スウェード・ハンセン




















































スウェード・ハンセン
プロフィール
リングネーム
スウェード・ハンセン
スウェード・ハンソン
本名
ロバート・フォート・ハンソン
ニックネーム
ビッグ・スウェード
ビッグ・フット
身長
188cm[1]
体重
130kg(全盛時)[1]
誕生日
1933年3月27日[2]
死亡日
(2002-02-19) 2002年2月19日(68歳没)[2]
出身地
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州の旗 ニュージャージー州[2]エセックス郡イースト・オレンジ[3]
スポーツ歴
ボクシング[4]
アメリカンフットボール[4]
デビュー
1957年[3]
引退
1986年[3]
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スウェード・ハンセン "Big Foot" Swede Hansen、本名:Robert Fort Hanson、1933年3月27日 - 2002年2月19日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ニュージャージー州イースト・オレンジ出身。リングネームは本姓からスウェード・ハンソンSwede Hanson)ともされるが、本項では日本で定着している表記を使用する。


リップ・ホークとのタッグチームであるブロンド・ボンバーズThe Blond Bombers)での実績で知られ[5]、1960年代から1970年代にかけてを全盛期に、ヒールのブルファイターとして活躍した。




目次






  • 1 来歴


  • 2 得意技


  • 3 獲得タイトル


  • 4 脚注


  • 5 外部リンク





来歴


プロレスラーとなる以前はアマチュアボクシングで活躍し、地元ニュージャージーのゴールデングローブで数回優勝した実績を持つ[4]。ロッキー・マルシアノやアーチー・ムーアのスパーリング・パートナーを務めたこともあるが[6]、プロボクサーとなるには体が大きすぎたため、プロレスに転向[4]。1957年のデビュー後、1959年よりWWWFの前身団体であるNWAキャピトル・レスリング・コーポレーションで活動、ブルーノ・サンマルチノ、キラー・コワルスキー、ベアキャット・ライト、ルーサー・リンゼイ、アート・トーマス、レッド・バスチェンなどと対戦してキャリアを積んだ[7]


1962年、ノースカロライナを本拠地とするミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング(MACW)にてリップ・ホークと邂逅、兄貴分のホークに合わせて髪をブロンドに染め、ブロンド・ボンバーズなるヒールのタッグチームを結成[8]。以降、小型ラフファイターの司令塔ホークと巨漢パワーファイターの執行者ハンセンというコンビネーションのもと、各地のタッグマッチ戦線を席巻[4][5]。1965年8月3日にはフロリダにてデューク・ケオムカ&ヒロ・マツダからNWA世界タッグ王座を獲得[9]。1967年5月には日本プロレスに揃って来日、アントニオ猪木&吉村道明が保持していたアジアタッグ王座に挑戦した[10]


1968年6月には主戦場のMACWにてエドワード・カーペンティア&ミゲル・ペレスを下し、NWAアトランティック・コースト・タッグ王座の初代チャンピオン・チームとなる(以降もネルソン・ロイヤル&ポール・ジョーンズなどのチームを抗争相手に、通算4回に渡って戴冠)[11]。ジム・バーネットが主宰していたオーストラリアのワールド・チャンピオンシップ・レスリングにも遠征し、1970年4月にバディ・オースチン&カーティス・イヤウケアから豪州版のIWA世界タッグ王座を奪取した[12]


1972年は同じくタッグ屋で鳴らしたジン・アンダーソン&オレイ・アンダーソンのミネソタ・レッキング・クルーとも抗争したが[13]、1973年末にホークが単身でフロリダ地区に転戦したことを機に、1974年よりベビーフェイスに転向。スーパー・デストロイヤーやジョニー・バレンタインとの抗争を経て、ホークのMACW復帰後は、ハンセンはタイガー・コンウェイ・ジュニア、ホークはリック・フレアーを新パートナーに遺恨試合を展開した[14]


1976年、テキサス西部のアマリロ地区にてホークとのブロンド・ボンバーズを再結成。翌年にかけて、同地区のフラッグシップ・タッグタイトルだったNWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座を通算3回獲得した[15]。アマリロではドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンクのザ・ファンクスとも対戦[16]。ファンクスはアンドレ・ザ・ジャイアント、ボンバーズはサイクロン・ネグロと組んでの6人タッグマッチも行われた[17]。1977年7月にはアマリロ地区との提携ルートにより、単身で全日本プロレスに来日している。


ホークとのコンビを正式に解散後、ブロンドに染めていた髪を本来の色に戻し、1979年下期より南部人ギミックのベテラン・ヒールとしてWWFに参戦。フレッド・ブラッシーをマネージャーに迎え、10月22日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑戦した[18]。その後も古巣のMACWやモントリオール地区を経て1982年よりWWFに定着したが、体力的な衰えもあり、ジョバーのポジションに降格していた[19]


1983年11月、WWFとの提携ルートで新日本プロレスに来日し、アンドレ・ザ・ジャイアントのパートナーとして『第4回MSGタッグ・リーグ戦』に出場[20]。アンドレの孤軍奮闘で、アントニオ猪木&ハルク・ホーガン、藤波辰巳&前田明、長州力&アニマル浜口、キラー・カーン&タイガー戸口、ボビー・ダンカン&カート・ヘニングなどのチームを相手に首位を独走し決勝進出を決めていたが、ディック・マードック&アドリアン・アドニスとの対戦で、場外でのハイジャック・パイルドライバーによりハンセンが首を負傷。欠場に追い込まれ、優勝戦を棄権することとなった[1]。なお、アンドレ・ザ・ジャイアントとはプライベートでも親友同士だったという[6]


翌1984年よりWWFではベビーフェイスのポジションに回り、ビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下でスタートした全米侵攻サーキットにおいて、ビッグ・ジョン・スタッド、デビッド・シュルツ、ポール・オーンドーフ、カウボーイ・ボブ・オートン、ドン・ムラコ、ジェシー・ベンチュラ、アイアン・シーク、ニコライ・ボルコフ、ケン・パテラ、キングコング・バンディ、ジム・ナイドハート、ランディ・サベージらのジョバーを1985年まで務めた[21][22]


2002年2月19日、68歳で死去[2]。晩年はアルツハイマー型認知症を患い、糖尿病や高血圧症、心臓病との闘病生活を送っていた[6]。没後の2007年、リップ・ホークと共にミッドアトランティック版のNWA殿堂に迎えられている(殿堂入りのインダクターは、彼らのマネージャーを務めていたゲーリー・ハートが担当した)[23]



得意技



  • ネックブリーカー

  • シュミット式バックブリーカー

  • エルボー・ドロップ



獲得タイトル


ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング

  • NWAアトランティック・コースト・タッグ王座:4回(w / リップ・ホーク)[11]

チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ


  • NWA世界タッグ王座(フロリダ版):1回(w / リップ・ホーク)[9]

NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ

  • NWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座:3回(w / リップ・ホーク)[15]

ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(オーストラリア)

  • IWA世界タッグ王座:1回(w / リップ・ホーク)[12]

インターナショナル・レスリング(モントリオール)

  • インターナショナル・タッグ王座:1回(w / ザ・ハングマン)[24]


脚注




  1. ^ abc『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P48(2002年、日本スポーツ出版社)

  2. ^ abcd“Death Notice - Classified”. Charlotte Observer. 2014年9月26日閲覧。

  3. ^ abc“Swede Hanson”. Cagematch.net. 2014年9月26日閲覧。

  4. ^ abcde“Hawk and Hanson: The Blond Bombers”. The Wrestling Gospel. 2008年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月26日閲覧。

  5. ^ ab“The brotherly bond of Rip Hawk and Swede Hanson”. SLAM! Sports. 2014年9月26日閲覧。

  6. ^ abc“A Part of Wrestling Died with Swede Hanson”. The Wrestling Gospel. 2008年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月26日閲覧。


  7. ^ “The CWC matches fought by Swede Hanson in 1960”. Wrestlingdata.com. 2014年9月26日閲覧。


  8. ^ “Rip Hawk and Swede Hanson”. Wrestlingdata.com. 2014年9月26日閲覧。

  9. ^ ab“NWA World Tag Team Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2014年9月26日閲覧。


  10. ^ 竹内宏介監修『世界名レスラー100人伝説!!』P116-117(2003年、日本スポーツ出版社)

  11. ^ ab“NWA Atlantic Coast Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年9月26日閲覧。

  12. ^ ab“IWA World Tag Team Title [Australia]”. Wrestling-Titles.com. 2014年9月26日閲覧。


  13. ^ “The WCW matches fought by Swede Hanson in 1972”. Wrestlingdata.com. 2014年9月26日閲覧。


  14. ^ “The WCW matches fought by Swede Hanson in 1974”. Wrestlingdata.com. 2014年9月26日閲覧。

  15. ^ ab“NWA Western States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年9月26日閲覧。


  16. ^ “Show at Abilene, Texas 1977/07/18”. Wrestlingdata.com. 2014年9月26日閲覧。


  17. ^ “Show at Odessa, Texas 1977/06/14”. Wrestlingdata.com. 2014年9月26日閲覧。


  18. ^ “The WWE matches fought by Swede Hanson in 1979”. Wrestlingdata.com. 2014年9月26日閲覧。


  19. ^ “The WWE matches fought by Swede Hanson in 1982”. Wrestlingdata.com. 2014年9月26日閲覧。


  20. ^ “NJPW 1983 The 4th Madison Square Garden Tag Team League”. Puroresu.com. 2015年9月20日閲覧。


  21. ^ “The WWE matches fought by Swede Hanson in 1984”. Wrestlingdata.com. 2014年9月26日閲覧。


  22. ^ “The WWE matches fought by Swede Hanson in 1985”. Wrestlingdata.com. 2014年9月26日閲覧。


  23. ^ “Hall of Heroes Class of 2007 Rip Hawk”. Mid-Atlantic Gateway. 2014年9月26日閲覧。


  24. ^ “International Tag Team Title [Montreal]”. Wrestling-Titles.com. 2014年9月26日閲覧。




外部リンク



  • Profile at Online World of Wrestling

  • Profile at Cagematch

  • Profile at Wrestlingdata

  • The brotherly bond of Rip Hawk and Swede Hanson




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