ボサノヴァ
ボサノヴァ(Bossa Nova、ボッサ・ノーヴァ)は、ブラジル音楽の様式(ジャンル)のひとつである。ボサノバと表記されることも多い。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 誕生と世界への拡大
2.2 国際化と衰退
3 楽器
4 著名な曲
5 ミュージシャン、歌手
5.1 ブラジル
5.2 ブラジル以外
5.3 関連ジャンル:MPB
6 脚注
7 関連項目
概要
Bossa Nova の Nova とはポルトガル語で「新しい」、Bossa とは「隆起、こぶ」を意味する。したがって Bossa Nova とは「新しい傾向」「新しい感覚」などという意味になる[1]。なお Bossa という語は、すでに1930 - 1940年代に黒人サンビスタなどがサンバ音楽に関する俗語として、他とは違った独特な質感をもつ作品を作る人に対して「あいつのサンバにゃボサがある」などと使い、それらの楽曲を Samba de Bossa などと呼んでいた。
1950年代後半、リオデジャネイロのコパカバーナやイパネマ(Ipanema)といった海岸地区に住む白人「中産階級」の学生やミュージシャンたちによって生み出された[2]。ブラジルでのヒットのきっかけは1958年にアントニオ・カルロス・ジョビン作曲、ヴィニシウス・ジ・モラエス作詞、ジョアン・ジルベルト歌・ギターによる“Chega de Saudade”(シェーガ・ジ・サウダージ、邦題:想いあふれて)のシングルレコードによってである。ただしこの時点ではボッサ・ノヴァという呼び名はまだ生まれていなかった。
サンバやショーロをはじめとするブラジルの伝統的な大衆音楽、特にサンバ・カンサゥン (Samba Canção) を基に、中産階級の若者たちの求めていた心地よく洗練されたサウンド、「新しい感覚」のサンバとして成立した。ボサ・ノヴァをジャズの一種と見るなどさまざまな見方もあるが、少なくとも本来のボサ・ノヴァはサンバの一種であると定義される。その出現はブラジルのポピュラー音楽を革新し、その後世界中の音楽シーンに広がっていった。
なお一口にボサ・ノヴァといってもミュージシャンによってその作風は多様で、例えば公的には上記1958年の“Chega de Saudade”がボサ・ノヴァ第1号といわれるが、それより以前の1953年、ジョビン&ヴィニシウス作品でジョニー・アルフが歌った“Rapaz de Bem”(和題:心優しい青年)を真のボサ・ノヴァ第1号とする説もある。アルフの場合はジャズに影響された作風を持っているのが特徴で、ジョアン・ジルベルトなどとは明らかにスタイルが異なっていることが理解できる。
1964年にブラジルにおいてカステロ・ブランコ大統領による軍事政権が誕生すると、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルなどのトロピカリア・ムーブメントなどにより、愛や自然を歌うものから体制を批判するものに変化していった。軍事政権は1964年から85年と、長期間に渡ってブラジルを支配した。
歴史
誕生と世界への拡大
1950年代中期、リオデジャネイロに在住していた若手ミュージシャンたちによって創始された。ボサノヴァ誕生の中心となった人物として、作編曲家のアントニオ・カルロス・ジョビン[3](トム・ジョビン)、歌手でギタリストでもあったジョアン・ジルベルト、ブラジル政府の外交官にしてジャーナリストも兼ねた異色の詩人ヴィニシウス・ヂ・モライスらが挙げられる。
ボサノヴァの誕生には、ジョアンが幾日もバスルームに閉じこもってギターを鳴らす試行錯誤の末、それまでにないスタイルのギター奏法を編み出すことに成功したという逸話が残っているが、その際、変奏的なジャズや抑制された曲調のサンバであるサンバ・カンサゥン(1950年前後に発展した)、バイーア州周辺で発展したバチーダというギター奏法の影響は無視できない。彼を中心とするミュージシャンらの間で、1952年から1957年頃、ボサ・ノヴァの原型が形作られ、発展したものと見られている。
1958年、ジョビン作曲、モライス作詞の“Chega de Saudade” (想いあふれて) が、当時すでに人気歌手であったエリゼッチ・カルドーゾによってレコーディングされる。その際ジョアン・ジルベルトがバックのギターを演奏するが、エリゼッチの歌い方はジョビンやジルベルトが目指す音楽とはかけ離れたものであった。そこで同年ジョビンがレコード会社を説得してジョアン・ジルベルトが歌う同曲が録音、発売されボサ・ノヴァ・ブームの幕開けとなる。
音楽のジャンルとしての「ボサ・ノヴァ」という言葉が生まれたのは、ジョアン・ジルベルトやナラ・レオンのアパートに集まる他のアマチュア・ミューへジシャンが参加した、大学でのコンサートである。誰が書いたかは不明だがそのコンサートの告知として掲示板に書かれた言葉が若者達の間で広まったとされる。
1959年には、1957年にジョビンとモライスが古代ギリシャのオルペウスの神話を題材にして企画した劇を元にしたブラジル・フランス合作映画「黒いオルフェ[4]」(マルセル・カミュ監督)の劇中曲として多くのボサノヴァが使われ、世界にその存在を知らしめた。また1962年11月21日には、カーネギー・ホールでボサノヴァのコンサートが行われ、ジョアン・ジルベルト、カルロス・リラ、セルジオ・メンデス等が出演。
1962年(August 28, 1962)、ジャズとボサノヴァを初めて結合したアルバムがアメリカのジャズ・サックス奏者ズート・シムズによってニューヨークで録音された。
(Zoot Sims - New Beat Bossa Nova, Vol. 1)
1963年には、ジョアン・ジルベルトがアメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツと共演したボサノヴァ・アルバム『ゲッツ/ジルベルト』が制作され、アメリカで大ヒット。特にこの中でジョアンの当時の妻アストラッド・ジルベルトが英語詞で歌った「イパネマの娘」は爆発的な売り上げを記録し、アメリカの大衆に「ボサノヴァ」を浸透させた。しかしこのアルバムのためにアメリカの大衆は「ボサノヴァはゲッツの創始になるもの」「ボサノヴァを代表する歌手はアストラッド」という極端な誤解をしてしまったともいう。アストラッド・ジルベルトは、歌はそれほど上手ではなかったが、歌心があり聴衆にアピールする力があった。この時期には、キャノンボール・アダレイやポール・ウィンター等のジャズ・ミュージシャンも、ボサノヴァに特化したアルバムを発表している。
以後の一時期、アメリカではボサノヴァ・ナンバーに英語詞を付けたものが、ポピュラー歌手によって盛んに歌われた。だが、その実状は多分にエキゾチシズムを帯びた一過的なものとして消費された感が強く、歌唱や演奏の在り方も、本来のボサノヴァからはかけ離れたものであった。その傾向は日本においても共通した傾向である。この「本来のボサノヴァ」と「ボサノヴァ風の亜流音楽」の並立は、その後も長く続した。戦後における都市文化の爛熟期にあったブラジルには、若く才能あるアーティストたちが輩出し、ボサノヴァは1960年代初頭に隆盛を迎えた。
国際化と衰退
ブラジルで1964年に起こったクーデターによる軍事政権樹立と、それに伴う強圧的な体制は、「リオの有閑階級のサロン音楽」的な傾向のあったボサ・ノヴァを退潮させる主因となったともされる。セルジオ・メンデスなど決して少なくないボサ・ノヴァたちが、ブラジル国外へ半亡命的な形で去り、アメリカやフランス等世界のミュージックシーンに足跡を残した。
抽象的・享楽的な傾向のあったボサ・ノヴァの歌詞も、体制批判など政治的な内容を含んだものが少数現れた(例:ナラ・レオンのアルバム O Canto livre de Nara(ナラが自由を歌う)や、マルコス・ヴァーリのアルバム「ヴィオラ・エンルアラーダ」など)。これらはボサ・ノヴァのカテゴリーから外してとらえる批評家も多い。
1960年代半ばには、セルジオ・メンデス&ブラジル66が「マシュケナダ」のヒットを放った。ポルトガル語の曲がアメリカでヒットしたのは、きわめて稀な例である。1960年代中期以降、ブラジルの大衆音楽のムーブメントからは外れていったものの、1970年代から現代にまで連なるMPB(Musica Popular Brasileira、ブラジルの大衆音楽)と呼ばれる、よりエスニックな新ジャンル創成の母胎となり、その影響は今なお続いている。そして、世界各国のポピュラー音楽に多大な示唆を与えてもいる。特にフランスやベルギーなどのヨーロッパ各地では、イザベル・アンテナやクレール・シュヴァリエなど数多くのミュージシャンによりオマージュされた作品が発表されている。
1950年代~60年代に作られた多くのボサ・ノヴァ・ナンバーは、爽快さ、親しみやすさから、今なおスタンダードとして世界各国で聴かれ、歌唱・演奏の題材として頻繁に取り上げられている。有名な曲は、モライスの詞とジョビンの曲になる“Garota de Ipanema”(イパネマの娘)が挙げられる。
21世紀のブラジル本国では、ボサ・ノヴァは主に白人の中流層以上で教養の高い人々を中心に好まれる音楽で、あまり大衆的な音楽ではない。また年齢層が高い人が聴く昔の音楽というイメージもある。若い世代は欧米のロックやポップスを好むため、あまりボサ・ノヴァは聴かれていない。
しかし日本では、現在でもボサ・ノヴァのファンが特に多いと言われる。これは、日本で中産階級が増えたことが大きい。また、これとは別に、2000年頃からのカフェブームに関し、カフェ店内で流す音楽として、ジャズ等とともにボサ・ノヴァが多く取り上げられたということもあり、比較的身近なジャンルの音楽と見做されている傾向にあるとも捉えられる。このため日本国内でボサ・ノヴァの古い音源がCDでリイシュー(再発売)されることが多く、ブラジルでも日本や欧州のマーケットを意識してCDをリリースして輸出することもあり、ブラジル国内よりも日本の方が音源を入手しやすいという状況にある。2003年にはジョアン・ジルベルトが70歳代で初の来日公演を行い、話題となった。
楽器
ボサノヴァで必ずといっていいほど用いられるのが、ナイロン弦のクラシック・ギター(ブラジルではヴィオラゥン Violão と呼ぶ)である。ピックを使わず、指で奏でる。そのもっとも純粋なフォームは、ジョアン・ジルベルトが示したような、ギターとボーカルだけの演奏においてよく見ることができる。もっと大きな、グループ演奏でのジャズ・ライクなアレンジメントにおいても、ほぼ必ずギターが使われ、ギターが潜在的にビートを鳴らすのが特徴的である。ジョアンに代表されるように、ボサノヴァにおけるヴィオラゥンの基本的なリズムは、親指がサンバの基本的な楽器であるスルドのテンポを一定に刻み、他の指はタンボリン[5]のテレコ・テコというシンコペーションのリズムを刻む。このボサノヴァ独特のギター奏法は、叩き合わせる、またミックスするという意味を持つ「バチーダ」と呼ばれる。
ギターほどではないが、ピアノももう一つのボサノヴァにとっての重要な楽器である。ジョビンはピアノのための曲をよく書き、彼のレコードにおいて彼自身がピアノを弾いてレコーディングした。このピアノはまた、ジャズとボサノヴァをつなぐ架け橋としても用いられ、ピアノのおかげで、この2つのジャンルが相互に影響を及ぼす結果となったと言える。
ドラムとパーカッションは、ボサノヴァにおいて本質的な要素の楽器ではない(そして事実として、制作者たちはなるべくパーカッションをそぎ落とそうと考えていた)が、ボサノヴァには独特のドラム・パターンおよびスタイル(バックビート)が確立した。これは8分音符のハイハットの連打と、リム・ショットによって特徴づけられている。これはサンバのタンボリンのリズムであり、リムはテレコ・テコを代用した音である。
ボサノヴァのドラム・パターン例
「ボサノヴァには美しいオーケストラの伴奏が用いられる」というのが、"エレベータ・ミュージック"や"ラウンジ・ミュージック"などといった、北アメリカ的なボサノヴァのイメージである。しかし、ジョビン自身のレコードでそういったサウンドを耳にすることはあっても、それ以外の多くのボサノヴァ・レコードではあまり聴かれない(ジョビンのレコード作品の多くはボサノヴァの範疇(はんちゅう)を超える作品であったため、このような誤解が生まれたと考えられる)。
著名な曲
ボサノヴァの曲の中でスタンダードとなっている曲を以下に列挙する。
イパネマの娘 (Garota de Ipanema)
リカード・ボサノヴァ (Recado)
カーニバルの朝 (Manhã de Carnaval)
マシュ・ケ・ナダ (Mas que Nada)
おいしい水 (Água de beber)
サンバ・ヂ・ウマ・ノタ・ソ / ワン・ノート・サンバ (Samba de Uma Nota Só)- 想いあふれて (Chega de Saudade)
- ア・フェリシダーヂ (A Felicidade)
- メディテーション (Meditação)
デサフィナード (Desafinado)- ウェーブ (Wave)
ジンジ (Dindi)
ミュージシャン、歌手
ブラジル
アントニオ・カルロス・ジョビン (Antônio Carlos Jobim)- アストラッド・ジルベルト
- ルイス・ボンファ
- ボサ・リオ
ナラ・レオン (Nara Leão)- マリア・ルイーザ
- ビーア
- セルソ・フォンセカ
アグスティン・ペレイラ (Agustin Pereyra)
ボグダン (Bogdan Plech)
ヴィニシウス・ヂ・モライス (Vinicius de Moraes)
カルロス・リラ (Carlos Lyra)
ジョアン・ジルベルト (João Gilberto)
ジョアン・ドナート (João Donato)
セルジオ・メンデス (Sérgio Mendes)- ソニア・ローザ
タンバ・トリオ (Tamba Trio)
トッキーニョ (Toquinho)
ドリ・カイミ (Dori Caymmi)
エドゥ・ロボ (Edu Lobo)
ニュウトン・メンドンサ (Newton Mendonça)
バーデン・パウエル (Baden Powell)
ホベルト・メネスカル (Roberto Menescal)
マルコス・ヴァーリ (Marcos Valle)
ミルトン・バナナ・トリオ (Milton Banana Trio)
ワルター・ワンダレイ(Wlter Wanderley)
グラシーニャ・レポラーセ(Gracinha Leporace)
クアルテート・エン・シー(Qartero em Cy)
ブラジル以外
スタン・ゲッツ (Stan Getz)- クインシー・ジョーンズ
ハービー・マン (Herbie Mann)
ベベウ・ジルベルト (Bebel Gilberto)- キャノンボール・アダレイ
- ポール・ウインター
- イザベル・アンテナ
ピエール・バルー(Pierre Barouh)- イーディ・ゴーメ
- マイケル・フランクス
- ジャニス・イアン
- 長谷川きよし
- 丸山圭子
- 大橋純子
- 小野リサ
- ソウル・ボッサ・トリオ
- Naomi & goro
- 中村善郎
- 小泉ニロ
- ソット ボッセ
- Aderbal Duarte Bossa Nova
- メリッサ・クニヨシ
関連ジャンル:MPB
- カエターノ・ヴェローゾ
ジョルジ・ベン (ジョルジ・ベンジョール)- ジルベルト・ジル
- ミルトン・ナシメント
- ジャヴァン
- エリス・レジーナ
脚注
^ 一般的な「新しい傾向」という意味ではなく、特定の時期の音楽について呼ばれる。このため、新しくなくなってもボサノヴァである。
^ http://www.umich.edu/~ac213/student_projects05/.../bossanova.html
^ http://ramyashankar.blogspot.com/.../antonio-carlos-jobim-creator-o...
^ http://www.discogs.com/ja/Various-Orfeo-Negro/.../2711261
^ http://www.marcdedouvan.com/en/instru.php?instru=tamborim
関連項目
- サウダージ
- サルサ
- ラテン音楽
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