粛宗 (朝鮮王)
粛宗 | |
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李氏朝鮮 | |
第十九代国王 | |
王朝 | 李氏朝鮮 |
在位期間 | 1674年 - 1720年 |
姓・諱 | 李焞 |
字 | 明普 |
諡号 | 僖順[1]顕義光倫睿聖英烈裕謨永運洪仁峻徳配天合道啓休篤慶正中協極神毅大勲章文憲武敬明元孝大王 |
廟号 | 粛宗 |
生年 | 1661年9月8日 |
没年 | 1720年7月13日 |
父 | 顕宗(長男) |
母 | 明聖王后金氏 |
后妃 | 仁敬王后(金万基の娘) 仁顕王后(閔維重の娘) 仁元王后(金柱臣の娘) |
陵墓 | 明陵 |
粛宗 (朝鮮王) | |
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各種表記 | |
ハングル: |
숙종 / 이순 / 명보 |
漢字: |
肅宗 / 李焞 / 明普 |
発音: |
スクチョン / イ・スン / ミョンボ |
日本語読み: |
しゅくそう / り・とん / めいふ |
ローマ字: |
Sukjong / I Sun / Myeongbo |
粛宗(スクチョン、しゅくそう、順治18年8月15日(1661年9月8日) - 康熙59年6月8日(1720年7月13日))は、李氏朝鮮の第19代国王。諱は焞(スン、순)。子女に景宗、英祖など。
目次
1 生涯
2 宗室
2.1 王妃
2.2 後宮
2.3 承恩尚宮
2.4 王子
2.5 王女
3 粛宗が登場する作品
4 脚注
5 関連項目
6 参考文献
生涯
1661年8月15日 (旧暦)に生まれ、1667年に王世子に冊封、1674年8月に14歳で朝鮮国王に即位する。垂簾聴政を受けず、直接国を統治した。
粛宗が朝鮮を治めた期間は、朝鮮建国以来、党争が最も激しい時期だった。在位中に南人と西人の党派対立関係が激しくなり、1680年、南人の専横に歯止めをかけたい粛宗が南人を大量に追放した庚申換局(キョンシンファングク)を契機に、西人が老論と少論に分裂してこれらも互いに党派争いをするようになった。そしてある党派が違う党派を完全に追い出して一党による政治、換局政治が主たる現象となった。
粛宗の治世はさまざまな政治論争で一日も静かな日はなかった。仁顕王后を中心にする西人と禧嬪張氏を中心にする南人が対立した。仁顕王后と結婚してから6年以上子供が生まれなかったので、後宮である禧嬪張氏が生んだ王子を王世子に冊封する問題で、南人と西人がひどく対立した。結局西人が流配されたり殺されたりして、仁顕王后が廃位される己巳換局(キサファングク)が1689年に起きた。この事件で禧嬪張氏は1690年10月22日に王妃となり、彼女の息子は王世子に冊封され、南人が政権を独占するようになった。しかし、南人政権の期間も長続きせず、1694年甲戌換局(カプスルファングク)で反転された。その頃粛宗は王妃張氏に対して良くない感情を抱くようになり、仁顕王后を廃位させたことを後悔していた。仁顕王后復位を計画した西人は南人によって監獄に閉じこめられていたが、粛宗は南人を朝廷より追放して西人を政権につけ、1694年4月12日、王妃張氏を嬪に降格、かくして仁顕王后は王妃に復位した。復位6年後に仁顕王后が亡くなると、仁顕王后を呪ったとして1701年10月10日、禧嬪張氏は賜薬により処刑された。
しかし、党争は西人と南人の対立で止まず、西人が老論と少論で分離して対立するようになった。
粛宗は、さまざまな党派争いで弱くなった王権を回復し、勢力が強い朋党の力を弱化させるために、政権党を入れ替える「換局」を3度行った。そのために粛宗の治世を“換局政治”と称することもある。粛宗は換局によって朋党内の対立を触発、臣下間の政争を激化させると同時に王権を強化して国王に対する忠誠心を誘導した。そしてこのような換局政治を通じて強化された王権を土台に、民生安定と経済発展に相当な業績を残した。
粛宗はまず、光海君以後実施して来た大同法を慶尚道と黄海道まで拡大させ、初めて全国的に実施するようになった。そしてこの時から活発になり始めた商業活動を支援するために常平通宝を作り、広く使用するように奨励した。そして文禄・慶長の役と丙子の乱以後、混乱から脱け出すことができなかった社会を全般的に収め、整備して安定期を謳歌する政治功績を残した。
また清と国境紛争が起きると、交渉して1712年咸鏡道観察使李善溥に白頭山山頂に定界碑を立てさせ、国境を定めたりした。そして日本に派遣した通信使(朝鮮通信使)に幕府と交渉させ、日本人の竹島(現在の鬱陵島)への立ち入り禁止を保証させた(竹島一件)。また通信使を3度派遣(1682年、1711年、1719年)し、倭銀使用条例を定めることで倭館貿易を整備させた。その他にも死六臣の名誉回復(1691年)や王位を奪われて亡くなった魯山君を復位させて端宗という諡号を贈った(1698年)ほか、廃庶人となった昭顕世子嬪姜氏(粛宗の祖父孝宗の兄・昭顕世子の妃)を愍懐嬪に復位(1720年)させた。
しかし、粛宗の王権強化政策は、政治勢力を徹底的に利用しなければならない側面があるため、絶対的王権は粛宗の治世で終わりとなり、粛宗のように力強い王権を持った王は二度と出なくなった。
1720年、60歳で薨去。在位期間は46年。御陵は西五陵の一つ、明陵。
宗室
王妃
- 仁敬王后金氏 (1661年–1680年) - 謝氏南征記を書いた金萬重は叔父、仁顕王后復位運動に関わった金春澤は甥。宣祖時代の学者・金長生の4代孫の金万基の娘。1680年10月、天然痘を発症8日目に19歳で死去。
仁顕王后閔氏- 仁元王后金氏 - 英祖の二番目の王妃・貞純王后金氏と親戚
後宮
禧嬪 張氏(仁同張氏)
淑嬪 崔氏(海州崔氏)- 䄙嬪 朴氏(?〜1703年、密陽朴氏)
- 寧嬪 金氏(1669年〜1735年、新安東金氏)
- 貴人 金氏(1690年〜1735年、慶州金氏)
- 昭儀 劉氏(?〜1688年、江陵劉氏)
承恩尚宮
- 尚宮 李氏
- 尚宮 朴氏
王子
- 長男:景宗(母は禧嬪張氏)
- 次男:盛壽(1690年-1690年、母は禧嬪張氏)
- 三男:永壽(1693年-1693年、母は淑嬪崔氏)
- 四男:英祖(母は淑嬪崔氏)
- 五男:名前不詳(1698年-1698年、母は淑嬪崔氏)
- 六男:延齢君(母は䄙嬪朴氏)
王女
- 長女:公主(1677年-1678年、母は仁敬王后)
- 次女:公主(1679年、母は仁敬王后)
粛宗が登場する作品
- テレビドラマ
- 『張嬉嬪』(1971年、MBC、パク・クニョン)
- 『張嬉嬪』(1981年、MBC、ユ・インチョン)
- 『朝鮮王朝五百年仁顯王后』(1988年、MBC、演:ガン・ソクオ)
- 『妖婦 張禧嬪』(1995年、SBS、演:イム・ホ)
- 『張禧嬪-チャン・ヒビン-』(2002年~2003年、KBS、演:チョン・グァンリョル)
- 『チェオクの剣』(2003年、MBC、演:ソヌ・ジェドク)
- 『トンイ』(2010年、MBC、演:チ・ジニ)
- 『イニョン王妃の男』(2012年、tvn、演:ソ・ウジン)
- 『張玉貞(チャン・オクチョン)、愛に生きる』(2013年、SBS、演:ユ・アイン)
- 『テバク〜運命の瞬間〜』(2016年、SBS、演:チェ・ミンス)
脚注
^ 清の諡号を隠した朝鮮後期の国王たち 朝鮮日報 2007/09/16
関連項目
鬱陵島:旧名「竹島」。アシカ漁や漁業で日本人がやってきたことを受けて、徳川幕府に領有権を主張し、認められた(竹島一件)。
竹島:旧名「松島」。
参考文献
- 朝鮮王朝実録【改訂版】朴永圭 著、神田聡・尹淑姫 訳、キネマ旬報、2012年3月14日
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