髪型
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髪型、髪形(かみがた)とは、頭から生えている毛を使って作られたスタイルのこと。長くする、同じ長さに揃える、固まりをつくる、編むなどの様々な手を加えて作られるが、スキンヘッドのように毛髪を利用しないスタイルも髪形のバリエーションの一つとして認識されている。
宗教、民族、所属する集団などによって髪型に社会的な役割と規制が設けられている場合があり、例えば清では辮髪が強制されていた。
19世紀以降、西洋諸国の影響がアジア、アフリカ等へも広まるにつれて、当時の西洋諸国の髪形が広く普及するようになる。男性の髪型は、比較的短く又は長い場合は結髪する等して、活動の邪魔にならないようになされることが多い。他方、女性の髪は長いことが比較的多い。
目次
1 日本における髪型の変遷
1.1 平安時代 - 安土桃山時代
1.2 江戸時代
1.3 明治以降
1.4 大正時代から昭和
1.5 平成
2 髪型の種類
3 髪の毛質
4 脚注
5 関連項目
日本における髪型の変遷
古墳時代・大和時代には、総角(みづら、美豆良)と呼ばれる髪型が男性の間で行われた。髪を二つに分け、それぞれを耳の横で上下に丸める髪型である。古墳時代の女性は江戸時代の島田髷に似た髪形だった。奈良時代の女性は中国風の高髻(こうけい)、双髻(そうけい)を結った。
平安時代 - 安土桃山時代
平安時代の皇族、貴族たちは、男性は髻(もとどり)を結った上に冠を被り、女性は垂髪(たらしがみ/すべしがみ/すいはつ)といわれるただ簡素に髪を下ろしたスタイルをしていた。女性の髪は黒いほど、また長いほど美人とされていた。髪を耳に挟むことは、品のないこととされ「耳挟み」といって嫌われた。子供時代は振分髪(あるいは尼そぎ)といわれる髪をそのまま下ろす髪型や、男児ではみづらに結う事もあった。12歳 - 16歳頃になると、男は髪を結って烏帽子や冠をかぶる初冠(ういかぶり)(元服)の儀、女は裳着の儀と呼ばれる儀式で裳着を身につけると同時に、髪上げを行い、男女共お歯黒を付け、引眉した。これらの儀式は、それぞれ成人の儀式という意味合いがあった。平安末期以降は武家、及び、やや裕福な庶民にも広がった。皇族・貴族にあっては、この習慣は明治に入るまで続いた。庶民の男性は前髪を後ろに撫で付けて、髪を後ろで引き結ぶか髷を作った総髪という髪型をしていた。
江戸時代
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女性の髪形は日本髪、男性は総髪、丁髷を参照。
明治以降
日本では明治時代に政府から断髪令が出されたがなかなか浸透しなかった。そこで明治天皇が範を示すことで普及が計られた。これ以後、文明開化の象徴として民衆にザンギリ頭が流行した。狂歌「ザンギリ頭を 叩いてみれば 文明開化の 音がする」は有名。1885年頃から日本でバリカンが使用され始め、丸刈、八分刈、五分刈など髪を短く刈り上げる髪型が定着するようになった。
断髪令の例外として、相撲の力士の髷(まげ)は認められた(注意点として、断髪令は髪型を自由にして良いとの布告なので、髷を結っていても罰せられるという事はなかった)。
明治時代以降、女学生の髪型として三つ編みが流行し、生徒の髪型として三つ編みを指定していた学校は多く、現代でもその伝統を引き継いでいる学校も存在する。
伝統的な髷にも洋装にあうものが工夫されるようになり、日露戦争後に流行した二百三高地は旅順攻囲戦での203高地の激戦をモチーフにしたものである。
大正時代から昭和
大正時代から昭和戦前期にかけては、女児の髪型はおかっぱ頭が主流であった。大正時代には、大人の女性の間でも髪を肩にかからない程度に切りそろえる断髪が現れ、女性の間にも髪を結い上げず切りそろえておく髪型が広がった。
第二次世界大戦直前から戦争中には、髪型に大きな規制が掛けられた。1939年には「パーマネントはやめましょう」とのスローガンによる追放運動が起こり、パーマが事実上禁止された[1]ほか、1943年2月からは男性に対して一号から三号からなる国民頭髪型が定めれられた。一号は前髪の長さ二寸、二号は前髪の長さ八分ないし一寸、三号は二分刈りまたは丸刈りとなっていた。一号以上の長髪希望者はポマードかチックを理髪店に持参することが求められた[2]が、既に入手できる環境にはなかった。
戦後は、日本においては、少年の髪型は丸刈りと坊ちゃん刈りのふたつしかなかった(少し遅れてスポーツ刈りが現れた)。成年男性の髪型には七三分けと呼ばれる髪型が多く、オールバックや角刈りなども行われた。1950年代頃から男子青少年の間で、GIカットやリーゼントの髪型が流行。モッズのファッションを取り入れた世界的アイドルビートルズの影響でマッシュルームカットが1960年代に世界的に広がった。1960年代後半以降、対抗文化の広がりのなかで、社会への反抗の表現として無造作に髪を伸ばした男性のロングヘアの髪型が現れた。但し、今でこそロングヘアと呼ばれているが、短い髪型が一般的となったのは長い歴史の中でも極近代に限られた事であり、江戸時代以前までは男性でも長い髪が常識であった。(そもそも定期的に短く切るという風潮自体無かった)
1970年代から1990年代初頭までのアイドルブームにより、健太郎カット、聖子ちゃんカットなどのパーマとカットを組み合わせた髪型が流行するようになった。また、女性の社会進出に伴い、手入れが楽なソバージュが同時期に流行した。
平成
1990年代、人気歌手や、ヴィジュアル系バンド、カリスマ美容師等の影響によって、ヘアカラーやハイブリーチ、シャギースタイルが流行した。
2017年、地毛が茶色の生徒に対して黒染めを強要する事件がきっかけとなり、髪型を細かく規定するブラック校則が問題視されるようになった。
「前髪を眉の一番下のラインより短く切る」「眉剃りを禁止」など生徒に配慮しない校則を改善するように求める声が全国からあがっている。
髪型の種類
長さによる大まかな分類としては以下の2つが挙げられる。
- 短髪(ショートヘア)
- ショートヘア - おおむね、うなじが見える。
- セミショート - おおむね、うなじが隠れる。
- ベリーショート - おおむね、うなじと額が見える。「ベリショ」と略されることもある。
長髪(ロングヘア)
- ロングヘア - おおむね、肩より下まである長い髪の事を指す。
- セミロング - おおむね、うなじが完全に隠れ、肩にかかるくらいまで。
セミショートとセミロングは、合わせてミディアムとも呼ばれる場合がある。ミディアムは主にセミロングの別称として使われるほか、セミロングは和製英語であり、英語ではshoulder length hairという。なお、「semi」は「半」という意味であるため、セミロングは「半長髪」という意味となる。
髪の毛質
- 髪のクセによる分類
- 直毛 - クセや波が無い髪。
- クセ毛 - クセが有り、波打った髪。クセの強さは個人差がある。
- 混合毛 - 直毛とクセ毛が混じり合った髪。
- 髪の太さによる分類
- ネコっ毛 - 猫の体毛のような細い毛。
- 剛毛 - 太い髪の毛。
脚注
^ 自粛させられたおしゃれ ポーラ文化研究所 2017年9月22日閲覧
^ 富山市役所編 『富山市史』第2巻p1122 1980年 富山市役所
関連項目
- 鬘
- 髪結い
- 冠
- 髪飾り
- 整髪料
- 西洋髪
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