新日鐵住金釜石製鐵所
新日鐵住金釜石製鐵所(しんにってつすみきんかまいしせいてつじょ)は、岩手県釜石市鈴子町にある、新日鐵住金の工場である。同社棒線事業部の管轄である。
目次
1 概要
2 沿革
3 アクセス
4 脚注
5 関連項目
6 参考文献
7 外部リンク
概要
日本の近代製鉄業発祥の地・釜石に立地する工場で、八幡製鐵所よりも早くに操業を開始した日本最古の製鉄所である。官営の製鉄所として1880年(明治13年)に操業を開始するが、満足な成果を出せず3年後に閉鎖。軌道に乗ったのは民間人である田中長兵衛に払い下げられた後の1886年(明治19年)以降のことである。戦前までは比較的大規模な製鉄所であったが、戦時中に釜石艦砲射撃で壊滅。戦後復活し、1950年(昭和25年)の日本製鐵解体後は富士製鐵の主力製鉄所の一つとなるものの、1960年代から縮小が始まり、新日鉄発足後の1989年(平成元年)に高炉を休止したため現在は銑鋼一貫製鉄所ではない。
現在は線材の生産拠点で、新日鐵住金の棒線事業部という事業部の下に置かれる。かつては製銑・製鋼用の設備、鋼板や形鋼・棒鋼用の圧延設備があったが、現在は線材圧延設備以外存在しない。敷地面積は344万平方メートル、従業員数は310人である(2017年10月1日時点)。
製品の線材は鋼を細く圧延しコイル状に巻いた鋼材で、釜石で製造される線材の種類には低炭素鋼・中炭素鋼線材や、ばねやケーブルに使用される高炭素鋼線材、ボルトなどの部品の材料に使用される冷間圧造(鍛造)用線材、ラジアルタイヤに使用されるスチールコード用線材、溶接用線材などがある。
鉄鋼分野の設備ではないが、新日鐵住金の独立発電事業 (IPP) の拠点の一つでもあり、火力発電所を設置し、東北電力に発電した電力を供給。14万9,000kW/hの出力は岩手県内で最大の出力を誇り、2015年からは木質バイオマス燃料の使用を開始した[1]。
沿革
日鉄時代まで
1858年1月15日(安政4年12月1日) - 南部藩士の大島高任が日本で初めて高炉法で出銑に成功。その功績を讃え、1958年(昭和33年)から12月1日が「鉄の記念日」となっている。
1880年(明治13年)9月13日 - 官営釜石製鉄所発足・操業開始。
1883年(明治16年) - 官営釜石製鉄所閉鎖。
1884年(明治17年) - 田中長兵衛が製鉄所の一部設備の払い下げを受ける。
1886年(明治19年)10月16日 - 49回目の挑戦で、製鉄所として初めての出銑(銑鉄の製造)に成功。この10月16日は釜石製鐵所の創立記念日となっている。
1887年(明治20年)7月 - すべての製鉄所設備の払い下げを受け、釜石鉱山田中製鉄所を設立。
1894年(明治27年) - 日本初のコークス銑産出に成功。11月には本格的なコークス炉が稼動し、以後出銑量が急速に増加。
1901年(明治34年) - 官営八幡製鐵所の操業開始に当たり、選抜された7名の高炉作業者を派遣する。
1903年(明治36年) - 平炉により製鋼作業を開始。銑鋼一貫製鉄所となる。
1916年(大正5年)3月 - 小形工場を設置。
1917年(大正6年)3月 - 田中鉱山株式会社発足、同社釜石鉱業所となる。
1919年(大正8年)10月 - 中形工場を設置。
1924年(大正13年)7月11日 - 田中鉱山が三井鉱山の傘下に入り、釜石鉱山株式会社に社名変更。
1934年(昭和9年)2月1日 - 日本製鐵株式會社(日鉄)の発足に伴い、同社の釜石製鉄所となる。
1940年(昭和15年)11月 - 大形工場を設置。
1945年(昭和20年)7月14日 - 日本本土初の米海軍による艦砲射撃で被害を受ける(釜石艦砲射撃)。- 1945年(昭和20年)8月9日 - 第2回目の艦砲射撃。製鉄所は壊滅状態になり、操業を停止。10月以降順次操業再開。
1948年(昭和23年)5月15日 - 高炉操業を再開。
富士製鐵時代
1950年(昭和25年)4月1日 - 日鉄の解体に伴い、富士製鐵株式會社釜石製鐵所として発足。- 1950年(昭和25年)10月1日 - 八幡製鐵所より旧式のプル・オーバー式圧延機を移設し、薄板工場を設置。
1952年(昭和27年)10月 - 大形工場で重軌条(鉄道用レール)の製造を開始。
1958年(昭和33年)11月 - 薄板工場休止、熱延鋼板の製造を終了。
1960年(昭和35年)1月 - 大形工場で鋼矢板の製造を開始。
1961年(昭和36年)10月24日 - 線材工場(現存)を設置。
1962年(昭和37年)11月 - 小形工場休止。小形棒鋼を製造していた。
1964年(昭和39年)2月 - 中形工場休止。溝形鋼や山形鋼を製造していた。
1965年(昭和40年)1月20日 - 大形工場で、小サイズのH形鋼の製造を開始。- 1965年(昭和40年)8月25日 - 転炉を新設。
1969年(昭和44年)4月 - 平炉による製鋼を休止し、転炉製鋼に集約。- 1969年(昭和44年)7月1日 - 連続鋳造設備を新設。
1970年(昭和45年)3月15日 - 独占禁止法違反回避(新日本製鐵#発足の経緯参照)のため、日本鋼管にレール製造設備を譲渡。
新日本製鐵時代
- 1970年(昭和45年)3月31日 - 新日鉄発足、同社の釜石製鐵所となる。
1980年(昭和55年)3月26日 - 大形工場休止。
1986年(昭和61年)10月 - 創業100年。
1989年(平成元年)3月25日 - 高炉を停止。あわせて転炉・連続鋳造設備なども休止。
2000年(平成12年)7月1日 - 電力事業用発電設備が営業運転を開始。
2011年(平成23年) - 東北地方太平洋沖地震により設備の一部が損壊。
新日鐵住金時代
2012年(平成24年) - 新日本製鐵と住友金属工業が合併し新日鐵住金が発足。
アクセス
JR釜石線・三陸鉄道南リアス線、釜石駅下車徒歩5分。
脚注
^ http://www.nssmc.com/news/20150219_100.html
関連項目
- 釜石市
- 鈴木善幸
- 三鬼隆
- 永野重雄
釜石鉱山田中製鉄所 - 釜石製鐵所の前身にあたる製鉄所。
釜石鉱山 - 釜石製鐵所に鉄鉱石を供給した鉱山。
釜石鉱山鉄道 - 鉱山と製鉄所を結んだ鉄道路線。- せいてつ記念病院 - 釜石製鐵所の元付属病院。1990年に独立して医療法人楽山会が運営。
- 釜石共栄 - かつて釜石市内に展開していたスーパーマーケット。釜石製鐵所の購買部が前身。
釜石製鐡所山神社 - 当所の守護神社
- スポーツ部
釜石シーウェイブス - 製鉄所のラグビー部を前身とするラグビークラブ。
新日本製鐵釜石硬式野球部 - 山田久志らが所属した製鉄所の硬式野球部。
新日鐵住金釜石サッカー部 - 三浦俊也らが所属した製鉄所のサッカー部。
参考文献
- 『日本製鐵株式會社史』 日本製鉄株式会社史編集委員会、1959年。
- 新日本製鐵 『炎とともに』富士製鐵株式會社史・新日本製鐵株式會社十年史、新日本製鐵、1981年。
外部リンク
- 釜石製鐵所
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座標: 北緯39度16分18.6秒 東経141度52分9.5秒 / 北緯39.271833度 東経141.869306度 / 39.271833; 141.869306