マリノ・レハレタ
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はレハレタ、第二姓(母方の姓)はアリザハラガです。 |
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個人情報 | ||||
本名 | マリノ・レハレタ・アリザバラガ Marino Lejarreta Arrizabalaga |
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愛称 | 走る労働者 |
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生年月日 | (1957-05-14) 1957年5月14日(61歳) |
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国籍 | ![]() |
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チーム情報 | ||||
所属 | 引退 |
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分野 | ロードレース |
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役割 | 選手 |
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プロ所属チーム | ||||
1979 1980–1982 1983–1984 1985 1986 1987–1989 1990–1992 |
ノボスティル・エリオス テカ アルファ・ルム アルピラッテ・シエレ シート・オルベア カハ・ルラル オンセ |
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グランツール最高成績 | ||||
主要レース勝利 | ||||
![]() ブエルタ・ア・エスパーニャ ポイント賞 1983 カタルーニャ一周 1980、1989 クラシカ・サンセバスティアン 1987 | ||||
最終更新日 2008年2月22日 |
マリノ・レハレタ・アリザバラガ(Marino Lejarreta Arrizabalaga、1957年5月14日- )は、スペイン・バスク州ベリス出身の元自転車競技選手。
目次
1 来歴
2 グランツールにおける総合成績
2.1 ツール・ド・フランス
2.2 ジロ・デ・イタリア
2.3 ブエルタ・ア・エスパーニャ
3 外部リンク
来歴
1982年のブエルタ・ア・エスパーニャにおいて、総合1位だったアンヘル・アロヨに禁止薬物であるアンフェタミンの陽性反応が示されたことから順位剥奪となり、同2位だったレハレタが繰り上がり優勝を果たした。
グランツールにおける総合優勝実績はこの一度だけだが、レハレタといえば現役当時、グランツール3つ全てに出場する機会が1987年、1989年、1990年、1991年の4回もあった。ちなみに現役当時、ブエルタ・ア・エスパーニャとジロ・デ・イタリアの開催間隔はせいぜい1週間あるかないかといった日程で組まれていただけに、同一年度において、3つ全てに出場することはかなり困難なことであった。しかも下記に示す通り、総合上位にも食い込んでいる回数も少なくない。
グランツールにおける総合成績
ツール・ド・フランス
1981年…35位
1982年…37位
1982年…18位
1987年…10位
1988年…16位
1989年… 5位
1990年… 5位
1991年…53位
ジロ・デ・イタリア
- 1983年… 6位
- 1984年… 4位
- 1985年… 5位
- 1987年… 4位
- 1989年…10位
- 1990年… 7位
- 1991年… 5位
ブエルタ・ア・エスパーニャ
- 1980年… 5位
- 1982年…優勝
- 1983年… 2位
- 1984年…棄権
- 1986年… 5位
- 1987年…34位
- 1988年…棄権
- 1989年…20位
- 1990年…55位
- 1991年… 3位
外部リンク
マリノ・レハレタ - サイクリングアーカイヴス(英語)
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