ウォルドルフ=アストリア
ウォルドルフ=アストリア The Waldorf-Astoria | |
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ホテル概要 | |
正式名称 | The Waldorf-Astoria |
運営 | ヒルトン |
所有者 | 安邦保険集団 |
前身 | 「ウォルドルフ・ホテル」、「アストリア・ホテル」 |
階数 | - 43階階 |
部屋数 | 1380室 |
開業 | 1893年(ウォルドルフ・ホテル) |
最寄駅 | 51st Station |
最寄IC | FDR Drive Exit 9 |
所在地 | 〒10022-6897 ![]() |
位置 | 北緯40度45分24秒 西経73度58分27秒 / 北緯40.7566度 西経73.9741度 / 40.7566; -73.9741座標: 北緯40度45分24秒 西経73度58分27秒 / 北緯40.7566度 西経73.9741度 / 40.7566; -73.9741 |
公式サイト | 公式サイト |
ウォルドルフ=アストリア(The Waldorf-Astoria)は、アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタン区ミッドタウンにある高級ホテル。また、ヒルトン・ホテル・ファミリーにおける最上級ホテルブランド。49丁目と50丁目の間のパーク・アベニュー301号に所在する。
目次
1 概要
1.1 アメリカを代表するホテル
1.2 ランドマーク
1.3 多彩な「住人」
1.4 「ウォルドルフ=アストリア・コレクション」
2 歴史
2.1 開業
2.2 移転
2.3 ヒルトン傘下へ
2.4 中華人民共和国企業による買収
3 建物
3.1 本館・タワーズ
3.2 レストラン
3.3 鉄道引き込み線
4 著名な宿泊客、居住者
4.1 宿泊客
4.2 居住者
5 映画
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
概要
アメリカを代表するホテル

首脳会談を行うコンゴのジョセフ・カビラ大統領、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領、南アフリカのタボ・ムベキ大統領、ルワンダのポール・カガメ大統領

ロビー
オープン当初から、ニューヨークのみならずアメリカを代表する高級ホテルとして内外に知られ、ニューヨーク市を訪れる歴代アメリカ大統領や、国王などの元首クラスの賓客が数多く宿泊するホテルとしても知られている。なお、アメリカを公式訪問した日本の昭和天皇や歴代首相も宿泊している。政治家や王族だけでなく、サウジアラビアの石油王やバブル崩壊前の日本の裕福なビジネスマンなど海外の富豪も好んで宿泊していた[1]。
ランドマーク
1960年に行われたイスラエルのダヴィド・ベン=グリオン大統領と西ドイツのコンラート・アデナウアー首相による初会談など、歴史的な首脳会談の舞台として度々使用された他、アメリカ同時多発テロ事件の翌年の2002年には、同事件で「主要な目標となったニューヨークを支援する」という目的で初めてニューヨークで開催された世界経済フォーラムによる「ダボス会議」が行われた。
また、国連を訪れる各国政府の首脳会談や企業のカンファレンスなどが頻繁に行われる他、多数の映画の舞台となるなど、マンハッタンを代表するランドマークのひとつとなっている。
多彩な「住人」
古くはドワイト・アイゼンハワー大統領やハーバート・フーヴァー大統領、ダグラス・マッカーサー元帥といった政治家、フランク・コステロらマフィア最高幹部、セレブリティのエリザベス・テイラーやヒルトン一族なども自邸として使用していたこともある。
中華人民共和国の企業により買収されるまでは、アメリカ政府が42階のスイートルームをアメリカの国連特命全権大使の公邸として借り上げていたが、しかし中華人民共和国の企業に買収されたため、政府の機密が漏れることを防ぐために廃止された。
「ウォルドルフ=アストリア・コレクション」
2005年1月からは同チェーンの最上級クラスのホテルが「ウォルドルフ=アストリア・コレクション」と呼ばれるようになった。なお、ヒルトンホテルズの中で買収され、自社所有ホテルとなった中でヒルトンの名前が入らないホテルは、ウォルドルフ=アストリア以外にはシカゴの名門ホテルの「ドレイク・ホテル」しか存在しなかった。
現在「ウォルドルフ=アストリア」を冠したホテルとしては、ニューヨークのウォルドルフ=アストリアと同タワーのほか、ウォルドルフ=アストリア・オーランド(フロリダ州オーランド)、ウォルドルフ=アストリア・パークシティ(ユタ州パークシティ)、ウォルドルフ=アストリア・ビバリーヒルズ(カリフォルニア州ビバリーヒルズ)、ウォルドルフ=アストリア・バンコク(タイ王国・バンコク)、ウォルドルフ=アストリア・ベルリン(ドイツ・ベルリン)などがある。
歴史
開業

開業時の建物

1915年当時のウォルドルフホテルとアストリアホテル

本館のエントランス外観
「ウォルドルフ」とは、アメリカ最初の億万長者であるアスター家初代当主のジョン・ジェイコブ・アスターの出身地、ドイツのヴァルドルフに由来する。1893年にアスター家の4代目ウィリアム・ウォルドルフ・アスターが建設した13階建ての「ウォルドルフ・ホテル」と、その隣に従兄弟のジョン・ジェイコブ・アスター4世が1897年に建てた17階建ての「アストリア・ホテル」がその起源である。
ウィリアムは、叔母でありジョン・ジェイコブ4世の母であるニューヨーク社交界の大物・キャロライン・ウェブスター・シャーマーホーン・アスター(Caroline Webster Schermerhorn Astor)と折り合いが悪く、5番街にあったキャロラインの邸宅(現在のエンパイアステートビルディングの場所)を日陰にするために高層ホテル「ウォルドルフ・ホテル」を建てた。その経営には、フィラデルフィアで豪華ホテルのベルビュー(Bellevue)を経営するジョージ・ボルト(George Boldt)が招かれた。ウォルドルフ・ホテルはたちまちニューヨークの社交界の花形の舞台となった。
家を日陰にされたキャロラインとその息子ジョン・ジェイコブ・アスター4世は、ホテルを拡大しようとしていたボルトの勧めもあり、確執の相手だったウィリアムの隣地を売り払ってアップタウンに移転し、跡地にウォルドルフ・ホテルより4階高い「アストリア・ホテル」を建設した。このホテルもボルトが経営した。ピーコック・アレーという小路を挟んで建つ両ホテルは、ボルトの経営により一体となり、ウォルドルフ・アストリアは世界最大級のホテルとなった。
移転
当初は現在のエンパイアステートビルディングのある場所に立っていたが、同ビルが建設されるために1929年に取り壊され、世界大恐慌下の1931年に現在のパーク・アヴェニューに再建されて再オープンした。ソビエト連邦のホテル・ウクライナに超されるまで世界一背の高いホテルだった[2]。
建物の内外のデザインの随所に、当時流行の先端であったアール・デコ様式が取り入れられており、その為にアメリカの歴史的建築物に指定されている。またオープン時、ウォルドルフ=アストリア楽団にザビア・クガートが招かれている。
ヒルトン傘下へ
このホテルを買収することを夢見ていた大手ホテルチェーンのヒルトンホテルズ創始者コンラッド・ヒルトンは1949年にウォルドルフ=アストリアを手に入れた。その後はニューヨークのみならずアメリカを代表する高級ホテルとして君臨し、現在は、ヒルトンホテルズの旗艦ホテルとなっている。
2005年1月からは、ヒルトンホテルズの最上級クラスのホテルが「ウォルドルフ=アストリア・コレクション」と呼ばれるようになった。2007年には母体のヒルトンホテルズが投資ファンド運用会社ブラックストーン・グループに買収されたことにより、ウォルドルフ=アストリアも同グループの所有となったが、2013年に再び売りに出された[2]。
中華人民共和国企業による買収
2014年に、同国の保険会社である安邦保険集団(Angbang Insurance Group、経営者の呉小暉は鄧小平一族と繋がりを持つ政商で、2018年2月の呉小暉への訴追から共産党政府が完全に管理する事実上の国営企業となった[3])が、100年間ヒルトンが運営に携わる条件の下、19億5000万ドルというホテルの売却ではアメリカ史上最高額[4]で買収。
買収により大規模な改修を行なう予定であるが、その際に同国の諜報機関によって盗聴器が仕掛けられる可能性などが取りざたされ、数十年間にわたって国連総会の時期に利用してきたアメリカ合衆国国務省は、2015年以降は防諜を理由に利用しないこととした[5]。
建物
本館・タワーズ

本館のエントランス内部
47階建ての「ウォルドルフ=アストリア」(本館)と、違う出入口を持つ25階建ての「ウォルドルフ・タワーズ」の2つのホテルから構成されている。
2007年度より「ウォルドルフ・タワーズ」も含めて、「ウォルドルフ=アストリア」とともにヒルトンホテルの「ウォルドルフ=アストリア・コレクション」に組み入れられている。
レストラン
- ピーコック・アレー(Peacock Alley)
- ブル&ベアー(Bull and Bear Steakhouse & Bar)
- 稲ぎく(2009年11月29日に閉店)
- オスカーズ(Oscar's American Brasserie)
鉄道引き込み線
グランド・セントラル駅からの引き込み線が地下につながっており、フランクリン・ルーズベルト大統領やアドレー・スティーブンソン国連大使などが使用していたが、現在は使用されていない。
著名な宿泊客、居住者
宿泊客

エレノア・ルーズベルトとオランダのユリアナ王女(当時)、ノルウェーの王族

ウォルドルフ=アストリアに居住するダグラス・マッカーサー(左)を訪ねた吉田茂(1954年)
- 昭和天皇
- 尾崎行雄
- 吉田茂
- 小泉純一郎
- 石原慎太郎
- 青島幸男
- 大屋政子
- フランクリン・D・ルーズベルト
- エレノア・ルーズベルト
- ウィンザー公
- ユリアナ女王
- 陳水扁
- コンラート・アデナウアー
- エディ・マーフィ
- バグジー・シーゲル
- ラッキー・ルチアーノ
居住者
ハーバート・フーヴァー(アメリカ大統領)
ドワイト・D・アイゼンハワー(アメリカ大統領)
アドレー・スティーブンソン(駐国連アメリカ大使)
ダグラス・マッカーサー(アメリカ陸軍元帥)
ニコラ・テスラ(科学者、発明家)
マリリン・モンロー(1955年の半年間)- エリザベス・テイラー
フランク・シナトラ(歌手)
コール・ポーター(ピアニスト)
フランク・コステロ(ギャングでコーサ・ノストラ幹部)
パリス・ヒルトンとその一家(1980年代~1990年代)
映画
アメリカを代表する高級ホテルとして、また、マンハッタンのランドマークとして有名なことから、数多くの映画の舞台ともなっている。
- 「Week-End at the Waldorf」 (1945年)- ジンジャー・ロジャース主演でヒットし、ホテルを一躍有名にした。
- 「ゴッドファーザー PART II」(1974年)
- 「星の王子 ニューヨークへ行く」(1988年)
- 「ウディ・アレンの重罪と軽罪」(1989年)
- 「ゴッドファーザー PART III」(1989年)
- 「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」(1992年)
- 「セレンディピティ」(2001年)
- 「メイド・イン・マンハッタン」(2002年)
- 「ピンクパンサー」(2006年)
脚注
^ Morehouse III, Ward (1991). The Waldorf Astoria: America's Gilded Dream. p. 147. Xlibris, Corp. ISBN 978-1413465044.
- ^ abOld New York: The Waldorf Astoria New YorkCommercial Observer, Nov. 4, 2014
^ “中国、聖域なき金融健全化 安邦保険を管理下に” (2018年2月23日). 2018年2月28日閲覧。
^ ヒルトン、米史上最高額でNYのウォルドルフ・アストリアホテルを中国企業に売却JAPANWIDE, 2016.03.23
^ もう使えない…米名門ホテルに中国の影、情報漏れ警戒Iza, 2015.06.22
関連項目
- ウォルドーフサラダ
外部リンク
- ウォルドルフ=アストリア
- ウォルドルフ・タワーズ
- グランド・ワイレア