片山善博
日本の政治家 かたやま よしひろ | |
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生年月日 | (1951-07-29) 1951年7月29日(67歳) |
出生地 | 日本 岡山県岡山市東区 |
出身校 | 東京大学法学部 |
前職 | 国家公務員(自治省) |
現職 | 早稲田大学教授 鳥取大学客員教授 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 法学士(東京大学・1974年) |
配偶者 | 片山弘子(2009年死別) (2010年再婚) |
第14代 総務大臣 | |
内閣 | 菅第1次改造内閣 菅第2次改造内閣 |
在任期間 | 2010年9月17日 - 2011年9月2日 |
公選第15-16代 鳥取県知事 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1999年4月13日 - 2007年4月12日 |
片山 善博(かたやま よしひろ、1951年(昭和26年)7月29日 - )は、日本の政治家、元自治官僚。早稲田大学教授。
鳥取県知事(2期)、鳥取大学客員教授、地方制度調査会副会長(第29代)、行政刷新会議議員、総務大臣(第14代)を務めた。岡山県岡山市東区出身。
目次
1 概要
1.1 略歴
1.2 主な職歴
1.3 政策・主張
1.3.1 鳥取自立塾
1.4 人物
2 著書
2.1 共著
3 参考文献
4 関連項目
5 脚注
6 外部リンク
概要
略歴
岡山県赤磐郡瀬戸町(現岡山市東区)生まれ。両親は、ともに教師であった。岡山県立岡山大安寺高等学校、東京大学法学部卒業。1974年、自治省入省。鳥取県庁や国土庁への出向を経て、自治大臣秘書官、自治省国際交流企画官・固定資産税課長・府県税課長などの役職を歴任し、1998年12月に退官した。
1999年4月、鳥取県知事選挙に出馬し、初当選を果たす。鳥取県知事在任中は岩手県知事(当時)の増田寛也や宮城県知事(当時)の浅野史郎らに並び、官僚出身の改革派知事の代表格であった。2004年7月、読売新聞により実施された世論調査では78%の高水準の支持率を記録し、全国47都道府県の知事で1位であった。2003年の知事選では日本共産党も片山を評価し対抗候補を出さなかったため無投票当選となった。
片山知事が韓国に行った時に安重根が書いた掛け軸を買ってきて、県立図書館に掛けていた。これに県庁OBらが反対運動を起こして外させた。
赤崎の道の駅に朝鮮使節の像を片山知事が作ったが、その碑文の中の『日本海』という部分にカッコ書きで『東海』と書いてあった。これも県庁OBらが反対し、東海をカットさせた。
ジャーナリストの上杉隆は訪朝した際、金親子を称える主体思想塔の貴賓室で、共鳴者がサインしていくというノートに片山知事の署名が有るのを確認している。知事は県と北朝鮮を結ぶ定期航路就航を目指していた。[1]
2006年12月、翌年の知事選に出馬せず、2期で知事を退任する意向を表明[2]。2007年4月、鳥取県知事を退任した。同年5月、鳥取大学地域学部地域政策学科の客員教授(非常勤)に就任[3]。7月には地方制度調査会副会長に就任。2009年10月から、鳩山由紀夫内閣の下で設置された行政刷新会議の議員を務める。
2010年9月、菅改造内閣で総務大臣に任命され、初入閣。民間人閣僚の総務大臣は、元岩手県知事の増田寛也に続き2人目(民主党政権では初の民間人閣僚)。翌2011年1月発足の菅再改造内閣でも留任した。2011年9月、野田内閣発足に伴い退任。
主な職歴
1979年7月 - 国税庁能代税務署長
1980年7月 - 鳥取県地方課長
1981年11月 - 鳥取県総務部財政課長
1983年11月 - 国土庁土地政策課課長補佐
1985年10月 - 自治省地域政策課課長補佐
1987年6月 - 自治大臣秘書官
1988年9月 - 自治省財政課課長補佐
1990年4月 - 自治省国際交流企画官
1992年4月 - 鳥取県総務部長
1995年7月 - 自治省固定資産税課長
1998年1月 - 自治省府県税課長
1998年12月 - 自治省退職
1999年4月 - 鳥取県知事に初当選
2003年4月 - 鳥取県知事に無投票で再選
2010年9月 - 総務大臣就任
2011年9月 - 同退任
政策・主張
2000年10月に発生した鳥取県西部地震に際し、被災者の個人住宅に対し全国で初めて復旧助成(利子補給)を実施した。
2002年6月の鳥取県議会一般質問での答弁において、「地方レベルの人権救済制度の必要性」に言及。2005年9月に鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例を可決させたが、人権擁護法案に類するこの条例に対しては反対意見が多く寄せられた。
2003年6月、地方分権改革推進会議議長の西室泰三が提出した国から地方に対する税源移譲の実施見送りの意見書に対し、民主的な手法ではないとして、西室が会長を務める東芝製品を鳥取県の随意契約の対象から除外することを示唆した[4]。
2010年4月、参議院総務委員会に参考人として出席し、「(地方自治体に)一番屈辱的なのが地方債への(国の)関与だ。こんなものは自分たちで決めればいい」と現行の財政制度を批判している。- 2007年2月、知事就任以降に1560万円以上の裏金がつくられ、約915万円が飲食などに支出されていたことが発覚し、鳥取県から減給10分の1(1か月)の処分を受けた[5]。なお、片山は裏金作りの手法については「私の知事就任以前の問題」として調査しない考えを示し、自身の就任以前の裏金についても不問とした[6]。
- 2011年4月、NHKの番組内で、日本赤十字社に届いている義援金を政府が差配すると発言[7]。
- 選択的夫婦別姓制度導入に賛成。「社会の変化に対応して夫婦別姓の選択があってもよい。」「最高裁の判決はこの議論は国会でさらに深めるべきだ、というものだったが、司法の判断があるべきだったのではないか」と述べる[8]。
鳥取自立塾
鳥取県の事業として、地域の自立と再生を目指すことを目的に掲げ、2004年から毎年夏に鳥取県の主催で3度実施された。全国から改革派の首長(現職・元職含)や大学教授などを招き、講演をはじめ分科会やパネルディスカッションを実施。
- 主な出席者
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- 概要
- 第1回(2004年)
- 第2回(2005年)
- 第3回(2006年)
人物
- 家族は妻、4男2女。2度結婚歴があり、初婚の弘子夫人は2009年7月、悪性リンパ腫により死去した。後妻は鳥取県職員で1度の離婚歴があり、2010年11月に片山と再婚した。6人の子供は全て弘子夫人との間の子供である。
2005年、ベスト・ファーザー イエローリボン賞受賞。
著書
- 『住むことは生きること 鳥取県西部地震と住宅再建支援』(2006年、東信堂)
- 『市民社会と地方自治』(2007年、慶應義塾大学出版会)
- 片山善博の『日本を診る』(2010年~、岩波書店)
共著
- 『地域間交流が外交を変える 鳥取-朝鮮半島の「ある試み」』釼持佳苗共著(2003年、光文社新書)
- 『災害復興とそのミッション 復興と憲法』津久井進共著(2007年、クリエイツかもがわ)
- 『今、義務教育が危ない! 国民のライフラインを守ろう』渡邉光雄、樋口恵子、佐藤学共著(2007年、ぎょうせい)
- 『ポスト新自由主義 民主主義の地平を広げる』山口二郎、高橋伸彰、柄谷行人、上野千鶴子、金子勝共著(2009年、七つ森書館)
- 『ここだけは聞いておきたい裁判員裁判 31の疑問に答える』国谷裕子,四宮啓共著 日本評論社 2009
- 『「自治」をつくる 教育再生 脱官僚依存 地方分権』塩川正十郎、御厨貴、粕谷一希、増田寛也、養老孟司共著(2009年、藤原書店)
参考文献
佐野眞一『てっぺん野郎 本人も知らなかった石原慎太郎』(2003年、講談社)431-436頁
田中成之『改革の技術 鳥取県知事・片山善博の挑戦』(2004年、岩波書店)
関連項目
- 鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例
- 時事放談
- ベスト・ファーザー イエローリボン賞
- 石原慎太郎
脚注
^ p.177 上杉隆『週刊文春』2003年5月1-8日号
^ 片山知事が3選不出馬表明
^ 片山前知事に辞令交付 鳥取大学客員教授に
^ 政治・片山鳥取県知事“不買”発言の波紋
^
裏金1560万円以上 鳥取県、知事ら57人処分(共同通信 2007年2月9日)
^ 「改革、完全でなかった」県の裏金発覚(『朝日新聞』2006年10月5日)
^ 日赤義援金の配分基準、国が策定へ 片山総務相が言及 (asahi.com 2011年4月3日)
^ 「片山善博さんが語る「男性にとっての男女共同参画」」(2015年11月24日)
外部リンク
- 2005年度イエローリボン賞:片山善博
- 日本国の研究 不安との訣別/再生のカルテ
- 対談
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