オリンピック聖火







1980年モスクワオリンピックの聖火台


オリンピック聖火(オリンピックせいか、独: Olympischer Fackellauf、英: Olympic Flame、仏: Flamme olympique)は、国際オリンピック委員会の権限の元、ギリシャのオリンピアでともされる火のことであり、オリンピックの象徴でもある。


オリンピック大会開催期間中、主競技場でともされ続ける。その起源は古代ギリシア時代に遡り、ギリシア神話に登場するプロメーテウスがゼウスの元から火を盗んで人類に伝えたことを記念して、古代オリンピックの開催期間中にともされていた。聖火は、1928年アムステルダムオリンピックで再び導入されて以来、近代オリンピックの一部であり続けている。


なお、現在の聖火リレーは、1936年にドイツのベルリンで開催された1936年ベルリンオリンピックで導入された。




目次






  • 1 採火と聖火リレー


  • 2 歴史


    • 2.1 夏季オリンピック


    • 2.2 冬季オリンピック




  • 3 歴代最終聖火ランナー


    • 3.1 夏季オリンピック


    • 3.2 冬季オリンピック




  • 4 聖火台への点火


  • 5 聖火台


    • 5.1 1964年の東京オリンピックの聖火台




  • 6 炬火


    • 6.1 炬火台




  • 7 トーチ


  • 8 脚注


  • 9 関連項目


  • 10 外部リンク





採火と聖火リレー




ベルリンオリンピックの聖火リレー




採火式のリハーサル(2010年)


聖火はギリシャのオリンピア遺跡で太陽を利用して採火され、聖火ランナーによってオリンピック開催地まで届けられる。


伝統的に、オリンピックの開会式が行われる数ヶ月前に、古代オリンピックが行われていたペロポネソス半島のオリンピアにおけるヘーラーの神殿跡で採火されている。聖火トーチへは、太陽光線を一点に集中させる凹面鏡に、炉の女神ヘスティアーを祀る11人の(女優が演じる)巫女(処女であることが前提)がトーチをかざすことで火をつけている。また、この儀式の本番は非公開とされており、テレビ等で見られる採火の場面はマスコミ向けの“公開リハーサルである。なお男子禁制の儀式である。


その後、聖火は聖火リレーによってオリンピック開催都市まで運ばれる。聖火ランナーには、スポーツ選手や有名人だけでなく一般人も参加している。


開会式当日、聖火リレーは大会のメイン会場となる競技場に設置された聖火台に点火される。


かつては最終ランナーが階段などで聖火台へ向かって走りより、トーチから聖火台に火を移すことが一般的であったがアーチェリーの矢、スキージャンパー、競技場に設置された花火など近年は様々な趣向が凝らされるようになってきている。多くの場合、最終ランナーや点火の「仕掛け」は最後の瞬間まで秘密にされ、一般的に開催国の有名スポーツ選手が務める。聖火台に火をともすことは、大変栄誉なことと考えられている。この聖火の点灯を通して大会の開会とされ、そのオリンピックの開催期間中灯され続け、閉会式の最後に消灯される。


2014年大会までの過去の近代五輪の聖火リレーの燃料はすべて、プロパンガスともいわれる[1]



歴史


古代ギリシア人にとって、火はプロメーテウスが神々の元から盗んできたものだと考えられており、神聖なものだった。このため、火はオリンピアの多くの神殿に見られるのである。火はオリンピアにあるヘスティアーの祭壇で燃え続けた。オリンピック開催期間中は、ゼウスとゼウスの妻ヘーラーの神殿に火がともされ、ゼウスを称えた。近代オリンピックにおける聖火は、かつてヘーラーの神殿が建てられていた場所で採火されている。


近代オリンピックでは、1928年まで聖火は見られなかった。オランダの建築家のヤン・ヴィルスが1928年アムステルダムオリンピックにあたって、オリンピックスタジアムの設計に塔を取り入れ火が燃え続けるというアイディアを盛り込んだ。これが評価され、ヴィルスは建築部門で金メダルを受賞している。1928年7月28日、アムステルダム電気局の職員が地元ではKLMの灰皿として知られているいわゆる"マラソンタワー"と呼ばれる塔に最初の聖火をともした。この聖火というアイディアは熱い注目を浴び、オリンピックの象徴として取り入れられた。



夏季オリンピック




ベルリンオリンピックで最終聖火ランナーを務めたフリッツ・シルゲン





1952年ヘルシンキオリンピックで聖火を点火するパーヴォ・ヌルミ


1936年ベルリンオリンピックでは、ドイツのスポーツ当局者でスポーツ科学者のカール・ディームが聖火リレーを発案した。ギリシャで採火した聖火をベルリンまで運ぶという発想は、ゲルマン民族こそがヨーロッパ文明の源流たるギリシャの後継者であるというヒトラーの思想に適った物でもあった。ギリシャのコンスタンティン・コンディリス(Konstantin Kondylis)を第一走者とし、3,000人以上のランナーが聖火をオリンピアからベルリンまで運んだ。ドイツの陸上選手だったフリッツ・シルゲン(Fritz Schilgen)が最終ランナーで、競技場で聖火をともした。聖火リレーもまた、オリンピックの一部となった。


1948年ロンドンオリンピックではイギリス海峡を渡るために初めて船が使われ、1952年ヘルシンキオリンピックでは初めて飛行機が使われた。1956年メルボルンオリンピックの際には、開催国であるオーストラリアの厳しい検疫の関係で馬術競技が隔離して開催され、馬術競技が開催されたストックホルムへは、馬に乗って聖火が運ばれた。


また回を経るごとに凝った演出が用いられ、1968年メキシコシティーオリンピックでは聖火が大西洋を渡る事になったが、その移動に船を利用し、その航路はコロンブスのアメリカ大陸行きルートをそのまま辿った。注目すべき輸送手段として、1976年モントリオールオリンピックの時には、聖火を電子パルスに変換する試みがあった。このパルスをアテネから衛星を経由してカナダまで送り届け、レーザー光線で再点火が行われた。他の輸送手段としては、ネイティブアメリカンのカヌーやラクダ、コンコルドも挙げられる。


2000年シドニーオリンピックではグレートバリアリーフの海中をダイバーによって移動され、史上初めての海中聖火リレーとなった。


2004年アテネオリンピックの時には、78日間にわたる初の世界規模の聖火リレーが行われた。聖火は、およそ11,300人の手によって78,000kmの距離を移動し、この中で初めてアフリカと中南米に渡り過去のオリンピック開催都市を巡り、2004年のオリンピック開催地であるアテネまで戻ってきた。


2008年北京オリンピックでは世界135都市を経由し、標高8848mで世界最高峰のエベレスト山頂を通過した。しかし、アルゼンチン・アメリカ・フランス・イギリス・オーストラリア・インド・日本・韓国など世界各国では中国のチベット弾圧に対する抗議デモなどの影響で三度ほど聖火を消したり、予定されていたルートを変更する国が続出する事態となった。また、長野市で聖火リレーが行われた日本では善光寺がスタート地点としての利用を取りやめにしたほか、公式スポンサーのレノボジャパン、日本サムスン、日本コカ・コーラ三社が広告掲示を取りやめ(三社ともチベット問題を理由とはしていない)るなど混乱が生じた。詳細は2008年北京オリンピックの聖火リレーを参照。


2009年3月26日、国際オリンピック委員会(IOC)は、北京オリンピックの聖火リレーが円滑に運営されなかったことを受け、今後の五輪開催に伴う聖火リレーは主催国内のみで行い、世界規模の聖火リレーを廃止することを決めた。


2016年リオデジャネイロオリンピックでは国内約270都市を経由したが資金難などで聖火リレーを辞退したり、一部で妨害などが発生した[2][3]



冬季オリンピック




ソチオリンピックのトーチを持ったミハイル・チューリン宇宙飛行士


冬季オリンピックにおいては、最初の聖火リレーが行われたのは1952年オスロオリンピックだった。最初の聖火リレーの採火地はオリンピアではなく、ノルウェーのモルゲダールにある、スキースポーツの開拓者、ソンドレ・ノールハイム(英語版)の家の暖炉であった。1960年と1994年の聖火もそこで採火された。


1956年の聖火リレーはローマからスタートとなった。この年を除き、冬季オリンピックの聖火リレーはオリンピアからスタートしている。


1998年長野オリンピックではリレー用トーチの設計が悪く、特に前傾させると走行風で聖火が消えるトラブルが頻発した。失火させないよう、垂直、あるいはやや後傾させた場合は燃料が垂れ、火傷の原因となるなど事前のテスト不足が指摘された。


2014年ソチオリンピックでは聖火が砕氷船で史上初めて北極点に運ばれた[4]。また、ソユーズTMA-11Mによってトーチが国際宇宙ステーションに運ばれ、ロシア人宇宙飛行士2名がトーチを持って宇宙遊泳を行い、史上初の宇宙空間での聖火リレーが行われた[5]



歴代最終聖火ランナー



長年にわたって、有名なスポーツ選手や元スポーツ選手が最終ランナーを務めることが伝統になっている。他の有名な最終聖火ランナーは、フランスのスターサッカー選手ミシェル・プラティニ(1992年)、ボクシングヘビー級チャンピオンのモハメド・アリ(1996年)、アボリジニの陸上選手キャシー・フリーマン(2000年)らが挙げられる。


他にも有名ではない人物が聖火台に点火したこともあるが、それはオリンピックの理想を象徴している。東京オリンピックで聖火ランナーを務めた坂井義則は広島に原爆が投下された1945年8月6日、広島県(三次市)で生まれ、坂井は第二次世界大戦後の日本の復興を象徴した。1976年モントリオールオリンピックでは二人のティーンエイジャー(一人はフランス語を話す地域の出身者、もう一人は英語を話す地域の出身者)はカナダの調和を象徴した。2012年ロンドンオリンピックでは、過去のイギリスの名選手から「次代を担う若者」として指名された10代の選手7人はイギリスの未来を象徴した。


以下は競技場で聖火台に点火した歴代の最終聖火ランナーのリストである。



夏季オリンピック




  • 1936年ベルリンオリンピック - フリッツ・シルゲン(陸上選手。)


  • 1948年ロンドンオリンピック - ジョン・マーク(陸上選手。)


  • 1952年ヘルシンキオリンピック - パーヴォ・ヌルミ(中距離走者、1920年から1928年に9個の金メダル獲得者。)


  • 1956年メルボルンオリンピック - ロン・クラーク(長距離走者、1964年に銅メダルを獲得)、ハンス・ウィクネ(ストックホルム会場、1964年のオリンピックに参加。)


  • 1960年ローマオリンピック - ジャンカルロ・ペリス(ギリシャ人、陸上選手。)


  • 1964年東京オリンピック - 坂井義則(陸上選手、原爆投下の日に広島で生まれた。)


  • 1968年メキシコシティーオリンピック - エンリケタ・バシリオ(短距離選手、女性で初の最終聖火ランナーを務める。)


  • 1972年ミュンヘンオリンピック - ギュンター・ツァーン(中距離走者。)


  • 1976年モントリオールオリンピック - ステファン・プレフォンテーヌ、サンドラ・ヘンダーソン(二人のティーンエイジャー)


  • 1980年モスクワオリンピック - セルゲイ・ベロフ(バスケットボール選手、ミュンヘン五輪の金メダルを含む4つのメダル保持者。)


  • 1984年ロサンゼルスオリンピック - レイファー・ジョンソン(十種競技選手、メルボルン五輪銀メダリスト、ローマ五輪金メダリスト。)


  • 1988年ソウルオリンピック - 孫基禎(ベルリンオリンピックマラソンの金メダリスト)からChung Sunman、Kim Wontak、Sohn Mi-Chungの若い3人の陸上選手にリレーされた。


  • 1992年バルセロナオリンピック - アントニオ・レボジョ(アーチェリー選手、パラリンピック参加者。)


  • 1996年アトランタオリンピック - モハメド・アリ(ボクサー、ローマ五輪の金メダリスト。)


  • 2000年シドニーオリンピック - キャシー・フリーマン(陸上選手、400m走金メダリスト。)


  • 2004年アテネオリンピック - ニコラオス・カクラマナキス(ウィンドサーファー、アトランタ五輪金メダリスト、2004年アテネオリンピック銀メダリスト。)


  • 2008年北京オリンピック - 李寧(体操、ロサンゼルス五輪金メダリスト。)


  • 2012年ロンドンオリンピック - キャメロン・マクリッチー(ボート)、デジレー・ヘンリー(陸上)ら7人の10代選手(それぞれ過去のイギリスの名選手から「次代を担う若者」として指名を受けている。)


  • 2016年リオデジャネイロオリンピック - バンデルレイ・デ・リマ(マラソン、アテネオリンピック銅メダリスト。)



冬季オリンピック




  • 1952年オスロオリンピック - エイイル・ナンセン(極地探検家フリチョフ・ナンセンの孫にあたる。)


  • 1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピック - グイド・カロリ(1948年、1952年、1956年のオリンピックに出場したスピードスケート選手。スケートでの聖火リレー中、テレビのケーブルにつまづいたが聖火を消すことはなかった。)


  • 1960年スコーバレーオリンピック - ケン・ヘンリー(オスロオリンピックでのスピードスケート500mの金メダリスト。)


  • 1964年インスブルックオリンピック - ヨーゼフ・リーダー(元アルペンスキーヤー、1956年のオリンピックに参加。)


  • 1968年グルノーブルオリンピック - アラン・カルマ(元フィギュアスケーター、1964年のオリンピック銀メダリスト。)


  • 1972年札幌オリンピック - 高田英基 (スピードスケーター、学生。)


  • 1976年インスブルックオリンピック - クリストゥル・ハース(1964年のオリンピック滑降のメダリスト)、ヨーゼフ・ファイストマントル(同年、リュージュダブルスのメダリスト。)


  • 1980年レークプラシッドオリンピック - チャールズ・カー(アリゾナの精神科医、投票で選ばれた。)


  • 1984年サラエボオリンピック - サンダ・ドゥブラヴチッチ(フィギュアスケーター、1980年、1984年のオリンピック参加者。)


  • 1988年カルガリーオリンピック - ロビン・ペリー(フィギュアスケーター、12歳学生。)


  • 1992年アルベールビルオリンピック - ミシェル・プラティニ(サッカー選手、1976年のオリンピックに参加)、フランソワ・シリル・グランジュ(サッカー選手、1976年当時8歳。)


  • 1994年リレハンメルオリンピック - ホーコン・マグヌス皇太子(父親、祖父ともにオリンピックに参加。)


  • 1998年長野オリンピック - 伊藤みどり(フィギュアスケーター、アルベールビル五輪銀メダリスト。)


  • 2002年ソルトレークシティオリンピック - 1980年レークプラシッド五輪金メダルのアメリカ・アイスホッケーチーム


  • 2006年トリノオリンピック - ステファーニア・ベルモンド(クロスカントリー、ソルトレイク五輪金メダリスト。)


  • 2010年バンクーバーオリンピック - ウェイン・グレツキー(アイスホッケー、1998年長野オリンピック代表、2002年ソルトレークシティオリンピック総監督、"The Great One")


  • 2014年ソチオリンピック - ウラディスラフ・トレチャク(アイスホッケー、1972年札幌オリンピック、インスブルックオリンピック、1984年サラエボオリンピック金メダリスト。)、イリーナ・ロドニナ(フィギュアスケーター、札幌オリンピック、インスブルックオリンピック、サラエボオリンピック金メダリスト。)


  • 2018年平昌オリンピック - 金妍兒(フィギュアスケート、2010年バンクーバーオリンピック金メダリスト。)



聖火台への点火




「氷上の奇跡」と言われた20人の1980年アメリカ・アイスホッケーチーム選手のうち17人が、2002年ソルトレークシティオリンピックの開会式でタワーの基部にある聖火台に点火すると、らせん型の塔を炎が上って行き、頂上で聖火として灯った。


聖火が衆目を集める理由は、聖火台への点火が開会式のクライマックスとなることにもある。一方では、ショーアップのために点火の「仕掛け」が複雑化し、コストの上昇やトラブルをもたらす問題もあり、回を追うごとにエスカレートする傾向の演出には批判の声もある。




  • 1992年バルセロナオリンピックでは、パラリンピックのアーチェリー選手アントニオ・レボジョが、スタジアムの端に位置する聖火台へ火矢を放つ方法で点火した。


  • 1994年リレハンメルオリンピックのスタジアムにはスキージャンパーによって聖火がもたらされた。


  • 1998年長野オリンピックでは開会式場の外側に立つ聖火台にどうやって点火するのか話題となったが、十二単をモチーフにした衣装を身にまとった伊藤が会場内のエレベーターでせりあがり、聖火台に近づいて火をつけた。


  • 2000年のシドニーオリンピックでは、池の中にフリーマン自身が入りトーチをぐるりと1周回して点火、その火がせり上がった。


  • 2002年のソルトレイクシティ大会では、全員でトーチを持って聖火台に火をつけた。


  • 2004年のアテネ大会では、聖火台がお辞儀する様に点火した。


  • 2006年のトリノ大会では、トンネル形のアーチの目の前にベルモンド自身が立ち点火。スタジアム全体を火が走り聖火台に点いた。


  • 2008年の北京大会では、ワイヤーロープを繋いだ李寧が、スタンド最上段に張り巡らされた大型スクリーンの上を疾走するという演出を行い、聖火台直下にあった鉄パイプに点火した。


  • 2010年のバンクーバー大会では、地面から4本の支柱が伸び4人のランナーが同時に点火する予定だったが、機械の故障で1本が上がらず3本で点火する形となった。しかし閉会式でこのハプニングを逆手に、ピエロがプラグを繋いで引き揚げるという演出がなされ、開会式では点火出来なかったカトリオナ・ルメイ・ドーンが点火している[6]。また、この大会では会場外の聖火台にも点火されている。


  • 2012年のロンドン大会では、競技場の中央に長い棒が放射状に設置され、その先がカラーの花のようになった参加国の数と同じ204本のトーチに点火。するとトーチが自動的に立ち上がり、すべてが垂直に起立して一つの巨大な聖火台を構成した。


  • 2014年のソチ大会では、開会式会場の外、メダルプラザに聖火台が設置され、聖火台下の点火台に着火すると、炎が聖火台をせり上がり聖火が灯った。観客は聖火台が見えないため、花火で点火が知らされた。


  • 2016年のリオデジャネイロ大会では開閉会式用聖火台がスタジアム内に、大会期間中に聖火を灯すための聖火台が屋外に設置された。開会式では球体のような小さな聖火台に点火され、上昇した聖火台が後ろの太陽をイメージしたオブジェと一体となって輝く太陽となり、会場に光を注ぐ演出がなされた。


  • 2018年の平昌大会では聖火台の下の氷をイメージしたオブジェに点火すると、輪状の棒が伸びて直上の聖火台に火が灯った。


  • 2020年の東京大会では、開閉会式用と大会期間用の聖火台がそれぞれ競技場内と屋外に設置される予定。



聖火台


聖火台及びその支柱はユニークで大胆なデザインとされることが多く、これらは開会式の間に点火される方法にも関係している。1992年のバルセロナオリンピックでは、火をともすための火矢が聖火台に向かってアーチェリーから放たれた。1996年のアトランタオリンピックでは、聖火台は赤と金で飾られた芸術的な巻物のようだった。同年のパラリンピックでは、半身不随の登山家が聖火台から垂れ下がったロープを登って点火した。


建築家の伊東豊雄によると2016年時点で、複数回同一の都市で開催されたオリンピックを含めて同じ聖火台が2度使われた例は無いという[7]


国際オリンピック委員会(IOC)はガイドラインで、聖火台を「競技場の観客全てから見える場所に設置」「期間中は競技場の外にいる人々からも見えるように設置」と原則として定めているが、近年は例外も出ている。2012年のロンドンオリンピックでは点火後に競技場の観客席の前部に移設し、外からは見えない状態だった[8]



1964年の東京オリンピックの聖火台


1964年東京オリンピックでは、その前哨戦となるアジア競技大会(1958年)に間に合わせるために聖火台の製作を鋳物づくりの名工とうたわれた鈴木萬之助が請け負ったが湯入れ作業で爆発事故が起き、このショックと過労で8日後に萬之助は亡くなった[9][10]。しかし萬之助の息子にあたる鈴木文吾が不眠不休で第二の聖火台を製作して一ヶ月の作業の後、何とかアジア競技大会に間に合わせた[11]。文吾は、もし自分まで失敗したら腹を切って死ぬつもりだったという。


この聖火台は文吾の手により製作者名として父・萬之助の名が彫り込まれ、国立競技場が解体されるまで置かれており2015年に宮城県石巻市に一時貸与され、新国立競技場建て替えの間、石巻市総合運動公園に設置されることとなった[12]。また、萬之助の聖火台も修繕を経て作業場のあった川口市に置かれている。



炬火





第60回国体総合開会式より。


炬火(きょか)とは松明(たいまつ)のことである。


日本では国民体育大会と全国健康福祉祭(ねんりんピック)において炬火リレーが行われている。


国民体育大会では開催地独自に採火されることが決まっていて、開催直前にひとつに集火され開会式において点火される。また、全国障害者スポーツ大会においても同様となる。


全国健康福祉祭では総合開会式場にて採火され、その場で炬火リレーが行われ三世代のランナーで炬火台に点火される(第17回群馬大会より)。


例外としては全国高等学校総合体育大会熊本大会2001ひのくに新世紀総体にて炬火が点火された。



炬火台


炬火台の点火方法は原則として炬火ランナー2名が階段に登り、その場で点火されるが、1998年のかながわ大会(横浜国際総合競技場)では史上初の8名による炬火点火が行われ、導火線を伝わった白煙の中からの勢いで炬火台に付いた。



トーチ





脚注





  1. ^ 石巻に世界初バイオガス聖火 東京五輪へ実験成功 - 日刊スポーツ、2016年3月7日


  2. ^ 山本秀明 (2012年8月4日). “聖火リレーを辞退した街 「金がかかる五輪いらない」”. 朝日新聞デジタル. 2016年8月15日閲覧。


  3. ^ Sebastian Smith (2012年7月28日). “聖火リレー、暴動で一時中断 リオ五輪”. AFPBB News. 2016年8月15日閲覧。


  4. ^ 聖火北極点到着を正式発表 ソチ五輪組織委


  5. ^ ソチ「聖火」宇宙空間へ ロシア人飛行士と遊泳


  6. ^ 聖火台の柱、やっとそろった 失敗を逆手に演出asahi.com 2010年3月1日


  7. ^ 新国立“聖火台”の置き場なし B案の建築家が疑問「不自然」 - Infoseekニュース(日刊ゲンダイ / 2016年3月6日)


  8. ^ 新国立競技場:JSC、聖火台も「失点」 検討初会合 - 毎日新聞、2016年3月12日 東京朝刊


  9. ^ 田村崇仁「聖火台磨き、遺産を継承 五輪招致で心温まる物語」『スポーツリレーコラム』47NEWS、2009年11月4日


  10. ^ 高樹ミナ「職人の技と心を受け継ぐ聖火台<前編>」『スポーツのエクセレンス』第44話、日本トップリーグ連携機構


  11. ^ 高樹ミナ「職人の技と心を受け継ぐ聖火台<後編>」『スポーツのエクセレンス』第45話、日本トップリーグ連携機構


  12. ^ 五輪の聖火台、被災地に 地元「復興のシンボルになる」 宮城・石巻 産経新聞 2015年6月18日閲覧




関連項目







  • 2004年アテネオリンピックの聖火リレー

  • 2008年北京オリンピックの聖火リレー


  • オリンピック宣誓(選手宣誓・審判宣誓)

  • 国際オリンピック委員会

  • オリンピック憲章

  • 1956年メルボルンオリンピックのニセ聖火リレー事件



外部リンク




  • The Olympic flame and the torch relay(1MB PDF)- 国際オリンピック委員会(2018年5月26日閲覧)


  • The Olympic Fire from Morgedal - ウェイバックマシン(2017年7月3日アーカイブ分)(ソンドレ・ノールハイムの生家における三回の冬季オリンピック聖火の採火)

  • IOC - 国際オリンピック委員会(英語)(フランス語)

  • JOC - 日本オリンピック委員会


  • BBC, In pictures (24 March 2008, 13:09 GMT): Olympic flame ceremony(ギリシャの Temple of Hera - ヘーラー寺院で行われた北京オリンピック用聖火採火式の組写真。キャプションは英語)


  • Olympic Games Torches Quick View(夏季オリンピックで使われた全てのトーチについて画像と解説 2018年5月26日閲覧)




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