対応させるため、座席(表皮と詰め物)や床表面材などを難燃化[3]。- 中央東線狭小断面トンネル対策として折畳み高さが低いPS23形パンタグラフが開発され、モハ114形の低屋根構造が不要となった[9]ため、800番台に相当する番台区分は存在しない[41]。
- PS23形搭載車は車体側面の車号表記の前に◆マークを付記して識別し、車両番号での区分はされない。
- 車体側面後位寄りに電動行先表示器取付準備工事を施工。
横軽対策を新造時から全車に施工。PS23形パンタグラフ搭載車での識別マークは◆●となる。
配線をダクト化[41]。
断路器を屋上に設置[41]。

拡大された乗務員室
ユニット窓に特徴
- クモハ・クハ115形は以下の設計変更も実施。
- 前照灯をシールドビームとし、小型化[3]。
乗務員室運転士側の空間が拡大され、乗務員室扉前に下降窓を新設[3]。- 運転台機器配置を人間工学に基づいたものに変更。
- 助士側仕切戸を固定式に変更するとともに、仕切窓も小型化[3]。
- クハ115形は冷房電源用三相引通用KE9形ジャンパ連結器を搭載したため片渡り構造となり、奇数番号車は奇数向き、偶数番号車は偶数向きに固定された[3]。また、中央東線用三鷹電車区向け製造車では、McM'ユニットと編成を組成させた結果、偶数向きのみ製造となり、445 - 495の奇数番号車は欠番とされた。
本区分番台は1977年(昭和52年)に製造を終了。それ以降は後述の1000番台へ移行した[3]。
- クモハ115-301 - 326
- モハ115-301 - 418
- モハ114-301 - 444
- クハ115-301 - 443・444 - 496(偶数番号車のみ)
- サハ115-301 - 330
1000番台
115系1000番台 | |
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![]() 1000番台 湘南色 | |
基本情報 | |
製造年 | 1977年 - 1982年 |
主要諸元 | |
車両定員 | 括弧内は着席定員 クモハ115:118(62) モハ115:132(68) モハ114:132(68) クハ115 1001 - 1099:112(62) クハ115 1101 - 1141:120(72) クハ115 1142 - :114(65) サハ115:120(72) |
自重 | 左側は冷房準備車 右側は冷房車 クモハ115:43.3/44.0t モハ115:40.8/41.6t モハ114:43.0/43.8 |
上越線・信越本線などの寒冷地ならびに冬期降雪の多い地域での運用を考慮した耐寒耐雪強化構造が施工されたた区分で1977年から1982年(昭和57年)まで製造された。300番台をベースとするが、以下の設計変更・改良が行われた[42]。
- 4人掛クロスシートが狭く評判も悪かったため417系電車と設計思想を統一し、座席幅930→1,040mm、間隔(シートピッチ)1,420→1,490mmとする従来の急行形車両並に拡大を行った「シートピッチ改善車」とした。これにともない側出入口間間隔の寸法と窓配置を変更した[注釈 13][42]。
- 普通列車の冷房化が推進されていた時期にも関わらず長野・新潟地区向け車は、夏期でも酷暑となりにくい気候であること、および当時の国鉄が財政難で経費節減の観点から、冷房装置は搭載しないものの将来の搭載改造の際には工事簡略化ならびに工期短縮化を考慮した「冷房準備工事車」で落成した[42]。
- AU75形集中式冷房装置取付部にふさぎ板を取付。車体天井部にも切欠部を化粧板でネジ止めした[42]。在来車では6基だった扇風機・通風器を7基(モハ114形は6基)に増設。
- 後に全車冷房化されたが、JR化後の施工車両は冷房装置が継承された会社で異なる(詳細は後述)。
- 客室暖房容量向上が実施されたことから冷房準備工事車も新造時から160kVA MGを搭載[43]。
415系0'番台で試行された運転室開戸の膨張性シールゴムを使用した[42]。- 客用扉は戸締機構の改良により半自動時の人力による開閉時負担を低減[42]。
- 極寒冷地での夜間滞泊による水管割損を避けるため485系1000番台で採用された自動給排水装置を搭載[4]。


PS35形シングルアームパンタグラフ搭載車

- 電動車の車体側妻部主電動機冷却風取入口を浸雪対策から廃止。新たに1・4位側車端部に設置されたルーバー[20]から雪切室を介して取り入れる構造に変更[42]。
- 雪切室同時に配電盤などを収めた機器室が対面となる2・3位側車端部設置されたことから、車端部は従来のボックスシート+3人掛けロングシートから5人掛けのロングシートに変更。
- クモハ115形+モハ114形ユニットは松本運転所(現・松本車両センター)・同北松本支所・長岡運転所(現・長岡車両センター)・新前橋電車区・三鷹電車区(1ユニットのみ)に限定新製配置である。
- クハ115形偶数向(クハ115-1001- ・1201- )奇数向(クハ115-1101- )に番号区分され、トイレは偶数向き1001- にのみ設置とし[注釈 14][42]、採光窓も小型化された。
- 後に奇数向き車も1142- ではトイレ設置に設計変更された[10]。
- サハ115形はトイレを廃止[44]。
伯備線電化名目で製造された昭和55年度第2次債務車(クハ115-1233- ・1149 - /モハ115-1107- /モハ114-1191- )からは屋根布がポリウレタン樹脂塗屋根に設計変更された[45]。
- 従来の絶縁屋根布は剥がれた箇所から雨水が入り込み腐食するという問題点があったが、185系電車で試験的に採用されたポリウレタン樹脂を重ね塗りし滑り止めの珪砂を付ける塗屋根方式が効果を示したためである。この方法は車両重量増加やコスト増大を招くが、腐食防止の点で優れていたことから、201系電車などの新形式車や後に行われる特別保全工事車でも採用された[45]。
引き続き伯備線増備目的で製造された昭和56年度第1次債務落成車(クハ115-1236- ・1152- /モハ115-1113- /モハ114-1197- )では、外板腰板部やAU75G形集中式冷房装置キセのステンレス化などさらなる腐食防止対策が施工された[11][45]。
JR東日本・JR西日本では仕様が異なるが、内・外装のリニューアル工事も実施しているが、JR東海では313系3次車への置換えによって後述の2000番台車も含めて全車廃車された。
- クモハ115-1001 - 1084
- モハ115-1001 - 1127
- モハ114-1001 - 1211
- クハ115-1001 - 1099・1201 - 1243・1101 - 1159
- サハ115-1001 - 1028
2000番台
115系2000番台 | |
---|---|
![]() 2000番台広島地区投入車 | |
基本情報 | |
製造年 | 1977年 - 1981年 |
主要諸元 | |
自重 | クモハ115:42.3 モハ115:41.6 モハ114:43.8・42.3(2600番台) クハ115:32.8/34.3(2000番台) 33.4(2101 - 2121) 32.8(2122 - ) |
1977年(昭和52年)から1000番台と並行して80系などの旧形電車置換え目的で製造された番台区分である。山陽本線広島地区に投入されたグループと身延線に投入されたグループに分かれる[5]。1000番台との相違点を以下に示す。
- 温暖地域で使用するため耐寒・耐雪構造は基本番台・300番台並に軽減された[5]。
- 強化型排障器およびスノープロウは全先頭車装備としたが、電動車の「雪切室」は省略[45]。主電動機冷却風は従来通り車体外妻部から採風する方式としたが、切替装置によって客室内からも吸気が可能にされた[5]。
- クハ115形は運転台を鋼体一体化することによって対衝撃強化を図り、偶数向きトイレ設置車を2001- に、奇数向きトイレ省略車を2101- に区分[5][45]。
- 本区分ではサハ115形の製造はない[5]。
- 長野地区での運用を考慮していないため後述の3000番台とともに横軽対策は未施工。
- 広島地区投入車
1977年(昭和52年)から翌年にかけて山陽本線姫路以西に使用するため広島運転所に配置されたグループは、6両編成(TcMM'MM'Tc')×8本・4両編成(TcMM'Tc')×13本の電動車29ユニット58両と制御車42両の計100両が製造された。
- 全車が新造時から冷房装置とクハ115-2001 - 2021は循環汚物処理装置を搭載。
この投入で山陽地区の70系・80系は運用を終了し、新性能化が完了した[5]。
- 設計面では300番台車のシートピッチ改善車と見ることができる[46]。

身延線投入車
- 身延線投入車
1981年(昭和56年)[47]7月には身延線の旧形電車置換え用にクモハ115形+モハ114形が13ユニット26両、クハ115形は3両編成組成用偶数向き車13両 (2022 - 2034) ならびに4両編成組成用奇数向き車8両 (2122 - 2129) の計47両が製造され沼津機関区に配置された。
塗装は甲州ぶどうをイメージしたワインレッド(赤2号)[47]地に富士山の雪をイメージした白(クリーム10号)[48]の粘着塩ビテープ[47]を使用した帯を採用[注釈 15]し、後に国鉄車両の地方色の先駆としても言われるようになった[47]。広島地区投入車との相違点を以下に示す[12]。
- 本グループは3両編成での運用に対応させるため、クモハ115形も製造された[5]。
- 伯備線用1000番台車と同様のポリウレタン樹脂塗屋根で落成[45]。
- 地方線区用であることと当時の国鉄財政事情から冷房装置の搭載は見送られ、1000番台車の一部と同様に冷房準備工事仕様とし、扇風機搭載[47]の上で落成したが[49]、新造時から160 kVA MGを搭載する[47]。
- モハ114形はPS23A形パンタグラフでも対応できない狭小限界トンネルに対応した2601 - の新区分で落成。
- 奇数向制御車にもトイレを設置[注釈 16]。
- 側面行先表示機および循環汚物処理装置は準備工事で落成したが、民営化後に搭載[47]。
- ただしクハ115-2022 - 2030・2034は表示器搭載未施工のまま廃車。

1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には、広島地区の100両がJR西日本に、身延線の39両がJR東海に、新潟地区の8両がJR東日本に承継された。JR西日本では体質改善工事対象車とされ、一部車両に施工済である。
- クモハ115-2001 - 2013
- モハ115-2001 - 2029
- モハ114-2001 - 2029
- クハ115-2001 - 2034・2101 - 2129
モハ114形2600番台
身延線は1941年(昭和16年)に私鉄である富士身延鉄道を買収した経緯からトンネル内の架線高さが低く、レール面からのパンタグラフ折畳高さが中央東線の3,980mmよりさらに低い3,960mmと言う制約があった。このためモハ114形300・1000番台PS23A形取付車の3,983mmでも絶縁距離の確保ができないことから、パンタグラフ搭載部分屋根形状を車体長手方向約2,750mmに渡り20mm切下げて折畳高さをレール面から3,960mmとした番台区分である。それ以外の車内構造は他の2000番台車との差異はない[5]。1981年(昭和56年)に13両が製造され[50]全車沼津機関区に配置。後に静岡運転所(現・静岡車両区)に転出[47]し、JR東海に承継されたが、2007年(平成19年)3月18日ダイヤ改正で定期運用を終了。2008年(平成20年)までに全車廃車となった[12]。
- モハ114-2601 - 2613[47]
3000番台
115系3000番台 | |
---|---|
![]() 3000番台 瀬戸内色 | |
基本情報 | |
製造年 | 1982年 - 1983年 |
製造数 | 66両 |
主要諸元 | |
車両定員 | ()内は着席定員 モハ115・114:124(68)名 クハ115:3000番台 - 96(57)名 3100番台 - 108(61)名 |
自重 | 左側は冷房準備車 右側は冷房車 モハ115:41.3t モハ114:44.3t クハ115:3000番台 - 34.5/35.0t 3100番台 - 32.4/33.1t |
1980年代に国鉄では山陽本線広島地区の列車編成を6両から4両に短縮し、列車運転本数を増やすことでサービス向上を図る「ひろしまシティ電車」の導入方針を打ち出した(1982年11月15日国鉄ダイヤ改正・1984年2月1日国鉄ダイヤ改正も参照のこと)。
また、主に山陽本線広島以西で運用されていた153系電車の老朽化による置換えも計画されていたこと、競合交通機関との対抗策[注釈 17]としてサービス向上も要求されたことから、これらのニーズに対応するため同時に設計変更も実施された。このため新たに設定された番台区分である[40]。1982年(昭和57年)11月ダイヤ改正用に4両編成x6本計24両と上述の編成短縮で捻出されたモハ111・110形を転用した4両編成組成用クハ115形15組30両が製造された。
主要機器類は2000番台車からの踏襲であるが、車体内外を117系電車に近い構造としたため以下の設計変更が実施された。
(現在は消滅)
- 昭和56年度第1次債務車(1000番台)に倣い、外板腰板部やAU75G形集中式冷房装置キセのステンレス化など腐食防止対策を施工[45]。
- 客用扉は両開2扉[6]、側窓は2連タイプとなった[51]。
- 車内は117系電車と同様の転換クロスシートとした。ただしクハ115形のトイレ向かい側のみ形状を揃えた固定クロスシートで車端部および戸袋窓部はロングシートである[6][52]。
- 保守省力化を図ったDM106ブラシレス式MG(容量190 kVA)をモハ114形に搭載[53]。
- 短編成化に伴う1ユニット運転における冗長性確保の観点から、パンタグラフはモハ114形に2基搭載[注釈 18]とし、制御用電源はモハ115形に搭載するバックアップ用SIVから供給される[54][55]。
- 天井は2000番台に準じており、冷房吹出口はラインフロー式を採用する117系とは大きく異なる。また117系で採用された照明灯カバーも省略されたほか、窓のユニット枠も117系では内隅が丸いのに対し、本番台では角ばっているなどの差異がある。
- クハ115形は以下の設計変更が行われた。
- 先頭形状は在来車と同じだが、ガラス支持方法をHゴムから金属押え式に変更[52]。
- 運用線区が広島地区であることから新製当初よりスノープロウは未装備[注釈 19]。
- 下関方偶数向き車(3000番台)にトイレを設置[56]したほか、111系との混結時にモハ110形のCPだけでは容量不足となるためC-1000形CPを搭載[52]。
- 閑散区間・時間帯での車掌業務を考慮し、客用扉の開閉は編成中のどの乗務員室からでも行えるようにした[54]。
- 111系と編成を組成するクハ115形 (3007- /3107- ) は以下の変更も追加。
- 電動車ユニットが非冷房かつ電源用大型MGが搭載されないため冷房準備車として製造。ただし、111系の老朽淘汰に伴う編成変更で冷房車と組成されることを考慮し、天井風道の一部に凹みを設けて扇風機を設置。運転台後部の押込式通風器も大型に代えて一般型にするなどの変更を実施[52]。1983年(昭和58年)から1985年(昭和60年)にかけて本区分のMM'ユニット追加製造車や、冷房改造施工基本番台車[注釈 20]へ組替る際に、全車冷房搭載工事を施工。
- 運転台に111系・本系列の制御回路切替スイッチを搭載し、抑速ブレーキ・客用扉半自動扱いなどに対応[54]。
- 本番台の登場を機に瀬戸内色が誕生し、本系列の車両はすべて瀬戸内色で落成した[57]。
1983年(昭和58年)6月には本系列の最終増備車となるMM'ユニット6組x12両 (モハ115・114-3007 - 3012)が追加製造され、本グループの総数は66両となった。
- モハ115-3001 - 3012
- モハ114-3001 - 3012
- クハ115-3001 - 3021・3101 - 3121
改造車
1983年6月の最終増備まで冷房改造などを除き車種間改造などは施工されなかったが、それ以降多くの改造車が登場している[58]。なお改造車については分割民営化後の会社ごとで解説を行うが、モハ115・114形についてはJR西日本のみの改造である。
クモハ115形・クモハ114形
短編成化ならびに列車増発の観点から改造が施工されたが[59]、以下の制約が課せられた。
- 種車と改造後の配転が広域
- 両数が多いうえに工事期間短縮の要求[58]
- 長期入場が困難[58]
- 種車の余命を考慮して工程簡素化・工事費低減に主眼を置くこと
さらに当時の国鉄の財産事情を考慮して、種車の車端部を切断してあらかじめ製造しておいたユニット運転台を溶接して組立てる工法が採用された[58]。
- 当初は簡略化のため切妻形状も検討されたが、上述工法では工程短縮に結びつかないことや既存の図面が流用できることから、運転取扱上の便宜を考慮して従来からの形状を採用した[58]。また、同様の改造は分割民営化後も継続した[53]。
500番台(国鉄時代)
基本番台にあらかじめ工場で製造されたクモハ115形1000番台に準じた運転台を接合し先頭車化したグループである。なお、改造の経緯から2つのグループに分類できる。
- クモハ115形+クモハ114形(2両編成ユニット)

クモハ115・クモハ114-501
- 1983年 - 1984年に越後線・弥彦線の電化開業用に改造されたグループ[60]。当時の国鉄財政は極度に逼迫しており両線の電化開業用に車両を新製する費用軽減策として、岡山・広島の両鉄道管理局管内で運用されていた本系列を短編成化し、捻出されたモハ115形前位・モハ114形後位に300番台以降と同様の運転台取付・耐寒耐雪装備等の改造を施工した[60]。
新設運転台ブロックは完成品を購入、または購入し工場で機器類取付け行う2種類があった。[要出典]
- 0番台と1000・2000番台グループでは運転台構造が異なるが、本改造では後者が採用された。また同時にトイレ設置や方向転換なども施工された[58]。
- 落成直後は溶接部が折れるのではないかといった懸念もあったが、現在に至るまでそのような事故はない[58]。
- モハ115-84・87 - 89・127・129・134 → クモハ115-501 - 507
- モハ114-84・87 - 89・113・115・120 → クモハ114-501 - 507
- クモハ115形単独改造グループ
クモハ115-520
御殿場線で運用されていた4両編成 (TcMM'Tc') が3両編成 (McM'Tc') に短縮されるため改造されたグループである[53]。
- モハ115-29・86・94 - 97・100 - 102・104 - 107 → クモハ115-508 - 520
- 本グループは経歴から細分化すると2グループに分類される。
- 508・509:岡山配置時の1983年12月に後藤工場(現・後藤総合車両所)で改造され1984年1月に沼津機関区へ転入。後述のクハ115形600番台と編成を組成された。
- 510 - 520:1979年に小山電車区から沼津機関区へ転入したモハ114形800番台とユニットを組成していた車両が種車である[注釈 21]。
- 本グループの落成により身延線で運用されていた62形が置換えられたが、岡山から転入改造の508・509はユニットを組成するモハ114形がPS16形パンタグラフ搭載の0番台のため西富士宮以北に入線不可の制約が発生しており、以下の転配が実施された。
- 508・509:1985年に三鷹電車区からクモハ115形+モハ114形800番台ユニット2本を転入させ、玉突きで前橋電車区へ再転出。
:さらに1986年には509・520が岡山へ、1987年には511・517・519が飯田線用として豊橋機関区(現・豊橋運輸区)へ転出。1987年の国鉄分割民営化以降は、以下の経緯となった。
- JR東海承継車 (510 - 519)
- 513 - 515はC-AU711D形集約分散式冷房装置で冷房化され5513 - 5515へ改番。非冷房車は211系の投入により1989年から1990年にかけて、冷房改造車は1999年に廃車。
- JR西日本承継車(509・520)
- 非冷房のまま1996年に廃車。
- JR東日本承継車 (501 - 508)
- 新前橋配置の508は1993年に廃車。
- 新潟配置のクモハ115+クモハ114形ユニットはすべてインバータ制御のAU712形集約分散式2基搭載で冷房化を実施したほか、以下の改造を施工。
- 501・503・504:1988年にワンマン運転対応改造を施工しほぼ弥彦線専用として運用。2015年7月15日付で廃車され廃区分番台[61]。
- 502:車両更新施工。2014年11月廃車。
- 506:2000年に訓練車へ転用されクモヤ115-1+クモヤ114-1に改番。2016年6月に廃車[62]。
- 507:2014年7月に廃車。
1500番台(国鉄・JR東日本)
クモハ115-1566
モハ115形1000番台・モハ114形1000番台へ新造車に準じた運転台ユニットを接合し先頭車化したグループ。1983年 - 1986年の国鉄時代に施工された車両は投入地区の相違により、以下の3グループに分類できる。
- 伯備線・山陽本線岡山地区短編成化名義:岡山電車区配置
- クモハ115-1501 - 1518・1536 - 1551
- 施工は後藤・鷹取の両工場が担当。
大糸線短編成化名義:松本運転所配置
- クモハ115-1520 - 1529
- 施工は長野工場が担当。
- 新潟地区短編成化名義:長岡運転所配置
- クモハ115-1519・1530 - 1535
- 施工は新津車両管理所が担当。1530 - 1535はユニットを組成するモハ114形もクモハ114-1501 - 1506へ同時改造。
このうち松本配置車は1986年に以下の3車両基地へ転出が実施された[63][64]。
- 1521・1522・1527 - 1529:長野運転所
- 1520・1524 - 1526:神領電車区
- 1523:静岡運転所
この結果、分割民営化時には岡山配置の36両がJR西日本に、長野配置5両・長岡配置13両[注釈 22]の計18両がJR東日本に、神領配置4両・静岡配置1両の計5両がJR東海に承継された。
1987年以降もJR東日本は1992年までにクモハ115-1552 - 1566・クモハ114-1507 - 1520の追加改造を新津・長野で施工した。
- この結果モハ115形1000番台は全127両中66両が先頭化改造されたことになり、JR西日本が改造した1600番台4両を含めると70両となる。
本区分番台では床下機器が輻輳しているため一部の機器搭載に関して以下の変更点がある。
- JR東日本所属車でクモハ114形とユニットを組成する車両では、トイレをクモハ114形に設置し水タンクも室内設置とする。
- JR西日本岡山電車区所属のATS-P搭載車[注釈 23]は、運転台直後の前部客用扉ロングシートを撤去して、車掌台側後部に床置搭載する。
なおクモハ114形1500番台は、しなの鉄道譲渡車を除き2016年8月までに全車廃車となった。
- モハ114-1085・1074・1060・1063・1084・1110・1016・1050・1049・1009・1181・1182・1179・1054・1066・1079・1088・1136・1056・1069 → クモハ114-1501 - 1520
- モハ115-1033・1035・1037・1039・1041・1043・1047・1054・1056・1060・1085・1087・1089・1092・1101・1106・1110・1112・1016・1096 - 1099・1003・1005・1010・1012 - 1014・1026・1021・1017・1018・1025・1048・1045・1052・1062・1064・1090・1091・1094・1107・1108・1116 - 1118・1120・1122 - 1124・1040・1049・1095・1008・1019・1022・1027・1072・1015・1020・1001・1073・1125・1126・1009 → クモハ115-1501 - 1566
550番台(JR西日本)
クモハ115・114-551
JR移行後の1988・1989年にJR西日本でモハ115・114形を先頭車化改造したグループで、4ユニット8両が改造された[65]。前頭部分は廃車車両から流用したため原形の白熱前照灯が残る編成も存在したが[66]、2006年に全車ともシールドビーム化改造が施工された。
当初は湘南色で非冷房だったが、後に全車冷房化改造も施工された。
- 1988年に改造された2編成は1991年に、1989年に改造された2編成は改造当初からバス用冷房装置で改造された。当初はパワーユニットとコンデンシングユニットを車端機器室に搭載したが、1991年改造車では屋根上に移設され、1989年改造車も後に屋根上に移設された。
座席はバケットシート交換によりシートピッチが拡大された。そのため戸袋窓部分のロングシートは設置されず座席定員は減少する。側面行先表示器の設置準備工事を同時に施工しているが、他社の2両編成と異なりクモハ115・114形とも前位側に設置とした。
8両全車が下関車両管理室(現・下関総合車両所)に所属し、山陽本線の岩国 - 下関間で運用されていた。しかし、2008年時点で使用年数が最も長い本系列編成であることから老朽化が進んでおり、WAU202形冷房装置の効きが悪く故障も多い、トイレが未設置などの問題もあったため、223系5500番台置換えで捻出された後述の6000・6500番台が代替車となり、同年12月2日にT-01編成(クモハ115-551+クモハ114-551)が下関車両センターに回送された[67]。さらに3編成が2008年度内に廃車され、残ったT-04編成(クモハ115-554+クモハ114-554)も2010年1月8日に廃車され、廃区分番台となった[65]。
- モハ115・114-13・21・27・77 → クモハ115・114-551 - 554
6000・6500番台(JR西日本)


車内(下)
舞鶴線の電化開業に伴いクモハ115形+モハ114形1000番台ユニットを種車に、モハ114形の先頭車化改造により2両編成とされた番台区分である[13]。
工事期間の短縮と簡素化の観点から新設運転台は既存の先頭車と同一の形状とすることを止め、窓や灯具の配置を踏襲しつつ種車の構体を活用した切妻形状とされたのが特徴で[13]、クモヤ145形などに近い外観となった。また廃車発生品の流用などで工事費の低減も図られた[13]。
岡山電車区所属車から転用の2組は改造時に後述のブレーキ装置の高速化改造を受けて原番号+5000の区分[14]。網干電車区(現・網干総合車両所)所属のブレーキ装置のてこ比改良車が種車の3組は車両番号下4ケタが引き継がれた6500番台の区分とした。
クモハ115形には真空式和式トイレ設置、クモハ114形には霜取りパンタを搭載して2パンタ化改造が施工された[14]。体質改善40Nおよびワンマン運転対応化工事も施工されたが[14]、通常の体質改善40N車と異なり座席構造は従来のセミクロスシートのまま(これは共通運用の113系にも共通する)で車内スピーカーも更新されず原型のままである[13]。
ワンマン運転対応化工事改造の内容を以下に示す。
- 運賃箱設置・EBの取付[14]
- 運用効率化のため嵯峨野線用113系と同様の自動解結装置を取付け[14]
- 側引戸を電気指令化[14]
1999年(平成11年)に5本10両が改造された。「R編成」と命名されたが、既に福知山電車区に配置されていた113系5300・5800番台の2両編成(S編成)と共通で運用された。
2008年8月の223系投入で経年の若い本車は他線区へ転属となり、同年11月にR4編成(クモハ115-6538+クモハ114-6625)・R5編成(クモハ115-6539+クモハ114-6627)の2本が下関車両管理室へ転出。12月11日に旧R4編成はT-13編成となり営業運転を開始した。さらに2008年度内に4本が転属し、自動解結装置を撤去して車両番号が-5000となる改番が実施された[67][68]。
- モハ114-1106・1123・6621・6625・6627 → クモハ114-6106・6123・6621・6625・6627
1000番台(JR西日本)

 車内(下)](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ac/115%E7%B3%BB1000%E7%95%AA%E5%8F%B0%E8%BB%8A%E5%86%85.jpg/200px-115%E7%B3%BB1000%E7%95%AA%E5%8F%B0%E8%BB%8A%E5%86%85.jpg)
現在は全編成黄1号に塗替済[14](上)
車内(下)
2001年7月のダイヤ改正より伯備線・山陰本線の新見 - 西出雲間でワンマン運転が開始された。これに伴い岡山電車区配置3両編成の一部を2両編成に短縮するため、上述の6000・6500番台と同様にモハ114形1000番台へ運転台設置[69]・2両編成化・ワンマン運転対応を施工した区分である。2001年に吹田工場・後藤総合車両所・下関車両センターで8本8両が改造された[70]。
併結運転時の貫通路使用を取り止めを前提としたため正面貫通路の廃止[15]・運転台は先頭部ユニットの接合であり[70]、運転台機器は同時期に廃車されたクハ115の廃車発生品の再用[15]であるなど改造工数低減が実施されたほか[71]、窓や灯具の配置も異なっており103系低運転台車体質改善40Nに近い形状になっているのが特徴である[72]。またワンマン運転実施のため運賃箱や運賃表示機などを設置し、その際の視認性向上のため運転室前に小窓を新設[73]。雪切室を廃止し主電動機冷却風の取入れ方法が運転室下からの吸気に変更[70]。6000・6500番台とともに前面窓に後退角は付いていない。
6000・6500番台と同等の体質改善40N・側引戸電気指令化も同時施工されたが[14]、高速化改造ならびに転換クロスシート交換は未施工。このため車内は座席定員58・総定員138のセミクロスシートとしたほかトイレはクモハ115形に設置。パンタグラフは1196のみ1基搭載であるが、1編成での運転や冬期運行条件等を考慮し霜取り用と集電用の2機を搭載する[74]。塗装は当初京阪神更新色とされたが、後に全車濃黄色へ変更。
2017年現在も全車岡山電車区G編成[73]で赤穂線播州赤穂 - 東岡山間・山陽本線瀬戸 - 倉敷間・伯備線・山陰本線伯耆大山 - 西出雲間で運用される[70]。車両番号はモハ114形から変更されていない[15]。
- モハ114-1098・1102・1117・1118・1173・1178・1194・1196 → クモハ114同番号[70]
1600番台(JR西日本)


車内(下)
2004年(平成16年)に岡山電車区の運用は、輸送力見直しのため4両編成が3両編成に変更された[75]。これに伴い3両のD編成が増加したため、4両のA編成に組成されていたモハ115形に運転台を設置し対応させることになり[76]、2004年に後藤総合車両所で4両が改造され発生した区分である。番号は原番号(6500番台は新製時の番号[77])に600を加えたものとなった[75]。
前面形状は再び貫通扉付きのものとなったが[75]、運転台位置は上述1000番台と同じくやや低めで運転台仕切窓を従来より拡大。このため同時期に登場した103系3550番台に類似した形状となった。運転台機器は下関所属で老朽化余剰廃車となったクハ115形初期車からの発生品を流用し、ブロックごとにユニット化するなどコスト低減が図られた。このため運転室の仕切り壁は上側が切れている。また雪切室を廃止したため、主電動機の冷却風取り入れ口は運転室の下にある。なおワンマン運転に対応させるためと自動放送装置が取り付けられた[75]。このため機器類を収める箱が設置され運転室後部の窓が埋められたが、ワンマン運転は行われていない[78]。全車30N体質改善工事が同時施工されており、座席も通常の体質改善車と同じ転換クロスシートに交換された[15]ため座席定員48・総定員124となった[77]。なおトイレは編成にクハ115形が組み込まれるために未設置である。
塗装は当初京阪神更新色とされたが、2012年までに[77]全車濃黄色へ変更された[75]。
- モハ115-6553・1059・1063・1111 → クモハ115-1653・1659・1663・1711[75]
1000・1500番台(JR西日本)
223系5500番台の導入に伴い福知山地区で115系6000・6500番台が余剰となり、下関地区転用の際に高速化解除されて発生した番台区分。2008年 - 2009年に吹田工場と下関車両センターで4両が改造された。種車が先頭車改造される前にてこ比が変更された車両が1500番台、変更されなかった車両が1000番台である。また高速化解除とともに自動解結装置が撤去され、ワンマン設備も使用停止となったため出入口表示器を不使用とした。下関総合車両所に配置され岩国 - 下関間で主に運用される[79]。塗装は転属後しばらくは京阪神更新色だったが、2012年に濃黄色に塗り替えられた[80]。なお1106には福知山に配置されていたモハ114時代に装着された霜取用パンタグラフが残存する[81]。
- クモハ114-6106・6621・6625・6627 → クモハ114-1106・1621・1625・1627[79]
モハ115・モハ114形
3500番台(JR西日本)



ジャンパ栓周辺
1991年(平成3年)に221系増備に伴い117系はJR京都線・JR神戸線での新快速運用が縮小された。これにより一部編成は6両から4両に短縮し、山陽本線岡山地区の快速「サンライナー」や福知山線(JR宝塚線)・奈良線へ転用し、余剰となった中間電動車ユニットを山陽地区に残存した非冷房車置換え名義で本系列に編入改造した番台区分である[72]。
当初11ユニット22両が、2001年(平成13年)には3ユニット6両が改造され、2007年現在14ユニット28両に施工された[72]。7ユニットが下関総合車両所の3000番台クハと、残る7ユニットは岡山電車区の3扉クハと編成を組成する[66]。
本系列と117系は補助電源電圧が異なり、ジャンパ連結器も本系列のKE76形3本に対して117系はKE96形1本であるなど互換性がない。このため、M'車からのサービス電源供給にはクハ115形に降圧装置を取り付け、ならびに車端部ツナギを改造したうえで、KE76形とKE96形を直接接続可能な特殊引き通し線を装備する[66][82]。
- 連結相手側の車両が非冷房車の場合に余ったジャンパケーブルを格納するため、KE76形用のジャンパ栓受も取り付けられた。したがって引き通し線は変更されておらず、制御回路は117系と同一である。
- 元々CS15形とCS43形の制御回路に互換性があったため可能となった改造だが、1961年(昭和36年)設計のCS15形と1979年(昭和54年)設計のCS43形ではマスター・コントローラー操作に対する応答速度に差があり、MM'ユニットに本区分番台とそれ以外の本系列を併結した場合、起動時にいわゆる「ドン突き衝動」が発生しやすい[注釈 24][83]。
種車の関係で本区分のみパンタグラフはモハ115形に搭載される。側面行先表示器は本系列とは互換性がないため岡山電車区所属車は改造時点では使用停止とされ、広島運転所所属車は本系列用に交換。いずれも行先標受けが設置された。なお、車内側のドアはもともと白系の化粧板が張られていたが、体質改善工事施工時に本系列に合わせたステンレス無地に変更された。
- 岡山所属車は後にLED方式の表示器に交換し、扉間のクロスシートは4列分のみ残して117系300番台と同様にロングシート化された[66]。
2006年(平成18年)より30N体質改善工事を開始し2009年(平成21年)度に全車施工が完了した。この工事で117系時代の名残である新鮮外気導入装置は撤去され、外見上は3000番台とほぼ同一になった。内装面では、座席配置・フラット天井・冷房吹出口形状・照明灯カバーがいずれも種車のままであり、特に天井を見れば判別は容易である。
- モハ117・116-17・21・23・25・27・29・31・33・35・37・39・303・315・316 → モハ115・114-3501 - 3514
6000番台(JR西日本)
京阪神快速用に電動車ユニットの最高速度を110km/hとしたものである[65]。
クハ115形
クハ115形の改造車は方向転換改造車を除き500番台(偶数向の車両は600番台)とし、種車が1000番台の場合は1500・1600番台に区分される。これはクハ111形からの改造車も同一である。また同じ運転台取付車両でもモハ115・114形を電装解除してクハ115形化した車両は550番台・650番台に区分され種車の判別が容易である。これは台車が付随車用のTR62形台車でなく電動車用のDT21形台車を付随車用に改造したDT21T形を装着しているのを車両番号で判別できるようにしたためである。
550番台・650番台(国鉄時代)

1983年に、越後線・弥彦線電化開業用ならびに山陽本線広島地区短編成化頻発運転用としてモハ115形・モハ114形基本番台を電装解除し、500番台と同様の運転台を取付けてクハ115形に改造されたグループ。550番台が奇数向き、650番台が偶数向き先頭車である[58]。
550番台も650番台も奇数(上り)向きで種車の前位に運転台を取付け、550番台は偶数(下り)向きに方向転換させ[72]、3位側隅にトイレを設置した[58]。基本的に550番台はモハ115形からの、650番台はモハ114形からの改造であるが[84]、552のみモハ114形からの改造で屋根上のパンタグラフ部の歩み板が残存する。
550番台では551 - 553は新潟地区用で耐寒耐雪装備を追加。554 - 556と650番台の全車は広島地区用で暖地向けである。1987年の国鉄分割民営化では、新潟地区用の550番台3両がJR東日本に、広島地区用の550番台3両と650番台4両がJR西日本に承継された。
JR東日本承継車はAU712形集約分散型冷房装置による冷房化を施工。新潟車両センターに所属し信越本線・白新線・越後線・弥彦線で運用されていた。551は2014年7月に、552は同年12月に、553は2015年8月20日にいずれも廃車となり、550番台は全廃された。
JR西日本承継車は、554・556・652・654が国鉄時代の1985年にAU13E形分散式冷房装置を6基搭載する冷房化改造を施工され[84]、1987年に651・653が試作のWAU101形を3基搭載して冷房化されたが、555は非冷房のまま1992年に廃車された。その後、2001年に651・653、2004年に554、2013年に556・652・654が廃車され、650番台は全廃された。
- モハ115・114-67・モハ115-69・15・18・91 → クハ115-551 - 556
- モハ114-69・15・18・91 → クハ115-651 - 654
600番台(国鉄・JR西日本)
600番台は種車の違いから以下の2グループに分類される。

張上式屋根・原形側窓変型車
- クハ111形改造車
1983年に岡山地区短編成化用として偶数(下り)向き限定でクハ111形300番台6両へ以下の改造が施工された[58]。
主幹制御器交換- 客用扉半自動化対応の戸閉装置へ交換
その一方で種車のグローブ型通風器[84]は残存させたほか床下の空気圧縮機は使用停止措置とした。
国鉄分割民営化時には全車がJR西日本に承継。604・605にはWAU102形3基による冷房改造が施工されたほか、605にはベンチレーターやタイフォンへのカバーが装着された[85]。
1994年には冷房改造済みの3両が追加改造され、サハ115形改造グループの続番となる620 - 622が付番された。
1996年に603・606、1997年に602、1999年に601、2002年に620・621、2012年に604・605・622が廃車され本グループは消滅。
- クハ111-365・373・379・380・381・397 → クハ115-601 - 606
- クハ111-5415・5431・5436 → クハ115-620 - 622
- サハ115形改造車
1983年に山陽本線広島地区では編成短縮により運転本数を増加させるダイヤ改正が実施された。これに対応するため中央東線で運用されていた本系列は8両から6両へ編成を短縮。サハ115形基本番台を捻出し、方向転換と偶数(下り)向きに1000番台に準じた運転台設置改造を施工したのが本グループである[58]。
後に広島地区のみならず高崎地区・新潟地区・松本地区・静岡地区用にも追加投入され1985年までに13両が改造された。車両番号はクハ111形改造車の追番となる607 - 619が付番された。
当初の配置を以下に示す。
- 607 - 609:広島
- 610:新前橋
- 611・612:沼津
- 613:新潟
- 614 - 619:松本
沼津配置車は1985年3月に新前橋へ転出。さらに612は1986年11月にクハ401-901へ再改造。松本配置車は国鉄分割民営化により中央西線中津川以北がJR東海の管轄になることから1986年11月に神領へ転出。国鉄分割民営化時には以下に継承。
- 607 - 609:JR西日本
- 610・611・613:JR東日本
- 614 - 619:JR東海
JR西日本継承車は、607・608が国鉄時代の1984年および1985年に本系列では初のAU75形集中式冷房装置によらない冷房化改造を施工しAU13E形分散式冷房装置を搭載した。
- 607は149と同様に4基搭載とした試作的要素の強い異端車[注釈 25]。対して608は6基搭載する。
- 609は後にWAU101形集約分散式3基によって冷房化された。
このため3両が異なった形態となった。2002年に609、2012年に607が廃車となり、更に最後に残った608も2018年11月に運用離脱、廃車となり、廃番台区分となった。
JR東日本承継車は以下の経歴を変遷した。2015年8月までにいずれも廃車された。
- 610:小山に転出しAU75形集中式により冷房化改造され、同区の7両基本編成に組成されて東北本線などで運用され2001年に廃車。
- 611:非冷房のまま1990年(平成2年)に長野に転出し訓練車のクモハ115-1+モヤ114-1(元モハ114-801)ユニットと組成されたが2002年に廃車。
- 613:インバータ制御AU712形集約分散式2基によって冷房化。2015年8月25日に廃車[61]。
JR東海承継車は1000番台と編成組成されC-AU711A形集約分散式2基によって冷房化された。1988年に中央西線中津川以北の運用が165系電車に置換えられたことから静岡に転出し、全車が飯田線 - 篠ノ井線系統の運用に充当したが、1999年に2両を残して東海道本線系統に転用された。313系3次車への置換えで2007年4月に617が廃車されJR東海からは消滅した[66]。
- サハ115-6 - 8・1 - 4・9・13 - 16 → クハ115-607 - 619
750番台(JR西日本)
クハ115-759
老朽化したクハ115形初期形車置換えを目的にクハ111形750番台へMC54A形主幹制御器を本系列用MC53形へ交換・ブレーキ弁のカム構造変更・ジャンパ連結器交換の編入改造を2013年に施工した区分。759の1両が下関総合車両所運用検修センターに所属[86]していたが、227系の導入により、2015年3月に廃車され廃区分番台となった。
- クハ111-759 → クハ115-759[86]
1200番台(国鉄・JR東日本)
1984年にトイレ付奇数向きのクハ115-1148へ施工した偶数向き方向転換と改番である。分割民営化後にJR東日本が1991年と1992年に5両へ同様の工事を施工した。JR東日本にて施工された5両は2016年9月までに廃車されている。
- クハ115-1148・1142・1159・1144・1143・1158 → クハ115-1244 - 1249
1400番台(国鉄時代)
クハ115-1403
1986年に岡山配置の6両編成を短編成化する際に偶数向きのクハ115形が不足したことから、奇数向きのクハ115形1100番台車を偶数向きに方向転換を実施し、同時に1400番台への改番も実施した[46]。
同様な方向転換は、1984年にクハ115-1148→1244の事例があるほか、分割民営化後にJR西日本でも同様の方向転換改造が施工されているが、国鉄時代と異なり車番変更は実施されていない[71]。
- クハ115-1145・1149・1154・1156・1157 → クハ115-1401 - 1405
1500番台(国鉄・JR東日本)
クハ115-1503
国鉄時代の1983年からサハ115形1000番台を改造した番台区分。偶数向き[72]。種車の関係でトイレは未設置。1983年・84年に新津車両管理所(現・総合車両製作所新津事業所)で1501 - 1504の4両が、民営化後の1989年から1992年までに1505 - 1513の9両が改造された[87]。最後まで残存した新潟車両センター所属の1501・1504が[88][89][90]2016年4月22日付で廃車され[91]、廃区分番台となった。
- サハ115-1012・1014・1011・1013・1015・1017・1020・1026・1005・1018・1001・1027・1028 → クハ115-1501 - 1513[87]
1600番台(国鉄時代)

クハ115-1601
独特な窓配置とトイレ設置部
前述の1500番台と同じく1983年に登場したサハ115形1000番台からの改造車であるが、1500番台と異なり奇数向き[72]固定使用とトイレ設置による独特の窓配置が特徴である。1601の1両が新潟車両センターに在籍[89][90]したが、2016年8月18日に廃車された[62]。
- サハ115-1009 → クハ115-1601[90]
2000番台(国鉄時代)
1983年に越後線・弥彦線電化開業用として身延線用2000番台奇数向制御車に施工した偶数向に方向転換改造である。車両番号は既存番号の続番とされた。2016年12月18日までに廃車された[92]。
- クハ115-2122・2125・2127・2126・2128・2123・2124 → 2035 - 2041
2500・2600番台(JR西日本)
クハ115-2620
2012年度にクハ111形2000番台へ750番台[93]とほぼ同様に主幹制御器などの交換を施工したグループであるが[94]、相違点として運転台に抑速ブレーキ表示灯を設置する[93]。
車番はクハ111形+500としたが、クハ111形時代に電気連結器取付工事を実施後に撤去した2500・2600番台は元車番に復帰させ+500とした[93]。
- 2500番台(下り向車)
- クハ111-2016・2017・2020・2606・2613→クハ115-2516・2517・2520・2515・2539[93]
- 2600番台(上り向車)
- クハ111-2116・2120・2142・2513→クハ115-2616・2620・2642・2645[93]
サハ115形
7000番台(JR西日本)
サハ115-7002
1994年(平成6年)に岡山地区の輸送改善のためサハ111形7000番台2両へ客用扉を半自動対応のTK8A形に交換するなどの改造を施工した区分である。1999年(平成11年)までに全車廃車となった[95][96]。
- サハ111-7023・7024 → サハ115-7001・7002[96]
5000番台(JR東海)
C-AU711D形集約分散式冷房装置の搭載・クハ115形に冷房専用電源SCV(静止型コンバータ)の搭載・客扉のステンレス化・化粧板の交換などの改造施工をした車両にされた番台区分で現番号+5000[97]、SCV搭載クハ115形は+6000とされた。
- ただしモハ114形の制御電源用MGは存置。
老朽化により1999年までに全車廃車。
- クモハ115-513 - 515 → クモハ115-5513 - 5515
- モハ114-821・824・825 → モハ114-5821・5824・5825
- クハ115-116・156・200 → クハ115-6116・6156・6200
他系列への改造車
サハ111形300番台
房総各線で運用している113系6両編成の一部を4両編成とするにあたりサハ代用で組込まれていたクハ111形を捻出するために、サハ115形300番台4両を1984年と1985年に編入改造を施工した[18][98]。
- サハ115-308・310 - 312 → サハ111-301 - 304
クハ111形
前項同様に房総各線で運用している113系6両編成の一部を4両編成とするにあたり、余剰となっていたクハ115形基本番台を1988年に編入改造した。種車はすべて非冷房車で基本番台・300番台ともに従来車の続番とされた。1993年までに全車廃車[99]。
- クハ115-65・80・158・176・67 → クハ111-271 - 275
- クハ115-47・66・157・179・68 → クハ111-570 - 574(CP取付)
クハ401形
常磐線の編成組み替えなどで先頭車が不足したため、1986年に1両のみ改造。詳細は国鉄415系電車#クハ401-901→101を参照のこと[18]。
- クハ115-612 → クハ401-901 → クハ401-101
各種改造工事
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冷房化改造
新製車に合わせて国鉄時代に施工された改造工事はAU75形集中式冷房装置の搭載を前提としていたが、分割民営化後のJR東日本・JR東海の両社では経費削減の観点から独自の集約分散式を搭載する改造も施工された。
国鉄

クハ115-207
冷房改造車
非冷房で落成した基本番台は、300番台・113系0'番台が新製冷房車して落成したためサービス標準化の観点から以下に示す冷房化改造が施工された[100]。
- AU75形集中式冷房装置を屋根上に搭載[注釈 26]
- 国鉄末期には広島地区クハ115形改造車の一部で廃車発生品のAU13形分散式冷房装置4基もしくは6基を搭載する工事を施工[100]
- 国鉄末期には広島地区クハ115形改造車の一部で廃車発生品のAU13形分散式冷房装置4基もしくは6基を搭載する工事を施工[100]
- 冷房装置搭載のため構体を補強[100]
- モハ114形のMGを自車を含め最大4両に給電可能な冷房電源供給用MH135-DM92形・160kVA電動発電機に換装[100]
- 側面後位寄りには電動行先表示器の準備工事(後年に搭載)
- クハ115形は冷房電源用三相引き通しを追加したため片渡り構造に変更[100]
- 制御回路用ジャンパ連結器をKE58形2基からKE76形3基に変更
冷房化改造を受けた車両は基本的には奇数番号車は奇数向き、偶数番号車は偶数向きに改造されたが、一部車両については方向転換も実施された。また1980年度以降には1000番台以降の冷房準備車にも取付工事が開始された。
- 特に3000番台は1984年に全車両が冷房化され、同区分番台の準備工事車は2年で工事完了となった。
冷房設置に伴い補助電源装置も従来のMGに代わりSIVや静止形コンバータ (SCV) が適用された[100]。
JR東日本
AU712形集約分散式冷房装置
SC24形補助電源装置
搭載冷房改造車
(画像は伊豆急行譲渡後)
非冷房車は冷房搭載を前提とした設計をしていないため、構体の補強および電源用三相交流引き通し増設の工事が伴い、多額の費用と時間を要していた[100]。
そのためJR化後は非冷房車の冷房改造は以下の仕様に変更となった。
- 冷房装置を重量分散化で補強を不要とするAU712形集約分散式冷房装置に変更[100]
- 室内の左右に冷気用ダクトを2本設置し冷房効率化の観点から一部の扇風機を残存
- 電源は当初はモハ114形のMG換装で対応していたが、途中から工期・費用をさらに削減するためSC24形補助電源装置 (SIV) を屋根上搭載とした[100]
- 対象車は豊田電車区・小山電車区・上沼垂運転区(現・新潟車両センター)所属の基本番台・800番台
冷房準備車ではAU75C形の後継機種となるAU75F形を搭載[101]するのが基本であるが、上沼垂所属のクハ115-1502・1503・2035・2037・2039・2040・2129は編成を組成する電動車ユニットが非冷房車であったために以下に示す例外的措置で改造施工された。
- AU712形集約分散式を搭載するためAU75形用塞ぎ板を一旦外した後に天井を再改造する複雑な工程。
ランボードを残存させているが、1981年以降の製造車は201系で採用された物と同タイプを装備する[101]。
改造車のその後の経過を以下に示す。
- 豊田所属車
2000年12月の松本電車区転属後に小山区からの転入車に置換され、一部は伊豆急行200系となったが、既に全車廃車。
- 小山所属車
E231系への置換えで全車廃車。
- 上沼垂所属車
- 2015年12月までに全車廃車。
JR東海

クハ115-2031
C-AU711A形冷房改造車
1988年ごろからインバータ方式のC-AU711形集約分散式を番台に関係なく非冷房車両(冷房準備車も含む)に搭載する改造工事[注釈 27]を施工[102]。2分散冷房装置を正式に採用したのはJR東海のみである[101]。
- JR東日本と同様に一部の扇風機を残し冷気用細長いダクトを天井の左右に設置
- ただしJR東日本とは異なり運転室後部の大型通風器の一般型への交換などは未施工。
- 冷房準備車のAU75形用塞ぎ板は残存
1990年から改造が開始された基本番台の場合MGの交換が必要となるが冷房装置がインバータ式であること。国鉄時代と異なり通常は固定編成で使用されることなどからモハ114形のMGをそのまま残存させ、新たに冷房電源用として偶数向きクハ115形に静止形コンバータ (SCV) を搭載した。車番は電動車が5000番台、制御車は6000番台に改番された[72]。
JR西日本
クハ115-604・605・609・651・653には、大手私鉄で採用されているものに酷似したWAU101形・WAU102形集約分散式を3基搭載した[102]。冷房搭載後も扇風機を装備し、集中式とは天井意匠が異なるほか、クモハ115・114形550番台は105系冷房改造車と同じバス用冷房を応用したWAU202形を搭載した[102]。これらの車両は2013年現在いずれも現存しない。
特別保全工事
車齢が15年以上経過した車両は老朽化や設備の陳腐化が深刻になってきたが、当時の国鉄は財政状況が厳しく、それらの車両を新車に置き換えることは難しかったため、延命のために特別保全工事が行われた。改造内容は主に屋根や腰板、窓まわりの外板の補修および空気配管や配線の取り替えであった。この工事は全般検査2回分(約16年)分の寿命を延ばすことが目的だった[103]。
高速化改造
JR西日本では113系が不足したために本系列の一部をJR京都・神戸線などに転用することになり[95]、対象車に以下の改造を施工した上で網干総合車両所などに配置した。
- 車番を原番号+5000に改番[95]
ブレーキ装置を最高速度110km/h対応化[95]
- 先頭車の主幹制御器一部回路を短絡化
応荷重装置を搭載[95]
制輪子・ライニングを高速対応品に取替え[95]
蛇行動防止のため軸箱を皿ばね付きに取替え[95]
自動解結装置を取付[104]
さらに次の追加改造が施工された。
- 6500番台を除く電動車ユニットはブレーキ装置のてこ比を2.56から4.19に改良し車番をさらに+500[95]
その後は各路線から本系列の撤退により余剰となり、現在は福知山電車区に残る2両を除いて岡山・下関地区などに転出し一般車と編成を組成する。
- 両地区では最高速度が100km/hであるため一部車両は原型復元させ車番を原番号に復帰[95]
体質改善工事


岡山A-10編成
外装の処理が異なる
40N車のグリルは1000番台雪切室の空気取込部
30N車の白い小窓はトイレ部分


特別保全工事を発展させた車両更新工事[103]。国鉄時代から施工されていた延命工事の内容に加え、新型車両に合わせた接客設備の改善や新型車両との部品共通化によるコスト低減、検修の効率化を目的として[105][106]、1998年から施工が開始された[13]。
2009年までに2000・3000・3500番台の全車および1000番台の大半[注釈 28]に対して施工が終了した。
- 体質改善40N(想定寿命40年)[103][注釈 29]
- 車体
- 外板は腐食対策から張り替えおよび一部ステンレス化を行い、側雨樋(一部ステンレス化)と外板を一体化[106]。
- 屋根布の全面ローン化(塗屋根化)[105]および通風器の撤去[13]。
- 側窓は下部固定上部上昇式ユニット窓とし、車端窓は固定式1枚窓に変更[105]。
- 側引き戸の窓は押え面方式、運転台および戸袋窓などのガラス支持方式も変更することでHゴム不使用化[105]。
- 主要機器
- 戸閉機械は小型化を図った直動式に変更[106]。
- 電気指令式半自動装置を搭載し、半自動時の扉扱いが容易となる構造に変更[106]。
- 床下からの立ち上がり配管のステンレス化、老朽化した配線の引き直し[106]。
- 乗務員室
- 前面窓を1枚のパノラミックウィンドウに変更し[13]、視認性を向上[106]。
- 運転台ワイパーを空気式から電気式に変更[106]。
- 放送装置の取り換えによる車内放送の容易化[106]。
- 客室
- 座席を223系に準じた転換クロスシート(シートピッチ910mm[107])に変更[106]。暖房器は腰掛け搭載とした[105]。
- 客室化粧板を223系に準じたデザイン・材質への更新[13][95]。
- パネル工法による室内天井の平面化[13]、蛍光灯カバーの取り付けと直動式戸閉機械採用による鴨居の小型化[106]。
荷棚をパイプで構成されるものから前飾り付きに変更し、吊り革を車両全長にわたって増設[106]。- 側引き戸の半自動用取っ手の撤去によりドア開閉幅を113系と同じ1300mmに拡大[13]
- 半自動での扉扱い時に使用する開閉用押しボタンを設置[106]。
- 妻引き戸にドアチェックを設け、開いた際には自動的に復位する構造[106]。
- トイレ対面の座席を撤去し、車いすスペースを設置[106]。
- 床面の主電動機点検蓋を廃止して騒音低減、床面隅にRを設けて清掃の容易化を図った[106]。
1000番台車は同時期に施工された2000番台・113系7000番台40N施工車とは次の相違点がある。
- 車端部戸袋窓を存置せず完全に埋込み[108]
- 車端部座席は本来転換可能であるが配電盤スペースの関係で転換した状態で着座は不可となることから転換機能をロック
以下の車両へ施工したが、岡山電車区所属のモハ115-1086・1105は1000番台では2両のみで行先表示器埋込を同時施工[108]。
- クモハ115-1501・1506・1513
- モハ115-1086・1105・2001・2003 - 2007・2009・2011・2019・2026 - 2029
- モハ114-1094・1104・1150・1153・1177・2001・2003 - 2007・2009・2011・2019・2026 - 2029
- クハ115-1066・1071・1111・1146・1205・1217・2001 - 2008・2015・2018 - 2021・2101 - 2105・2110・2113・2116 - 2121
- 体質改善30N(想定寿命30年)
2002年以降の施工メニュー。40Nでは行われていた窓・屋根部の改造を省略し、コストダウンを図った。想定寿命は30年[103]。下関総合車両所運用研修センター所属クハ115-1151への施工を最後に2009年11月に終了した。
この改造からは3000番台・3500番台などにも対象車が拡大されたが、これらの番台区分は当初から転換クロスシートのため座席配置に大きな変更はないが、モケットや化粧板の交換は実施された。
- 室内天井は平面化されておらず車内スピーカーは原型のまま
- 40Nではドアとドアエンジンが更新されたが30Nは未更新で開閉幅も不変
- 閑散地区用車体質改善工事
30N工事とは逆に外装の更新のみを施工した内容。
- 内装は化粧板の取替えと標記類の変更・車椅子スペースの設置のみ施工
この工事では異端車が存在する。
- クハ115-219・622
- 屋根部分・車内化粧板の取替・標記類の変更のみ
- クハ115-218・165
- 先行試作車的要素を持つ最初期施工車
- ロングシート撤去
583系並の大型クロスシートをシートピッチ拡大して設置- 内装化粧板を117系風の焦茶色に張替
- 先行試作車的要素を持つ最初期施工車
塗装は以下の仕様とした。
- 岡山所属車
- 薄茶色15号を基本に窓周りを茶として下部にコーポレートカラーである青20号の帯
- 広島・下関所属車
- オイスターホワイトを基本に岡山同様の帯+車両裾部茶色(窓周りと同色)
- T編成のみ従来からの瀬戸内色であるクリーム1号・青20号
車両更新工事(JR東日本)
国鉄時代の特別保全工事を発展させ、20年程度の延命を目的とした車両更新工事[103]。外板や配管の交換、座席モケットや化粧板の交換、屋根の塗り屋根化、前照灯のシールドビーム化、方向幕準備工事車への方向幕設置などが行われた[103]。
ワンマン改造工事(JR東日本)
弥彦線は1988年10月からワンマン運転が実施されることになったが、これに伴い一部編成に放送装置や運賃箱の設置[109]、EB取り付けなどの改造が施工された。
- 施工車両は白をベースに朱色3号と黄5号のストライプ塗装に変更された[99]。
ロングシート改造
分割民営化直前の1987年3月に長野地区の1000番台1編成3両へ試験的にセミクロスシートをロングシートにする改造を施工した[99]。
その後東京都市圏の輸送力増強のため1989年度から1990年度に小山電車区の300番台7両編成のうち、14編成98両にロングシート改造を施工した。
前面強化工事
1992年3月に発生した成田線大菅踏切事故を受けて、JR東日本は113系電車と同様に1972年度以前に製造された車両にアンチクライマー付きのステンレス板を取り付ける前面強化工事を施工した。当初板は無塗色のステンレスカラーだったが、やがて通常の塗色に戻された[99]。初期車は前照灯のシールドビーム化改造(後述)も合わせて行われた[72]。
トイレ追設工事
新潟・長野地区では先頭車化改造車増備によりクモハ115形・114形による2両編成で運行されていたが、この編成にはトイレがないため1992年から新潟地区の車両に、1999年から長野地区の車両に大型トイレを設置する改造工事が施工された[110]。
リニューアル改造(JR東日本)

アコモデーションの改善や故障防止、信頼性の向上などを目的としてJR東日本車所属の300番台・1000番台一部車両を対象に1998年から施工された[110][103]。
- 外板の取替・塗屋根化ならびに雨どいのFRP化[110]
- 座席の取替[110]
- 台車の密封コロ軸受化[110]、防振ゴムを交換[103]
- 化粧板と床の更新(ローンテックス化)[110]
- 補助電源装置をMG→SIVに交換・CPをスクロール式・除湿装置付きに取替(一部車両)[110]
- クハ115形トイレ脇のロングシート撤去と車椅子スペースの設置(一部車両)
自動空気ブレーキをA制御弁からM制御弁に取替[110]
- 空気配管や配線などを交換[103]
- 側引戸と配管の修繕[111]
- 床貫通配管をステンレス化[111]
- 前面の窓ガラスを交換[111]
- 電動ワイパー化[111]
主電動機の絶縁を更新[111]、- 客室内の窓ガラス・カーテン・荷棚を更新[111]
- ドア横のロングシートの端に防寒仕切を新設[111]
- 三角形抗菌タイプつり手に交換ならびにドア付近へ増設[111]
- トイレの引戸・床敷物・ペーパーホルダーを更新[111]
訓練車化改造


1990年にJR東日本では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため保留車を活用して訓練用編成の整備を行った[99]。2014年現在ではクモヤ115・114ユニットを除き廃車。
クモヤ115・114ユニットは上沼垂運転所(現・新潟車両センター)で2000年に改造された。種車時代に冷房改造を施工したため屋根上にSC24形静止型インバータを搭載する[112]。
当初の訓練車は改造時期の関係で全車非冷房だったためモヤ115-2 - 4は冷房車に置換えられた。その後小山車両センター所属のモヤ115-5と長野総合車両センター所属のモヤ114-1が廃車。残存した豊田車両センター所属のモヤ115-6は2014年に長野総合車両センターへ回送され廃車となった[112]。
- 車内は乗客用座席の撤去とロッカー・テーブルの設置
- ミーティングルームや訓練用資材の設置[99]
- 改造施工車両は『ハ』→『ヤ』の職用車に形式変更[113]
- 一部車両は形式変更されない場合もあった[112]
- 一部車両は形式変更されない場合もあった[112]
- 塗装は車両下部に2本の白線を引きその間に「訓練車」の表示[112]
- クモハ115・114-506 → クモヤ115・114-1[112]
- モハ114-801・802 → モヤ114-1・2
- モハ115-59・70・47・79・98・103 → モヤ115-1 - 6
前照灯シールドビーム化改造
クハ115-605(原型前照灯車)
現在はシールドビーム改造済
クハ115-604
下関車両センター施工のシールドビーム化改造車
下関車両センター施工のシールドビーム化改造車の前照灯
クハ115-108
ライトケース灰色塗装異端車
本系列0番台先頭車の前照灯は白熱灯2基を前面窓下に設置していたが、1973年の300番台以降は小型で耐久性に優れたシールドビームが採用された。そのため0番台車でもシールドビームへの交換が下記2種類の手法で施工された。
- ライトの口径が異なることから通常は前面強化工事と同時施工でライトケースごと撤去し、外見上の違和感がなくなるように300番台以降の車両と同じ形状に整形。
- 改造費節減の観点から、白熱灯用ライトケースに口径差を解消するリング状の枠を取付けシールドビームを設置する方式を開発。
- 枠の色は一般的に周囲と同色にされるが豊田車両センター所属訓練車編成クハ115-108に見られる灰色という例外もある[114]。
- 2006年以降に下関車両センターが施工した改造では、さらになる経費削減の観点からクハ105形100番台廃車発生品のシールドビームを流用し、枠で電灯部分をくり抜いた鉄板でライトケースを塞ぐ工法となった[115]。
2008年、最後の大型前照灯装備車クハ115-199がシールドビームに改造されたため、0番台の原型前照灯装備車は姿を消した[116]。残存車はクハ111形改造の605のみとなったが、同車も2008年5月に改造され本系列から白熱灯車が消滅した[85][115]。
半自動ドアスイッチ設置改造(JR西日本)
岡山電車区所属の300番台(D編成)は乗降ドアの半自動設備がなく、車内保温において問題があった。このため2017年4月に出場したD-26編成より、押しボタン式の半自動ドアスイッチの設置工事が進められている[117]。ドアスイッチの取り付け位置の関係から戸袋窓が小型化され、外観の印象が変わっている。
事故廃車
老朽化・余剰化を除いた事故による廃車は本系列では以下の6両が該当する。
- モハ115-34・クハ115-113
- 1987年2月12日午前10時55分ごろ、両毛線思川 - 栃木間の第2高屋踏切で、立ち往生していた大型トレーラと高崎発小山行普通列車に投入されていた当該車両が衝突。先頭のクハ115-113が脱線転覆し大破。後続のモハ115・114-34も脱線した。同年3月13日付で上述2両が廃車となった。
- モハ114-34はモハ114-41を廃車とし部品供出を受けた上でモハ115-41とユニットを組成して復旧。
- クハ115-35
- 1994年に赤穂線普通列車で運用中に遮断機のない踏切で大型ダンプカーと衝突し大破。非冷房で既に廃車対象であったことから修復せず同年7月4日付で廃車。
- クハ115-375
- 2002年10月1日、台風21号による強風のため飛来してきた木片が前面に衝突し損傷。所属の小山車両センターではE231系へ置換え進行中であったことから修復せず同年11月2日付で廃車。
- クハ115-408・モハ114-359
- 2015年2月13日、山陽本線西阿知 - 新倉敷間の八人山踏切で侵入した大型トラックと当該車両が衝突。先頭と2両目の上述2両が大破し、2016年3月1日付で廃車となった[118]。
- モハ114-359ユニット相手方のクモハ115-323は、2015年9月9日付で廃車[119]となったA13編成のモハ114-316とユニットを組成[120]して復旧。
運用の変遷
国鉄時代とJR化後に分割して解説を行う。
国鉄時代
本項では投入された地域ごとに分けて行うものとする。本来の運用とは別に1970年代の一時期はに東北本線・高崎線・中央東線・房総西線(現・内房線)の急行列車(いわゆる遜色急行)[31]にも投入されたほか、通常はEF63形による推進・牽引となる信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)での自力走行試験も実施された(詳細は後述)[37]。
東北本線および高崎線上野口・上越線・日光線・両毛線
上野口は本系列が最初に投入された地域であり、80系電車や電気機関車牽引による客車で運転されていた東北本線(宇都宮線)・高崎線普通列車の置換え・新性能化が目的である[注釈 30][24]。
東北本線には1963年1月から、高崎線には1964年から投入された。当初の配置車両区は宇都宮運転所・新前橋電車区とされたが、1966年には宇都宮配置車が小山車両区へ移籍。新前橋電車区投入時から両毛線・日光線の運用も担当した[121]。
当初は基本4両編成の増結による最大12両編成を組成して運用され、投入開始から2年後の1965年10月には東北・高崎線の普通列車新性能化は一部客車による列車を除き完了。1968年10月のダイヤ改正では上野‐長岡間客車列車の置換えで直通夜行列車にも充当された。1969年からはサハ115形組み込みの7両編成が基本編成、4両が付属編成となり最大15両による運用を開始した[121]。
1973年には冷房付きモデルチェンジ車の300番台が投入開始された。製造開始と同時期に上尾事件が発生したため、通勤輸送の改善を目的に1977年まで113系1000'番台とともに当初予定数よりも大量製造された。
- 上野口に緊急対応用に運用投入できる1編成を常時滞留させる対策[3]などを実施したほか、1975年10月には急行形車両のラッシュ時間合い運用を終了。通勤時間帯電車の15両化が完了した[3]。
- また一方で運用の都合から定期急行列車「あかぎ」「ゆけむり」「なすの」「日光」[122]にも投入された。
300番台の大量増備には地方に残る旧形国電置換えの名目もあり、1976年から小山・新前橋の両電車区の基本番台車は、長岡・岡山・広島に転出する車両[123]と冷房改造で引き続き運用される車両に分かれた。
1978年10月のダイヤ改正では高崎地区に残存していた旧形国電置換えと東北本線・高崎線規格ダイヤ化による増発のため1000番台も投入開始。1982年には新幹線リレー号にも運用された[124]。その後も増発が繰り返され、1984年2月のダイヤ改正では既に新造車の製造が打ち切られていたために岡山・広島に一旦転出していた基本番台と1000番台が、長岡からはサハ115形1000番台が、1985年3月のダイヤ改正では三鷹・松本・長岡・沼津から運用の見直しによる捻出車が転入。小山・新前橋区合計で859両[注釈 31]と本系列のほぼ半分が投入された。
しかしこのころが本系列のピークで、同年12月からは211系電車の投入が開始され、分割民営化直前の1986年11月のダイヤ改正では、広島地区の111系置換えのため基本番台・300番台約60両が広島・下関へ転出となり、状態が悪かった初期車の廃車も実施されたが、それでも分割民営化時には約700両が引き続き運用に投入された。
中央東線
クモニ83を連結した中央東線運用
1966年の中央東線松本電化の際に三鷹電車区に既存の客車列車[126]や70系置換え用として投入された[121]。1968年からはローカル列車のみならず急行「かいじ」・「かわぐち」にも投入され、富士急行線河口湖まで乗り入れする運用にも対応した[127][128]。
- 「かいじ」運用では1970年から約2年間サロ165形を連結していた実績がある。これは新前橋電車区所属のサロ165-14・15のジャンパ連結器を変更して三鷹電車区に貸し出したもので、14は横須賀色に塗色変更、15は湘南色のままで運用された[121]。なお改造に伴う改番はない[31]。
1975年3月のダイヤ改正では300番台車を新製投入し、一部残存していた客車・70系電車による普通列車を置換えた[注釈 32]。なお捻出された70系電車は呉線に転用された[123]。
1984年2月・1985年3月のダイヤ改正でサハ115形基本番台が制御車化改造用種車となり各地に転出し、1986年11月1日のダイヤ改正では豊田電車区への移管のため三鷹の配置がなくなった[126]。
新潟地区
1976年に上野口への300番台投入で捻出された基本番台で、70系電車の置換えを目的に長岡運転所へ投入開始された[121]。
1978年からは1000番台投入により、捻出された基本番台は岡山地区に転出して80系を置換えたほか[129]、1982年には水上以北での減車化(6連→5連へ変更)に伴う運用見直しで長岡運転所所属サハ115形1000番台19両が小山・新前橋の両電車区へ転出した。
1984年の越後線・弥彦線電化開業により本系列が投入されることになり、一旦山陽地区に転出した基本番台(先頭車化改造車)や身延線用2000番台が転入したため、新潟地区は基本・1000・2000各番台が混在した状態となった[130]。
長野地区
1977年に80系電車の置換えを目的に松本運転所に新製配置された。その後大糸線の旧形国電も置換えられることになり、36両(McM'T'c、3両編成12本)は1981年より松本運転所北松本支所に配置された。1983年からは短編成化のため電動車に運転台を取り付ける改造も行われた。その際反対向きの制御車が不足するため他の車両区の付随車に運転台を設置した。
1985年3月14日に北松本支所は松本運転所に統合され、中央本線・篠ノ井線・信越本線で運用される117両(3両編成39本)と大糸線で運用される31両(3両編成7本、増結ユニットMcM'5組)の計148両が配置された[131]。
1986年11月1日に信越本線と篠ノ井線の一部運用を長野運転所(現・長野総合車両センター)に移管・転属となったが、中央西線が分割民営化時にJR東海管轄となるため神領電車区にも転出した車両も存在する。
なお、国鉄時代の長野地区配置車両はすべて1000番台新造車で他地区からの転入車は皆無である。
静岡地区
1979年、御殿場線用旧形国電置換え用に小山電車区から基本番台4両編成11本計48両が沼津機関区へ転入した。後の減車化(4連→3連へ変更)により車種間改造を含む広域転配が実施された。
1981年には身延線用旧形国電置換え用に2000番台が新製配置され32系・42系・40系・51系などの旧形電車は1981年8月に運用を終了。車体更新車のモハ62系も1984年2月のダイヤ改正で運用を終了し、1986年に廃車となった。
1986年11月のダイヤ改正で分割民営化に備えて中央西線用車両が神領電車区に、飯田線用車両が豊橋機関区に、また沼津配置車は静岡運転所に配置の見直しが行われた。
山陽地区(岡山・広島・下関)
新潟地区と同様に、1976年から旧形国電置換えを目的に関東地区に新製配置された300番台で捻出された基本番台が岡山・広島に配置された[121]。下関への配置は1984年からである。
32系・42系・40系・51系・80系などの旧形車置き換え・短編成化・列車増発・電化開業により新造車も配置された。1978年から、岡山地区向け1000番台と広島地区向け(山陽本線姫路以西の旧形車置き換え名目)2000番台の新製配置が行われた。これらは6両編成が主とされ、一部が4両編成とされた。
1982年には伯備線が電化開業することから6両編成1000番台が岡山電車区に追加投入され、電化開業時の1982年7月現在で6両編成61本の306両(0番台非冷房車が20編成120両、1000番台冷房車が31編成186両)が配置された。また、広島地区旧形車置き換えならびに列車増発目的(ひろしまシティ電車)として3000番台の投入が行われたが、こちらは4両編成が投入された。
「ひろしまシティ電車」は乗客数6%増と成功を収め、同様の手法が1984年に岡山地区にも導入されることになった。6両編成を3・4両編成に短縮し、奇数向きクハ115形が余剰となって首都圏に転出し、不足する偶数向きクハ115形が新前橋から転入した。
1984年の越後線・弥彦線電化開業、1985年の御殿場線短編成化をはじめ関東地区との車両転配も数多く実施されており、分割民営化直前には211系投入により捻出された300番台も転入した。
特殊な試験運用
表・編・話・歴・PJR・PJRN・C | ||||||||||||||||||||||
碓氷峠自力走行試験用の115系(1963年) | ||||||||||||||||||||||
← 軽井沢 高崎 → | ||||||||||||||||||||||
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上述の通常運用とは別に落成直後の1963年に粘着運転化された信越本線横川 - 軽井沢間で、電車の自力走行が計画され試験用車両に本系列が投入された。
- 本区間で電車列車はEF63形補機により無動力で推進・牽引されるため最大編成長は8両に制限されていたことから、将来的な輸送力増強やスピードアップが狙いである。
- 走行試験はMT54形主電動機の試験も兼ねて1963年9月19・20日に行われたが、停電のリスクを回避するためディーゼルエンジン式空気圧縮機が搭載された。
試験の結果、MT54形主電動機は熱容量に問題があることが確認された。その後1980年代に187系電車などが計画されたが、予算等の問題から実現していない[37]。
JR東日本
分割民営化後も引続き運用されたが、E231系電車への置き換えにより2000年から廃車が開始され、高崎線では2001年11月30日に、東北本線上野口では2004年10月のダイヤ改正で本系列の運用は終了した[17]。211系電車への置き換えにより、中央本線や長野地区では2015年10月に運用を終了し、北関東地区でも2018年3月に運用を終了している。引き続き運用されている新潟地区においても、状態の良い300番台後期車や1000番台で初期車を置き換えるなどの転配が行われている。また伊豆急行200系電車第3編成以降としなの鉄道115系は、ともにJR東日本が保有していた本系列を譲受・改装したものである。
現在の配置車両基地
高崎車両センター(髙タカ)
2005年の組織変更による統合で新前橋電車区から名称変更された。2018年10月1日現在では、識別記号『T』と編成に組み込まれるモハ114形車両番号を組み合わせる編成番号を付与された[132]1000番台リニューアル未施工車3両編成1本3両が配置される[133]。
2018年3月のダイヤ改正で定期運用から撤退したが、同年4月1日時点では1000番台3両編成10本30両が配置されていた[134]。
高崎車両センター所属車は全車両が湘南色塗装であった。保安装置はATS-P・SNを搭載。デジタル無線装置を装備し、機器は運転席後方の荷物棚に設置される[135]ほか、リニューアル車は車内の腰掛・化粧板・つり革の交換、補助電源装置は電動発電機(MG)から静止形インバータ(SIV)に更新、電動空気圧縮機はレシプロタイプから除湿機能付きスクリュータイプに変更、屋根上の集中式冷房装置はAU720B形に更新が行われている。また客用扉は、2017年では通年で半自動扱いとなる。
1963年から小山車とともに東北本線・高崎線上野口の普通列車の主力として最大15両編成で運用されていたが、上野口での運用が終了しており、2017年では上越線高崎 - 水上間・信越本線高崎 - 横川間・吾妻線[注釈 33]・両毛線で、吾妻線は3両運用、他は主に3両編成を2編成連結した6両編成による運用が行われていたが、2018年3月に定期運行を終了した[137]。また2017年8月から正面行先方向幕の使用を停止しており、幕部分は車体と同じ緑色で埋められた。
また同センター所属211系の代走で黒磯までの入線や乗務員訓練などで小山車両センターへの貸出も行れた経歴がある[138]。さらにかつては小山所属107系の代走運用にも充当された[139]。
2018年3月17日ダイヤ改正により前日の同月16日ですべての定期運用を終了[140]。その後同月21日にT1022・T1032編成を連結した6両編成が専用ヘッドマークを掲出した団体専用列車に充当され、信越本線高崎 - 横川間・上越線高崎 - 水上間で各1往復の運転が行われた[141]。
(3両リニューアル未施工編成)

(3両リニューアル施工編成)
(4両編成)
- 3両編成リニューアル未施工車
- T1040編成の1本。
- T1040編成のクハ115-1030を除くモハ114-1040・クモハ115-1030は、すべての窓ガラス支持が新製当時の白Hゴムであったが、2011年頃に一部が黒Hゴムに交換された。
- 2017年6月2日付でT1030・T1044編成の2本6両が廃車された[142]。
- 旧T1030編成は元長野所属車で1997年の北陸新幹線先行開業の前日に廃止となる信越本線横川 - 軽井沢を通過した最終上り普通列車に充当され高崎到着後に返却されずにそのまま転入した編成であり、同センター唯一のモハ115形1000番台改造のクモハ115-1566が組み込まれていた[135]。
- 旧T1044編成は4両編成であったが、2016年12月21日にサハ115-1007が廃車され[143]、3両編成となった。
- 3両編成リニューアル施工車
- 2018年4月1日時点ではT1022・T1032・T1036 - T1039・T1041・T1043・T1046編成の9本が在籍していた[144]。
- ドア横アクリル製袖仕切りの有無・暖房稼動時の高温対策用座席下金属部カバーの有無など編成ごとに細かい施工内容が異なる。
- 2018年4月にT1038・T1039の2本が、同年7月にT1022・T1032・T1036・T1037・T1041・T1043・T1046の7本が廃車され、全廃となった[145]。
- 4両編成
- 2016年4月1日時点では先頭車がクハ115形同士で組成されるT1090・T1091・T1133・T1142 - T1147編成とクモハ115形とクハ115形で組成されるT1044・T1159編成の11編成が在籍していた[146]。
- T1090編成は訓練車兼用。ただし他の編成が投入される場合もあった。
- T1133編成は小山・宇都宮などの駅名が緑色で表示される宇都宮線用の方向幕を搭載しており、壁面化粧板の色なども若干異なっていた。
- T1044・T1159編成はサハ115形を切り離し3両編成で運用されることもあった。
- T1159編成のサハ115形を除いた3両は三鷹電車区に横須賀色で新製配置された唯一の1000番台車であった[注釈 34]。
- 2010年7月にT1090・T1133編成には群馬デスティネーションキャンペーンのPRラッピング[注釈 35]やヘッドマーク[147]が施されたが[148][149]、翌2011年9月末のキャンペーン終了に伴い同10月上旬までに剥離された。
- 2016年9月にT1143 - T1145・T1147編成が廃車され[62]、同年10月にT1090・T1091編成が廃車、同年11月にT1133・T1142編成が廃車された[150]。
- 2016年12月13日以降は4両編成運用の211系への置換えを実施。同月19日にT1146・T1159編成およびT1044編成に組込まれていたサハ115-1007が長野総合車両センターに廃車回送され、同月21日付で廃車[143][150]。サハ115形は廃形式となり[151]、当センターから4両編成は全廃。
長野総合車両センター(長ナノ)


国鉄時代の1986年11月1日ダイヤ改正で松本運転所から信越本線の運用を移管し配置車両基地となった。JR化後に塗装を白を基調に緑のラインを組み合わせた旧長野色へ変更したが、1998年の長野オリンピックにあわせて新長野色(フォギーグレー+アルパインブルー+リフレッシュグリーン[注釈 36])への再変更を実施した[152]。
- ただし例外として1987年に当時のN12編成[注釈 37]が、コカ・コーラ広告電車として運用され[153]、以下の仕様変更を施工。
- 車体をコカ・コーラのイメージカラーである赤一色に変更
- ドア間窓下にロゴを貼付け車両番号表記は中央ドア下へ移設
- モハ114形にコカ・コーラ社製品の自動販売機を設置
- これらは1993年の契約終了後にすべて復元。
1997年の北陸新幹線長野開業以前は碓氷峠を越えて高崎までの運用が存在したほか[注釈 38]、以後は数度にわたり松本車両センターからの運用移管ならびに車両転入を実施し、後述する訓練車のほか2・3両のN編成と6両貫通のC編成も配置されていたが、211系の転入によりN編成は2015年3月14日改正で[154]、C編成は同年10月28日に定期運用を終了[155]。
2018年10月1日現在では、訓練車編成1本(3両)のみが配置される[156]。
- クモハ115-1074+モハ114-1180+クハ115-1222
- 2007年1月にN15編成を湘南色に変更した上で[157]、乗務員室後部仕切の一部撤去・訓練用防護無線ならびに車両用信号炎管の追加・一部席への机の設置・家庭用コンセント配線設置などの改造を施工。
現在の訓練車は3代目であり過去には以下の編成が配置されていた。
- クモハ115-1+モヤ114-1(元・モハ114-801)+クハ115-611(元・サハ115-1)[158]
- 1991年落成の初代。湘南色非冷房。2002年に老朽廃車。
- クモハ115-326+モハ114-362+クハ115-392[注釈 39]
- 初代と入れ替わる形で横須賀色の300番台車を改造した2代目のN00編成。3代目落成により廃車。
また1997年以降に運用された配置車両については次の特徴を持つ。
- パンタグラフをシングルアーム式のPS35形へ交換
ATS-Psを搭載- 約半数の車両にリニューアルのほか、ドア横座席端に風除け用透明仕切り板を設置する工事を施工[159]
以下は1997年以降に運用された編成毎での解説を行う。
- N編成

坂下 - 落合川
クモハ115形+クモハ114形で組成される2両編成とクモハ115形+モハ114形+クハ115形で組成される3両編成が存在した。
- 2両編成
- N51 - 58の8組16両が在籍。編成番号札は黄色。主に大糸線・篠ノ井線運用に充当された。
- 2007年1月にN55編成[注釈 40]が余剰廃車。
- 残存したN51 -54・56 - 58編成は2013年3月16日ダイヤ改正でをしなの鉄道での運用に転用[160]。同年6月1日付でしなの鉄道へ譲渡された[161][162]。
- 3両編成[163]
- かつては同センターの主力で2007年にN15編成の上述した訓練車転用改造施工後は以下の編成が配置された。
- N1 - 14・16編成:編成番号札は緑色。しなの鉄道線ならびにJR東海乗入対策施工車でJR東海ATS-STに対応する速度照査機能付加のATS-SN●[注釈 41]と対応方向幕を装備搭載する。
- N21 - 33編成:編成番号札は緑色。JR東日本管内専従運用編成。
- 本グループ内のN29編成(クモハ115-1019+モハ114-1025+クハ115-1018[164])は1987年3月にトイレ対向部を除いてすべてロングシート化されたが、2002年12月にリニューアル工事が施工されセミクロスシートに戻された。天井につり革増設時の支柱ネジ穴痕跡が残存する。
- 中央本線甲府 - 松本 - 塩尻(辰野支線も含む)・篠ノ井線・信越本線篠ノ井 - 直江津 - 柿崎[注釈 42]・大糸線松本 - 信濃大町[166]のほか、しなの鉄道篠ノ井 - 小諸[167]・JR東海区間の飯田線辰野 - 飯田・中央本線塩尻 - 中津川への乗入れ運用に充当。臨時列車では以下の運用に投入された。
- 高遠さくらまつり号(N24編成):2008年・2009年4月[168]
- スワいち号:2008年2月23日[169]
- 木曽漆器まつり号:2008年6月6日 - 8日[170]
- ほろよい上諏訪街道号[171]
- 高遠さくらまつり号(N24編成):2008年・2009年4月[168]
- 211系の転入により置換えが進められ、2014年3月15日ダイヤ改正でJR東海区間への運用を終了。N27編成が新潟車両センターへ転出したため同年4月時点でN1 - 14・16・21 - 26・28 - 33の27編成が在籍したものの同年度上半期中に以下の廃車・転出が発生した。
- N8・22・23・26・28・30・31編成:廃車[172]
- N3・6・11・14・25編成:新潟車両センターへ転出[173]
- N8・22・23・26・28・30・31編成:廃車[172]
- 2015年3月14日ダイヤ改正で定期運用を終了[154]。
- N1・7・12・13・21編成:北陸新幹線金沢延伸開業に伴う並行在来線区間の信越本線長野 - 直江津間第三セクター化に伴いしなの鉄道へ譲渡[174]
- N2・4・5・10・16・24・29・32・33編成:廃車[61]
- N9編成:同年12月17日付で新潟車両センターへ転出[175]
- N1・7・12・13・21編成:北陸新幹線金沢延伸開業に伴う並行在来線区間の信越本線長野 - 直江津間第三セクター化に伴いしなの鉄道へ譲渡[174]
- C編成
快速「むさしの」代走運用
(長野色)
(横須賀色変更後)

白地に黒文字のC12編成(上)
青地に白文字のC3編成(上)
2007年3月18日にそれまで松本車両センターが担当していた中央本線・篠ノ井線運用を当センターへ移管、6両編成x14本が転入した[53]。- 2015年10月まで、定期運用は立川 - 松本ローカル列車専従で充当された。その他は出入庫を兼ねた松本 - 長野1往復・篠ノ井線松本→明科区間列車[注釈 43]のみのため松本・小淵沢・甲府・大月・高尾・豊田で夜間滞泊が続くのが特徴であったが、以下の代走や臨時投入の実績がある。
- 大糸線代走運用[176]
- 豊田車両センターM40編成検査・故障時の快速「むさしの」代走運用[注釈 44][177]
ひまわり号(C1・C3・C13編成)[178]
- 大糸線代走運用[176]
- 首都圏の列車無線デジタル化に伴う新型無線機搭載工事が全編成に施工済だが、本グループでは編成・車両ごとの形態がバラエティに富んでいる特徴があった。
- 1000番台車中心であるがC5・6・9編成の全車とC13編成の長野方MM'ユニット1組は300番台車であった[179][注釈 45]。
- 1000番台車は以前松本・北松本・長野・新前橋・小山・三鷹・岡山へのいずれかに配置経歴があるが新潟地区に配置された経歴を持つ車両はなかった。
- C5 - 11編成はリニューアル工事が施工済であった。
- C9・10編成はTcMM'TMM'Tc'の7両が同一ロットで製造され、松本転属時にサハ115形のみ抜き取られたのみで組成変更がなかった。
- C1・C2編成はTcMM'MM'Tc'6両が同一ロットで製造され、小山区時代には既存のサハ115形が組み込まれていた編成で組成変更がなかった。
- C8編成立川方先頭車クハ115-1512は唯一の形式間改造車で種車のサハ115-1027時代の新製配置は三鷹区であったため横須賀色→湘南色→2代目長野色への塗装変更経歴を持つ。また長野方3両はAU720形冷房装置を搭載していたが、2013年現在ではAU75型に再換装された。
- C12編成のクハ115-1065は長野所属車で唯一転落防止幌を新前橋区所属時代に設置された。転入時は他にも設置車両が存在したが撤去された。
- 前面種別表示幕の『普通』表示は白地の黒文字と青地に白文字の2種類が混在。
- 一部車両を除いて列車番号表示器のLED化を施工。
- C13編成は立川方3両の客用扉窓が他編成と異なる。
- C1編成は2014年3月25日に信州色から横須賀色へ塗装変更され翌26日から運用に復帰した[180]。
- 2014年4月時点ではC1 - 14の14編成が在籍したが211系の転入により置換えが進められ、2015年に新潟車両センターへ転出したC3編成[181]を除き以下のスケジュールで廃車となった。
- 2014年度上半期:C2・4・5編成[172]
- 2014年度下半期:C6 - 11編成[174]
- 2015年度上半期:C12・13編成 C14編成のクハ115-1106を除く5両[61]
- 2015年10月:クハ115-1106[182]
- 2015年11月25日:C1編成[183]
- 2014年度上半期:C2・4・5編成[172]
新潟車両センター(新ニイ)




1999年12月4日ダイヤ改正で長岡運転所(現・長岡車両センター)配置車両を移管。新潟地区の本系列を当センターへ集約した。2018年10月1日現在では、N編成(3両)7本の計21両が配置される[184]。
2014年度からE129系への投入による置換えが進行中で、2018年3月以降[185][186]、N編成のみが越後線・弥彦線・信越本線の直江津 - 長岡 - 新潟間・えちごトキめき鉄道妙高はねうまラインの新井 - 直江津間で定期運用に充当される[187]。
- ただし2000年代後半以降は、北陸新幹線金沢延伸開業による並行在来線の移管まで、諏訪湖花火観客輸送のため通常は長野総合車両センターが担当する信越本線運用の一部を代走することがあった。
当センターの特記事項として、最大で6種類の塗装が同時に存在していたことが挙げられる。
- 湘南色
- 1次新潟色(白地に青帯と赤の細い帯。N37編成に再塗装されたほか、現在でも同地区のキハ40系気動車に残存。)
- 1次弥彦色
- 工場控車専用塗装(クハ2両のみ)
- 横須賀色(小山からの借入車)
- 2次新潟色
- 3次新潟色[注釈 46]
1次・2次新潟色には塗装の細部が異なる車両も存在したが[注釈 47]、現在はすべて統一されている。
このほかに弥彦線用ワンマン運転対応車の塗色として「2次弥彦色」(ホワイトとイエローのツートーンカラーにライトグリーンの帯を巻いたカラー[188] 旧Y編成)[152]と長野地区から転入した「新長野色」[190]が存在した。またJR東日本も出資するJリーグ・ジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)の広告電車がRN31編成を使用して運転されていたこともあったが、同地区に本拠地を置き地元での人気を博している「アルビレックス新潟」が存在するため更新時に他の編成と同じ3次新潟色に変更され消滅した。
2018年12月現在で存在するバリエーションは、2次新潟色(N33編成・N35編成)[注釈 48] 、3次新潟色(N34編成)[188][注釈 49][191]、初代新潟色(N40編成)、湘南色(N38編成)、1次新潟色(N37編成)、2次弥彦色(N36編成)が存在する[184]。なお初代新潟色、1次新潟色、2次弥彦色は復刻色である。
- 旧C1編成(訓練車)が湘南色であったほか、2011年に旧L6編成および旧N2編成が湘南色に復元[192]、2014年に旧L9編成および旧N23編成も湘南色となっていた[88]。
- 旧N2編成の湘南色変更前はリニューアル工事を施した3次新潟色編成であり[193]、このためM'のパンタグラフがシングルアーム式PS35形を装備したまま湘南色に塗り替えられている。
- 旧N3編成は、大宮総合車両センターにおいて全般検査を行った際に、2017年1月18日付で[190]初代「新潟色」と呼ばれる赤2号と黄5号のツートンカラーに変更された[194]。
- N37編成は、2017年に大宮総合車両センターに入場した際に、1次新潟色に変更され、同年9月24日より営業運行に復帰した[195][196]。
所属車両は1000番台(改造車含む)。2016年12月までは沼津機関区から転入したクハ115形2000番台も在籍していた。2015年度まではL編成の一部に、1984年の越後・弥彦線電化開業用に転入し耐寒耐雪強化改造を受けた基本番台が残存し[197]、鋼製ドアの車両もあった。
新潟地区に新製投入された1000番台や2000番台全車は更新対象から外れており、一部の編成は老朽化が進んでいるが近年は全車が枕バネや軸バネのエリゴバネへの交換や車両内外の低い位置にドアレールヒータに関する注意を促すステッカーが至るところに張られるなどの変化が見られるほか、一部車両にはアコモデーション改良を目的に以下の工事を施工された車両が存在する[89]。
- 座席モケットをリニューアル工事施工車と類似したものに張替[130]
- 化粧版や床仕上げ材を交換
- トイレの改装
- パンタグラフ増設工事を4両に施工[89]。
所属車両は、ATS-P[89]を搭載する。全車にEB取付工事を施工している[184]。このほか在籍していたクハ115形2000番台は7両すべてが奇数向きだったが、2129を除き方転された[89]。
- N33 - 38・40編成
- 3両編成。リニューアル工事は新潟支社独自の施工またはJR東日本全車標準のいずれかが過半数に施工済である。
- 施工内容はCPをスクリュー式へ交換・MGをメンテナンスフリーのSIVへの変更[198]・化粧板や座席モケットの張替・ロングシートとドアの間に新規にアクリル防風板を追加するなどである。
- N19編成は2015年8月29日付で[61]、N1編成は2016年2月29日付で[183]、それぞれ廃車された。2016年4月にはN6・8・14・20・25・31編成が、同年8月にはN4・11・26編成が、同年9月にはN10・32編成が、それぞれ廃車された[62]。2016年12月にはN12・16・23・27・28・39編成が廃車された[150]。2017年4月にはN2・5・7・9・15・21・22・24・29編成が廃車された(N15編成の、新津鉄道資料館で保存されるクモハ115-1061の廃車は2017年6月24日付)[142][注釈 50]。2018年春にはATS-Pを搭載していない生え抜きのN3・13・17・18・30編成は、新潟駅高架化に伴ったATS-P使用開始のため運用を離脱し、同年4月3日から10日にかけて廃車された[145]。
- N編成は編成・車両ごとの形態がバラエティに富んでおり以下の特徴がある。
- パンタグラフは、新潟3次色塗装の車両はシングルアーム式のPS35C形に交換済[199]。またリニューアル改造施工車はPS35B形に交換されている[89]。
- 原則として菱形パンタグラフ搭載車もPS23形に交換されているが、旧N28編成のモハ114-1109のみPS16形を搭載していた。
- N編成にはAU712形冷房装置を搭載している車両はなく、全車両がAU75形冷房装置を搭載するが、旧N24編成は当初、廃車発生品を利用して冷房化改造されたため、車両中央部のみに冷房吹き出し口があり、扇風機や運転台上部の箱型通風器も残されるなど他編成との相違が目立っていた。リニューアル改造後もそのままであったが、後に他のAU75形冷房装置搭載車と同じ仕様に改造され、扇風機や箱型通風器も撤去されている。
- 旧N22 - 32編成は、1995年12月でE127系の投入に伴い一旦長岡に転出したあと集約化で本センターに出戻った編成である。
- N34 - 38編成は、2014年度上半期に長野から転入した編成である[173]。パンタグラフはシングルアーム式で先頭車はATS-Pを搭載する[197]。
- 旧N39編成は、2014年7月にL14編成のサハ115-1002を廃車し[172]、3両編成化した編成である。
- N40編成は、2015年12月に長野から転入した編成である[175]。
- 旧N2編成は上記リニューアル改造を施行されたが、後述のL6編成と同様に「JR」の塗装はなかった[57][198]。
- 旧N4・N6・N8・N14編成は霜取対策でPS23形パンタグラフを2基搭載。
- 旧N25編成のクハ115-1245は、改造前のクハ115-1142時には小山ならびに新前橋へ配置されていたためにATS-Pを搭載。

- L99編成(廃車)
- 長野総合車両センター所属旧C3編成。2015年5月に中間車2両が廃車となり、以降は4両編成で大宮総合車両センター入出場時の伴走車として使用され、営業運転には充当されていなかった。2018年に新潟車両センターに残存する115系がATS-P搭載車のみになったため、大宮総合車両センターに入出場する際の伴走車が不要になり、2018年8月に長野総合車両センターに回送され[200]、同月2日付で廃車された[145]。
- S1 - 15編成(全廃)
- ワンマン非対応の2両編成。S1 - 12編成は1500番台でAU75形冷房装置を搭載し、S13 - 15編成は500番台でAU712形冷房装置を搭載していた[130][注釈 51]。 1999年の集約化により長岡運転所より転入した。
- 当初は全編成トイレなしであったが、サービス上問題となったため1992年以降にS1 - 3・7・10 - 12編成のクモハ114形にトイレ設置改造が施工された[89]。
- トイレ設置工事では側窓部分は埋められたことや汚物処理装置を真空式としたため外観が特徴的となった。
- トイレなし編成は単独で長時間運転となる列車に投入されることは稀で他のトイレ付き編成と組み合わせて運用されるように配慮されていた。
- S1編成は、2007年7月16日の新潟県中越沖地震の際に柏崎駅で脱線転覆したが、長野総合車両センターでの修復を受け運用を再開した[201]。
- 2014年7月にS15編成が[172]、同年11月にS13・14編成が[174]廃車された。2016年4月から5月にかけてS1・3・7・9 - 12編成が、同年6月にS2編成が廃車された[62]。同年7月には全編成が定期運用を終了、同年8月に残るS4 - 6・8編成も廃車され[62]、全廃となった。
- L1 - 14編成(全廃)
- 4両編成。L1 - 6編成は電動車が基本番台であり[130]、制御車には1000番台のほか2000番台も存在した。L7 - 14編成は全車1000番台で組成されていた。いずれも編成・車両ごとの形態がバラエティに富んでおり以下の特徴があった。
- L1 - 11編成はTcMM'Tc'、L12 - 14編成はMcM'TTc'で組成された。
- Tc'の一部は首都圏からの転入車でATS-Pを搭載、MM'ユニットの一部は小山からの転入車であった。
- L1 - L6編成の車両は全車AU712形を搭載し、AU75形冷房装置搭載準備車でありながらAU712形で冷房改造が施工された車両も存在した。それらの車両の電源は静止形インバータSC24である[130]。なお、2013年時点でAU712形冷房装置を搭載していた車両は本センター所属車のみであった[202]。
- L7 - L14編成は全車AU75形を搭載していた。
- L1 - 4編成にはクハ115 - 551・552・553・613などが組み込まれており、クハ115-553は製造から50年以上経った後も運用された[89]。
- L6編成はリニューアル改造を施工されたが、JRマークは省略された[57][198]。
- L3編成は2014年7月に廃車され[172]、L14編成は上述の通りN39編成となった。L1編成は同年12月に廃車された[174]。L2・4編成は2015年8月に[61]、L5・6編成は同年12月に[183]、それぞれ廃車された。2016年3月には全編成が運用を終了し、L7・9 - 13編成は同年4月に、L8編成は同年5月にそれぞれ廃車され[62]、全廃となった。
- Y編成(全廃)
- 弥彦線のワンマン運転に対応した2両編成で運賃箱や自動放送装置・ドアチャイムなどを取り付ける改造を施工済。500番台で組成される。
- 弥彦線弥彦 - 吉田の全列車[165]・吉田 - 東三条の一部列車・出入庫を兼ねた越後線吉田 - 新潟1往復で運用され、近年では同地区のE127系の代走で白新・羽越本線に入線することもあった。2015年3月ダイヤ改正でY1 - 3の3編成全車が運用離脱し、同年7月15日に廃車されている[61]。
- 全車0番台からの改造車でトイレはなく、冷房装置はSIVからの給電によるAU712形を搭載するため、MG交換は実施されていなかった。
- Y1編成には最後まで鋼製ドアが残っていた。
- 訓練車編成(C1編成 廃車)
- 長岡区時代から引き継いだ編成であるが、初代は非冷房の4両編成[注釈 52]で1次新潟色最後の車両。2代目は冷房搭載の湘南色[57]2両編成[注釈 53][158]である。車番変更によりクモヤ115-1+クモヤ114-1[203]となった。2016年6月17日付で廃車された[62]。
過去の配置車両基地
豊田車両センター(八トタ)
2014年1月までは、300番台による3両編成×12本・6両編成×1本[53]と基本番台4両による訓練車編成x1本[204]の総数46両が配置されていたが、同年夏までに6両編成と訓練車編成が廃車となり、300番台3両編成×12本総数36両に減少。同年12月7日からは、運用を長野総合車両センター所属の211系N編成に移管したため全編成が運用を離脱。2015年1月22日までに全36両が廃車された[174]。
所属車両の特徴としては70系電車時代から継続して横須賀線色を採用[126][57]したほか、近年では先頭車貫通幌を三鷹区時代からの長野方クハ115形装着から、長野総合車両センター所属車に合わせた新宿方クモハ115形装着へ変更。またモハ114形では1998年から集電用パンタグラフをシングルアーム式のPS35A・B形へ交換していた[205]。
保安装置はATS-P・SNを搭載し、デジタル無線および運転台への簡易モニター設置が施工済であった。このため運転台後部ロングシート上荷棚部に機器箱が設置されていた。
さらに多くの編成が耐雪ブレーキを装備しており、列車番号表示機はLED式を助士席側に設置していた。車内の座席モケットは薄茶色を基調としたものであった[204]。

中央本線 相模湖 - 高尾
- M1 - 12編成
- 立川方からクモハ115形+モハ114形+クハ115形の3両で組成される編成で、全車日本車輌が製造した車両で統一される。またM9編成が車体更新工事を、M1・2・3・4編成が簡易リニューアル工事を、M5・6・10・12編成がリニューアル工事を施工済であった。
- 定期運用では3両編成単独または2本組合せの6両編成で中央本線立川[193][注釈 54] - 小淵沢間の八王子支社管内ならびに富士急行線河口湖まで[注釈 55][57]、3両編成単独のみで塩山 - 甲府 - 韮崎の区間列車[注釈 56][204]に充当された。
1993年12月のダイヤ改正以前は新宿乗り入れ[注釈 57]、2000年12月のダイヤ改正以前は中央本線・篠ノ井線経由で長野までの広域運用が存在したが、それ以降は甲府以西の運用が長野支社に移管されたため所属車が大量に松本運転所へ転出した経緯がある[126]。
- 臨時運用では以下の列車に投入された。
- 「快速スイッチバック街道」(2007年秋 長野 - 聖高原)
- 「惜別スイッチバック街道羽尾号[206]」(2008年7月 長野 - 聖高原):長野総合車両センター所属のクモユニ143-1・3と連結した5両編成[207]で運転
- 「115系大糸リレー」(2008年9月 松本 - 南小谷[208])
- 「ひまわり号」(2010年10月・11月 立川 - 千葉・四街道 - 立川)[209]:M4編成を充当
- 「さだまさし3776号」(2010年7月運転[210]):M7編成を充当
- 2014年12月7日以降は長野総合車両センター所属211系N編成への移管により運用離脱したが、直前の同月5日にはM2 - M5・M11編成に豊田車両センター武蔵小金井派出への疎開回送を実施[211]。長野総合車両センターへの廃車回送は、同月9日・10日にM1・M2・M4・M6編成へ[212](廃車日は同月10日・11日[174])、同月24日にはM5・M11編成へ(廃車日は同月19日[174])、2015年1月7日にはM10・M12編成へ[213](廃車日は同月8日[174])、同月14日にはM7・M8編成へ実施(廃車日は同月15日[174])。同月21日にはM3・M9編成が豊田 - 松本間(辰野支線経由)で廃車回送を兼ねたさよなら団体列車「ありがとう八トタ115系号」として最後の営業運転を実施。松本到着後に長野総合車両センターへ回送[214]。翌22日付で廃車[174]。
快速「むさしの」(上)
快速「ホリデー快速鎌倉」(下)
- M40編成
- 2000年に松本へ転出したグループ内で唯一廃車されず、2002年に当センターへ再転入した6両貫通編成である。モハ114-374には霜取用にPS23形パンタグラフを搭載[204]、サハ115-319は最後まで残存した300番台サハ[110]など数々の特徴を持ち合わせていたほか、中間のモハ115-348+モハ114-374のみが川重製で小山配置を経て1986年に豊田へ転入した車両で他は日本車輌が製造した編成である。2014年1月27日に中間のサハ115-319+モハ115-348+モハ114-374を後述のW2編成に組み込み長野総合車両センターへ廃車回送を実施[38]。残存した3両も2014年7月26日付で廃車された[172]。
- 他の編成と異なり中央本線運用には投入されず、武蔵野線快速「むさしの」(2010年12月3日で終了)[215]・「ホリデー快速鎌倉」[215](2013年9月23日で終了[216])の定期運用をほぼ専従としたほか、長野総合車両センター所属車C編成定期運用の代走[217]・波動輸送[215]・乗務員訓練[218]などのほか、以下の波動輸送運用にも投入された。
- 「ひまわり号」[219]
諏訪湖祭湖上花火大会臨時列車[220]
- 115系の日「武蔵小金井駅開業85周年号」(2011年1月15日)[221]
- 「こんにちは富士山駅号」(2011年7月2日)[222]
- 快速「富士河口湖号」(2011年8月6日・20日・27日)[223]
石和温泉行「温泉快速」(2011年9月24日)[224]
- 「旅のプレゼント三多摩号」(2011年10月22日)[225]
- 急行「なつかしの115系かいじ号」(2012年10月20日・21日)[226]
- 快速「むさしの奥多摩号」(2012年11月10日・17日・23日・24日、2013年4月27日 - 29日・5月3日 - 6日)[227]
- 「富士山マラソン」に伴う臨時快速列車(2012年11月25日)[228]
- 快速「おさんぽ川越号」(2013年1月26日・2月9日)[229]
- 団体列車(2013年5月19日):八高線・五日市線に入線[230]。
- 快速「白い砂号」(2013年7月6日)[231]・「青い海号」(2013年7月7日)[232]
- 「ひまわり号」[219]
- W2編成

W2編成
- 訓練車編成[233]でモヤ115形が組み込まれた4両編成である[57]。
- 前照灯は白熱灯用大型ケーシングをそのまま流用したシールドビーム化改造が施工済である[126]。
- 2014年1月28日付で廃車[38]。
豊田車両センター配置車編成表 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
← 立川・河口湖 富士山・小淵沢 → | |||||||
編成 番号 |
クモハ115 |
モハ114 |
クハ115 |
製造 メーカー |
更新 工事 |
廃車日 |
|
M1 |
304 | 332 | 354 | 日本車輌 | 簡易 リニューアル |
14.12.10 |
|
M2 |
305 | 333 | 356 | 14.12.11 |
|||
M3 |
306 | 334 | 358 | 15.1.22 |
|||
M4 |
307 | 335 | 360 | 14.12.11 |
|||
M5 |
308 | 342 | 370 | リニューアル | 14.12.19 |
||
M6 |
309 | 343 | 372 | 14.12.10 |
|||
M7 |
310 | 344 | 374 | 未施工 | 15.1.15 |
||
M8 |
311 | 345 | 376 |
||||
M9 |
312 | 346 | 378 | 車体更新 | 15.1.22 |
||
M10 |
313 | 347 | 380 | リニューアル | 15.1.8 |
||
M11 |
315 | 349 | 384 | 未施工 | 14.12.19 |
||
M12 |
325 | 361 | 412 | リニューアル | 15.1.8 |
||
M40 |
クモハ115 -318 |
モハ114 -354 |
サハ115 -319 |
モハ115 -348 |
モハ114 -374 |
クハ115 -398 |
|
W2 |
クハ115 -207 |
モヤ115 -6 |
モハ114 -827 |
クハ115 -108 |
|
小山車両センター(宮ヤマ)

1966年(昭和41年)に宇都宮運転所より移管されて以来、新前橋電車区所属車とともに最大15両編成で東北本線・高崎線の上野口普通列車の主力として運用されていたほか、タウン・アーバンやスイフト・ラビットなどの快速列車でも運用された[234]。当時は基本編成7両・付属編成4両の11両[235]のほか、4両編成2組を繋いだ8両を中心に運用され[236]、2001年12月から2002年7月にかけては湘南新宿ライン運用にも投入され、東海道線の113系との並走シーンなども見られた[17]。このため先頭車前面の種別表示器に「横須賀線直通」「宇都宮線直通」などのコマも追加された[237]。また2000年ごろから当センター在籍のロングシート車には客室窓下段を固定する(窓戸錠を撤去)工事が施工された。
E231系の増備により、2002年7月24日のダイヤ改正で湘南新宿ライン[238]、2003年に高崎線での運用が終了[239]。最後まで残存した東北本線での定期運用も2004年10月ダイヤ改正で終了し[注釈 58][注釈 59]、2005年1月15日にさよなら運転を実施した[239]。
その後、4両のY427編成のみが大宮支社管内の予備・訓練車兼用として使用するため残存した。訓練車として宇都宮運転所・黒磯駅・川越車両センター・大宮総合車両センター・東京支社への貸出も行われたほか、営業運転では日光線や青梅線などホーム有効長が短い路線での臨時列車にも投入された。しかし最後まで残っていた大宮 - 奥多摩間の快速「むさしの奥多摩」運用が201系「四季彩」に置換えられ、2007年3月にE231系付属編成(U-118編成)の増備により訓練には当日予備の車両を使用する体制となったため2007年12月1日付で廃車となり、同センターの本系列配置は終了した。
松本車両センター(長モト)
国鉄末期の松本運転所時代には長野鉄道管理局の全運用を担当していたが、分割民営化直前の1986年11月1日ダイヤ改正で信越本線の運用は長野運転所に移管され、中央本線甲府以西・大糸線・篠ノ井線の運用を担当した。
北陸新幹線が一部先行開業した1997年には、当所配置車両がしなの鉄道へ譲渡された。
その後、2000年12月に中央本線・大糸線・篠ノ井線関係の運用を長野総合車両所(当時)に移管し、豊田電車区が担当していた中央本線小淵沢以西の長野支社管内運用が分離移管されることになった。これにより豊田区から転入した基本番台・300番台初期車から3両編成x2本による6両のB編成が組成された。また3両編成のB編成のうちB36・B35編成[注釈 60]は伊豆急行に譲渡され同社の200系となった[240]。さらにE231系電車配置で余剰となったものの状態の良かった小山所属の300番台後期・1000番台車に置換えられた。
しかし、2007年3月18日に長野総合車両センターに運用移管されることになり全車転出。本系列の配置がなくなった[159]。
長岡車両センター(新ナカ)
1999年12月4日のダイヤ改正で、所属車両はすべて上沼垂運転区(現・新潟車両センター)に転属した[130]。所属車両は現在のS編成にあたる。
JR東海
99両が継承され当初は静岡車両区・神領電車区・豊橋機関区に配置されたが、1988年に静岡に配置が集約され、東海道本線・御殿場線・身延線・飯田線などで運用された。2000年代に突入しても大きな変化はなかったが、以下の要領で運用が縮小された。
2006年10月10日:大垣車両区より転入した211系5000番台に変更され東海道本線静岡以西での運用を終了。
2007年:1999年から投入されてきた313系3000番台に置換えられることになり、以下の日付を持って各線区での運用を終了。
2月13日:御殿場線
2月14日:東海道本線熱海 - 沼津・富士 - 静岡
3月17日:東海道本線沼津 - 富士・身延線・飯田線
これにより1979年(昭和54年)以来続いてきた同社管内での本系列による営業運転が終了した[47]。2008年4月に残存していた静岡車両区B1・7・8・11編成の4本12両が廃車され、同社からは本系列が全廃となった[66]。
なお、中央本線塩尻 - 中津川と飯田線飯田以北ではJR東日本長野総合車両センター所属車による運用も存在した[241]。
静岡車両区(静シス)
2006年4月1日時点で残存していたB編成13本とS編成8本(いずれも3両編成)について解説する。

(赤2号・クリーム10号)

(ぶどう色2号・クリーム10号)

- B編成
クモハ・クハ115形2000番台と身延線低断面トンネル対応のモハ114形2600番台から組成される編成で東海道本線・御殿場線・身延線・飯田線で運用。
新製投入時は赤2号地色にクリーム10号帯の通称「身延色」に塗装されたが、JR化後に順次湘南色へと塗り替えられた[66]。
身延線では昼間帯がワンマン運転となるため留置が多く、以下の特徴を持つ編成が在籍した。
- B4編成(クモハ115-2004+モハ114-2604+クハ115-2025)
1998年(平成10年)の身延線全通70周年記念として約1年間限定で「身延色」に復元された編成[66]。
- ただし名古屋工場担当者の手違いで2日間だけ茶色(ぶどう色2号)の地色で運転された[注釈 61][注釈 62]。
- B5編成(クモハ115-2005+モハ114-2605+クハ115-2026)
- S4編成が車両故障で運用を離脱したため代替として2006年12月にS編成運用に転用された。
- 運用から外れたS4編成は修復されることなく2007年に廃車となった。
- B8編成
- モハ114-2608は霜取対策のため381系の廃車発生品パンタグラフを搭載し、1999年以降パンタグラフを2基に増設したJR東海所属唯一のモハ114形であった[47]。以前はクモハ115形+モハ114形+モハ114形(サハ代用)+クハ115形の変則4両編成で霜取を実施していたが、解消のため改造された[66]。このため同編成は、冬期間は身延線限定運用としたほか、2007年の営業運転終了後も残存した。
- S編成
クモハ115形1000・1500番台+モハ114形1000番台+クハ115形基本番台・600番台・1000番台から組成される編成。S1 - 7編成は国鉄時代には松本運転所に所属していた車両で、分割民営化に中央西線がJR東海に管轄されることから神領電車区(現・神領車両区)に転入した編成。中央本線中津川以北で運用されていたが、飯田線で運用されていた165系が2扉のため通勤・通学輸送時の運用に障害があったことから、入れ替わる形で静岡区に転入してきた編成である。またクハ115形は室内化粧板・鋼製ドア・背もたれの手摺が未更新の車両中心でS2編成のクハ115-616のみ室内化粧板・ドアをクリーム系色に交換・塗装変更が施工された。
東海道本線・御殿場線・飯田線のほか、快速「みすず」でJR東日本管内に中央本線・篠ノ井線を経由し長野まで乗り入れる運用が1日1往復あった。
以下の特徴を持つ編成が在籍した。
- S1編成(クモハ115-1039+モハ114-1053+クハ115-1040)
- C-AU711系集約分散式冷房装置の試作改造車。室内冷房風道形状が量産改造車では室内灯と一体化されているのに対し、単独であるなどの相違が見られた。同編成は2006年9月に廃車解体された。
- S8編成(クモハ115-1523+モハ114-1171+クハ115-188)
- 電動車ユニットは1986年11月改正までは松本運転所所属で主に大糸線で運用されていた。同ユニットと入れ替る形でクモハ115-520+モハ114-831が岡山電車区へ転出。
- クハ115形は1985年に三鷹電車区から転入。原型前照灯のまま2006年11月に廃車となり、同年12月2日に浜松工場で解体された。
JR西日本
現在の配置車両基地

国鉄民営化時に590両を継承し[18]、2018年(平成30年)10月1日現在でも福知山電車区・岡山電車区・下関総合車両所運用検修センターに347両が配置されている[242]。
同社の車両の特徴として大半の車両が40Nもしくは30Nの体質改善工事を施工されており、EBリセットスイッチなどの機器類更新はもちろんのこと、内装も223系並みに換装されている。なお、広島地区で運用されている車両については2015年(平成27年)春より227系への置き換えが開始されている[243][244]。
運用面では、岡山・下関の両車両基地では山陽本線での長距離運用や広島地区のラッシュ時運用で相互乗り入れ・併結などの旅客需要に応じた柔軟な対応が行われている。
福知山電車区(福󠄁フチ)
- R編成(2両編成)
2012年8月30日付で京都地域色に塗装変更された2両のR1編成(クモハ115-6510+クモハ114-6123)のみが所属する[245]。当区所属の113系2両編成と共通で、舞鶴線・山陰本線綾部 - 城崎温泉[246]で運用される。
当区への本系列配置は、国鉄時代の福知山線電化開業により113系800番台が配置されたが、JR化後の1988年11月に運用数が増加したため岡山電車区から4両編成2本(K13・K14編成)が転入したことが起源である[239]。
- K14編成は1993年に組成変更され3両のY1編成となった[注釈 63]。なお同編成は1999年5月に消滅した。
1999年10月の舞鶴線電化開業により網干区および岡山区所属のクモハ115形+モハ114形ユニット5組10両がモハ114形のクモハ114形化・ワンマン運転対応などの6000番台化改造工事を施工されR編成5本(R1 - R5)として転入。4両のK13編成と合わせて計14両の配置となり以下の運用に投入された。
- K13編成[注釈 64][247]:福知山線全線(113系K編成と共通運用)
- R編成:山陰本線京都 - 城崎間(京都 - 園部間では京都総合運転所所属113系との併結運用も存在)・舞鶴線(113系S編成と共通運用)
K13編成は、2004年6月に運用を離脱。下関地域鉄道部に転出しC43編成となる。K・S編成による福知山線運用は同年10月16日ダイヤ改正で消滅した。
R編成は、2008年から223系5500番台が投入されたため上述のR1編成を除き下関総合車両所に転出[248]。2010年3月13日ダイヤ改正で山陰本線京都 - 綾部間での運用を終了。
岡山電車区(岡オカ)

1987年 岡山
2018年10月1日現在300番台・1000番台を中心に157両が配置され[249]、山陽本線姫路 - 広島間[注釈 65]・伯備線[注釈 66]・山陰本線伯耆大山 - 西出雲間[注釈 67]・福塩線福山 - 府中間[注釈 68]・赤穂線播州赤穂 - 東岡山間・宇野線[注釈 69]・本四備讃線・予讃線宇多津 - 多度津間・土讃線多度津 - 琴平間[252]で運用される。
1990年代中期までは基本番台・800番台の非冷房車も所属しており、非冷房のまま1992年に廃車されたモハユニット・クハ115形トップナンバーの最終配置も当区所属であった[注釈 70]。
300番台は1986年に三鷹電車区から転入のMc+M'+Tc元横須賀色車[注釈 71]と小山電車区から下関転出後の1993年に岡山へ再転入してきた車両で当区新製配置車両は1000番台のみである。
2007年よりATS-P搭載工事が施工開始され2009年度にG編成を除き完了した[注釈 72]。
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A-04編成 関西更新色塗装 |
A-13編成 湘南色塗装 |
- A編成(A01 - 04・06・07・10・12・14 - 17編成)
- 4両編成12本計48両のグループ[249]。すべて1000番台体質改善車で構成される。体質改善工事は以下の要領で施工[249]。
- 40N:A02編成・A10編成のクハ115-1206を除く3両[注釈 73]
- 30N:A01・03・04・06・07・12・14 - 17編成・A10編成のクハ115-1206[注釈 73]
- 40N:A02編成・A10編成のクハ115-1206を除く3両[注釈 73]
- 全編成とも濃黄色への塗装変更を施工[249][253]。
- 2004年に一部編成がD編成化され編成番号に欠番が発生した。
- A05・09・11・08編成 → D28 - 31編成。
- 唯一300番台で組成されていたA13編成は、クハ115-325+モハ115-316を2015年9月9日に廃車[119]。クハ115-326+モハ114-316はD24編成に組み込まれた[120]。
- 2015年に、K02・03・07編成の先頭車と下関総合車両所広島支所(旧L16編成)および下関総合車両所運用検修センター(旧O04・R02編成)から転入[254]した1000番台中間車で、A14 - 16編成が組成された[120]。
- 2016年に、K01編成の先頭車と下関総合車両所運用検修センター(旧L15編成)から転入[255]した1000番台中間車で、A17編成が組成された[256]。
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D06編成 40N体質改善工事施工車 現在は濃黄色に塗装変更 |
D07編成 30N体質改善工事施工車 現在は濃黄色に塗装変更 |
- D編成(D01 - 31編成)
- 3両編成31本計93両のグループ[249]。岡山地区短編成化に伴い組成された3両編成グループが元である[257]。1985年4月の時点で18本、1986年10月の時点で40本が存在した[257][258]。当時は1000番台で構成されたD1 - 34編成[注釈 74]と三鷹区から転入300番台で組成されたF1 - F6編成に区分され、F編成は当初の「山スカ色」から「湘南色」への塗装変更が施工された。
- 京阪神地区輸送力増強用として1992年に5本が網干区に、1999年舞鶴線電化用として2本が福知山区に転出し、2001年に伯備線ワンマン運転用として8本がG編成として改造分離された。網干区転出編成のうち300番台2本は1996年に再転入、2004年には運用増加に伴い4本がA編成から改造・編入し現在に至る。
- 本グループは以下に細分化される。

D26+D27編成
- 300番台体質改善工事未施工グループ
- D22 - 27編成で塗装は以下に分類される[249]。
- D22 - 25編成:濃黄色。
- D26・27編成:湘南色。
- 全編成とも濃黄色への塗装変更を施工する予定であったが、乗客からの要望によりD26・27編成は湘南色塗装が継続されており、2017年に塗装が修繕された[259]。
- 1000番台体質改善工事施工グループ
- D01・06・13編成:40N[249]。
- D02 - 05・07 - 12・14 - 21・28 - 31編成:30N。
- さらに編成ごとでは以下の特徴を持つ。
- D01 - 21編成:クモハ115形は先頭車化改造車1500番台[249]。
- D01・06編成:モハ114形パンタグラフ2基搭載[249]。
- D14編成:2017年3月1日から倉敷市下津井地区を舞台にした「ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜」のラッピングを施工[260][261]。
- D18編成:2004年の台風16号による高潮のため宇野線宇野駅構内で留置中に水没。一時使用不能となったが網干総合車両所で長期にわたる修理の後に復帰した。
- D22・23編成:高速化対応車の5300・5800番台から2008年度に対応解除され原番号に復帰[262]。
- D24編成:2015年2月13日に発生した踏切事故でクハ115-408、モハ114-359が大破。その後、大破した2両と交換する形で旧A13編成のクハ115-326+モハ114-316を組み込み[120]。それまで組成されていた2両は、2016年3月1日付で廃車[118]。
- D25 - 27編成:耐雪ブレーキ非装備[249]。
- D27編成:2003年10月 - 2006年12月[注釈 75]に独自の黄色塗装がされていた通称「こんぴら編成」。
- D28 - 31編成:A編成を3両化した編成[263]。クモハ115形は先頭車化改造車1600番台[249]で2012年4月24日までに濃黄色塗装へ変更済[264]。
- G編成(G01 - 08編成)

- 2001年にD編成からクハ115形を外しモハ114形のクモハ114形化改造により組成された編成で赤穂線播州赤穂 - 東岡山間[注釈 76]・山陽本線瀬戸 - 倉敷間[注釈 77]・伯備線・山陰本線米子地区伯耆大山 - 西出雲間乗り入れ用ワンマン運転対応の2両編成8本計16両のグループ[249]。
- 上り方先頭車は国鉄時代の先頭車化改造施工車であるクモハ115形1500番台を連結。全車トイレを設置。
- 下り方先頭車は切妻型非貫通先頭車であるクモハ114形1000番台を連結。全編成がパンタグラフは2基搭載。
- 改造と同時に40N体質改善工事を施工[249]されたが、車内はセミクロスシート(クロスシートはボックスシート)のままである。
- 2011年10月3日までに全編成が濃黄色塗装に変更済み[265][249]。
なお過去に存在したが現在は消滅した編成について以下で解説する。
- K編成(現在は消滅)
- 電動車ユニットが117系改造車の3500番台で組成されていた4両編成のグループ。A編成と同じ4両編成であるが、限定運用が組まれていた。
- 岡山地区短編成化に伴い組成された4両編成が祖となるが[257]以下の変遷を経てK編成に至る。
- 当初は下り方先頭車が非冷房のクハ115形0・600番台、そのほか3両が1000番台で組成された[注釈 78]。
- 1992年に京阪神地区の輸送量増大により113系のみでは車両不足となったこと。221系の投入により宮原所属の117系に余剰発生していたことから車両交換をする形で上述編成の電動車ユニットが網干区に転出。117系はモハ115・114形3500番台に改造の上で転入し編成組成された。
- 1994年から非冷房の下り方先頭車を冷房車のクハ115形300・600・1000番台に組み替え全車冷房化された。
- さらに600番台は、2001年のG編成組成で捻出されたクハ115形1000番台に置換えられた。
- 2015年にK02・03・07の3本は、先頭車6両が上述の通りA編成に転用され、中間車6両は2015年4月から6月にかけて廃車された[119]。同年12月にK04・05の2本も廃車された[118]。
- 2016年にK01は、先頭車が上述の通りA編成に転用され、中間車は2016年3月に廃車された[118]。同年6月に、クハ115形が300番台で電動車ユニットの3500番台のみ30N体質改善工事を施工されていた[266]K06も廃車され[267]、K編成は消滅した。
- B編成(現在は消滅)
- 1976年に転入してきた0番台非冷房車で組成された6両編成グループ(TcMM'MM'Tc)が、短編成化のため1985年3月ダイヤ改正でMM'ユニット1組を減車して組成された。
- 1985年4月時点で14編成[257]、1986年11月時点で12編成が在籍した[258]。編成バリエーションには中間にクモハ115形を組み込む編成(TcMcM'Tc)も存在したが、京阪神地区からの103系(冷房車)の転入や編成短縮などによる余剰車での置換えが進行し、1997年までに消滅した。
下関総合車両所運用検修センター(広セキ)
![瀬戸内色(クリーム1号と青20号[57])](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/bb/Tc115_setouchi_color.png/200px-Tc115_setouchi_color.png)
2018年10月1日現在、188両が所属[268]。主に山陽本線三石 - 下関間・呉線・可部線[269]で運用される。かつては0・550・600・650・750番台などを中心に異端車が数多く存在していたが、227系投入後は大幅に廃車整理が進められてその多くが消滅している。
所属編成について以下で解説を行う。


クハ115-556
AU13形分散式冷房装置6基搭載車
- C編成(C21編成)
- 600・1000・2000番台で組成される4両編成2本計8両のグループ[268]。全車濃黄色塗装に変更済である[268]。
- 1999年から体質改善工事を施工し、編成単位で施工された編成はL・O編成として分離された。
- MM'ユニットが全車2000番台でユニット車両番号下2桁が編成番号と一致する。原則として編成単位で体質改善工事が施工された編成はL編成に、先頭車両が3000番台の編成は応荷重装置を搭載してO編成に分離されたが、2015年度の組替で全車2000番台かつ体質改善工事施工済みとなったC21編成はC編成のままである[268]。
- かつては、分割民営化直前に小山電車区などから転入の300番台で組成する、体質改善工事未施工車のみの編成も存在したが、2016年10月までに廃車されている。
- 2015年度上半期にC30・C32 - 34・C41編成の5本20両を廃車。C41編成は先頭車が0番台で、MM'ユニットが網干区から転入の1000番台であった。
- 2015年度下半期にC14・35編成とC16編成の0番台先頭車2両、C21編成の0番台先頭車1両を廃車[118]。C16編成の2000番台中間車は後述のL15編成に組み込まれ、C21編成には旧R05編成の2000番台先頭車が組み込まれた[270]。
- 2016年度上半期にC36・37編成(体質改善工事未施工の300番台)の2本8両を廃車[267]。
- 2016年10月6日にC31編成(体質改善工事未施工の300番台)の4両を廃車[271]。
- 2018年秋C13編成が廃車
広島更新色

黄5号単色塗装
- N編成(N01 - 12・14・16 - 21編成)
- 2扉車両で構成される4両編成19本計76両のグループ[268]。クハ115形車両番号下2桁と一致されるため13・15が欠番である。
- 全車30N体質改善工事を施工済。
- MM'ユニットはN14・16 - 21編成が3500番台のほかは3000番台で組成される。
- 当初は広島快速塗装であったが、2008年にN21編成が30N体質改善工事との同時施工で体質改善色に塗装変更を実施[272]。
- ただしN12編成は1999年5月1日に開業したしまなみ海道のPRのため「しまなみ海道'99」特別塗装を施され岩国 - 岡山間・呉線・小郡 - 和気間で重点的に運用された[273]。
- 2010年1月20日に出場したN05編成から濃黄色に塗装変更[274]。2018年4月現在、N01 - 12・14・19 - 21編成が濃黄色に塗装変更されている[268]。
- かつては山陽本線三石 - 下関・呉線・可部線で運用されていたが、2016年3月26日以降は山陽本線岩国 - 下関限定となった[275]。
- O編成
- 1000・2000番台から組成される4両編成2本計8両のグループ[268]。C編成からの変更時に全車30N体質改善工事・応荷重装置の搭載が施工された。2015年度上半期に、O01・02編成の2本は3000番台の先頭車4両が廃車され[119]、2000番台の中間車は旧O01編成の2両が(新)O04編成に、旧O02編成の2両が(新)R02編成に組み込まれた。なお(旧)O04編成および(旧)R02編成の中間車各2両は、岡山電車区へ転出しA編成に組成された。
- 旧O01編成←C02編成(2009年4月上旬)
- 旧O02編成←C20編成(2009年5月上旬)
- O03編成←C25編成(2008年10月中旬)
- (旧)O04編成←C39編成(2009年3月上旬)
- 2012年3月にO03編成が濃黄色に塗装変更された[268]。
- T編成(T11 - 14編成)
- 山陽本線岩国 - 下関間で限定運用される2両編成4本計8両のグループ[268]。
- 本グループは老朽化廃車となったT01 - 04編成の置換え名目で投入されたが、福知山電車区への223系5500番台導入で捻出転入された110km/h運転対応の6000番台から原状復帰させた1000番台で組成される。40N体質改善工事も施工されているが、車内はセミクロスシートのままである。
- 2012年10月1日に出場したT14編成を皮切りに[276]全車両とも濃黄色に塗装変更された[268]。
- R編成(R01 - 02・04編成)

- 電動車ユニットが旧G編成もしくはC編成。クハ115形は1両を除き、広島支所に所属していた113系F編成のクハ111形改造車の2500・2600番台で組成される4両編成3本計12両のグループ[94][268]。
- R01・04編成は濃黄色塗装、R02編成は瀬戸内色塗装である[94][277][268]。
- 2015年度上半期に、R02編成は上述の通り中間車2両を差替え。R07編成は廃車された[119]。
- 2015年度下半期に、R05編成は分割され、2000番台の電動車ユニットはR03編成に組み込まれて従来R03編成を組成していた0番台電動車ユニットは廃車された。2600番台先頭車1両は廃車され、2000番台先頭車1両はC21編成先頭車を置換えた[270][118]。
- 2018年4月11日付でR03編成が廃車となった[278]。
- L編成(L01 - 10・12 - 17・19・21・22編成)
40N体質改善工事施工車
40N体質改善工事施工車
黄5号単色塗装

カープラッピング車

30N体質改善工事施工車
- 2015年から2016年にかけて下関総合車両所広島支所から転属した4両編成17本(L15・L16編成以外)と、C16編成から両先頭車が廃車され残った電動車ユニット2両と下関総合車両所広島支所から転属した先頭車2両を組み合わせた4両編成1本(L15編成)、R06編成から両先頭車が廃車され残った電動車ユニット2両と下関総合車両所広島支所から転属した先頭車2両を組み合わせた4両編成1本(L16編成)の計76両のグループ[268]。
- L01 - 13編成は40N体質改善工事施工車[268]。L14 - 22編成は30N体質改善工事施工車[268]。
- 所属車の大半が2000番台車であるが、L15編成とL16編成の先頭車計4両、L17編成下関方クハ115形は1000番台車[268]。L15編成は下関転属後の2016年に中間車1000番台2両が岡山電車区へ転出し[255]、旧C16編成の2000番台中間車に置き換えた[270]。
- 2018年6月21日付でL20編成が、2018年9月19日付でL11編成とL18編成が廃車となった[278]。
- 全編成濃黄色塗装変更済みである[268]が、以下のラッピングが施工された編成がある。
- 下関総合車両所広島支所時代は以下の通り。
- 2012年3月にL02編成へプロ野球シーズン開催期間中「カープ応援ラッピングトレイン」を施工[279]。
- 2013年3月にL13編成へプロ野球シーズン開催期間中「カープ応援ラッピングトレイン」を施工[280]。
- 2013年7月5日より広島県デスティネーションキャンペーンの一環としてL12編成が「まんぷく宝しま号」として走行[281]。
- 2014年3月23日からL01編成がプロ野球期間中「カープ応援ラッピングトレイン」として走行した。
- 2015年3月22日からL11編成がプロ野球期間中「カープ応援ラッピングトレイン」として走行した[282]。
- 運用検修センター転属後は以下の通り。
- 2016年3月21日からL08編成がプロ野球期間中「カープ応援ラッピングトレイン」として走行した[283]。
- 2016年7月23日からL22編成が「JR西日本 せとうち GOLD RALLY 2016」の一環として映画「ONE PIECE FILM GOLD」のラッピングを施工[284]。
- 2017年3月26日からL16編成が同年12月まで「カープラッピング」にて走行[285]。
- 2017年2月20日からL17編成が2018年1月まで「サンフレッチェ応援ラッピング」にて走行[285]。
- 2018年2月16日からL04編成が「サンフレッチェ応援ラッピング」にて走行[268]。
- 2018年3月24日からL05編成が「カープラッピング」にて走行[268]。
なお現在は消滅した編成については以下の3つがある。
黄5号単色塗装

- G編成
- 下り方先頭車は600番台車、上り方先頭車は奈良電車区から転入のクハ111形で組成された4両編成でG01 - 03編成の3本が在籍していた。老朽化に加えて客用扉の半自動回路は未装備で扱いができないことから、2012年中にすべてR編成化された。
- 電動車ユニットは未更新車。G02編成は300番台車で元岡山電車区所属。G01・03編成は網干電車区所属110km/h運転対応工事を施工し原番号+5000とされた1000番台車である。
- クハ111形は主幹制御器の交換をはじめとする抑速ブレーキ対応改造工事が施工済。
- G01編成は最も遅くまで前照灯が原形のままであったが、2008年5月にシールドビーム化された[85][286]。
- G02編成は以下の特徴をもつ。
- 2010年6月3日に黄色一色に塗装変更された[287]。岡山方先頭車のクハ111-139は前照灯シールドビーム改造車である。
- 下関方先頭車のクハ115-622は張上屋根化と化粧板ならびに座席番号を広島運転所L編成と同品に交換。ただし網棚とセミクロスシートは未交換の簡易リニューアル工事施工車。このクハ2両は2012年7月のR編成化時に廃車。
- T編成(T01 - 04編成)
- 先頭車化改造されたクモハ115形+クモハ114形550番台で組成された2両編成。車内はバケットタイプのオールクロスシートに木目化粧板の仕様とされ、105系冷房改造車と同じ直流1,500V直接駆動によるWAU202形を搭載した。福知山区から上述したT11 - 14編成編成の転入により2008年12月にT01編成が、2009年にT02・03編成が、最後まで残っていたT04編成が2010年1月に廃車となった[288]。
- H編成(H01編成)
- 4両編成1本が所属していた。MM'ユニットは網干区から転入の6000番台から復元した1000番台、両先頭車は福知山電車区から転入のクハ111-811・812で構成されており、寒冷地対応で客用扉半自動回路も装備していた。
- 当初は福知山区から転入の113系800番台のみで編成が組成されたが、2002年にMM'ユニットが本系列に組み替えられた。その際にクハ111形の主幹制御器交換を実施したため、抑速ブレーキとノッチ戻し機能が使用可能となった。2013年10月15日付で車体塗装を濃黄色に変更したが[289]、2016年1月9日付で廃車[118]。
過去の配置車両基地
網干総合車両所(神ホシ)
1992年に新快速運用が減少した宮原電車区(現・網干総合車両所宮原支所)の117系が岡山に転出となったため、それと入れ替わる形で岡山電車区からの転入によって配置された。転入に際して#高速化改造が行われた。
所属する113系と同様に7両編成および4両編成を組んだが、7両編成ではクモハ115形を含む6M1T(Mc+M'+M+M'+M+M'+Tc)と電動車比率が高い編成も存在した。この編成は1999年5月10日のダイヤ改正で運用を終了し[290]、クモハ115形+モハ114形ユニット計6両は舞鶴線電化用として転用された。
以後はクハ111形およびサハ111形と4両および7両編成を組成したが、2004年10月16日ダイヤ改正で運用を失い下関区に転出し配置車両がゼロとなった。
下関総合車両所広島支所(広ヒロ)
2015年10月4日時点では、4両のL編成2000番台7本(L05 - 11編成)28両が在籍し[282]、山陽本線[241]・呉線[291]で運用されていたが、2016年3月までに全車下関総合車両所運用検修センターに転属した。
L編成は下関本所所属時代にはC編成と呼称されていたが、1999年以降に編成全体で以下の体質改善工事が施工され現名称に変更された。
- 1999年 - 2001年10月施工のL01 - 13編成は40N[270]。
- 2002年 - 2004年施工のL14 - 22編成は30N[270]。
体質改善工事施工直後は呉線快速「安芸路ライナー」で運用されていたが、広島シティネットワークでの快速列車本格導入に伴い快速「シティライナー」「通勤ライナー」などほぼ山陽本線限定運用に近い形態となった。その後快速列車の激減により、普通列車を中心に運用された。
2015年3月にL02・03・12編成とL16編成の先頭車が同所の運用検修センターへ、翌月にL16編成の中間車が岡山電車区へ転属した。その後、同年7月にL01・14・17・18・20編成、同年10月にL04・13・15・19・21・22編成、2016年3月にL05 - L11編成が運用検修センターに転属して配置車両がゼロとなった[292][254][255]。
しなの鉄道


(現・S21編成)
しなの鉄道所属車は、全車JR東日本から車両番号を変更せず[293]に譲渡された車両で以下の3グループに分類される[161][294]。
1997年(平成9年)10月1日ダイヤ改正での北陸新幹線長野暫定開業に伴う信越本線軽井沢 - 篠ノ井間経営移管により169系電車とともに譲渡された元松本運転所所属[注釈 79]3両編成x11本計33両(うち3両は廃車)- 2013年3月16日ダイヤ改正で運用終了となった169系電車の代替で同年6月に譲渡された元長野総合車両センター所属2両編成x7本計14両
- 2015年3月14日ダイヤ改正での北陸新幹線金沢延伸開業に伴う信越本線長野 - 妙高高原間移管により譲渡された元長野総合車両センター所属3両編成×5本計15両
本項では移管時期に関わらず3両編成ならびに2両編成にわけて解説を行う。
- S1 - S4・S6 - S16編成
S1 - 11編成は1997年に譲渡されたグループである。譲渡後は以下の改造・変更を施工。
- 塗装は赤と灰色を基調に変更。
- S3編成は譲渡直前の1997年9月25日に実施、最後に変更された編成は2004年3月10日のS10編成である[294]。
- ドア上部に広告用液晶ディスプレイとドアチャイムを搭載。
- 車外スピーカーを設置し列車番号表示機を撤去。
- ワンマン運転対応設備の設置搭載。
- トイレは閉鎖し使用不可とした[注釈 80]。
- S8編成は移籍後にバイオトイレへ改造施工したものの同様の処置とされたが「ろくもん」改造と同時にバリアフリー対応トイレとして復旧。
- 床・窓・カーテン・CPなどの取替ならびにMGのSIVへ交換などの更新改造工事が進行中である。
- S5編成は2013年7月に長野総合車両センターへ回送後[296]、翌8月に廃車[162]された。
S12 - S16編成は2015年に譲渡されたグループであり、S1 - S4・S6 - S11編成と併せて3両編成x15本=45両が所属する。
また、一部編成に独自改造のほかラッピングならびに2017年7月から9月まで開催される信州デスティネーションキャンペーンに合わせ以降は長野県内を走行した本系列に関連するリバイバル塗装を施工した。
- S2編成:2012年8月4日 - 2013年12月25日 沿線の小諸市などを舞台にしたテレビアニメ「あの夏で待ってる」のラッピング施工[297][298][299]
- S3編成:湘南色[300]
- S7編成:初代長野色[301]
- S8編成:観光列車「ろくもん」改造編成[302] 2014年7月11日より運行開始[303]
- S11編成:2017年1月から2018年1月まで田窪恭治の作品「イイヅナのリンゴ」ラッピングを施工[304] 2018年3月よりコカ・コーララッピング編成[注釈 81]
- S15編成:2代目長野色[注釈 82]
- S16編成:横須賀色[306]
編成番号 |
クモハ115 |
モハ114 |
クハ115 |
備考 |
---|---|---|---|---|
S1 |
1004 | 1007 | 1004 | |
S2 |
1012 | 1017 | 1011 |
|
S3 |
1013 | 1018 | 1012 | 湘南色 |
S4 |
1066 | 1160 | 1209 | |
2013年8月廃車[162] |
||||
S6 |
1002 | 1003 | 1002 | |
S7 |
1018 | 1023 | 1017 | 初代長野色 |
S8 |
1529 | 1052 | 1021 | 「ろくもん」編成 |
S9 |
1527 | 1048 | 1223 | |
S10 |
1067 | 1162 | 1210 |
|
S11 |
1020 | 1027 | 1019 | コカ・コーラ ラッピング[305] |
S12 |
1036 | 1047 | 1037 | |
S13 |
1070 | 1167 | 1213 |
|
S14 |
1010 | 1015 | 1010 |
|
S15 |
1015 | 1020 | 1014 | 2代目長野色 |
S16 |
1072 | 1170 | 1215 | 横須賀色 |
- S21 - S27編成
元長野総合車両センター所属の2両編成(N51 - 54・56 - 58編成)[307]7本計14両で構成されるグループ。2013年3月16日改正より長野総合車両センター所属・長野支社塗装・黄色の編成番号札を装着したままの状態でしなの鉄道での運用を開始し、6月1日付で譲渡された[162]。譲渡後には側面のJRマーク部分と前面貫通扉にしなの鉄道のステッカーを貼付た上で編成番号をS21 - 27に変更した[308]。
譲渡の際に以下の改造工事を施工した。
- JR東日本所属だった2012年から2013年にかけてワンマン運転対応化設備の設置搭載[294]
- クモハ114形車端部に設置されるトイレ[注釈 83]は2013年3月16日以降使用停止[294]
- S23編成は2013年9月24日から2014年12月8日までに「AC長野パルセイロ」のラッピングを施工して運行[309]
- S26編成は2014年10月5日から2015年8月14日まで小諸市小諸青年会議所50周年記念事業の一環として、同市内の子供たちによって書かれた絵がラッピングされ、「ドリーム列車“絆”」の愛称を付けて運行
また譲渡時の編成番号変更は、JR時代に施工されたリニューアル工事の施工車と未施工車にわけたため、以下の通りとなった。
編成番号 |
クモハ115 |
クモハ114 |
旧編成番号 |
---|---|---|---|
S21 | 1011 | 1507 | N56 |
S22 | 1528 | 1508 | N51 |
S23 | 1037 | 1509 | N52 |
S24 | 1005 | 1510 | N58 |
S25 |
1075 | 1511 | N53 |
S26 |
1076 | 1512 | N54 |
S27 |
1040 | 1514 | N57 |
- ※太字(S21 - 24編成)はJR時代にリニューアル工事施工済み[294]
なお仕業検査は戸倉駅構内の車両基地で、交番検査・重要部検査・全般検査は屋代駅構内の長電テクニカルサービス屋代車両検査場で、それぞれ実施する。
伊豆急行
1990年代後半に伊豆急行では開業当初から運用を続けていた100系・1000系電車が老朽化のため代替が検討されており、東急8000系電車による置換えが計画されていた。しかし当時の東急は廃車を予定していなかったことや、サービスを維持するために片側2扉改造での導入は伊東線との直通運転に適していないこともあり、中継ぎとしてJR東日本から113系ならびに本系列を購入し、200系として導入[293]した。以下の2種類が本系列からの改造車である。
- タイプII
- 2001年・2002年に入線。松本運転所を廃車になった基本番台・800番台の3両編成6本18両で、F3 - 8編成となった[293]。
- タイプIII
- 2002年・2003年に入線。松本運転所を廃車になった300番台の3両編成3本9両で、F9 - 11編成となった[293]。
譲渡に際し自力走行で伊豆急行線に入線し、塗装ならびに仕様変更などの改造工事を伊豆高原電車区で施工した。
2004年から当初予定されていた東急8000系電車が伊豆急行8000系電車として譲渡開始され、2005年増備車から200系の順次置換えを開始。2007年までにタイプII全編成が廃車となり、続いてタイプIIIも2008年7月までに定期運用を終了。同年12月14日にF11編成による「伊豆急200系さよなら運転」をもってすべての運用を終了した[293][310]。
脚注
注釈
^ ただし最大両数は1985年度末時点で113系への改造が4両、113系からの改造編入が6両あるため1,923両である。
^ 扉の幅は1,300mmだが[1]、取手部分が戸袋に収納されない構造である[23]。
^ 手動段でのノッチ(制御段)を下げることが力行3 - 5段と抑速段で操作可能[28]。CS12形以前の電動カム軸制御器には本機構が搭載されていない。
^ 当初はCS12系列を搭載する予定だった[2]。
^ 当初は1000L×2機。
^ 元々は横須賀線・総武快速線用に17両製造されたものだが、定員が48人と少なく乗客の着席需要に応えられなかったため1976年に京阪神地区へ転出。しかし1980年に京阪神地区のグリーン車連結中止と横須賀線・総武快速線直通運転開始により関東地区へ再転出。
^ 電気機関車に搭載されている笛と同タイプ。
^ 宇都宮運転所へは1966年7月までの配置であり、以後は小山電車区への配置と変更になっている。また同時に宇都宮配置車は全車小山電車区へ転属となった。
^ 国鉄では800番台の番号区分を主に低屋根構造車に割当て、中央東線・身延線・篠ノ井線などのトンネル狭小区間での運用に対応させたした。同例はクモハ14形・クモハ40形・クモハ43形・クモハユニ44形・クモハ51形・クモハ60形・72系・80系・101系・165系などに存在するが、番台区分800は山のヤ→8という説もある。
^ 基本番台のモハ114形+モハ115形のMM'ユニットは途中から同一車番同士の組成ではなくなった。
^ 実際に身延線で運用されるようになるのは1984年のモハ62形(2代)・クハ66形置換え後。
^ 後に基本番台・800番台の冷房改造車も施工時に統一された。
^ 本アコモデーションは113系2000番台や415系100番台に引き継がれた[41]。
^ 当時は国鉄電車の便洗面所数削減が具体化され、近郊形電車では編成中の片方の制御車とグリーン車にのみ設置する方針とされた[42]。
^ 国鉄での帯塗装の粘着テープ化は身延線仕様が初採用。
^ 身延線時代は業務室扱いとして閉鎖されていた。
^ 広島電鉄・広電バス・広島交通・広島バスが該当。同時に広島県内は、原爆ドーム・厳島神社と言った著名観光地が多いことも考慮された。
^ ただし、予備のため両パンタ間は母線で接続されていない。1991年(平成3年)には台風による塩害でパンタグラフの故障が相次ぎ、部品不足から一時期は片側のパンタグラフが撤去された。
^ この後に改造されたクハ115形550・600・650番台広島地区用車も同様。
^ 後に2000番台ユニットに置換え。現在では3500番台と編成を組む車両もある。
^ この改造により捻出されたクハ115形11両が新潟地区へ転出した
^ クモハ114形6両を含む。
^ クモハ115-1501・1502・1504・1506・1507・1509 - 1514・1536 - 1550が該当。
^ 電気ブレーキを使用して停止後に力行した場合、CS43Aでは電気ブレーキ段から前進(後進)力行段までカムを6段戻すため起動開始まで時間を要し、ブレーキオフ後すぐに力行可能状態になるCS15と比べると、タイムラグが大きいためと思われる。また、条件が整えばCS43Aでは並列段から力行可能になるが、CS15では常に直列段から起動を開始するため高速域でも加速力に差が発生する(ただし、速度検知を行っていない場合はCS43Aでも直列段から起動するため差はほとんど発生しない)。
^ 側扉も廃車まで鋼製であった。
^ 途中からクーラーキセがステンレス製となったAU75G形に変更
^ 当時の関係者の話では1両あたりの改造費用は約700万円とのこと。
^ MM'ユニット5組10両のみ改造されず。
^ 体質改善工事施工が開始されたのは1998年、改造対象となる車両は1000番台および2000番台で1977年以降に落成した車両であり、文献には今後20年継続使用する車両と明記されていることから、想定寿命は40年であるとみなすことができる。
^ この投入で余剰となった80系電車は岡山‐広島間準急ともなどに転用された[24]。
^ そのうち500両以上は小山に投入された[125]。
^ この列車の中には425列車が含まれており、425列車を愛用していた登山客により「425列車を愛する会」が結成された[9]。
^ [136]。
^ 同時に新製配置されたサハ115-1027は1992年にクハ115-1512へ改造され、2010年時点では長野総合車両センターC8編成に組み込まれていた。
^ ぐんまちゃんのイラストが描かれていた。
^ 「JR普通列車年鑑 2012 - 2013」イカロスMOOK p.49にはアドバンスブルー・フレッシュグリーンと記載。
^ クモハ115-1020+モハ114-1027+クハ115-1019で、後に松本転出を経て現在はしなの鉄道S11編成として車籍を有しており、2018年にしなの鉄道の企画としてコカ・コーラ色に復元された。
^ 長野オリンピックの際には小山電車区から7両編成1本からサハを抜いた6両を長野 - 直江津で、新前橋電車区から4両編成1本を小諸 - 直江津で限定運用する借り受けを行った。4両編成は小諸での夜間滞留が採られたほか、側面方向幕は対応する駅名コマがないため白表示としサボによる運用となった。
^ 松本に転入した元豊田所属の電動車ユニットと元小山所属のクハで組成。
^ クモハ115-1073+クモハ114-1513
^ 非乗入れ車でもN21・N24・N32編成は搭載。
^ 直江津 - 柿崎は1320Mのみ[165]
^ 下りのみで上りは松本へ回送。
^ 側面方向幕に「むさしの」のコマがないために表示は「快速」のみとなる。また過去にN編成3+3で運用されたケースもある。
^ 旧C5編成のクハ115-443・496・モハ115-417+モハ114-443は300番台最終製造ロットである。
^ 新潟3次色車の運用区間は羽越本線、信越本線、上越線である[188]。
^ 例として国鉄末期にクハ115-1090などへ施工した塗装(1次色より前面の青色部分の面積が増加した塗色)が存在する[189]。
^ 先頭車両に施された帯は新潟の「N」をイメージしたものである[188]。
^ この塗装は、新潟の水・米、海・川、水田のイメージで地元の大学生によってデザインされた[191]。
^ クモハ115-1043の廃車日については『JR電車編成表』2018冬p.310にて補正。
^ Y編成と同じくMG交換は未施工であった。
^ クハ115-111+モヤ115-1+モハ114-59+クモハ115-115
^ クモハ115-506+クモハ114-506
^ 立川までの運用は一部のみで大半は高尾発着[204]。
^ 以前にはダイヤの大幅な乱れにより運用変更が発生し松本まで運用されたケースもあった
^ 1980年3月に沼津機関区配置の身延線用62系電車間合い運用から、当時の三鷹電車区へ移管されたことに由来する。
^ ただし1988年12月以降は夜行列車の441Mのみ。1993年に大月まで短縮の上201系に置換え[126]。
^ これに伴いサハ115基本番台車は全車廃車・廃区分番台となった。
^ 定期運用終了直後の2004年11月 - 12月には水害で故障した幕張車両センター113系6両編成の修理期間中に、300番台7両編成(ロングシート改造車)1本を貸出。サハを抜いた6両編成で湘南色のまま千葉地区で運用されたが、113系との混結を行わない6両単独で総武本線・成田線限定運用とされた。
^ クハ115-126+モハ114-812+クモハ115-12 クハ115-183+モハ114-810+クモハ115-10 横須賀色でPS35形パンタグラフを搭載[240]。
^ リリース文では「ぶどう色の電車」として書かれていたが、「ワインレッド(赤2号)=ぶどうをイメージした色=ぶどう色」という意味で書かれたものを工場側で「ぶどう色=ぶどう色2号」と誤解したことによる。
^ 同様の塗装ミスに1975年三鷹区へ最初に納入された300番台8両(クモハ115-301・302・モハ114-329・330・クハ115-348・350・サハ115-306・307)の事例がある。この8両は本来横須賀色で製造されるべきところを湘南色で落成させてしまい、製造元の日本車輌製造に一旦返却回送され再塗装の上で納入が行われた。この8両のうちサハ115形を除いた6両は1986年の岡山転属後に、サハ115-306・307は小山転属後に再度湘南色に塗装されている。
^ クハ115-1118+モハ115-1055+モハ114-1118+クハ115-605。同編成からクハ115-1118+モハ115-1055が岡山区に転出し、車両交換をする形でクモハ115-1551が転入し組成された。
^ クハ115-1108+モハ115-1034+モハ114-1095+クハ115-604
^ 広島発着は1往復のみ
^ 新郷 - 伯耆大山間はG編成のみ。ただし、新郷 - 上石見間は、D編成が回送で乗り入れている。
^ G編成のみ
^ 朝夕の6往復のみ
^ 赤穂線・宇野線茶屋町 - 宇野間は、2012年3月17日ダイヤ改正時点では固定クロスシート車のみが投入されていたが[250]、同年9月には転換クロスシート車の充当も確認された[251]
^ 最後まで残存した非冷房車のクハ115-75は1999年に下関地域鉄道部下関車両管理室へ転属後、約2か月運用されただけで廃車された。
^ 後に高速化対応改造がされ5300・5800番台に区分されていた時期もある。
^ G編成を除く編成が[要出典]ATS-P(拠点P)が設置されている山陽本線上郡駅以東へ営業列車として入線するために施工された。
- ^ ab40N体質改善工事を施工された2000年当時のA10編成はクハ115-1146+モハ115-1086+モハ114-1150+クハ115-219であり、0番台であったクハ115-219は外観のみ改修され、内装はセミクロスシートのまま存置された(#体質改善工事の閑散地区用車体質改善工事を参照)。2001年にクハ115-219はクハ115-1206に差し替えられ、2003年に該当車両のみ30N体質改善工事を施工されたため編成内で40N車と30N車が混在する。
^ 1983年8月から1984年2月までに改造されたD1 - D18編成は、クモハ115形車両番号下2桁と編成番号が一致する。1986年6月から12月までに改造されたD19 - D34編成はクモハ115形車両番号下2桁から17引いた数と編成番号が一致する(当時)。後年に他区への転出に伴い編成番号整理が行われたため現在の編成番号との整合性がない編成もある。
^ 後に網干総合車両所で湘南色に変更施工。
^ 3往復(うち1往復は長船発着)のみ
^ 瀬戸発着は平日・土曜朝の1往復のみ
^ 4両編成に短縮するにあたり新製配置された1000番台6両編成 (TcMM'MM'Tc) を編成中間で分割し上り方3両 (TcMM') に制御車 (Tc)を組み込んだ編成であるが、3両編成化による奇数向き制御電動車(クモハ115形1500番台)の増加に対して岡山区全体で偶数向き制御車が不足したため0番台やクハ111形改造編入車の600番台(ともに非冷房車)が充当された。
^ JR東日本時代は移管区間に長野総合車両所所属車が投入されていたが、同所の編成は高崎 - 横川間でも運用されることからATS-P形を搭載していた。一方で移管区間はATS-SN形のため長野所属車と松本運転所所属のATS-P形未搭載編成と交換した上で譲渡された。また1000番台で組成された編成であるが、S8・9編成のクモハ115形は先頭化改造車の1500番台である[294]。
^ これはしなの鉄道管内に汚物処理施設が設置されていないことによるもので[295]、しなの鉄道は各列車でトイレ非設置の旨を車内アナウンスするなどして利用者に理解と協力を求めている。
^ 本編成は松本運転所N12編成時代のJR化直後となる1987年から1990年まで同塗装で運行された経歴がある。日本コカ・コーラならびに北陸コカ・コーラボトリングの協力により、当時の塗装からロゴデザインならびにキャッチコピーを現行のものとした復刻塗装を実施。費用はクラウドファンディングで募集し、目標額290万円を大きく上回る3,963,544円となった[305]。
^ 2015年のしなの鉄道譲渡後も2代目長野色塗装で運用。2017年11月の入場で塗色更新した際にもそのままとされ、加えて貫通扉部分および裾部に貼られていたしなの鉄道シールが剥がされた。
^ 2000年から2003年にかけて側窓埋め込み・戸袋窓への鉄板ボルト留め処理を施工し、リニューアル車・未更新車ともに向かい側は車いすスペース設置。
出典
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- ^ abcdefghij鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.10
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^ しなの鉄道で運用中の115系2連に変化 - railf.jp 鉄道ファン(2013年6月3日)
^ しなの鉄道で「AC長野パルセイロ」ラッピング列車運用開始 - railf.jp 鉄道ファン(2013年9月26日)
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参考文献
書籍・DVD
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ISBN 4-635-06174-4。 - 『「現役国鉄型大研究」vol.1』 イカロスMOOK、2005年。
ISBN 4-87149-648-1。 - テラダプロジェクト DVD 「旧国鉄形車両集1 113系・115系近郊形直流電車」 (2005年7月)
- 浅原信彦 『ガイドブック最盛期の国鉄車輌3新性能直流電車 上』 (ネコ・パブリッシング 2007年)
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ISBN 978-4-86320-044-9。 - 今尾恵介、原武史 『日本鉄道旅行歴史地図帳 3号 関東』 新潮社、2010年7月17日。
ISBN 978-4-10-790037-1。 - 『復刻・増補 国鉄電車編成表1985年版』 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2010年。
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雑誌
交友社「鉄道ファン」
- 福原俊一「115系近郊形直流電車(1) - (4)」434号 - 437号、1997年6-9月。
- 北川勝、福原俊一「115系近郊形直流電車 〜その歩みと現在の姿 (1)・(2) 〜」439号・441号、1997年11月・1998年1月。
第39巻第6号、1999年6月。
- 「長野支社 115系リニューアル車」。
- 「長岡運転区に115系新訓練車登場」。
- 「115系3000番台にPR塗装編成 "しまなみ海道'99"カラー」第39巻第8号、1999年8月。
- 「新潟支社115系・キハ40系にもリニューアル車登場!」第40巻第4号、2000年4月。
- 「短絡線ミステリー4 〜複々線を探る〜」第41巻第2号、2001年2月。
- 「松本運転所の115系6両、伊豆急行へ譲渡される」第41巻第9号、2001年9月。
第50巻第1号、2010年1月。
- 鉄道友の会 東京支部 JR電車部会「113・115系カウントダウン」。
第50巻第7号、2010年7月。
- 「JR車両ファイル2010 車両のうごき 2009-2010」。
- 「「幸せの黄色い電車」に巡り会えたダイヤ改正日」。
第51巻第10号、2011年10月。
- 岡田誠一「JNR COLOR」。
- 「出来事 2011.6〜8」。
第51巻第11号、2011年11月。
- 草町義和「湘南新宿ライン10周年」。
- 来住憲司「<検証>JR東西線開業以降の大阪中心部の鉄道」。
- 「10/3、岡山区115系G編成、黄色化を完了」第52巻第1号、2012年1月。
- 「JR車両ファイル2012 車両のうごき 2011-2012」第52巻第7号、2012年7月。
第52巻第11号、2012年11月。
- 福原俊一「115系近郊形直流電車のあゆみ」。
- 宮本康宏「"ホリデー快速鎌倉"と115系M40編成 その後」。
- 「しなの鉄道S2編成「あの夏で待ってる」電車に」。
- 鉄道ジャーナル社 「鉄道ジャーナル」
- 杉本聖一「国鉄車両の現在 3.115系」2012年7月。
電気車研究会 「鉄道ピクトリアル」
- 「115系電車」第37巻第2号、1986年2月。
- 「新鉄局115系に新色」第37巻第6号、1986年6月。
- 「115系電車の現状」第671号、1999年7月。
外部リンク
JR東日本:車両図鑑>在来線 115系 - 東日本旅客鉄道
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