興居島
興居島 | |
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![]() 三津浜港から見た興居島。中央やや左の山が伊予小富士。 | |
所在地 | 日本(愛媛県) |
所在海域 | 瀬戸内海 |
座標 | 北緯33度54分0秒 東経132度40分10秒 / 北緯33.90000度 東経132.66944度 / 33.90000; 132.66944座標: 北緯33度54分0秒 東経132度40分10秒 / 北緯33.90000度 東経132.66944度 / 33.90000; 132.66944 |
面積 | 8.49 km² |
最高標高 | 282 m |
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興居島(ごごしま)とは、瀬戸内海に浮かぶ、愛媛県松山港の沖合いの有人島。面積8.49平方キロメートル、人口は1127人(2015年3月現在)、世帯数は586数(2015年3月現在)。行政区画としては全島松山市に属する。
目次
1 地理
2 産業
3 交通
4 学校
5 文化
6 観光
7 人物
8 歴史
9 関連図書
10 外部リンク
地理
松山港の高浜港区(通称「高浜港」)の西側に位置し、季節風や波浪をさえぎる形となるため、高浜港の自然の防波堤ともなっている。島は中央が大きくくびれ南北に細長い形をしている。- 山頂近くまで果樹園が広がっており、そのため果実を運搬する台を運ぶレールが島の至る所に設けられている。
- 島の南部の小高い山は、伊予小富士と呼ばれ、その姿は優美である。地元では親しみをこめて、小富士山(こふじさん)と呼ぶ。瀬戸内航路では、松山入港の目標となる。
- 島の北端に琴引鼻があり、釣島海峡を隔てて北に中島がある。
- 西に釣島(つるしま)がある。
産業
- 名産品は、柑橘類(ウンシュウミカン、伊予柑)、桃、ビワ。特に柑橘類は「島みかん」、「興居島みかん」、「興居島いよかん」として知られる。
- 島民は果樹栽培に秀でており、柑橘類は古くから栽培されていた。江戸時代の終わり頃に、大阪から桃の苗木が持ち込まれ、太平洋戦争前には一大産地となっていた。また、ビワもこれをしのぐ生産量があったとされるほか、リンゴについても栽培が試みられたことがある。
- 戦後、食糧増産の必要性から果樹園はイモやキビの畑に変わったが、食糧事情の改善と共に果樹栽培に戻った。ミカン景気が華やかなりし頃は裕福な島として知られ、暮らしぶりにも余裕があったとされる。
交通
- 高浜港から、泊港、由良港へのフェリーがシャトル運航され、頻繁に行き交っている。所要時間約10~15分
- 泊港~高浜港 株式会社ごごしまが運航
- 由良港~高浜港 株式会社ごごしまが運航 ホームページ
学校
島内の松山市立由良小学校と松山市立泊小学校は児童数減少により、2009年3月末を以って閉校となり、同年4月から松山市立興居島小学校として統合された。
文化
- 船踊り - 国選択無形民俗文化財、県指定無形民俗文化財。海上で船の上に設えた舞台で歌舞伎踊りを行う、和気比売神社(船越地区)の秋祭りの芸能。倭寇の凱旋踊りが発祥ともいう。また、これを元に伊豫之國松山水軍太鼓が創設された。
観光
- 海水浴(相子ヶ浜、鷲ヶ巣海水浴場)
- 磯釣り
人物
西本明和 - プロ野球選手。広島東洋カープで活躍。
西本聖 - 明和の弟。プロ野球選手。読売ジャイアンツなどで活躍
歴史
寛正6年(1465年9月3日) 伊予の港山城の河野通春に援軍するため興居島に布陣して、細川勝元の軍と戦っていた大内教弘が、同地にて病没している。
関連図書
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典38 愛媛県』角川書店、1981年、299頁
外部リンク
- 興居島(松山離島振興協会)
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