トニー・パリシ
















































トニー・パリシ
プロフィール
リングネーム
トニー "キャノンボール" パリシ
トニー "テノール" パリシ
トニー・プリエーゼ
アントニオ・プリエーゼ
(アントニオ・プグリシー)
本名
アントニオ・プリエーゼ
ニックネーム
イタリアン・キャノンボール
身長
180cm
体重
109kg - 110kg
誕生日
1941年
死亡日
2000年8月19日(満58歳没)
出身地
イタリアの旗 カラブリア州
コゼンツァ県コゼンツァ
スポーツ歴
レスリング
デビュー
1961年
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"キャノンボール" トニー・パリシ"Cannonball" Tony Parisi、本名:Antonio Pugliese、1941年 - 2000年8月19日)は、イタリア・カラブリア州コゼンツァ出身のプロレスラー。


イタリア系移民の多いニューヨークのWWWF(WWF)や移住先のカナダを主戦場に、主にタッグマッチにおいて活躍した。


WWEで活動していたジョニー・パリシ(ジョニー・スウィンガー)は大甥にあたる。




目次






  • 1 来歴


  • 2 獲得タイトル


  • 3 脚注


  • 4 外部リンク





来歴


少年期に家族でイタリアからカナダに移住[1]、オンタリオ州ナイアガラフォールズのYMCAでレスリングを学び、1961年にデトロイト地区にてプロデビュー[2]。以降、本名のアントニオ・プリエーゼ(日本での表記はアントニオ・プグリシー)をリングネームに、同地区で邂逅したイタリア系カナダ人ジノ・ブリットとのタッグチームでテネシーのNWAミッドアメリカ地区(後のCWA)など各地を転戦した[2]


その後、ブルーノ・サンマルチノの従兄弟という触れ込みでWWWFに登場[1]。1966年2月21日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにて、当時ベビーフェイスのポジションにいたジョニー・バレンタインと組んでビル・ミラー&ダン・ミラーからUSタッグ王座を奪取した(同王座には同年12月8日にも、スパイロス・アリオンとのコンビでバロン・シクルナ&スマッシャー・スローンを破って戴冠している)[3]


1967年はロサンゼルスのWWAに参戦して、ペドロ・モラレスのパートナーとなって12月にフレッド・ブラッシー&バディ・オースチンからWWA世界タッグ王座を奪取[4]。1968年からはオーストラリア(ジム・バーネットが主宰していたワールド・チャンピオンシップ・レスリング)にも遠征、マリオ・ミラノやドン・レオ・ジョナサンと組んでスカル・マーフィー&ブルート・バーナードの凶悪コンビとIWA世界タッグ王座を争った[5]


1970年代に入り、WWWFでリングネームをトニー・パリシと改名。1972年はニューヨーク州バッファローのNWFに出場して、オーストラリアでもタッグを組んでいたドミニク・デヌーチとのイタリア人コンビで活躍した[6]。ホームタウンのオンタリオでは、1974年7月21日にトロントにてジャック・ブリスコのNWA世界ヘビー級王座に挑戦している[7]。同年12月28日にはフロリダにてデヌーチと組み、トール・タナカ&ディック・スレーターからNWAフロリダ・タッグ王座を奪取した[8]


1975年下期、WWWFでルイ・セルダンこと旧友ジノ・ブリットとのコンビを再結成。同年11月8日、フィラデルフィアにてザ・ブラックジャックス(ブラックジャック・マリガン&ブラックジャック・ランザ)を破りWWWF世界タッグ王座を獲得する[9][10]。以後、イワン・コロフ&スーパースター・ビリー・グラハムなどのチームを相手に防衛を続け[11][12]、1976年5月11日にジ・エクスキューショナーズ(キラー・コワルスキー&ビッグ・ジョン・スタッド)に敗れるまで戴冠した[9][10]


その後もWWWF(WWF)およびカナダの提携プロモーションを主戦場に、1970年代末から1980年代初頭にかけてはトロントのメープル・リーフ・レスリングにて、ザ・デストロイヤー、レオ・バーク、クルト・フォン・ヘス、ミスター・フジ、クリス・マルコフ&ニコライ・ボルコフなどと対戦している[13][14]。1982年からはジノ・ブリットが主宰していたモントリオールのインターナショナル・レスリング(Lutte Internationale)にも参戦、ブリットやディノ・ブラボーと組み、セーラー・ホワイト、ミシェル・デュボア、ビリー・ロビンソン、パット・パターソン、フレンチ・マーチンらのチームとカナディアン・インターナショナル・タッグ王座を争った[15]


1984年、WWFがビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下のもと全米侵攻を開始すると、かつて主戦場としていたトロントやバッファローなどのハウス・ショーに中堅ベビーフェイスのポジションで出場。1985年11月にはオーストラリアへのツアーにも参加して、タイガー・チャン・リーやレス・ソントンなどヒール陣営のジョバーから勝利を収めた[16]


1986年のセミリタイア後はナイアガラフォールズにてレストランを開業する一方、オンタリオ地区にて自主興行を主催していた[1][2]。2000年8月19日、心臓発作のため死去[1][2]。58歳没。


日本には1967年7月、アントニオ・プグリシーの呼称で日本プロレスに初参戦[17]。同名義で1973年3月に全日本プロレスへ再来日し、チャンピオン・カーニバルの第1回大会に参加した(トーナメント1回戦でヒロ・マツダに敗退)[18]。1983年3月にはWWFとの提携ルートで新日本プロレスに参戦、同時来日したアドリアン・アドニス&ボブ・オートン・ジュニアと組んでメインイベントの6人タッグマッチにも出場した[19]



獲得タイトル


ワールド・ワイド・レスリング・フェデレーション / ワールド・レスリング・フェデレーション


  • WWWF USタッグ王座:2回(w / ジョニー・バレンタイン、スパイロス・アリオン) [3]


  • WWWF世界タッグ王座:1回(w / ルイ・セルダン)[9][10]


  • WWFインターナショナル・ヘビー級王座:1回[20]


ワールド・レスリング・アソシエーション(ロサンゼルス)

  • WWA世界タッグ王座:1回(w / ペドロ・モラレス)[4]

ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(オーストラリア)

  • IWA世界タッグ王座:5回(w / マリオ・ミラノ、ドミニク・デヌーチ、ドン・レオ・ジョナサン×2、マーク・ルーイン)[5]

ナショナル・レスリング・フェデレーション

  • NWF世界タッグ王座:3回(w / ドミニク・デヌーチ×2、ルイス・マルティネス)[6]

NWAビッグタイム・レスリング

  • NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / ワフー・マクダニエル)[21]

チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ

  • NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / ドミニク・デヌーチ)[8]

インターナショナル・レスリング

  • カナディアン・インターナショナル・タッグ王座:4回(w / ジノ・ブリット×3、ディノ・ブラボー)[15]


脚注




  1. ^ abcd“Tony "Cannonball" Parisi”. Canadian Pro Wrestling Page of Fame. 2008年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月4日閲覧。

  2. ^ abcd“SLAM! Wrestling Canadian Hall of Fame: Tony Parisi”. SLAM! Sports (August 20, 2000). 2012年3月4日閲覧。

  3. ^ ab“WWWF United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年2月29日閲覧。

  4. ^ ab“WWA World Tag Team Title: Los Angeles version”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月4日閲覧。

  5. ^ ab“IWA World Tag Team Title: Australia version”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月4日閲覧。

  6. ^ ab“NWF World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月4日閲覧。


  7. ^ “The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1974”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月4日閲覧。

  8. ^ ab“NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月19日閲覧。

  9. ^ abc“History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2012年2月29日閲覧。

  10. ^ abc“WWWF-WWF-WWE World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年2月29日閲覧。


  11. ^ “WWE Yearly Results 1975”. The History of WWE. 2012年2月29日閲覧。


  12. ^ “WWE Yearly Results 1976”. The History of WWE. 2012年2月29日閲覧。


  13. ^ “The MLW matches fought by Tony Parisi in 1980”. Wrestlingdata.com. 2018年10月17日閲覧。


  14. ^ “The MLW matches fought by Tony Parisi in 1981”. Wrestlingdata.com. 2018年10月17日閲覧。

  15. ^ ab“International Tag Team Title: Montreal version”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月4日閲覧。


  16. ^ “WWE Yearly Results 1985”. The History of WWE. 2012年2月29日閲覧。


  17. ^ “JWA 1967 Summer Series 1”. Puroresu.com. 2015年11月6日閲覧。


  18. ^ “AJPW 1973 The 1st Champion Carnival”. Puroresu.com. 2015年11月6日閲覧。


  19. ^ “NJPW 1983 Big Fight Series I”. Puroresu.com. 2015年11月6日閲覧。


  20. ^ “WWF International Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月4日閲覧。


  21. ^ “NWA Texas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月19日閲覧。




外部リンク



  • Profile at Online World of Wrestling

  • Profile at Wrestlingdata




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