ウール県
ウール県 Eure | |
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ウール県の紋章 | |
位置 | |
概要 | |
県番号 | 27 |
地域圏 | ノルマンディー |
県庁所在地 | エヴルー |
郡庁所在地 | レ=ザンドリ ベルネー |
郡 | 3 |
小郡 | 43 |
コミューン | 675 |
県議会議長 | セバスティアン・ルコルニュ |
統計 | |
人口 国内44位 | (2011年) 588,111人 |
人口密度 | 97人/km2 |
面積¹ | 6,040 km2 |
¹ 「French Land Register data」(1平方キロ以上の湖沼、エスチュアリー、氷河などの水面積除く。 |
ウール県(Eure)は、フランスのノルマンディー地域圏の県である。かつてのノルマンディー州廃止後に誕生した5県のうちの1つである。
目次
1 由来
2 地理
3 歴史
4 経済
5 人口統計
5.1 主要コミューン
6 観光
7 脚注
由来
名称は県内を流れ最後にセーヌ川に合流するウール川に由来する。
地理
ウール県はオート=ノルマンディー地域圏の南部にある。セーヌ=マリティーム県、オワーズ県、ヴァル=ドワーズ県、イヴリーヌ県、ウール=エ=ロワール県、オルヌ県、カルヴァドス県と接している。
県の平均標高は150mである。ウール県は、多かれ少なかれ深い谷で区切られた台地からなる。県には13の自然区分上の地方がある。ペイ・ド・リヨン、ヴェクサン・ノルマン、ヴェクサン・ボシュ、ヴァレ・ド・ラ・セーヌ、プラトー・ド・マドリー、カンパーニュ・ド・サンタンドレ、プラトー・デュ・ヌブール、ペイ・ドゥシュ、ルモワ、リューヴァン、マレ・ヴェルニエ、ペイ・ドージュ、そしてわずかにペルシュである。
4つの代表される景観はウール県で明確に区別されている。セーヌ川谷を意味するヴァレ・ド・ラ・セーヌである。オート=ノルマンディー地域圏の長軸であるセーヌ川谷は、ウール県北東部を横切り、北西においてはセーヌ=マリティーム県との境界となっている。
植林の比率は23%あり、旧ノルマンディーの各県で最も森林が多い。森林は主に谷やその周辺に多く、県面積のうち132 775ヘクタールを覆っている。森林の85%が広葉樹で、15%が針葉樹である[1]。
歴史
1790年3月4日、エヴルー県(Département d'Évreux)の名で新設された[2]。最初県庁が置かれたエヴルーは1793年にその座をベルネーに譲ったが、のちにエヴルーに県庁が復活した[3]。
1790年、エヴルー、レ=ザンドリ、ベルネー、ルーヴィエ、ポントードメール、ヴェルメイユの6郡が置かれた。1800年にはヴェルメイユ郡が廃され、1926年にはポントードメール郡とルーヴィエ郡が廃された。
1815年6月、ワーテルローの戦いで第七次対仏大同盟軍が勝利すると、県はプロイセン軍に1818年11月まで占領されていた。ナポレオン3世による1851年12月2日クーデターの後、ウール県は大規模暴動に対処するため包囲下に置かれた県の1つであった。100人弱が逮捕された[4]。
経済
農業は県面積の3 850 km2を占める重要な産業である。そのうち3 080 km2が穀物、油糧種子、およびたんぱく質作物の生産である。742 km2は恒久的に草原となっている。残りは果樹園や植物種苗場である。
人口統計
1801年 | 1831年 | 1841年 | 1851年 | 1856年 | 1861年 | 1866年 |
---|---|---|---|---|---|---|
402.796 | 424.248 | 425.780 | 415.777 | 404.665 | 398.661 | 394.467 |
1872年 | 1876年 | 1881年 | 1886年 | 1891年 | 1896年 | 1901年 |
377.874 | 373.629 | 364.291 | 358.829 | 349.471 | 340.652 | 334.781 |
1906年 | 1911年 | 1921年 | 1926年 | 1931年 | 1936年 | 1946年 |
330.140 | 323.651 | 303.159 | 308.445 | 305.788 | 303.829 | 315.902 |
1954年 | 1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 |
332.514 | 361.943 | 383.385 | 422.952 | 462.323 | 513.818 | 541.054 |
2006年 | 2007年 | |||||
554,038 | 572,107 |
参照元:SPLAF[5]、2006年以降INSEE[6]、2007年[7]
主要コミューン
県には675のコミューンがあり、人口が5000人を越えるのは2007年時点で11である。また、103のコミューンは、名称にキリスト教の聖人にちなんだSaintまたはSainteが付いている。
コミューン | 人口 2007 | 変遷 2007/1999 | コミューン | 人口 2007 | 変遷 2007/1999 |
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エヴルー | 51,484[B 1] | == 0,6 % | ポントードメール | 8,718[B 2] | -2,9 % |
ヴェルノン | 24,598[B 3] | 2,2 % | レ=ザンドリ | 8,208[B 4] | -9,2 % |
ルーヴィエ | 18,120[B 5] | == -1,1 % | ギャヨン | 6,879[B 6] | == 0,3 % |
ヴァル=ド=ルイユ | 13,548[B 7] | 2,3 % | ヴェルヌイユ=シュラーヴル | 6,694[B 8] | == 1,2 % |
ジゾール | 11,677[B 9] | 7,3 % | コンシュ=アン=ウシュ | 5,046[B 10] | 17,8 % |
ベルネー | 10,434[B 11] | -5,3 % | |||
Source : Insee[8] |
観光
ガイヤール城
フランスの最も美しい村に登録されているリヨン=ラ=フォレ
ジヴェルニーのクロード・モネの家
レ=ザンドリのセーヌ川谷
エヴルーのノートルダム大聖堂
脚注
^ « Les forêts dans l'Eure », sur Le site de la préfecture de l'Eure (consulté le 16 décembre 2014)
^ Marquis de Blosseville, Dictionnaire topographique de la France - Département de l'Eure, 1877, p.80
^ Milou (Émile) RIKIR, Les départements et subdivisions de même ordre créés à travers l'Europe et ses colonies entre 1789 et 1815
^ Jacques Olivier Boudon, Les Bonaparte : regards sur la France impériale. La Documentation photographique, dossier 8073, janvier-février 2010, p. 11 (carte de fr:Gilles Pécout)
^ http://splaf.free.fr/
^
« Recensement de la population au 1er janvier 2006 », sur Insee
^
« Évolution et structure de la population du département (de 1968 à 2007) », sur Insee
consulté le= 8 septembre 2010
^ http://www.insee.fr/fr/bases-de-donnees/default.asp?page=recensements.htm
- INSEEサイト上での2007年1月1日のコミューン人口
^ « Évreux »
^ « Pont-Audemer »
^ « Vernon »
^ « Les Andelys »
^ « Louviers »
^ « Gaillon »
^ « Val-de-Reuil »
^ « Verneuil-sur-Avre »
^ « Gisors »
^ « Conches-en-Ouche »
^ « Bernay »
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