マフブーブ・アリー・ハーン
マフブーブ・アリー・ハーン Mahbub Ali Khan | |
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第9代ニザーム | |
![]() マフブーブ・アリー・ハーン | |
在位 | 1869年 - 1911年 |
戴冠 | 1869年2月29日 |
別号 | ニザームル・ムルク アーサフ・ジャー6世 |
出生 | 1866年8月17日 ハイダラーバード |
死去 | 1911年8月29日 ハイダラーバード |
子女 | ウスマーン・アリー・ハーン |
王朝 | アーサフ・ジャーヒー朝 |
父親 | アフザル・ウッダウラ |
宗教 | イスラーム教(スンナ派) |
マフブーブ・アリー・ハーン(テルグ語:మహబూబ్ అలీ ఖాన్, ウルドゥー語:آصف جاہ شیشم, Mahbub Ali Khan, 1866年8月17日 - 1911年8月29日)は、インドのデカン地方、ニザーム藩王国の第9代当主(ニザーム、在位:1869年 - 1911年)。アーサフ・ジャー6世(Asaf Jah VI)とも呼ばれる。
生涯
1869年2月26日、父である藩王アフザル・ウッダウラが死亡し、その息子マフブーブ・アリー・ハーンがその藩王位を継承した[1]。
父が没した時わずか生後2歳7ヶ月であった。そのため2人の後見人が摂政となった。このうちの一人サラール・ジャングは、その死の日まで長きにわたって摂政かつ行政官の地位にあった。
また、サラール・ジャングと共にイギリス軍司令官のジョン・クラーク[要曖昧さ回避]、その他にもペルシア語、アラビア語、ウルドゥー語の学者達がマフブーブ・アリー・ハーンの教育にあたった。特にサラール・ジャングの高潔な生き様は、この9代目藩王の人格形成に大きく影響したといわれている。
マフブーブ・アリー・ハーンが16歳の時、サラール・ジャングは藩王に藩王国の運営について教授し始めた。マフブーブ・アリー・ハーンはその高潔な人柄と治世により、ニザーム藩王国の最も優れた藩王の一人にあげられる。
1911年8月29日、マフブーブ・アリー・ハーンは死亡し、息子のウスマーン・アリー・ハーンが藩王位を継承した[1][2]。
出典・脚注
- ^ abHyderabad 9
^ Hyderabad 11
関連項目
- ニザーム藩王国
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