ガラタサライSK (サッカー)
ガラタサライSK | ||||
---|---|---|---|---|
原語表記 | Galatasaray Spor Kulübü |
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愛称 | Cimbom Aslan(ライオン) Sarı Kırmızılılar(黄-赤) Avrupa Fatihi(ヨーロッパの征服者) |
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クラブカラー | 赤、 黄 |
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創設年 | 1905年 |
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所属リーグ | スュペル・リグ |
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所属ディビジョン | スュペル・リグ |
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ホームタウン | イスタンブール |
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ホームスタジアム | トルコ・テレコム・アリーナ |
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収容人数 | 52,652 |
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代表者 | ![]() |
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監督 | ![]() |
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公式サイト | 公式サイト |
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
ガラタサライ・スポル・クリュビュ(トルコ語:Galatasaray Spor Kulübü、日本語:ガラタサライスポーツクラブ)は、トルコ・イスタンブールをホームタウンとする、トルコプロサッカーリーグ(スュペル・リグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次
1 概要
1.1 名称および発音
2 歴史
3 クレスト
4 競技場
4.1 アリ・サミ・イェン・スタジアム
4.2 テュルク・テレコム・アレナ
4.2.1 スタジアム・アンセム
4.3 スタジアムの歴史
4.4 選手の記録
5 サポーター
5.1 ヨーロッパでの試合
5.2 トルコにおけるガラタサライの人気
5.3 イスタンブール・ダービー
6 タイトル
6.1 国内大会
6.2 国際大会
6.3 現存しない国内大会
6.4 現存しない地域大会
7 過去の成績
8 現所属メンバー
8.1 ローン移籍
8.2 リザーブ
9 歴代監督
10 歴代所属選手
10.1 GK
10.2 DF
10.3 MF
10.4 FW
11 脚注
12 参考文献
13 外部リンク
概要
ガラタサライとして一般的に知られており、1905年にアリ・サミ・イェンによって創立された。本クラブは総合スポーツクラブであるガラタサライ・スポル・クリュビュのサッカー部門であり、総合スポーツクラブはガラタサライ大学やガラタサライ高校を含むガラタサライ・トプルルウ(ガラタサライ共同体)の一部である。
トルコで最も成功したサッカークラブであり、これまでにリーグを21回、カップを14回、TFFスュペル・クパ(スーパーカップ)を12回制している。イスタンブール・フトボル・リギの解体後、1959年からスュペル・リグの全55シーズンに参加している3チームの内の1つである。国際的には、2000年にUEFAカップ、UEFAスーパーカップを制し、ヨーロッパの優勝杯を掲げた初のトルコクラブとなった。また、UEFAカップを無敗で制した初のクラブである。国内では、スュペル・リグで4連覇(1997年、1998年、1999年、2000年)を果たして唯一のクラブである。1999-2000シーズンには、スュペル・リグ、テュルキエ・クパス、UEFAカップ、TSYDカップを制し、単一シーズンでの四冠を達成した。また、IFFHS世界ランキングで1位(2000年)になった唯一のトルコのクラブである。
2011年から、クラブの本拠地は収容人数52,695人のテュルク・テレコム・アレナである。このアリーナはスポーツスタジアムでの歓声の大きさの世界記録(131.76 dBA)を保持している[1]。これ以前は、1963年からアリ・サミ・イェン・スタジアムを本拠地としていた。
長年のライバルは同じイスタンブールを本拠地とするベシクタシュJKとフェネルバフチェSKであり、特にフェネルバフチェとのダービーはクタラララス・デルビ(大陸間ダービー)として知られ、世界でも最大級のダービーと見なされている。
トルコ国中に多くのサポーターを抱える、最も人気のあるチームであり[2]、2500万人のファン(約38%はトルコ国外)がいると見積られている。また、ガラタサライはトルコの最も強力なグローバルブランドであると見なされている[3]。
名称および発音
ガラタサライの短縮形の呼び名はない。ファンはクラブを正式名か愛称の「Cim Bom Bom」(ジム・ボム・ボム)、あるいはそれを縮めた「Cim Bom」と呼ぶ。
ガラタサライは複合語であるため、そのように発音される。ガラ・タサライと切って発音するのは誤りであり、ガラタ・サライのように非常に短い間を空けて発音しなければならない[4]。
歴史

ガラタサライの最初の写真(1905年)。
ガラタサライSKは1905年の秋に、ガラタサライ高校(1481年創立)の生徒によってサッカークラブとして設立された。ガラタサライの初代代表はアリ・サミ・イェンである。初試合はCadi-Keuy FCとの間で行われ、ガラタサライが2対0で勝利した。クラブの名称に関しては議論があり、「Gloria」(勝利)や「Audace」(勇気)といった名称を提案するものもいたが、ガラタサライに決定した。
ガラタサライという名称はガラタサライ高校から取られている。ガラタサライ高校の名称は1481年に設立されたGalata Sarayı Enderûn-u Hümâyûn(ガラタ宮殿帝国学校)に由来しており、ガラタは近隣の中世ジェノアの属州ガラタから取られている。ガラタサライは直訳すると「ガラタ宮殿」という意味である。
オスマン帝国時代の1905年は結社のための法律がなかったため、クラブは公式に登録することができなかったが、1912年に結社法が出来、クラブは法的に登録された[5]。
当初のクラブカラーは赤と白であった。これはトルコの国旗の色である。クラブカラーはその後変更され、1907年まで黄色と紺青色が使用された。1908年には赤と黄色が選ばれた。
当時、他にトルコ人のチームが存在しなかったため、ガラタサライはイングランド人やギリシャ人のチームで構成されるイスタンブール・サンデー・リーグに1905-06シーズンから参加した。ガラタサライは1907-08シーズンに初優勝を果たし、トルコサッカーの歴史の始まりを告げた[6]。
1952年までにガラタサライは「イスタンブール・リーグ」のタイトルを10回、「サンデー・リーグ」のタイトルを6回、「フライデー・リーグ」のタイトルを3回獲得した。1952年から1959年までは、トルコ初のプロリーグ「イスタンブール・プロフェッショナル・リーグ」が開催された(ただしナショナルリーグではない)。ガラタサライは7年間で3回の優勝を果たした。
1959年に「テュルキエ・プロフェショネル・1. リギ」(現在のトルコ・スュペル・リグ)が結成された。これはトルコサッカーの全国リーグであり、ガラタサライはこれまで全てのシーズンで戦い、18度のリーグ制覇を果たしている。
1962-63シーズンから始まったトルコカップではこれまでに14回の優勝を果たしている[7]。

2000年5月17日、UEFAカップ決勝、アーセナルFC戦の先発メンバー。
ガラタサライは1990年代末に最も成功した。2002 FIFAワールドカップで3位、UEFA EURO 2000で準々決勝に進出したトルコサッカーの黄金世代に支えられ、トルコのサッカークラブで初のヨーロッパタイトルを手にした。才能豊かな選手達に加えて、ガラタサライのサポーターによって「地獄」と呼ばれ、威圧的な雰囲気を持つアリ・サミ・イェン・スタジアムへ訪れるのを相手チームは嫌っていた[8]。
クレスト

ガラタサライSKの最初のクレスト
ガラタサライの最初のエンブレムは、学籍番号333のŞevki Egeによって描かれた。これは、くちばしにサッカーボールを咥えて翼を広げた鷲を描いていた。1925年に、Ayetullah Eminによってデザインされた現在の「Ghayn-Sin」クレストになった。
競技場
テュルク・テレコム・アレナ | |
---|---|
![]() | |
施設情報 | |
所在地 | イスタンブール |
起工 | 2007年12月13日 |
開場 | 2011年1月15日 |
設計者 | 'asp' architekten Stuttgart[9] |
使用チーム、大会 | |
収容能力 | |
52,652 |
ガラタサライが結成された時、ホームグラウンドを持つトルコのチームはなく、インスタンブル・フトボル・リギの全試合はパパズン・チャユル(現在のフェネルバフチェのホーム・シュクリュ・サラジオウル・スタジアム)で行われていた。1921年、イスタンブール初のサッカー競技場であるタクシム・スタジアムが建設された。このスタジアムはイスタンブールの全チームのホームグラウンドとして使用された。タクシム・スタジアムが1940年に解体された時、ガラタサライは大きく近代的なスタジアムの建設を決定した。第二次世界大戦の影響により、スタジアムの建設は20年以上送れた。この期間は、シェレフ・スタジアムおよびドルマバフチェ・スタジアムでプレーした。
アリ・サミ・イェン・スタジアム
1964年12月20日、アリ・サミ・イェン・スタジアムがオープンした[10]。ガラタサライの創設者であるアリ・サミ・イェンの名を冠したこのスタジアムは、イスタンブールの中心にあるシシリ区のメジディイェキョイ地区にある。1964年は、スタジアムの収容人数は35,000人強であった。安全や立見席の禁止などにより、1993年に全席座席付きで収容人数は22,000人に減少した。数年後、地震で損傷を受けたメインスタンドの改築により収容人数がわずかに増加した[11]。
イスタンブールのオリンピック招致のためアタテュルク・オリンピヤト・スタドゥが建設された2002年の後、ガラタサライはUEFAチャンピオンズカップの試合をこのスタジアムで開催し始めた。ガラタサライとオリンピアコスとの試合は79,414人の観客を集め、トルコのスタジアムにおける観客動員記録を破った。しかし、規模が小さいアリ・サミ・イェン・スタジアムもガラタサライのファンにとって歴史的な重要性を有していた[12]。
ガラタサライが新たに建設されたテュルク・テレコム・アレナに移った後の2011年に、アリ・サミ・イェン・スタジアムは解体された。
テュルク・テレコム・アレナ
ガラタサライの新本拠地は、シシリ区のマスラク金融街に近いアスランテペ地区にあるテュルク・テレコム・アレナである。2011年1月15日にオープンした新スタジアムは座席数52,695で、トルコのクラブが所有するスタジアムの中で最大である[13]。
スタジアム・アンセム
1998年から、ガラタサライの選手がゴールを決めた後は必ず、エルメス・ハウス・バンドの「恋のサバイバル(I Will Survive)」の最終部が歌われる。この曲の歌詞は英語であるが、最終部は「ラ・ラ・ラ・ラ」以外に歌詞はない。また、試合前は必ず北米インディアンの非常に古いチャントであるフロリダ州ウォー・チャント(Galatasaray War Chant)が、ガラタサライのスカーフやバナー、旗を振るファンによって歌われる。このスタジアム・アンセムとサポーターによる絶え間のない轟音のため、多くの人々はスタジアムを「ジェヘンネム Cehennem」(地獄)と呼ぶ。
スタジアムの歴史
# |
Stadium |
Years[14] |
---|---|---|
1 |
パパズン・チャユル |
1905–1921 |
2 |
タクスィム・スタジアム |
1921–1940 |
3 |
シェレフ・スタジアム |
1940–1948 |
4 |
ドルマバフチェ・スタジアム |
1948–1966 |
5 |
アリ・サミ・イェン・スタジアム |
1966–1972 |
6 |
ドルマバフチェ・スタジアム |
1972–1980 |
7 |
アリ・サミ・イェン・スタジアム |
1980–1984 |
8 |
ドルマバフチェ・スタジアム |
1984–1986 |
9 |
アリ・サミ・イェン・スタジアム |
1986–2003 |
10 |
アタテュルク・オリンピヤト・スタドゥ |
2003–2004 |
11 |
アリ・サミ・イェン・スタジアム |
2004–2011 |
12 |
テュルク・テレコム・アレナ |
2011– |
# |
スタジアム |
使用年数 |
---|---|---|
1 |
アリ・サミ・イェン・スタジアム |
34 |
2 |
ドルマバフチェ・スタジアム |
28 |
3 |
タクスィム・スタジアム |
18 |
4 |
パパズン・チャユル |
17 |
5 |
シェレフ・スタジアム |
8 |
6 |
テュルク・テレコム・アレナ |
2 |
7 |
アタテュルク・オリンピヤト・スタドゥ |
1 |
選手の記録
- スュペル・リグ最多出場
ビュレント・コルクマズ – 430
- スュペル・リグ最多得点
ハカン・シュキュル – 228
- 最多出場
トゥルガイ・シェレン – 631
- 最多得点
メティン・オクタイ – 538
サポーター
ヨーロッパでの試合
ガラタサライのファンはヨーロッパでの大会を重要視しており、ガラタサライはファンによって「欧州の征服者」として知られている。この愛称は、ガラタサライが1999-2000シーズンにUEFAカップとUEFAスーパーカップを制したことから来ている。ガラタサライのファンは、ultrAslanと共に、世界で最も熱狂的なファンとしても知られている。
トルコにおけるガラタサライの人気
メディアの世論調査によると2000年以来、ガラタサライSKはトルコで最も人気のあるチームである。2012年6月に行われた調査では、ガラタサライSKが41.8%で1位、フェネルバフチェSKが35.9%で2位、ベシクタシュJKが16.3%で3位、トラブゾンスポルが4.7%で4位であった[15][16][17][18]。
イスタンブール・ダービー

1909年1月17日にパパズン・チャユルで行われた初の「大陸間ダービー」。
イスタンブールの「ビッグ・スリー」クラブであるベシクタシュJK、フェネルバフチェSK、ガラタサライSKは100年以上ライバル関係にある。ガラタサライとフェネルバフチェのライバル関係は、イスタンブール最大のダービーであり、トルコサッカーにおける最も重要なライバル関係である。このダービーはサポーターにとって象徴的な重要性を持っており、サポーターはダービーに勝利せずにリーグを制したとしても空虚であるとしばしば口にする。以前はサポーター間の暴力などが数え切れない程起こっていたが、近年は減少傾向にある。ダービーの特徴は、満員の観客、試合の間途切れない大音量の声援、キックオフ前にサポーターによる相手チームを嘲る振り付けなどである[19]。その他の1部に所属するイスタンブールのクラブ(イスタンブールBB、カスムパシャSK)とのダービーマッチもあるが、歴史的にはライバル関係は薄く、ビッグスリー同士のダービーのように国内中からの関心は集めない。
タイトル
国内大会
スュペル・リグ:
- 1961-62, 1962-63, 1968-69, 1970-71, 1971-72, 1972-73, 1986-87, 1987-88, 1992-93, 1993-94, 1996-97, 1997-98, 1998-99, 1999-00, 2001-02, 2005-06, 2007-08, 2011-12, 2012-13, 2014-15, 2017-18
テュルキエ・クパス:
- 1963, 1964, 1965, 1966, 1973, 1976, 1982, 1985, 1991, 1993, 1996, 1999, 2000, 2005, 2014, 2015, 2016
スュペル・クパ:
- 1966, 1969, 1972, 1982, 1987, 1988, 1991, 1993, 1996, 1997, 2008, 2012, 2013, 2015
国際大会
UEFAスーパーカップ:
- 2000
UEFAカップ:
- 1999–2000
現存しない国内大会
ミッリ・キュメ・シャムピヨナス:
- 1938–39
バシュバカンルク・クパス:
- 1975, 1979, 1986, 1990, 1995
TSYDカップ:
- 1963, 1966, 1967, 1970, 1977, 1981, 1987, 1991, 1992, 1997, 1998, 1999
アタテュルク・ガズィ・カップ:
- 1928
50. Yıl カップ:
- 1973
現存しない地域大会
イスタンブール・フトボル・リギ:
- 1908–09, 1909–10, 1910–11, 1914–15, 1915–16, 1921–22, 1924–25, 1925–26, 1926–27, 1928–29, 1930–31, 1948–49, 1954–55, 1955–56, 1957–58
イスタンブール・フトボル・クパス:
- 1942, 1943
イスタンブール・シルディ:
- 1932–33
ユニオン・クラブ・カップ:
- 1909
過去の成績
シーズン |
ディビジョン |
テュルキエ・クパス |
欧州カップ |
|||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ | 順位 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 |
||||
1992-93 |
TS | 1位 | 30 | 20 | 6 | 4 | 74 | 21 | 66 | 優勝 | UC | ベスト16 |
1993-94 |
TS | 1位 | 30 | 22 | 4 | 4 | 67 | 28 | 70 | 準優勝 | CL | 準々決勝敗退 |
1994-95 |
TS | 3位 | 34 | 21 | 6 | 7 | 76 | 38 | 69 | 準優勝 | CL | GS敗退 |
1995-96 |
TS | 4位 | 34 | 21 | 5 | 8 | 67 | 38 | 68 | 優勝 | UC | 予選ラウンド敗退 |
1996-97 |
TS | 1位 | 34 | 25 | 7 | 2 | 90 | 30 | 82 | ベスト16 | CWC | ベスト16 |
1997-98 |
TS | 1位 | 34 | 23 | 6 | 5 | 86 | 43 | 75 | 準優勝 | CL | GS敗退 |
1998-99 |
TS | 1位 | 34 | 23 | 9 | 2 | 85 | 30 | 78 | 優勝 | CL | GS敗退 |
1999-00 |
TS |
1位 |
34 |
24 |
7 |
3 |
77 |
23 |
79 |
優勝 |
CL |
GS敗退 |
UC |
優勝 |
|||||||||||
2000-01 |
TS | 2位 | 34 | 23 | 4 | 7 | 77 | 35 | 73 | 準決勝敗退 | CL | 準々決勝敗退 |
2001-02 |
TS | 1位 | 34 | 24 | 6 | 4 | 75 | 31 | 78 | ベスト32 | CL | ベスト16 |
2002-03 |
TS | 2位 | 34 | 24 | 5 | 5 | 61 | 27 | 77 | 準々決勝敗退 | CL | GS敗退 |
2003-04 |
TS |
6位 |
34 |
15 |
9 |
10 |
56 |
47 |
54 |
ベスト16 |
CL |
GS敗退 |
UC |
ベスト32 |
|||||||||||
2004-05 |
TS | 3位 | 34 | 24 | 4 | 6 | 64 | 25 | 76 | 優勝 | ||
2005-06 |
TS | 1位 | 34 | 26 | 5 | 3 | 82 | 34 | 83 | 準々決勝敗退 | UC | 1回戦敗退 |
2006-07 |
TS | 3位 | 34 | 15 | 11 | 8 | 58 | 37 | 56 | 準々決勝敗退 | CL | GS敗退 |
2007-08 |
TS | 1位 | 34 | 24 | 7 | 3 | 64 | 23 | 79 | 準決勝敗退 | UC | GS敗退 |
2008-09 |
TS |
5位 |
34 |
17 |
8 |
9 |
57 |
39 |
61 |
準々決勝敗退 |
CL |
予選3回戦敗退 |
UC |
ベスト16 |
|||||||||||
2009-10 |
TS | 3位 | 34 | 19 | 7 | 8 | 61 | 35 | 64 | 準々決勝敗退 | EL | ベスト32 |
2010-11 |
TS | 8位 | 34 | 14 | 4 | 16 | 41 | 46 | 46 | 準々決勝敗退 | EL | プレーオフ敗退 |
2011-12 |
TS | 1位 | 34 | 23 | 8 | 3 | 69 | 24 | 77 | ベスト16 | ||
2012-13 |
TS | 1位 | 34 | 21 | 8 | 5 | 66 | 35 | 71 | 5回戦敗退 | CL | 準々決勝敗退 |
2013-14 |
TS | 2位 | 34 | 18 | 11 | 5 | 59 | 32 | 65 | 優勝 | CL | ベスト16 |
2014-15 |
TS | 1位 | 34 | 24 | 5 | 5 | 60 | 35 | 77 | 優勝 | CL | GS敗退 |
2015-16 |
TS |
6位 |
34 |
13 |
12 |
9 |
69 |
49 |
51 |
優勝 |
CL |
GS敗退 |
EL |
ベスト32 |
|||||||||||
2016-17 |
TS | 4位 | 34 | 20 | 4 | 10 | 65 | 40 | 64 | ベスト16 | ||
2017-18 |
TS | 1位 | 34 | 24 | 3 | 7 | 75 | 33 | 75 | 準決勝敗退 | EL | 予選2回戦敗退 |
2018-19 |
TS |
位 |
34 |
CL |
GS敗退 |
|||||||
EL |
ベスト32 |
現所属メンバー
- 2018-19シーズン フォーメーション
# 1
# 2
# 43
# 4
# 55
# 17
# 25
# 10
# 21
# 7
# 9
2019年2月1日現在
|
|
※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権を示す。
- 監督
ファティ・テリム
ローン移籍
- in
|
|
- out
|
|
リザーブ
|
歴代監督
オズカン・シュメル 1982-1983
トミスラヴ・イビッチ 1983-1984
ユップ・デアヴァル 1984-1987
ムスタファ・デニズリ 1987-1989
ジークフリート・ヘルト 1989-1990
ムスタファ・デニズリ 1990-1992
カール・ハインツ・フェルカンプ 1992-1993
ラインハルト・ザフティク 1994-1995
グレアム・スーネス 1995-1996
ファティ・テリム 1996-2000
ミルチェア・ルチェスク 2000-2002
ファティ・テリム 2002-2004
ゲオルゲ・ハジ 2004-2005
エリック・ゲレツ 2005-2007
カール・ハインツ・フェルドカンプ 2007-2008
ミヒャエル・スキッベ 2008
ビュレント・コルクマズ 2009
フランク・ライカールト 2009-2010
ゲオルゲ・ハジ 2010-2011
ファティ・テリム 2011-2013
ロベルト・マンチーニ 2013-2014
チェーザレ・プランデッリ 2014
ハムザ・ハムザオール 2014-2015
ムスタファ・デニズリ 2015-2016
ヤン・オルデ・リーケリンク 2016-2017
イゴール・トゥドール 2017
ファティ・テリム 2017-
歴代所属選手
アリフ・エルデム
ウミト・カラン
エルギュン・ペンベ
ネジャーティ・アテシュ
GK
ブラッド・フリーデル 1995-1996
クラウディオ・タファレル 1998-2001
ファリド・モンドラゴン 2001-2007
リチャード・キングソン 2003-2005
モルガン・デ・サンクティス 2008-2009
レオ・フランコ 2009-2010
フェルナンド・ムスレラ 2011-
DF
|
|
MF
|
|
FW
|
|
脚注
^ “Loudest crowd roar at sports stadium”. Guinness World Records 2013. 2013年3月16日閲覧。
^ Harris, Nick (2010年9月14日). “How Galatasaray became the world’s No1 sports team on Facebook”. Sportingintelligence. 2013年3月16日閲覧。
^ “Galatasaray”. Brand Finance. 2013年3月16日閲覧。
^ Tekil, Süleyman (1983). Galatasaray, Dünden Bugüne 1905–1982. İstanbul: Arset Matbaacılık Kollektif Şti. pp. 1–13.
^ “Founding”. Galatasaray Sports Club Official Website. 2007年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月16日閲覧。
^ “History of Turkish football”. Tff.org. (2007年11月21日). http://www.tff.org/default.aspx?pageID=497 2013年3月16日閲覧。
^ “Information about Turkish Cup”. Tff.org. (2007年11月20日). http://www.tff.org/default.aspx?pageID=411
^ “News about Galatasaray Match”. BBC.co.uk. (2007年10月18日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/sport/football/744728.stm
^ asp stuttgart
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参考文献
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外部リンク
(トルコ語) (英語) (フランス語) Galatasaray Sports Club Official Website
(トルコ語) (英語) (フランス語) Galatasaray Sports Club Official Facebook
(トルコ語) ultrAslan Supporters' Group
(トルコ語) Galatasaray Multimedia Archives
(トルコ語) Galatasaray SK (@GalatasaraySK) - Twitter
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