ドミニク・デヌーチ












































ドミニク・デヌーチ
プロフィール
リングネーム
ドミニク・デヌーチ
ドン・デヌーチ
ドン・デヌッツィ
ドミニク・ブラボー
本名
ドミニク・デヌーチ
ニックネーム
イタリアの虎鮫
身長
188cm - 191cm
体重
120kg - 130kg
誕生日
(1936-01-23) 1936年1月23日(83歳)
出身地
イタリアの旗 イタリア
ヴェネト州ヴェネツィア
スポーツ歴
レスリング
トレーナー
ユーボン・ロバート
トニー・ランザ
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ドミニク・デヌーチDominic DeNucci、1936年[1]1月23日[2] - )は、イタリア・ヴェネト州ヴェネツィア出身の元プロレスラー。生年は1931年ともされる[2]


ベビーフェイスのパワーファイターとして、イタリア系移民の多いニューヨークのWWWF圏を中心に活躍した。日本では、ドン・デヌーチまたはドン・デヌッツィDon DeNucci)のリングネームで知られる。




目次






  • 1 来歴


  • 2 得意技


  • 3 獲得タイトル


  • 4 脚注


  • 5 外部リンク





来歴


1955年にイタリアからカナダのモントリオールに移住し、同地区のスター選手だったトニー・ランザのトレーニングを受けてデビュー。1960年代初頭はドミニク・ブラボーと名乗り、初代ディノ・ブラボーとの "The Bravo Brothers" で活動した[3]


その後、リングネームを本名のドミニク・デヌーチに戻してシングルプレイヤーとなり、アメリカ合衆国のNWA圏に進出。1964年1月25日にはサンフランシスコにてレイ・スティーブンスからUSヘビー級王座を奪取した[4]。同年下期からはオーストラリア(ジム・バーネットが主宰していたワールド・チャンピオンシップ・レスリング)にも遠征、11月7日にキラー・コワルスキーを破り、豪州版のIWA世界ヘビー級王座を獲得している[5]


カナダでの活動も続け、1966年12月26日にはバンクーバーにてドン・レオ・ジョナサンと組み、ダッチ・サベージ&ドン・ジャーディンからNWA世界タッグ王座を奪取[6]。翌1967年からはWWWFに登場、バロン・シクルナ、ブル・ラモス、ケンタッキー・ブッチャー、ルーク・グラハム、プロフェッサー・タナカ、ブルドッグ・ブラワー、ルー・アルバーノなどのヒール勢と対戦した[3]


以降、1960年代後半から1970年代初頭にかけてはオーストラリアとWWWFを股にかけて活躍。オーストラリアではマーク・ルーインらをパートナーに、ラリー・ヘニング&ハーリー・レイス、スカル・マーフィー&キラー・カール・コックス、キラー・コワルスキー&ビル・ミラーなどの強力チームを破り、IWA世界タッグ王座を再三獲得[7]。1970年1月7日にはキング・イヤウケアに勝利し、IWA世界ヘビー級王座への通算4回目の戴冠を果たした[5]。WWWFでは1971年6月18日、同郷の大スターであるブルーノ・サンマルチノとのコンビでザ・モンゴルズ(ジート&ベポ)からインターナショナル・タッグ王座を奪取している[8]


1971年下期からはNWFに参戦し、12月8日にワルドー・フォン・エリックを下してNWF世界ヘビー級王座を獲得[9]。NWFではオーストラリアでもタッグを組んでいたトニー・パリシ(アントニオ・プリエーゼ)とイタリア人コンビを結成、NWF離脱後もパリシとのタッグチームで活動し、フロリダでは1974年12月28日、トール・タナカ&ディック・スレーターからNWAフロリダ・タッグ王座を奪取した[10]


1975年よりWWWFに復帰し、5月13日にビクター・リベラとのコンビでジミーとジョニーのバリアント・ブラザーズからWWWF世界タッグ王座を奪取[11][12]。リベラのWWWF離脱後はアイリッシュ・パット・バレットを新パートナーに防衛戦を行ったが、同年8月26日、ザ・ブラックジャックス(ブラックジャック・マリガン&ブラックジャック・ランザ)にタイトルを奪われた。


王座陥落後もWWWFを主戦場に、1977年6月10日にはペンシルベニア州ピッツバーグにてスーパースター・ビリー・グラハムのWWWFヘビー級王座に挑戦した[13]。1978年はディック・ザ・ブルーザーが主宰していたインディアナポリスのWWAにも出場し、3月4日にウイルバー・スナイダーと組んでバリアント・ブラザーズからWWA世界タッグ王座を奪取[14]。10日後の3月14日には2代目のディノ・ブラボーをパートナーに、トール・タナカ&ミスター・フジを破ってWWWF世界タッグ王座に再び戴冠[11][12]、WWAとWWWFの両世界タッグ王座の2冠王となった。


1980年代初頭もWWFへの出場を続け、ケン・パテラ、ボビー・ダンカン、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン、サージェント・スローター、ザ・ハングマン、アンジェロ・モスカ、キラー・カーン、ジェシー・ベンチュラ、アドリアン・アドニスらヒール勢のジョバーを担当。1983年にWWFを離れてからは、ビンス・マクマホン・ジュニアの全米侵攻の対抗組織としてAWAのバーン・ガニアやNWAのジム・クロケット・ジュニアらが結成した "Pro Wrestling USA" のニューヨーク近郊での興行に単発出場していた[15]


現役引退後はニューヨーク・タイムズの運転手となって働く一方、ピッツバーグのレスリング・スクールにて後進の指導・育成に携わり、ミック・フォーリーやシェーン・ダグラスを指導した。近年も東部地区のインディー団体やリユニオン・イベントに出場しており、2005年8月27日の "WrestleReunion 2" ではイワン・コロフ、2007年3月24日の "IWC Night of Legends 3" ではラリー・ズビスコなど、往年のライバルとの対戦も実現している[15]。2012年4月14日にはトロントのPWSにて弟子のシェーン・ダグラスとタッグを組んだ[15]


日本には1968年4月、ドン・デヌーチのリングネームで日本プロレスに初来日、『第10回ワールドリーグ戦』に「イタリア代表」として出場した[16]。3度目の来日となる1972年10月には、全日本プロレスの旗揚げシリーズに盟友ブルーノ・サンマルチノと共に参戦している[17]。以降もサンマルチノの縁故で1981年10月まで通算5回全日本プロレスに来日したが、日本では真価を発揮することはできなかった[18]



得意技




  • エアプレーン・スピン - ジェス・オルテガやブラックジャック・マリガンなどの巨漢レスラーを軽々と振り回したこともある[18]

  • アトミック・ドロップ

  • アブドミナル・ストレッチ



獲得タイトル


NWAサンフランシスコ

  • NWA USヘビー級王座(サンフランシスコ版):1回[4]

NWAオールスター・レスリング

  • NWA世界タッグ王座(バンクーバー版):1回(w / ドン・レオ・ジョナサン)[6]

NWAビッグタイム・レスリング

  • NWA世界タッグ王座(デトロイト版):1回(w / クリス・マルコフ)[19]

チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ

  • NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / トニー・パリシ)[10]

ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(オーストラリア)



  • IWA世界ヘビー級王座:3回[5]

  • IWA世界タッグ王座:3回(w / マーク・ルーイン、トニー・パリシ、マリオ・ミラノ)[7]


ワールド・ワイド・レスリング・フェデレーション



  • WWWFインターナショナル・タッグ王座:1回(w / ブルーノ・サンマルチノ)[8]


  • WWWF世界タッグ王座:2回(w / ビクター・リベラ〜パット・バレット、ディノ・ブラボー)[11][12]


ナショナル・レスリング・フェデレーション



  • NWF世界ヘビー級王座:1回[9]

  • NWF世界タッグ王座:1回(w / トニー・パリシ)

  • NWF北米ヘビー級王座:1回


ワールド・レスリング・アソシエーション(インディアナポリス)

  • WWA世界タッグ王座:1回(w / ウイルバー・スナイダー)[14]

スタンピード・レスリング

  • NWAインターナショナル・タッグ王座:3回(w / ロニー・エチソン)[20]

Lutte Internationale

  • カナディアン・インターナショナル・タッグ王座:1回(w/ ニック・デカーロ)[21]


脚注





  1. ^ 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P51(2002年、日本スポーツ出版社)

  2. ^ ab“Dominic DeNucci”. Wrestlingdata.com. 2015年10月10日閲覧。

  3. ^ ab“Matches of Dominic DeNucci: 1960-1969”. Cagematch. 2011年7月1日閲覧。

  4. ^ ab“NWA United States Heavyweight Title [San Francisco]”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月1日閲覧。

  5. ^ abc“IWA World Heavyweight Title [Australia]”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月1日閲覧。

  6. ^ ab“NWA World Tag Team Title [Vancouver]”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月1日閲覧。

  7. ^ ab“IWA World Tag Team Title [Australia]”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月1日閲覧。

  8. ^ ab“WWWF International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月1日閲覧。

  9. ^ ab“NWF World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月1日閲覧。

  10. ^ ab“NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月1日閲覧。

  11. ^ abc“History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2011年7月1日閲覧。

  12. ^ abc“WWWF-WWF-WWE World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月1日閲覧。


  13. ^ “WWE Yearly Results 1977”. The History of WWE. 2011年7月1日閲覧。

  14. ^ ab“WWA World Tag Team Title [Indianapolis]”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月1日閲覧。

  15. ^ abc“Matches of Dominic DeNucci: 1981-2012”. Cagematch. 2013年11月2日閲覧。


  16. ^ “The JWA matches fought by Dominic DeNucci in 1968”. Wrestlingdata.com. 2015年10月10日閲覧。


  17. ^ “The AJPW matches fought by Dominic DeNucci in 1972”. Wrestlingdata.com. 2015年10月10日閲覧。

  18. ^ ab『16文が行く (新装版) 』P170-172(1999年、ダイナミックセラーズ出版、ISBN 488493279X)


  19. ^ “NWA World Tag Team Title [Detroit]”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月1日閲覧。


  20. ^ “International Tag Team Title [Stampede Wrestling]”. Wrestling-titles.com. 2014年8月16日閲覧。


  21. ^ “International Tag Team Title [International Wrestling]”. Wrestling-titles.com. 2013年8月16日閲覧。




外部リンク



  • Profile at Online World of Wrestling

  • Profile at Cagematch




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