神岡鉄道
神岡鉄道株式会社(かみおかてつどう)は、岐阜県および富山県で、旧国鉄特定地方交通線を引き継いだ鉄道路線神岡線を運営していた鉄道会社である。第三セクター方式で設立された第三セクター鉄道の一つ。本社所在地は岐阜県飛騨市神岡町大字東雲1327番地の2(奥飛騨温泉口駅内)。地元では神鉄(かみてつ)と呼ばれていた(神戸電鉄の略称と同じであるが読みが違う)。
鉄道事業のほか、自動車整備業なども手掛けているが、かつては旅行業(2006年3月営業終了)なども行っていた。
目次
1 概要
2 歴史
3 路線
4 車両
4.1 旅客車両
4.2 ディーゼル機関車
5 脚注
6 関連項目
概要
神岡鉱山前駅近くにある神岡鉱山からの硫酸の安定輸送のため、鉄道として存続した。そのため、神岡鉱山を経営する神岡鉱業の親会社である三井金属鉱業株式会社が株式の51%を保有する大株主となっていた。
神岡線は、トンネルが全体の約6割もあるため「奥飛騨の地下鉄」と呼ばれ、旧国鉄時代から旅行者や飛騨市から富山県への通勤・通学者の重要な交通手段だったが、バスや自家用車に押されて利用者が減少し、2004年度には1日の平均利用者数が100人を下回っていた。
神岡鉱山からの硫酸輸送は、トラック輸送への切り替えにより2004年10月に終了し、当鉄道の貨物営業は同年12月31日限りで休止となった。鉄道部門の収入の7割以上を占め、神岡鉄道の経営を支えてきた貨物輸送がなくなったことから経営への影響が懸念されていたが、翌2005年6月29日の取締役会で神岡線を2006年末限りで廃止する方針が決まり、2005年8月2日の臨時株主総会を経て、同年11月国土交通省に鉄道事業廃止届が提出された。これにより2006年12月1日での神岡線廃止が公的にも承認されたことになる。この間、いくつか飛騨市に経営移譲を申し入れる動きがあり、東京の旅行会社「トラベルプランニングオフィス」の代表である中尾一樹は神岡鉄道の経営権承継を求めて、大株主の三井金属鉱業を相手取り株主代表訴訟を提起し係争中であったが、結局裁判を取り下げた。
その後2006年9月、岐阜県飛騨市長が定例市議会で、神岡鉄道廃止後に鉄路を不定期の観光鉄道として存続させる道を模索する意向を表明し、動向が注目された。しかし、2008年2月に行われた市長選挙で観光鉄道化に反対する候補に当時の現職市長が敗れ、復活は極めて困難な見通しとなった。
2007年1月16日放送のテレビ東京『日経スペシャル ガイアの夜明け』で、赤字ローカル線の話題が取り上げられ、神岡鉄道最後の定期利用客が取材された。廃止時、定期券を所持していた人物は、富山の高校に通う女子高生1人だけであったという。
なお、神岡線の廃止にあたってはバス路線への転換は行われなかった。
歴史
1984年(昭和59年)1月20日 - 会社設立。
10月1日 - 神岡線開業。
1998年(平成10年)1月16日 - コンテナ輸送開始。
2002年(平成14年)12月16日 - 奥飛騨温泉口駅の改築工事が終了[1]。本社を神岡鉱山前から移転[1]。
2004年(平成16年)8月31日 - コンテナ輸送終了。
10月15日 - 濃硫酸輸送終了。
2005年(平成17年)1月1日 - 貨物営業休止。
3月31日 - 貨物営業廃止。
2006年(平成18年)12月1日 - 神岡線廃止。
2007年(平成19年)6月30日 - 会社解散(清算人・倉橋隆弘社長)。
路線
神岡線:猪谷駅 - 奥飛騨温泉口駅(19.9km・第1種鉄道事業)
車両
旅客車両
KM-100形 101
KM-150形 151
- 旅客車両はこれら2両のみの在籍で、いずれも第三セクター転換時に導入された。
ディーゼル機関車
貨物列車牽引用にディーゼル機関車を所有していた。
- KMDD13形
- 1984年の第三セクター転換時に国鉄から購入したDD13形。
- KMDE10形
- 1991年にJR四国から購入したDE10形で、1996年3月16日に貨物列車の牽引機がJR貨物のDE10形に変更された後は休車となり、奥飛騨温泉口駅前で保存されていたが、2007年2月に解体された。
DB1形
- 除雪用モーターカーで、本線走行できるよう車籍を有していた。廃線を控えた2006年11月17日に同県の第三セクター鉄道の樽見鉄道へ貸し出され、翌年譲渡された。
25DL形
三井金属鉱業より無償譲渡されたディーゼル機関車であり、2両(KM251・252)が存在した。KM252は神岡鉄道廃止後、中越パルプ工業高岡工場DB252として運用されている。
脚注
- ^ ab「鉄道記録帳2002年12月」、『RAIL FAN』第50巻第2号、鉄道友の会、2003年3月1日、 25頁。
関連項目
- いろりカード