渡辺力
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渡辺力
渡辺 力(わたなべ りき、1912年1月2日 - 2013年1月8日)は、日本を代表するプロダクトデザイナー[誰によって?]。ジャパニーズデザインのパイオニアと呼ばれる[誰によって?]。「デザイン」という言葉が日本社会にいまだ十分に定着していなかった戦後間もない頃から活躍し、剣持勇・柳宗理・長大作・水之江忠臣らと共にジャパニーズ・モダンと呼ばれるデザインの礎を創ったと言われる[誰によって?]。
目次
1 人物
2 略歴
3 主な作品
4 受賞
5 著書
6 脚注
7 外部リンク
人物
1972年、日比谷にある第一生命本社前にパブリッククロック(公共の時計)が設置されたが、そのポール時計をデザインした。そのデザインは以降のパブリッククロックにも多大な影響を与え、自他ともに認める代表作として知られている[誰によって?]。また2012年には、ウォールクロックとしてリデザインされ発売などもされている[1]f。
略歴
- 1911年:東京都白金生まれ
- 1936年:東京高等工芸学校(現:千葉大学工学部)木材工芸学科卒業。卒業後、群馬県工芸所にてブルーノ・タウトに師事。
- 1940年:東京高等工芸学校助教授に就任
- 1943年:東京帝国大学農学部林学科選科(森林利用学)修了。同大学助手(航空研究所出向)
- 1949年:フリーランスのデザイナーとなり渡辺力デザイン事務所を設立(東京・銀座)
- 1952年:日本インダストリアルデザイナー協会が設立され、理事就任
- 1953年:日本デザインコミッティーの設立に参画
- 1956年:松村勝男、渡辺優とQデザイナーズを設立
- 1959年:クラフトセンター・ジャパンの設立に参加
- 1966年 東京造形大学室内建築科が開講し教授に就任
- 2013年:101歳で逝去[2]
主な作品
- 1952年:「ヒモイス」をデザイン1954年:「数学者M邸」の家具(ソリッドスツール など)をデザイン
- 1956年:スクーター「ラビット」(富士重工)をデザイン
- 1956年:QS-10(通称トリイスツール)、QR-40(籐製のテーブル)をデザイン。ミラノトリエンナーレで金賞を受賞(YMK長岡)
- 1960年:リキベンチ(天童木工)をデザイン
- 1964年:デジタルクロック(コパル)をデザイン
- 1966年:ダンボールによる「エアリースツール」をデザイン
- 1967年:「ラウンドスツール」をデザイン(秋田木工)
- 1970年:「掛時計」をデザイン(服部セイコー)
- 1971年:京王プラザホテル・メインバー「ブリアン」のインテリアを設計。「モビール・ブリアン」をデザイン
- 1972年:「ポール時計」をデザイン(第一生命・東京日比谷)
- 1976年:ステンレス製品「ラストロ」シリーズをデザイン(ダイチ)
- 1980年:照明器具「あんどん」シリーズをデザイン(ヤマギワ)
- 1984年:「リキロッカー」、「リキウィンザー」をデザイン(インテリアセンター)
- 1999年:「ユニトレイ」を復刻(佐藤商事)
- 2000年:「アルバ:リキワタナベコレクション」をデザイン(セイコーウオッチ)
- 2003年:「リキクロック」をデザイン(タカタレムノス)
受賞
- 1951年:第15回新制作品展新建築賞
- 1957年:ミラノトリエンナーレ金賞受賞
- 1967年:第13回毎日産業デザイン賞受賞
- 1976年:紫綬褒章受章
- 1991年:国井喜太郎産業工芸賞受賞
著書
- ハーマン ミラー物語 イームズはここから生まれた(単著、平凡社、2003/11/20)
脚注
^ 祝!渡辺力さん101歳!日比谷の時計とリキクロック一覧
^ (おくやみ)渡辺力氏が死去工業デザイナー2013/1/18 22:51-日本経済新聞
外部リンク
- YMK長岡トリイスツール、QR-40製作を製作
- YMK長岡オンラインショップ
