高砂部屋


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高砂部屋(たかさごべや)は、日本相撲協会所属で高砂一門の相撲部屋。番付で用いるいわゆる相撲字では「はしご高」(髙)を用いるが、部屋の看板を含めその他の活字媒体では「はしご高」を用いていない。
目次
1 歴史
2 所在地
3 師匠
4 力士
4.1 現役の関取経験力士
4.2 横綱・大関
4.3 幕内
4.4 十両
5 所属
6 その他
7 脚注
8 外部リンク
歴史
明治初期に角界の改革を求めて活躍した初代高砂浦五郎が一代で角界を代表する大部屋に育て上げ、現在までに横綱・大関各6人を輩出している角界屈指の名門部屋として知られる。
初代高砂(高見山大五郎)は角界の改革を求めて高砂改正組を組織し、東京相撲会所を脱退した。帰参後はもともと江戸相撲にあった「高砂」という名跡と重複する形となり、1889年に旧・高砂が高島へと改名し、新・高砂は名前は代々の通り名として「浦五郎」と名乗ることとなった。2代高砂から現在の7代高砂までは、初代高砂の名の「浦五郎」を継承している[1]。
1986年5月には部屋経営を断念した大山部屋を吸収合併した。1988年10月に5代高砂(元横綱・3代朝潮)が急逝したため、高砂部屋の部屋付き親方である14代尾上(元小結・富士錦)が6代高砂を襲名して高砂部屋を継承した。
6代高砂の定年退職を間近に控えた2002年2月に、高砂部屋から分家独立して若松部屋を継承していた11代若松(元大関・4代朝潮)が名跡変更して7代高砂を襲名し、高砂部屋と若松部屋が合併した。2001年には明治時代から続いた幕内力士が部屋から途絶えるという事態となったものの、その後は横綱・朝青龍を筆頭に、関脇・朝赤龍や小結・闘牙など多くの関取を擁して一大勢力を築いた。しかし、2000年代中期に闘牙や泉州山・皇牙といった関取経験者が相次いで引退し、2010年には朝青龍も不祥事により引退して、関取は朝赤龍と2015年11月場所において新十両へ昇進した朝弁慶の2人のみとなった。そのため2000年代後半以降は部屋の勢力が急激に衰えながらも、1927年の東西相撲協会の合同以来、2016年11月場所まで90年間関取を絶やしたことのない部屋であった。しかし、朝弁慶が2016年11月場所で幕下に陥落し、朝赤龍も次の2017年1月場所で幕下に陥落したため、1878年の部屋創設以来、初めて関取不在となった。同時に、継続中のものとしては最長だった関取継続の記録も138年で止まった[2]。その後、朝乃山が新十両を果たし、関取不在は一場所で解消している。
昭和以降においては、高砂部屋からは大山部屋(後に高砂部屋と合併)・若松部屋(現在は高砂部屋と合併)・高田川部屋・東関部屋・中村部屋(現在は東関部屋と合併)・錦戸部屋が分家独立を果たしている。なお、現在の高砂部屋は合併前の若松部屋の建物を引き続き使用しており、かつての高砂部屋の建物は現在は千賀ノ浦部屋が使用している。
伝統的に稽古土俵は俵を使わず、浅く掘り下げた「皿土俵」と呼ばれる仕様を採用している。怪我の防止のためとされ、分家である東関部屋や錦戸部屋にも受け継がれている。
所在地
東京都墨田区本所3-5-4
総武線・大江戸線両国駅より徒歩20分
浅草線本所吾妻橋駅より徒歩10分
師匠
- 初代:高砂浦五郎(たかさご うらごろう、前1、高見山、千葉)
- 2代:高砂浦五郎(たかさご うらごろう、関脇・高見山、千葉)
- 3代:高砂浦五郎(たかさご うらごろう、大関・2代目朝潮、愛媛)
- 4代:高砂浦五郎(たかさご うらごろう、横綱・前田山、愛媛)
- 5代:高砂浦五郎(たかさご うらごろう、横綱・3代目朝潮、鹿児島)
- 6代:高砂浦五郎[1](たかさご うらごろう、小結・富士錦、山梨)
- 7代:高砂浦五郎(たかさご うらごろう、大関・4代目朝潮、高知)
力士
現役の関取経験力士
朝乃山英樹(前5・富山)7代弟子
朝弁慶大吉(十7・神奈川)7代弟子
横綱・大関
- 横綱
西ノ海嘉治郎(16代横綱・鹿児島)初代弟子
初代小錦八十吉(17代横綱・千葉)初代、2代弟子
前田山英五郎(39代横綱・愛媛)3代、4代弟子
東富士欽壹(40代横綱・東京)3代、4代弟子(富士ヶ根部屋より)
3代目朝潮太郎(46代横綱・鹿児島)4代弟子
朝青龍明徳(68代横綱・モンゴル)7代弟子(若松部屋より)
- 大関
一ノ矢藤太郎(青森)初代、2代弟子
2代目朝汐太郎(愛媛)初代弟子
4代目朝汐太郎(高知)4代弟子
3代目小錦八十吉(米国ハワイ)5代、6代弟子
前の山太郎(大阪)4代、5代弟子
幕内
- 関脇
高登渉(長野)3代弟子
若前田英一朗(愛知)4代弟子
前田川克郎(岩手)4代弟子
富士櫻栄守(山梨)4代、5代弟子
高見山大五郎(米国ハワイ)4代、5代弟子
水戸泉政人(茨城)5代、6代弟子
朝赤龍太郎(モンゴル)7代弟子(若松部屋より)
- 小結
國登國生(東京)
宮錦浩(岩手)(芝田山部屋より)
富士錦猛光(山梨)
闘牙進(千葉)
- 前頭
朝岡勲(兵庫)
朝ノ海正清(鹿児島)
朝響信親(愛媛)(佐ノ山部屋より)
朝若佐太郎(愛媛)
東錦栄三郎(東京)
愛宕山武司(愛媛)
及川煌久(岩手)(尾上部屋より)
栗家山恵三(北海道)(佐ノ山部屋に移籍)
嶋錦博(大阪)(芝田山部屋より)
高錦昭應(熊本)
柏農山勝栄(青森)
三濱洋俊明(三重)
藤田山忠義(福岡)(片男波部屋より)
前ヶ潮春夫(岐阜)
白田山秀敏(熊本)
朝嵐大三郎(大阪)
前ノ山政三 (1919年生)(秋田)
前ノ山政三 (1931年生)(愛媛)
朝乃若武彦(愛知)(若松部屋より)
南海龍太郎(サモア)
十両
上潮智也(熊本)
朝明山重男(三重)
朝見山峻一郎(愛媛)
朝錦利則(愛媛)
伊予櫻政行(愛媛)
梅の里昭二(茨城)
越後山重正(新潟)
皇牙都嵯(福岡)
大戸崎祐慈朗(秋田)
大達信太郎(愛媛)
大緑勝五郎(北海道)
熊翁博(埼玉)
剛堅大二朗(兵庫)
砂浜正二(米国ハワイ)
泉州山喜裕(大阪)
太刀光昭洋(山口)
冨田濵正治(三重)
八剣山鐘太郎(愛知)
響矢影男(青森)
前ヶ汐英太郎(愛媛)
前田花英介(岩手)
森ノ里信義(北海道)
薬師山精進(青森)
竜ヶ嵜唯雄(茨城)
龍授山正男(福島)
若筑波茂(茨城)
所属
- 年寄
- 若松武彦(わかまつ たけひこ、前1・朝乃若、愛知)
- 錦島太郎(にしきじま たろう、関脇・朝赤龍、モンゴル)
- 行司
33代木村庄之助(青森)
- 呼出
三平(三重)
- 床山
- 床弓(一等床山)
その他
- 2006年にスピードスケートの今井裕介のスポンサーを務めて話題となった。
- 部屋の公式サイトは、2007年11月場所まで昭和以降の最高齢力士であったマネージャーの松田哲博(元・一ノ矢)が管理している。
脚注
- ^ ab6代高砂(元小結・富士錦)は襲名直後の1988年11月場所に「高砂彰伸」(-あきのぶ)と名乗ったが1場所で高砂浦五郎に改名している(番付上の改名は1989年1月場所からのため、「彰伸」の名では番付には載っていない)。
^ “琴奨菊7度目かど番、玉鷲スロー新関脇 新番付”. 日刊スポーツ. (2016年12月26日). http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1756714.html 2016年12月27日閲覧。
外部リンク
- HYPER高砂部屋
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座標: 北緯35度42分10秒 東経139度48分13.7秒 / 北緯35.70278度 東経139.803806度 / 35.70278; 139.803806