朴鐘八
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基本情報 | |
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本名 | 朴 鐘八 |
階級 | スーパーミドル級 |
国籍 | 大韓民国 |
誕生日 | (1958-08-11) 1958年8月11日(60歳) |
出身地 | 全羅南道務安郡 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 53 |
勝ち | 46 |
KO勝ち | 39 |
敗け | 5 |
引き分け | 1 |
朴 鐘八(パク・チョンパル、박종팔、1958年8月11日 - )は、大韓民国の元男子プロボクサー。全羅南道務安郡出身。身長178cm。元国際ボクシング連盟 (IBF)および世界ボクシング協会 (WBA)世界スーパーミドル級王者。
目次
1 来歴
2 獲得タイトル
3 エピソード
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
来歴
1977年11月26日、韓国でプロデビュー。
1978年12月17日、7戦目で韓国ミドル級王座を獲得した[1]。
1979年8月22日、12戦目で柳済斗が返上したOPBF東洋太平洋ミドル級王座決定戦でカシアス内藤と対戦し、2回KO勝ちで王座を獲得した[2]。同王座は15度の防衛に成功した。(そのうち、日本人の挑戦は5度。1980年1月27日、江刺勝雄(初防衛)[3]。1980年3月18日、柴田賢治(防衛2)[4]。1981年4月5日、シーザー佐々木(防衛8)[5]。1981年6月21日、柴田賢治(防衛9)[6]。1982年12月26日、鈴木直人(防衛15))
1981年11月8日、フルヘンシオ・オベルメヒアスと対戦し、8回KO負け[7]。
1983年5月29日、OPBF王座の16度目の防衛戦で羅慶民と対戦し、7回KO負けで王座から陥落した[8]。9月4日、羅慶民と再戦し、4回KO勝ちで王座を奪回した[9]。
1984年7月22日、世界王座初挑戦となったIBF世界スーパーミドル級王者マレイ・サザーランドに挑戦し、11回TKO勝ちで世界王座を獲得した[10]。
1987年7月26日、防衛戦でエマヌエル・オッティと対戦し、3回KO勝ちで8度目の防衛に成功した[11]。その後、同王座を返上した。
1987年12月6日、WBA世界スーパーミドル級初代王座決定戦でヘスス・ガヤルドと対戦し、2回KO勝ちで王座を獲得した[12]。
1988年5月23日、2度目の防衛戦でフルヘンシオ・オベルメヒアスと6年半ぶりに再戦し、12回判定負けで王座から陥落した[13]。
1988年12月22日、白仁鉄と対戦し、9回KO負け。この試合を最後に引退した[14]。
獲得タイトル
- 第20代OPBF東洋太平洋ミドル級王座(防衛15度)
- 第22代OPBF東洋太平洋ミドル級王座(防衛0度)
IBF世界スーパーミドル級王座(防衛8度)
WBA世界スーパーミドル級王座(防衛1度)
エピソード
世界戦のファイトマネーは5000万ウォンを超え、試合のたびに土地を購入し時価90億ウォンの資産を得て、「돈팔이(トンパリ、金の亡者)」とあだ名された(当時のソウル市の坪単価は1万ウォン)[15]。その後、詐欺や事業の失敗などで破産し、うつ病、夫人の他界などの不幸に見舞われたが、再婚しジムの運営などで再起を果たした[16][17]。
脚注
^ [1]東亜日報 1978年12月18日
^ [2]東亜日報 1979年8月23日
^ [3]京郷新聞 1980年1月28日
^ [4]東亜日報 1980年3月19日
^ [5]東亜日報 1981年4月6日
^ [6]東亜日報 1981年6月22日
^ [7]東亜日報 1981年11月9日
^ [8]東亜日報 1983年5月30日
^ [9]東亜日報 1983年9月5日
^ [10]京郷新聞 1984年7月23日
^ [11]京郷新聞 1987年7月27日
^ [12]東亜日報 1987年12月7日
^ [13]東亜日報 1988年5月24日
^ [14]東亜日報 1988年12月23日
^ 박종팔 “한때 별명이 ‘돈팔이’, 갈퀴로 긁어… 다 잃고나니 행복 찾아와”文化日報 2012年6月22日
^ 득구야, 벨트 못 따면 죽어서 오겠다는 약속은 왜 지켰냐중앙SUNDAY 2018年1月28日
^ 세계 복싱 챔피언 박종팔, 90억 탕진…설마honestnews 2013年5月18日
関連項目
- 東洋太平洋ボクシング連盟(OPBF)王者一覧
- 国際ボクシング連盟(IBF)世界王者一覧
- 初代世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧
外部リンク
朴鐘八の戦績 - BoxRec(英語)
第20代OPBF東洋太平洋ミドル級王者 [表示] | ||
前 | 在位期間 | 後 |
空位 (前タイトル獲得者:柳済斗) | 1979年8月22日 - 1983年5月9日 | 羅慶民 |
第22代OPBF東洋太平洋ミドル級王者 [表示] | ||
前 | 在位期間 | 後 |
羅慶民 | 1983年9月4日 - 1984年8月(返上) | 空位 (次タイトル獲得者:羅慶民) |
IBF世界スーパーミドル級王者 [表示] | ||
前 | 在位期間 | 後 |
マレイ・サザーランド | 1984年7月22日 - 1987年11月(返上) | 空位 (次タイトル獲得者:グラシアノ・ロッシジャーニ) |
WBA世界スーパーミドル級王者 [表示] | ||
前 | 在位期間 | 後 |
創設につき不在 | 1987年12月6日 - 1988年5月23日 | フルヘンシオ・オベルメヒアス |