下関港
下関港 | |
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下関港(本港地区) | |
所在地 | |
国 | ![]() |
所在地 | 山口県下関市 ![]() ![]() 下関港 日本の地図を表示 ![]() ![]() 下関港 山口県の地図を表示 ![]() ![]() 下関港 東シナ海の地図を表示 下関港の位置 |
座標 | 北緯33度57分28.4秒 東経130度56分28.8秒 / 北緯33.957889度 東経130.941333度 / 33.957889; 130.941333 (下関港)座標: 北緯33度57分28.4秒 東経130度56分28.8秒 / 北緯33.957889度 東経130.941333度 / 33.957889; 130.941333 (下関港) |
詳細 | |
開港 | 1875年 |
管理者 | 下関市 |
種類 | 国際拠点港湾・中枢国際港湾・日本海側拠点港湾(国際海上コンテナ、国際フェリー・国際RORO船、国際定期旅客の各部門)・総合的拠点港湾(日本海側拠点港湾) |
外貨輸出貨物量 | 1,360,226トン |
外貨輸出コンテナ量 | 31,345TEU |
外貨輸入貨物量 | 1,425,470トン |
統計 | |
統計年度 | 2017年 |
貨物取扱量 | 4,640,000トン |
旅客数 | 967,879人 |
外貨輸入コンテナ量 | 31,420TEU |
内貨移出貨物量 | 650,252トン |
貨物量 | 1,189,433トン |
下関港(しものせきこう)は、山口県下関市にある港湾。国際拠点港湾の一つで、北部九州の中枢国際港湾に位置づけられる。また、日本海側拠点港湾19港のうち総合的拠点港湾5港の一つに選ばれている[1]。北九州港と共に関門港の一部をなし、4航路週13便の国際定期航路を持つ。
港湾管理者は下関市[2] 。全国で最多の国際定期旅客航路数および運航頻度の港湾である。背後圏の広さは日本一で[3]、輸入コンテナ貨物の49%が下関港経由で関西以東へ輸入され、輸出コンテナ貨物の34%が下関港経由で関西以東から輸出されている。(下関港湾局:2013年)
目次
1 歴史
2 主な施設
2.1 本港地区
2.1.1 下関港国際ターミナル
2.2 東港地区
2.3 岬之町地区
2.4 西山・荒田・福浦地区
2.5 長府地区
2.6 新港地区
3 関連項目
4 脚注
5 外部リンク
歴史
本州の最西端であり関門海峡に面した下関は、古代より九州への航路があった。江戸時代に入ると、北前船の寄港地として栄えた。港を含む領地は長府藩が大部分を占めていたが、長州本藩(萩藩)や清末藩の領地も混在していた。明治に入ってからは対韓貿易の中心地となり、また、1945年に終戦を迎えるまでは港を含む関門海峡一帯が下関要塞地帯に設定され、地図作成などに一定の制限が加えられていた。
下関の繁栄は港の隆盛と一対をなすものであり、交通網の整備や福岡市・北九州市の拠点化が推進されると、下関港の衰退、ひいては下関の街全体の衰退に影響を及ぼした。
1672年(寛文12年) - 西廻り航路就航、寄港地となる。
1840年(天保11年) - 萩藩により、越荷方設置。
1865年(慶応元年) - かねてより開港論と萩藩直轄化が持ち上がっていたが、どちらも実施されないことが萩藩により公示。
1875年(明治8年) - 上海定期航路寄港地として開港指定、長崎税関下関官吏派出所設置。
1883年(明治16年) - 特別輸出港となり、対韓貿易港となる。
1889年(明治22年) - 赤間関市として市制が施行され、赤間関港となる。
1899年(明治32年) - 第一種港湾に指定。
1902年(明治35年) - 市名を下関市と改称、下関港となる。
1905年(明治38年) - 関釜連絡船が就航。(1945年(昭和20年)まで)
1907年(明治40年) - 第一種重要港湾に指定。
1911年(明治44年) - 内務省下関土木出張所設置。門司港との間で鉄道車両航送を実施。
1930年(昭和5年) - 下関港第1期修築工事完了。(東港岸壁が完成)
1937年(昭和12年) - 小門海峡(彦島と本土の間)を締め切り。
1942年(昭和17年) - 関門トンネルが開通、鉄道車両渡船を廃止。下関漁港修築工事完成。
1945年(昭和20年) - B-29による機雷敷設や空襲により港湾機能が麻痺。
1947年(昭和22年) - 下関港第2期修築工事完了。(第1突堤が完成)
1949年(昭和24年) - 関門海峡掃海完了。
1951年(昭和26年) - 関門穀物商品取引所設置。(翌年、関門商品取引所に名称変更)
1953年(昭和28年) - 特定重要港湾(現・国際拠点港湾)に指定。
1959年(昭和34年) - 下関港第3期修築工事完了。(第2突堤が完成)
1962年(昭和37年) - 下関市が下関港の港湾管理者及び海岸管理者となる 。
1970年(昭和45年) - 関釜フェリー就航。
1988年(昭和63年) - 下関港国際ターミナル完成。
1989年(平成元年) - 東港再開発・あるかぽーと着工。 市営渡船・彦島線(伊崎 - 海士郷 間)廃止。
1992年(平成4年) - 下関港初のコンテナ定期航路開設 。
1994年(平成6年) - 下関港が輸入促進地域(FAZ)指定。
1995年(平成7年) - 新港地区・長州出島着工。
1996年(平成8年) - 山口県国際総合センター 海峡メッセ下関オープン。
1998年(平成10年) - 青島航路が週1便へ 。
2001年(平成13年) - 関門商品取引所が福岡市へ移転し、福岡商品取引所に名称変更。
2006年(平成18年) - 蘇州航路就航。
2009年(平成21年) - 蘇州航路旅客営業廃止、貨物専業化。
2011年(平成23年) - 光陽航路就航。
2012年(平成24年) - 光陽航路休止。
2015年(平成27年) - 青島航路休止。
2017年(平成29年) - コンテナ航路を長州出島に移管。長州出島でアフリカ向けの不定期自動車輸出を開始。韓国企業が運航するコンテナ船「PANSTAR」が就航し、国際定期航路が4航路週13便に増加。みなとオアシス下関が登録される。
2018年(平成30年) - 韓国の釜山・馬山、中国の石島にRORO船の航路が就航。
主な施設
本港地区
下関港国際ターミナル

本港地区
下関駅にほど近い東大和町・細江町に位置し、 第1突堤 、 第2突堤 、 細江ふ頭 で構成される。いずれも貨物扱いが主であるが、細江ふ頭に国際貨客航路の発着点となる下関港国際ターミナルがある。
下関港国際ターミナル
現在の下関港国際ターミナルは、1988年(昭和63年)3月に完成した日本最初のCIQ施設などを完備した外国航路用旅客ターミナル。1階はフェリー貨物の荷捌地、2階は乗船券の購入や税関・出入国手続きをする施設になっている。2003年(平成15年)には、下関駅前のペデストリアンデッキがターミナルビル玄関まで延伸されて直結したことにより、下関駅からの所要時間が徒歩7分となった。
関釜フェリー(🇯🇵🇰🇷 下関港国際ターミナル - 大韓民国・釜山広域市)
光陽ライン(🇯🇵🇰🇷 下関港国際ターミナル - 大韓民国・光陽市)
オリエントフェリー(🇯🇵🇨🇳 下関港国際ターミナル - 中華人民共和国・青島市) 運休中
蘇州下関フェリー(🇯🇵🇨🇳 下関港国際ターミナル - 中華人民共和国・蘇州) 貨物専用
東港地区

海響館と唐戸桟橋
唐戸桟橋と あるかぽーと で構成される。
あるかぽーととは1996年(平成8年)に完成した南部町(なべちょう)南側埋立地の愛称(アルカディア(理想郷)とポート(港)の複合語)で、住所表記も同じである。埋立地完成後、埠頭が整備され、2001年(平成13年)4月には敷地の一部にしものせき水族館 海響館がオープンした。なお、埠頭・海響館以外の敷地については、現在整備中であるが、2013年9月に泉陽興業の運営するアミューズメント施設「はい!からっと横丁」がオープンした。
あるかぽーと埠頭には定期旅客船の就航はないが、大型客船や大型帆船(日本丸・海王丸等)が下関に寄港する際にはあるかぽーと埠頭が使用されている。
かつては石崎汽船の高速艇シーマックスが唐戸桟橋と松山港(愛媛県松山市)とを結んでいたが、2006年(平成18年)に航路短縮となり下関には寄港しなくなった(航路そのものも2008年に廃止)。
関門汽船(下関市唐戸桟橋 - 北九州市門司港)- 関門汽船(下関市唐戸桟橋 - 巌流島)
岬之町地区

岬之町地区

展望台から見た岬之町地区
本港地区と唐戸地区の中間にあたる岬之町(はなのちょう)に位置し、下関港で唯一のコンテナターミナルがある(現在は長州出島にコンテナターミナルが整備されている)。、関門海峡に突き出るような形状をした南側の埠頭には日本通運などの倉庫やコンテナ・フレイト・ステーション(CFS)、くん蒸庫などといった港湾施設が立地している。1977年(昭和52年)に埠頭が完成し、その後コンテナターミナルが整備され1992年(平成4年)に完成した。現在は岬之町地区ではコンテナの取り扱いはほとんどなく、ほぼ全ての国際定期航路が長州出島に移っている。現在は老朽化のためガントリークレーンは撤去され、かわりに長州出島に新たに設置された。
西山・荒田・福浦地区
下関市南部・彦島にある港湾群。彦島の一角には三菱重工業下関造船所が存在する。西山地区は外材の輸入基地として活用されており、福浦埠頭はプレジャーボート係留施設が整備されている。
関門海峡フェリー(下関市彦島荒田港 - 北九州市小倉日明埠頭)
長府地区
下関市東部・長府の臨海工業団地の前面に整備された。ブリヂストンタイヤ下関工場で生産された大型タイヤの輸出や、神戸製鋼所・長府製作所等向けの非鉄金属の輸入に活用されている。
1992年(平成4年)に第1期工事が完成し、現在は第2期工事が進行中である。
新港地区
下関市西部・垢田沖の響灘に人工島(147ha)を建設し、岬之町のコンテナターミナルを移転して東アジアとの物流拠点をつくる予定となっている。なお、この地区は国際航海船舶及び国際港湾施設の保安の確保等に関する法律に基づく制限区域内のため一部例外を除き、関係者以外の出入りは出来ない。
人工島の愛称は公募で『長州出島』(ちょうしゅうでじま)に決定され、住所表示も同じである。なお、『長州出島』に愛称が決定する前は、響灘にちなんで『ひびっくらんど』と呼ばれていた。
1995年(平成7年)11月に着工し、現在は第1期工事(61.6ha)が進行中である。2009年(平成21年)3月には、一部(多目的国際ターミナル-12m岸壁1バース分)が供用開始した。2018年(平成30年)には昨年からの岸壁の延伸工事が終了し一基のガントリークレーンを備えている。岸壁の延長が410mになり、世界最大級のクルーズ船の受け入れが可能になった。同年4月20日に中国・上海からの大型クルーズ船「クァンタム・オブ・ザ・シーズ」(16万8666トン)が県内初寄港した。また、釜山・馬山への国際定期貨物船が就航している。
関連項目
- 国際拠点港湾
- 中枢国際港湾
- 関門港
- 特定重要港湾
- 関門海峡
- 北九州港
- 下関漁港
脚注
^ “日本海側拠点港の選定結果について” (プレスリリース), 国土交通省, (2011年11月11日), http://www.mlit.go.jp/report/press/port04_hh_000040.html 2018年5月6日閲覧。
^ なお、山口県内には6つの国際拠点港湾・重要港湾があるが、下関港を除く5港の港湾管理者は山口県である。
^ “国際物流拠点・下関港のセールスポイント” (プレスリリース), 下関市, http://www.city.shimonoseki.lg.jp 2018年6月6日閲覧。
外部リンク
- 下関市港湾局
- 国土交通省九州地方整備局下関港湾事務所
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