マイ・ケミカル・ロマンス
My Chemical Romance | |
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基本情報 | |
出身地 | ![]() ニュージャージー州イリノイ州 |
ジャンル | オルタナティヴ・ロック ポップ・パンク ポスト・ハードコア パンク・ロック |
活動期間 | 2001年 - 2013年 |
レーベル | アイボール・レコード リプリーズ・レコード ワーナーミュージック・ジャパン |
公式サイト | MY CHEMICAL ROMANCE (英語) MCR Fan |
メンバー | ジェラルド・ウェイ (ボーカル) レイ・トロ (ギター) フランク・アイイアロ (ギター) マイキー・ウェイ (ベース) |
旧メンバー | マット・ペリシアー (ドラムス) ボブ・ブライヤー (ドラムス) |
マイ・ケミカル・ロマンス(My Chemical Romance)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身のロックバンド。バンド名はベーシストのマイキー・ウェイの発案で、アーヴィン・ウェルシュのカルト小説「Ecstasy: Three Tales of Chemical Romance」に由来する。
パンク・ロック、ハードコアを基調としたメロディアスで多様な音楽性はクイーンやザ・スミス、ブラック・フラッグ、アイアン・メイデン、ジョイ・ディヴィジョン、ミスフィッツ、バウハウス、デビッド・ボウイ、ザ・キュアー、スマッシング・パンプキンズ、ピンク・フロイドなどから影響を受けている。また、エモに分類されることの多いバンドであるが、本人達はその分類を明確に否定している。[1]
2007年には、日本の音楽番組「ミュージックステーション」に出演したり、武道館でライブを行うなど、日本でもブレイクした。
2013年3月22日に解散し、世界中のファンを驚かせた。
目次
1 メンバー
1.1 旧メンバー
1.2 備考
2 バイオグラフィー
2.1 結成
2.2 初期活動・インディーズデビュー
2.3 スウィート・リベンジ(メジャーデビュー)
2.4 ザ・ブラック・パレード
2.5 デンジャー・デイズ
2.6 解散
3 マイ・ケミカル・ロマンスとエモについて
4 ディスコグラフィー
5 日本公演
6 マイ・ケミカル・ロマンスと友好な関係にある主なバンド
7 備考
8 脚注
9 外部リンク
メンバー
ジェラルド・ウェイ (Gerard Way 1977年4月9日 - ) - ボーカル
- 本名は、ジェラルド・アーサー・ウェイ(Gerard Arthur Way)
- ニュージャージー州ベルビル出身
- おばあちゃん子で、祖母に絵を描くことや歌うことを教わり、「彼女がいなければ今の自分はいないと思う」と話す。セカンドアルバムの「ヘレナ」は彼の祖母が亡くなった時、「大切な人を失う恐怖と最期に傍にいられなかった自己嫌悪感から生まれた曲」である。ちなみに彼女の名前は「エレナ」だったそうだが、幼いジェラルドは彼女のことを「ヘレナ」と呼んでいたらしい。
2006年に「来年から禁煙する」と宣言していたが、2007年年明け直後、気づいたら煙草を吸っていたらしく、断念した。- 日本贔屓であり、本人は本気で日本に住もうとしていた。プライベートでもよく来日する。特にお気に入りの場所は、ロフトらしい。
- メンバーは、ジェラルドの左手の薬指の指輪は、フレンドシップリングだと話していたが、MTVが本人に直接訊ねたところ「婚約している」と明かした。なお、2007年9月3日に、マインドレス・セルフ・インダルジェンス のベーシスト・Lyn-Zと結婚し、2009年5月27日には女の子が生まれた。
- 2007年の9月4日にデンバーで行われたマイ・ケミカル・ロマンスのコンサート終了後に、そのままバックステージで結婚式を挙げた。
- 上記のバンドの他に、10代の頃はパルプ、ブラー等を好んで聴いていたという。
- レイ・トロ (Ray Toro 1977年7月15日 - ) - リードギター
- 本名は、レイモンド・マニュエル・トロ・オルティス(Raymond Manuel Toro-Ortiz)
- ニュージャージー州カーニー出身。
- レイの髪の毛を、マイキーが一度だけストレートにした事があったが、本人は気に入らなかったらしく「大して変わらないよ」と言って、元に戻した。それに対しマイキーは「ストレートでもカッコイイのに」と言っていた。
- 目が悪いため、コンタクトレンズを使用している。
- 楽曲の多くのコーラスを担当する。非常に特徴的な声をしている。
フランク・アイイアロ (Frank Iero 1981年10月31日 - ) - リズムギター
- 本名は、フランク・アンソニー・アイイアロ(Frank Anthony Iero)
- ニュージャージー州ベルビル出身。
- 2008年に結婚。フィアンセの名前を左胸に彫っている。
- 苗字の発音の仕方は"Eye-Ear-O"(本人談)。しかし、日本の雑誌で「アイイアロ」と表記されることは少なく「アイエロ」や「イエロ」と書かれる事が多い。
- 身長が165cm程度しかなく、メンバーの中でも一番短身である(ライフ・オン・ザ・マーダーシーンのDVD2で、145cmと本人が言っていたのは冗談)。そのため「ヘレナ」のPVでは、メンバー達がヘレナの棺を教会から運び出すというシーンの撮影時に、フランク自身は、棺に手を添えてるだけだったとのこと(本人談)。そのシーンの撮影終了後、最前列で棺を持ったジェラルドは「空っぽだし楽勝だと思っていたのに、一人でテーブルを運んでる感じだった」と言い、横にいたレイは「最前列の俺とジェラルドは悲惨だったんだ。フランクめ、昼寝までしやがって」と、笑いながらつぶやいていた。
2001年には、PencyPrepというバンドに加入していた。現在は、LEATHERMOUTHというニュージャージー出身のインディーズバンドでボーカルを務めている。- 下唇の内側、首、腹など全身にタトゥーが彫ってある。
- 幼少期は、喘息持ちだった。
- 元々、ヘビー・スモーカーだったが、4年ほど前から禁煙している。
- 2007年1月の日本公演の際には、来日前に、親知らずを4本抜歯した痕が機内で出血し、腫れと疲労による40度もの高熱により不参加。その時の事をジェラルドは「出血が酷くて大変だったんだよ!」と供述している。
犬を4匹飼っている。
マイキー・ウェイ (Mikey Way 1980年9月10日 - ) - ベース
- 本名は、マイケル・ジェームズ・ウェイ(Michael James Way)
- ニュージャージー州ベルビル出身。
- 15歳の頃、アメリカでは人種差別などの理由からDVD、VHSの発売が禁止であったディズニー映画をフィリピンから手に入れ、それを海賊版として販売して利益を得ていた事があり、FBIから厳重注意を受けた経験がある(未成年のため、刑務所へは行かなかった)。その利益で、ライブのチケットを買っていたが、マイキーがそれを兄ジェラルドに渡すこともあり、そのおかげで今の彼がある。
- 2007年3月7日に、ベーシストのアリシア・シモンズ(Alicia simmons)と結婚し、新婚生活を送るため現在一時的にバンド活動を休止していた
- 視力が悪かったが、コンタクトレンズを目に入れるのが恐く、眼鏡を愛用していた。後にレーザー治療を施し、視力は回復した。
旧メンバー
- マット・ペリシアー(Matt Pelissier) - ドラムス (2001年 - 2004年)
- ジェラルド達との考え方の違いから折り合いが悪くなった事が原因で、2004年に脱退。
- ドラムの音をサポートする器具を使うべきと主張するジェラルド達に対し、マットがこれを拒否したためであると言われている。
- 実際にはマネージャーがクビにしたという説も有力。
- ボブ・ブライヤー (Bob Bryar) - ドラムス (2004年 - 2010年)
2010年3月に公式サイトにてひとつの章が終わり、べつのものが始まる・・・というフランクが書いたメッセージが掲載された。内容は、ボブの脱退のもので、「4週間前、マイ・ケミカル・ロマンスとボブ・ブライヤーは別の道を歩むことになった。俺ら全員にとって辛い決断で、軽く受け止めてはいない。彼の今後の成功を祈っている。君たちも同じ気持ちだと思う」と掲載された。脱退の理由はまだ明かされていない。
備考
- ジェラルドとマイキーは実の兄弟である。
- イギリスのダウンロードフェスで過大なブーイング(ペットボトルの投げ込みや「Boooo!」の声)を受けながらも最後まで演奏を続けた。その時フランクが「I'm Not Okay」の演奏中に転倒。
- 2007年8月29日のプロジェクト・レヴォリューションでは、スペシャルゲストとしてレイの兄が登場した。
- 全員が甘党らしく、日本の関係者によるとメンバーは皆「歯が悪い」らしい。
バイオグラフィー
結成
初期メンバーの5人全員がニュージャージー出身で、フランク以外はハイスクール在学中から親しくしていた。そのころから、バンドを結成したりしていたが、長くは続かなかった。ハイスクールを卒業後、4人は一旦それぞれ自分達の将来を探すために散っていったが、連絡を取り合うことだけは欠かさなかった。
ジェラルドは、母親の実家の地下室に住みながら、ニューヨークでアニメーションの仕事をしていた。しかし、次第にそんな毎日、自分の生き方に疑問を持ち始める。そんなジェラルドは仕事にニューヨークへ向かう途中、フェリーから直接9.11テロを目の当たりにし、自分の生き方として音楽活動を選ぶ決意をする。そして、同じ疑問を抱えていたマットと連絡を取り合い、2人は一緒に音楽をする決意をする。2人だけではあったが、ここに一番初期の段階のマイ・ケミカル・ロマンスが誕生する。
初期活動・インディーズデビュー
ジェラルドとマットの2人で、最初の曲となる「Skylines And Turnstiles」を作る。そのあと、マイキーがベーシストとして加入し、マイキーの知るなかで一番うまいギタリストの友達、レイを加入させる。この4人でデモテープを作る。そして、そのデモテープがアイボール・レコードの目に留まり契約に至る。
2002年、デビューアルバムのレコーディング中にフランクが新たなギタリストを希望し、Pency Prepを解散し、加入。その後、たった2週間でレコーディングを終え、最初の曲である「Skylines And Turnstiles」をリリースする。そして、2002年の殆どを、アメリカやヨーロッパでのツアーに費やし、この時より確かなファンベースを獲得する。2003年7月には、サーズデイのGeoff Rickly (Vo)のプロデュースのもと、ファーストアルバム『I Brought You My Bullets, You Brought Me Your Love』がインディーズより発売される。彼との親交は、ジェラルドがサーズデイのTシャツを描いた事から続く縁である。
スウィート・リベンジ(メジャーデビュー)
そしてバンドは、メジャーレーベルのリプリーズ・レコードと契約し、セカンドアルバム『Three Cheers For Sweet Revenge』を制作する。本作で、バンドはメジャーデビューを果たし、多くの雑誌やメディアに取り上げられる事になる。なお、セカンドアルバムは、1週間でファースト・アルバムの約2倍も売れるなどといった驚異的な売り上げ数を記録した。日本でも、日本デビュー前にも関わらず「フジロック」と「サマーソニック」の間で争奪戦が繰り広げられるなど、話題となり、その結果「サマーソニック04」にて初来日し、多くの観客を熱狂させた。その来日後、ドラマーのマットが脱退するという事件が起こる。理由は、マットとバンドの考え方の違いから折り合いが悪くなった事が原因である。バンドはその後、新たなドラマーとしてボブを迎える。
ジェラルドの薬物中毒とアルコール依存症に伴ううつ病の悪化など、バンドとして苦しい状況を迎えるが、ジェラルドの禁酒宣言で、問題は解決。2005年2月には再来日し、ワンマンツアーを敢行。また、4月には世界的人気バンドのグリーン・デイのアメリカ・ツアーのサポートに大抜擢され、この頃、バンドを取り巻く状況の変化に戸惑っていたジェラルドに、グリーン・デイのボーカルのビリー・ジョーが「世界には正しいロックスターが必要なんだ」とアドバイスした。そして、夏のワープト・ツアーに参戦し、同年5月にメジャー・デビューしたフォール・アウト・ボーイと共に、エモシーンの盛り上がりに拍車をかけた。その後も、2006年8月には「サマーソニック06」に出演するなど、精力的に活動している。
ザ・ブラック・パレード
2006年10月、サードアルバムからの先行シングル「Welcome To The Black Parade」が全英シングルチャート1位を獲得。
同年、死をテーマにしたサードアルバム『The Black Parade』をリリース。アメリカのアルバム・チャートで1位を記録。
このアルバムは、世界各国で大ヒットし、世界的に有名になる。その後、世界各国でツアーをし、2007年1月には、東名阪と合計4箇所で、3度目となる来日公演を行った。同年5月には、初の武道館公演を行った。この武道館での公演が、日本でのブラックパレードツアーの最終公演となった。
その後も、世界各国でツアーを続け、2008年5月9日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで、ツアー全体のフィナーレを飾った。
2008年、メキシコでのツアーを収めたライヴ・アルバム『The Black Parade Is Dead!』をリリース。
その後は、世界ツアーでの疲れを取るため、活動休止に入る。この時、「バンドが解散するかと思ったよ」と言うジェラルドだが、詳しい事情については不明。
デンジャー・デイズ
2009年、フォースアルバムリリースに向けてのレコーディングも含め、活動を開始。映画『ウォッチメン』の主題歌として、ボブ・ディランの「Desolation Row」をカヴァーする。同年、ジェラルドが氷室京介とコラボした楽曲「Safe And Sound」を発表。
2009年8月には、「サマーソニック09」に、ヘッドライナーとして出演。2010年2月、ジェラルドの喉の調子が思わしくないため、オーストラリア・ツアーをキャンセルした。
2010年3月、フランクが公式サイトにて、ボブ・ブライヤーがバンドを離脱したことを発表した。だが、なぜボブが離脱したかの理由の詳細については発表されていない。2010年に入ってから、バンドメンバーとボブの別々の活動が目立ってきたという。
2010年9月、公式サイトにてフォースアルバム『Danger Days: The True Lives Of The Fabulous Killjoys』を11月にリリースすることを発表した。プロデューサーは当初ブレンダン・オブライエンを迎えたとしているが、新たにロブ・カヴァロを起用している。本国アメリカでは11月22日、日本では11月24日に発売された。アルバムからのNa Na Na (Na Na Na Na Na Na Na Na Na)」を9月28日、セカンドシングル「SING」を11月9日にリリースした。
解散
2013年3月22日、オフィシャルサイトにて正式に解散を発表。1年後の2014年3月にはバンド結成以来リリースされてきたほとんどのシングルを収録したベスト・アルバム『May Death Never Stop You: The Greatest Hits 2001-2013』をリリースすることを発表した。
マイ・ケミカル・ロマンスとエモについて
ボーカルであるジェラルド・ウェイは"エモ"というジャンルを嫌っており、明確にそれに分類される事を拒んでいる。[1] また、エモというジャンルに関しては"fucking garbage"であると言及している。[2] バンドとしては公式サイトに於いて自身の音楽性について純粋に"Rock"、または"Violent, dangerous pop"であると述べている。[3]
その他にジェラルド氏は以下のようにエモという音楽の分類について発言を重ねている。
""本来的には、僕達の音楽についてエモだと分類することは全くの誤りだ。以前クリスチャン・メタルのバンドとツアーを行ったけれど、それまでにエモ・バンドの誰もが僕達と一緒にツアーを行おうとしなかった。彼らは自身のジャンルのバンドとお互いにツアーを行っていたからだ。僕はエモというジャンルに関してはただのゴミクズ(fucking garbage)だと思うし、くだらないと思う。僕が思うに、僕達が不運にも括りを与えられたエモというジャンルには誤ってエモであると分類されたバンドが他にもいて、それが僕達をエモに分類する事を促したんだ。今僕に言える事は、誰もがエモ・バンドのレコードと僕達のレコードをそれぞれ聴き比べれば、何処にも似ている箇所はないとわかる、という事だ。エモはそびえ立つクソ(a pile of shit)だと思うよ。""[4][2]
ディスコグラフィー
日本盤はワーナーミュージック・ジャパンからの発売。
- スタジオ・アルバム
アイ・ブロウト・ユー・マイ・ブレッツ、ユー・ブロウト・ミー・ユア・ラヴ
- I Brought You My Bullets, You Brought Me Your Love (2002年)(2009年3月25日に日本盤発売)
スウィート・リベンジ - Three Cheers For Sweet Revenge (2004年)
ザ・ブラック・パレード - The Black Parade (2006年)
デンジャー・デイズ - Danger Days: The True Lives Of The Fabulous Killjoys (2010年)
なお、それぞれのアルバムのコンセプトは「ひどい失恋」(アイ・ブロウト・ユー・マイ・ブレッツ、ユー・ブロウト・ミー・ユア・ラヴ)、「祖母の死」(スウィート・リベンジ)、「自分の道を生きる決意」(ザ・ブラック・パレード)といった個人的経験が元となっている。それらの経験、困難を乗り越え、フォースアルバムでは「僕らが君たちを救う」(デンジャー・デイズ)としている。
- ライヴ・アルバム
ライフ・オン・ザ・マーダー・シーン - Life On The Murder Scene (2006年)
ライヴ・アンド・レア − Live And Rare (2007年)(日本限定企画盤)
ザ・ブラック・パレード・イズ・デッド! - The Black Parade Is Dead! (2008年)
- ベスト・アルバム
メイ・デス・ネヴァー・ストップ・ユー - May Death Never Stop You: The Greatest Hits 2001-2013 (2014年)
- シングル
- Vampires Will Never Hurt You
- Honey, This Mirror Isn't Big Enough For The Two Of Us
- Headfirst For Halos
- I'm Not Okay (I Promise)
- Helena
Under Pressure - マイ・ケミカル・ロマンスとザ・ユーズドによるカヴァー。- The Ghost Of You
Welcome To The Black Parade - スバル・フォレスターCMソング。- Famous Last Words
- I Don't Love You
- Teenagers
Desolation Row - ボブ・ディランのカヴァー、映画『ウォッチメン』挿入歌。- Na Na Na (Na Na Na Na Na Na Na Na Na)
- The Only Hope For Me Is You
- SING - 東日本大震災を受けSINGItForJapanとして新たにミュージック・ビデオを制作。
- Planetary (GO!) - レースゲーム『グランツーリスモ5』(米国版)オープニングテーマ。
- The Kids From Yesterday
日本公演
- 2004年
- 8月7日 大阪、8日 東京
- 2005年
- 2月7日 心斎橋CLUB QUATTRO、8日 名古屋CLUB QUATTRO、9日,10日 LIQUIDROOM
- 2006年
- 8月12日 大阪、13日 東京
- 2007年
- 1月10日 Zepp Tokyo、11日 CLUB CITTA'、12日 Zepp Nagoya、13日 松下IMPホール、14日 渋谷CLUB QUATTRO
- 5月25日 ミュージックステーション内で生ライヴを行う。
- 5月29日 日本武道館
- 2009年
- 8月7日東京、8日大阪
- 2011年
- 1月31日 Zepp Osaka、2月2日 Zepp Nagoya、2月5日,6日 横浜アリーナ
マイ・ケミカル・ロマンスと友好な関係にある主なバンド
グリーン・デイ - 売り上げ増大による過度のプレッシャーを、ビリー・ジョー・アームストロングに相談した事もあった。彼のアドバイスにより、すべてを引き受けてたつ覚悟が出来たらしい。
ロストプロフェッツ - サマーソニックでの来日時、ジェラルドは酔っ払って喋り続けるイアンを無視し続けた。後日、「疲れていたから」と理由をつけて謝ったものの、イアン本人はその事を全く覚えていなかった。- フォール・アウト・ボーイ
- テイキング・バック・サンデイ
- オール・アメリカン・リジェクツ
- サーズデイ
エヴリー・タイム・アイ・ダイ - ボーカリストのキースは、10代の頃からのジェラルドの友人。また、ジェラルドは、彼らのアルバム「ガター・フェノメノン」収録の「キル・ザ・ミュージック」でゲストボーカルも務めている。- アヴェンジド・セヴンフォールド
ウィーザー - 2010年9月に、ジェラルド、マイキー、レイの3人がウィーザーのライブに乱入し、1994年のウィーザーのファースト・アルバムから「My Name Is Jonas」を熱唱した。
ブライアン・メイ - 2011年8月に行われたReading フェスティバルにて共演。「We Will Rock You」と「Welcome To The Black Parade」を演奏。
備考
- 2010年に発売された『グランツーリスモ5』の米国版オープニングのBGMに彼らの「Planetary (GO!)」が使われている。
脚注
- ^ abhttps://www.theguardian.com/music/2006/oct/27/popandrock.mychemicalromance
- ^ abhttp://www.nme.com/news/my-chemical-romance/31256
^ https://web.archive.org/web/20060816052539/http://mychemicalromance.com/mcrhtml/band.html
^ http://mainecampus.com/2007/09/20/my-chemical-romance-talks-to-the-campus/
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 日本公式ウェブサイト
- マイケミカルロマンス オフィシャルブログ