清瀬市
きよせし 清瀬市 | |||||
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![]() 清瀬ひまわりフェスティバル | |||||
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国 | ![]() |
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地方 | 関東地方 |
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都道府県 | 東京都 |
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団体コード | 13221-7 |
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法人番号 | 3000020132217 |
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面積 | 10.23km2 |
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総人口 | 75,400人 [編集] (推計人口、2018年10月1日) |
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人口密度 | 7,370人/km2 |
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隣接自治体 | 東村山市、東久留米市 埼玉県:新座市、所沢市 |
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市の木 | ケヤキ |
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市の花 | サザンカ |
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市の鳥 | オナガ |
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清瀬市役所 | |||||
市長 | 渋谷金太郎 |
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所在地 | 〒204-8511 東京都清瀬市中里五丁目842番地 北緯35度47分8.6秒東経139度31分35.3秒 ![]() |
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外部リンク | 公式ウェブサイト |
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■ ― 区 / ■ ― 市 / ■ ― 町・村 | |||||
ウィキプロジェクト |
清瀬市(きよせし)は、東京都の多摩地域北東部にある市である。
目次
1 地理
1.1 地形
1.2 隣接している自治体
2 歴史
2.1 原始~江戸時代
2.2 明治以降
2.3 市名の由来
3 人口
3.1 昼夜間人口
4 地域
4.1 町名
4.2 住宅団地
5 行政
5.1 市長
5.2 市議会
5.3 市役所組織
5.4 広域行政
5.5 警察
5.6 自治体交流
6 国政・都政
6.1 国政
6.2 都政
7 産業
7.1 農業
8 健康
8.1 病院
9 教育
9.1 幼稚園
9.2 小学校
9.3 中学校
9.4 高等学校
9.5 大学
9.6 学校教育以外の施設
10 交通
10.1 鉄道
10.2 路線バス
10.2.1 深夜急行バス
10.2.2 市内循環コミュニティバス
10.3 道路
11 観光・歴史・施設
12 著名な縁者
12.1 芸能・マスコミ
12.2 スポーツ
12.3 文化
13 ゆかりの作品
14 脚注
15 関連項目
16 外部リンク
地理

市域のランドサット衛星写真
東京都から、埼玉県の新座市と所沢市の間に楔のように北へ突き出している。西の所沢市とは柳瀬川で、南の東久留米市とは野火止用水で境を隔てる。新座市との境に河川はない。市内には金山緑地公園など緑地が多く、緑地面積は市域の約46%を占める。
地形
武蔵野台地の東北端手前約15km付近の平坦部に位置する。市域は、約6.5km×2kmの狭長の地で、その長軸は台地の傾斜と向きを同じくし、西高東低の地形をなしている。標高は、西方の竹丘地区で65m、北東の下宿地区で20mと、6.5kmの間に45mの標高差がある。市域北部を流れる柳瀬川によるわずかの沖積低地があるが、それ以外は洪積台地が占める。柳瀬川に沿う中里、下宿地区は、柳瀬川の低地より5~10m高く、清瀬旭が丘団地付近の台地よりも10~15m低い標高25~30mのテラス状になっており、下清戸、中清戸、上清戸地区から西武鉄道池袋線周辺の市街地へと続く広範な台地である。団地北側の崖面からみると、6mほど関東ローム層が堆積し、その下は武蔵野礫層が堆積している。
隣接している自治体
- 東 - 埼玉県新座市
- 北 - 埼玉県所沢市
- 西 - 東村山市
- 南 - 東久留米市
歴史
原始~江戸時代
清瀬市域に最初の人類が現れたのは、ヴュルム氷期の約2万年前である。下宿強清水(したじゅくこわしみず)遺跡と野塩西原遺跡にその痕跡を残している。縄文時代に入ると、人口は中期を頂点にして増えたが、後期以降は皆無に等しくなった。その後平安時代中期までこの状態が続いた。人口が増える平安時代後期になっても、居住地域は柳瀬川に近い現在の野塩、中里、下宿にとどまっていた。この時代はまだ井戸を掘る技術が発達しておらず、深い井戸を掘ることが難しかったために川に近い場所に人が集まったものである。
武士が力をつけ武蔵七党が台頭してくると、村山氏の勢力下に入ったものと見られる。
足利尊氏が幕府を開くと、信濃国佐久郡大石郷を本拠地としていた大石氏が勢力を伸ばしてくることになる。大石氏は木曾義仲の末裔とされ、大石信重が1356年5月に戦功により足利氏から武蔵国の入間郡と多摩郡の13郷に領地を与えられた。信重は現在の八王子市と青梅市の中間にあたる場所に居館を定めた。
いつの頃かははっきりしないが、15世紀後半大石氏は柳瀬川の対岸、現在の所沢市に滝の城を設営した。戦国時代になり、甲斐武田氏の勢力が伸張してくると、後北条氏と組み、後北条氏の領地とした。後北条氏の勢力下に入ると、滝の城か対岸の清戸下宿(小字岡)かはっきりしないが、清戸番所が設けられた。清戸番所は現在の関東地方北部に向かう軍事的な要所をなした。滝之城は豊臣秀吉の小田原征伐の際に落城し、今は「滝之城跡」として残るのみである。
明治以降
明治維新により江戸幕府が倒れると、間もなく清瀬を含む地域に武蔵県が設けられた。この県は廃藩置県で設けられることになる県と違い、天領、旧幕臣領といった幕府直轄の領地だった場所を県と呼ぶことにしたに過ぎない。その後、1869年1月から2月にかけて新たに品川県が設けられ、清瀬市域は品川県に編入されたが、名前が変わっただけで実態は変わっていない。1871年4月の廃藩置県で3府306県が設けられると、清瀬市域は東京府と入間県に分かれて編入された。しかし、同年11月に東多摩郡を除いた多摩郡が、神奈川県に編入された。
1889年4月1日、明治政府は新たに町村制を施行し、上清戸村、中清戸村、下清戸村、清戸下宿村、中里村、野塩村および埼玉県新座郡野火止村の一部を合わせて北多摩郡清瀬村とした。しかし、この合併は他の多くの自治体同様すんなりと行われたわけではない。特に清戸下宿、中里、野塩の各村からの反対が多かった。これは地味や地租の問題が絡んでいたと見られている。村役場は秋津村を加えた連合戸長制時代に連合戸長役場が置かれていた中清戸に置くことになった。
一方、東京府からは三多摩編入を求める要望が強かった。元々は玉川上水の水質問題に端を発した西多摩郡と北多摩郡の編入運動だったが、東京府に組み込まれた東多摩郡同様に同じ多摩郡だったという理由で1892年に南多摩郡が加えられた。一時政争の具とされたものの、で編入法が成立し、1893年4月1日に三多摩が神奈川県から東京府に移管された。
1915年 - 武蔵野鉄道(現西武池袋線)が開通。この時はまだ市域には駅がなく、1924年6月24日になって清瀬駅が開設された。
1939年 - 傷痍軍人東京療養所(現:独立行政法人国立病院機構東京病院)開所(日本における本格的な結核療養が始まる)。
1954年4月5日 - 町に昇格し、清瀬町と改称。
1970年10月1日 - 市に昇格し、清瀬市と改称。
1974年8月1日 - 防災行政無線運用開始。
市名の由来
中清戸にある水天宮。日本武尊が休息を取った場所と伝えられる。
市名の由来には諸説ある。
- 市内の地名「清戸」と、市内を流れる柳瀬川から、一字ずつ取った。
日本武尊がこの地を訪れ、木の下で休んだ際に、木の下の土を見て「清き土なり」と言ったことから「清土」の名が生まれ、それが「清戸」に変わったのであるという。- 清戸の名は、現在も市内に「上清戸」、「中清戸」、「下清戸」として残る。
- 市内を流れる柳瀬川の「清らかなせせらぎ(瀬ぎ)」から名付けられた。
人口
![]() | |
清瀬市と全国の年齢別人口分布(2005年) |
清瀬市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 清瀬市 ■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
清瀬市(に相当する地域)の人口の推移![]() ► | |
総務省統計局 国勢調査より |
昼夜間人口
2005年に夜間人口(居住者)は73,506人であるが、市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は60,733人で昼は夜の0.826倍の人口になる。夜間に比べて昼の人口は1万3千人弱ほど減る。なお、平成22年国勢調査によれば、東京都特別区部への通勤率は33.3%である。
通勤者・通学者で見ると市内から市外へ出る通勤者22,765人、市外から市内へ入る通勤者は9,915人と通勤者では昼間市外へ出る通勤者のほうが多く、しかし学生では市内から市外に出る通学生は3,234人、市外から市内へ入る通学生は3,311人と学生では移動は均衡している[1]。なお、国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで16万人おり、この項の昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に若干の誤差は生じる。
地域
町名
住宅団地
- 都市再生機構清瀬団地 - 昭和60年 : 東村山都市計画事業(一団地の住宅施設)
- 都営野塩団地 : 東村山都市計画事業(一団地の住宅施設)
- 東京都住宅供給公社清瀬台田団地 - 昭和48年 : 東村山都市計画事業(一団地の住宅施設)
- 清瀬旭が丘団地
- グリーンタウン清戸
- 竹丘団地
- 竹丘南団地
行政
市長
渋谷金太郎 2011年5月1日~(2期目 任期:2019年4月30日)
市議会
- 定数:20人
- 任期:2015年5月1日 - 2019年4月30日[2]
- 議長:西畑春政(公明党)
- 副議長:斉藤正彦(清瀬自民クラブ)
会派名 | 議席数 | 議員名(◎は代表者) |
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清瀬自民クラブ | 7 | ◎森田正英、渋谷桂司、渋谷信之、粕谷勇、友野博子、中村清治、斉藤正彦 |
日本共産党 | 4 | ◎佐々木敦子、山崎美和、深沢昌子、原田博美 |
公明党 | 4 | ◎鈴木隆司、斉藤昌子、西上忠、西畑春政 |
風・生活者ネット |
4 | ◎小西美香、宮原理恵、石川秀樹、斉藤実 |
共に生きる | 1 | 布施由女 |
計 | 20 |
市役所組織
- 市長部局 企画部、総務部、市民生活部、健康福祉部、子ども家庭部、都市整備部
- 教育委員会事務局 教育部
- 議会事務局
- 選挙管理委員会事務局
- 監査委員事務局
- 公平委員会事務局
- 農業委員会事務局
広域行政
- 東京市町村総合事務組合
- 東京都の全市町村(多摩地域および島嶼)で組織し、東京自治会館を運営する。
多摩北部都市広域行政圏協議会
- 多摩地域北東部の西東京、小平、東村山、東久留米、清瀬の5市で施設の相互利用、イベントの共同開催などを行っている。通称「多摩六都」。「六都」とは合併前の田無市、保谷市(現・西東京市)を含めたものだが、名称は合併後も継承されている。西東京市内に多摩六都科学館を持つ。
東京たま広域資源循環組合(ゴミ処理)
多摩地域の一部を除く25市1町で、日の出町にある「二ツ塚廃棄物広域処分場」の運営や「エコセメント事業」を行っている。
- 柳泉園組合(ゴミ処理)
- 東久留米、清瀬、西東京の3市で、東久留米市にある「クリーンポート」を運営している。
- 昭和病院組合
小金井、小平、 西東京、東久留米、東村山、東大和、武蔵村山および清瀬市により組織され、小平市にある「公立昭和病院」を運営している。
- 下水道
東京都下水道局清瀬水再生センター
警察
警視庁東村山警察署が市内全域を管轄
交番、駐在所
清瀬駅前交番――松山1、2丁目(1~12番地)、3丁目、元町
秋津駅前交番――野塩1、2、5丁目- 旭が丘交番―――旭が丘、下宿、中里5、6丁目
- 梅園駐在所――梅園、野塩3、4丁目、松山2丁目(13~19番地)
- 下清戸駐在所―下清戸、中清戸4、5丁目
- 竹丘駐在所――竹丘
- 中清戸駐在所―上清戸、中清戸1~3丁目
- 中里駐在所――中里1~4丁目
自治体交流
新潟県村上市(2008年3月31日までは岩船郡朝日村)
- 1988年姉妹都市提携
国政・都政
国政
衆議院小選挙区選挙では東京20区(東村山市、東大和市、清瀬市、東久留米市、武蔵村山市)に属す。
近年選出の議員は以下のとおり。
第48回衆議院議員総選挙(2017年10月)
木原誠二(自民)
※次点の宮本徹(共産)は比例東京ブロックで復活当選。
都政
北多摩4区(清瀬市、東久留米市)に属す。定数は2人。近年選出の議員は以下のとおり。
- 2017年7月
- 細谷祥子(都民ファーストの会)
- 原紀子(日本共産党)
産業
農業
農地が市域の4割を占める。また、平成14年時点で、市内農地の87.0%が生産緑地に指定されている。ニンジンやホウレンソウなどの野菜栽培が中心。特に黒土が深いという利点があり根菜類の栽培が多く、ニンジンは都内の出荷額の半分を占めている。そのため、にんじんを利用した「にんじんジャム」や「にんじん焼酎」なども市内で販売されている。また酪農も比較的盛んで、中清戸の清瀬市役所周辺に集中して立地している。
比較的最近まで小さな農協であるJA第一清瀬が広域合併せずに残っていた。2004年4月にJA第一清瀬はJA東京みらいに合併された。
健康
病院
戦前まで結核患者の療養地だった[3]ため、公益財団法人結核予防会複十字病院、国立病院機構東京病院等、大規模病院が市南西部に集中している。また、結核療養所を初めとする高度研究機関も整備され、内外の人類のみならず動植物に関する研究施設が市の南部に集まっている。そのため、清瀬市は「医療の街」となっている。
教育
幼稚園
- 私立
- 清瀬富士見幼稚園
- きよせ幼稚園
- 清瀬しらうめ幼稚園
- 清瀬たから幼稚園
- 清瀬ひかり幼稚園
- 清瀬ゆりかご幼稚園
- 東星学園幼稚園
小学校
- 市立
- 清瀬小学校
- 芝山小学校
- 第三小学校
- 第四小学校
- 第六小学校
- 第七小学校
- 第八小学校
- 第十小学校
- 清明小学校(旧第五小学校、第九小学校)
- 私立
東星学園小学校
中学校
- 市立
- 清瀬中学校
- 第二中学校
- 第三中学校
- 第四中学校
- 第五中学校
- 私立
- 東星学園中学校
高等学校
- 都立
- 清瀬高等学校
- 私立
- 東星学園高等学校
大学
- 明治薬科大学
- 日本社会事業大学
学校教育以外の施設
国立看護大学校(厚生労働省所管の省庁大学校)
交通
清瀬駅
鉄道
西武鉄道
西武池袋線
- 清瀬駅
※秋津駅(東村山市に所在)はホームの東半分が清瀬市にある。
JR武蔵野線が市の北東部をわずかに通るが旅客駅はない。ただし、同線は清瀬市北部を囲むように走っており、新秋津駅(東村山市)は市西部、東所沢駅(埼玉県所沢市)は市中央部、新座駅(同県新座市)は市東部に至近しており、市民の利用がある。また、新座貨物ターミナル駅の一部が清瀬市域にかかる。
路線バス
一般路線は全て西武バスの運行。
- 清瀬駅北口から西武バス新座営業所・所沢営業所管轄の路線が発着し、市内完結路線の他新座市・所沢市へ向かう路線も運行されている。
- 清瀬駅南口からは西武バス滝山営業所・所沢営業所・小平営業所管轄の路線が発着し、市内完結路線の他東久留米市・小平市・小金井市・東村山市・所沢市へ向かう路線も運行されている。
深夜急行バス
深夜急行バス:池袋駅東口→練馬駅(練馬区役所)→清瀬駅(南口)入口→中里団地→所沢駅西口→小手指駅(北口)
西武バス練馬営業所担当
市内循環コミュニティバス
清瀬市コミュニティバス「きよバス」が2007年1月20日から運行。清瀬市が西武バス新座営業所に運行を委託。
道路
主要な道路は市の東西、東村山市秋津町から新座市へ抜ける埼玉県道・東京都道40号さいたま東村山線(通称:志木街道)と、東久留米市から所沢市までを南北に結ぶ東京都道15号府中清瀬線(通称:小金井街道)・東京都道・埼玉県道24号練馬所沢線(通称:小金井街道一部区間の名称)があり、両街道は市の中心部、元町の清瀬郵便局交差点で交わる。小金井街道は清瀬駅西側(秋津側)の踏切での渋滞が慢性化している。この為、西武総合企画の誘導員が西武バスの円滑な運行に一役かっている。
また、清瀬駅から市役所へ向かって志木街道に並行する形で市道(通称:けやき通り)が走る。加えて、東京都道248号府中小平線(通称:新小金井街道)は、小金井街道・野火止用水交差部(小金井街道「松山三丁目」交差点附近)から清瀬駅の南東側をアンダーパスで抜け、下清戸へ至る部分で延伸・整備工事が進められ、府中方面~小金井~小平~東久留米~清瀬~新座~志木~浦和方面へ「踏切なし」で通行できるようになった。
北東部の旭が丘地区に関越自動車道(※開通当時は東京川越道路)が僅かに走っている。旭が丘団地内を走る部分は、開通当初は切り通しだったが徐々に交通量が増大し、騒音が問題になったため住民運動などにより「旭が丘シェルター」として後にコンクリートで覆われた。現在は、シェルター上部は公園として利用されている。なお、当市内にはインターチェンジはないが、所沢インターチェンジが至近である。
- ※同区間を走行した場合、市境付近で「清瀬市」という市区町村名表示がされているが、埼玉(所沢市)=東京(清瀬市)=埼玉(新座市)と走行しているのにも関わらず東京都に入った旨の県境表示はされていない。
観光・歴史・施設
- 清瀬ひまわりフェスティバル - 下清戸地区。毎年8月に10万本のひまわり畑が公開される。
- キヨセケヤキロードギャラリー - 清瀬駅から市役所にかけて伸びるけやき通り沿いに、国内外の彫刻家が制作した約30点の作品が展示される。
- 金山緑地公園 - 柳瀬川脇に親水型公園として整備され、野鳥観察が行われている。
中里の富士塚 - 東京都指定の有形民俗文化財[4][5]。毎年9月1日には「中里の火の花祭」が行われる(※雨天順延)[6]。- 清瀬市郷土博物館
- 郷土資料展示室(コミュニティプラザひまわり内)
大和田通信所 - 米軍施設。大部分は新座市西堀に位置するが、一部当市にも敷地がある。
著名な縁者
芸能・マスコミ
中森明菜 - 歌手、女優
釈由美子 - 女優、タレント、モデル
堀北真希 - 元女優
村野武範 - 俳優
山本純也 - 読売テレビの元アナウンサー
りゅうこうじ - ミュージシャン、C-C-Bのメンバー
金原亭世之介 - 落語家
藤田恵美 - 歌手、元Le Couple
新垣隆 - 作曲家、ピアニスト
奏乃はると - 宝塚歌劇団雪組男役
スポーツ
高橋慶彦 - 元プロ野球広島東洋カープ選手(出生地は北海道芦別市、幼少時に移住)
川本ゆかり - 新体操、バルセロナ五輪代表
山尾朱子 - 新体操、アトランタ五輪代表
サイード横田仁奈 - 新体操、2012年のロンドン五輪代表- 駒清瀬 - 大相撲、放駒部屋[7]
文化
佐高信 - 評論家。市内在住(出身は山形県)
鎌田慧 - ルポライター(出身は青森県)
是枝裕和- 映画監督(28歳まで市内の団地に在住)
満田かずほ - 映画監督、プロデューサー(出身は長崎県長崎市)- 吉岡英尋 - 料理人、日本料理なすび亭オーナーシェフ
近藤喜文 - アニメ監督
石野悟司 -ネット生活保護マスター
藤沢周平 - 時代小説家。1963年~1970年(直木賞受賞の1年前)まで在住。
ゆかりの作品
- 小説・映画
鉄塔 武蔵野線(小説・映画)- 市内を通る実在の送電線「武蔵野線」の物語。映画の撮影は市内でも行われた。
海よりもまだ深く(映画)- 2016年5月21日公開となる阿部寛主演の映画。監督の是枝裕和が、28歳まで市内にある旭が丘団地に住んでいたことから、本作でも登場する。
- テレビドラマ
- ケヤキ通りの人々(1994年・NHK) - 市内を通るけやき通りにあった実在の喫茶店を舞台としたドラマ。撮影も同箇所で行われた。
ビーロボカブタック第20話(1997年・テレビ朝日) - スターピース争奪戦をした場所に当時の清瀬サティが使用された。
仮面ライダークウガ(2000年・テレビ朝日) - 主人公・五代雄介が居候していた喫茶店ポレポレは外観のみ、市内に実在する喫茶「るぽ」で実際に撮影を行っており、主演のオダギリジョーも撮影に訪れたことがある。
盲導犬クイールの一生(2003年・NHK) - ロケの一部が柳瀬川流域(一部、所沢市域)で行われた。
孤独のグルメ season4第一話(2014年・テレビ東京) - 市内に実在する食堂及びその近辺の店舗をロケ地としている。
脚注
^ 東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行152,153ページ
^ 任期満了日(定数)一覧 | 東京都選挙管理委員会
^ 島尾 忠男, 清瀬と結核, 結核予防会TBアーカイヴス 348号 (2013).
^ 中里の富士塚(東京都文化財情報データベース)
^ 中里の富士塚(清瀬市役所公式ウェブサイト)
^ 中里の火の花祭(清瀬市役所公式ウェブサイト)
^ 駒清瀬 力士情報
関連項目
- 清瀬市警察官殺害事件
外部リンク
- 公式ウェブサイト
東京都清瀬市 (@kiyose_tokyo) - Twitter
ウィキメディア・コモンズには、清瀬市に関するカテゴリがあります。
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