清水秀彦
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| 名前 | ||||||
| カタカナ | シミズ ヒデヒコ | |||||
| ラテン文字 | SHIMIZU Hidehiko | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | (1954-11-04) 1954年11月4日(64歳) | |||||
| 出身地 | 東京都 | |||||
| 身長 | 177cm | |||||
| 体重 | 67kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW、MF | |||||
| 監督歴 | ||||||
| 1991-1994 1996 1998-1999 1999-2003 | 日産自動車/横浜マリノス アビスパ福岡 京都パープルサンガ ベガルタ仙台 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
清水 秀彦(しみず ひでひこ、1954年11月4日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。東京都出身。
目次
1 来歴
2 個人成績
3 監督成績
4 その他
5 関連項目
6 外部リンク
来歴
1972年 - 浦和市立高等学校3年の時に高校サッカー選手権優勝。
1977年 - 法政大学経営学部卒業後、日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)に入部。
1985年 - 選手兼任コーチとなる。
1988年 - 現役引退。
1989年 - 日産自動車サッカー部ヘッドコーチ就任。
1991年 - 日産自動車サッカー部監督に就任、Jリーグ開幕以後も1994年まで指揮を取り続ける。
1996年 - アビスパ福岡監督に就任するが1シーズン限りで退く
1998年 - 京都パープルサンガのヘッドコーチに就任。6月にハンス・オフト監督の辞任を受け、監督に昇格。
1999年 - 6月に京都の監督を退く。8月にそれまで10連敗中と不振にあえいでいたJ2ベガルタ仙台の監督に就任。
2001年 - 仙台をJ1に昇格させる。
2003年 - 9月に成績不振が理由で仙台の監督を解任される。
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1977 | 日産 | JSL2部 | |||||||||
| 1978 | 日産 | JSL2部 | |||||||||
| 1979 | 日産 | JSL1部 | |||||||||
| 1980 | 日産 | JSL1部 | |||||||||
| 1981 | 日産 | JSL2部 | |||||||||
| 1982 | 日産 | JSL1部 | |||||||||
| 1983 | 日産 | JSL1部 | |||||||||
| 1984 | 日産 | JSL1部 | |||||||||
| 1985 | 日産 | JSL1部 | |||||||||
| 1986-87 | 日産 | JSL1部 | |||||||||
| 1987-88 | 日産 | JSL1部 | |||||||||
| 通算 | 日本 | JSL1部 | 144 | 21 | |||||||
| 日本 | JSL2部 | ||||||||||
| 総通算 | |||||||||||
監督成績
| 年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 順位 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
| 1991-92 | JSL1部 | 日産 | 2位 | 22 | 43 | 12 | 7 | 3 | 準決勝 | 優勝 |
| 1992 | J | 横浜M | - | - | - | - | - | - | 7位 | 優勝 |
| 1993 | J | 横浜M | 4位 | 36 | - | 21 | - | 15 | 予選リーグ | 準々決勝 |
| 1994 | J | 横浜M | 6位 | 44 | - | 22 | - | 22 | 準決勝 | 準決勝 |
| 1996 | J | 福岡 | 15位 | 30 | 29 | 9 | - | 21 | 予選リーグ | 4回戦 |
| 1998 | J | 京都 | - | 22 | 12 | - | 10 | 予選リーグ | 3回戦 | |
| 1999 | J1 | 京都 | - | 15 | 12 | 4 | 0 | 11 | 2回戦 | - |
| J2 | 仙台 | - | 18 | 7 | 3 | 8 | - | 2回戦 | ||
| 2000 | J2 | 仙台 | 5位 | 40 | 55 | 19 | 2 | 19 | - | 1回戦 |
| 2001 | J2 | 仙台 | 2位 | 44 | 83 | 27 | 5 | 12 | - | 3回戦 |
| 2002 | J1 | 仙台 | 13位 | 30 | 32 | 11 | 1 | 17 | 予選リーグ | 4回戦 |
| 2003 | J1 | 仙台 | - | 20 | 12 | 3 | 3 | 11 | 予選リーグ | 3回戦 |
その他
- 監督・コーチ業から離れている期間は、主にフジテレビ系列を中心にサッカー解説を務めている。後に「ジョホールバルの歓喜」と称される1997年のワールドカップフランス大会アジア第3代表決定戦・イラン戦でも解説を担当し、シーソーゲームで延長突入となった試合展開にも冷静な解説を続けていたが、岡野のゴールデンゴール(Vゴール)が決まった瞬間「やったー!!」と絶叫したシーンが20年以上経過した現在でも放送されることは多い。京都、仙台で監督として現場復帰していた期間を挟み、2004年10月からは『感動ファクトリー・すぽると! WEEKEND SPECIAL』のレギュラー解説者を務めている。
- 通常は監督が途中解任された場合でも、契約期間内は給料が支払われるが、ベガルタ仙台の監督を解任された際は、チーム方針への不満から解任後の給料の受け取りを拒否したという(週刊サッカーダイジェスト 2012年5月8日号での柱谷幸一との対談より)。
宮城県内でサッカースクールを主宰したり、仙台カップ国際ユースサッカー大会にて東北選抜チームの監督を務めるなど、現在も仙台、宮城、東北地域とのつながりが深い。- 代表をつとめるH.S スポーツクラブでは、自らのサッカー理論を基にジュニア世代の指導にも当たっており、2007年にはH.Sジュニアユースを立ち上げた。H.S スポーツクラブではU-15のジュニアユースをはじめ、U-6、U-9、U-12の各サッカースクール、一般向けのフットサルスクールを宮城県内で開講している。
関連項目
- Jリーグ監督経験者
- 日本のサッカー選手一覧
長坂哲夫(フジテレビジョンアナウンサー/サッカー中継でコンビを組むことが多かった)
外部リンク
- H.Sスポーツクラブ
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