東映テレビ・プロダクション























































株式会社東映テレビ・プロダクション
Toei TV Production Co., Ltd.
種類
株式会社
略称
東映テレビプロ、東映TVP、TTP
本社所在地
日本の旗 日本
178-0063
東京都練馬区東大泉二丁目34番5号
設立
1959年11月2日
業種
サービス業
法人番号
6011601004655
事業内容
テレビ映画の製作
代表者
代表取締役社長 日笠淳
資本金
2,000万円
発行済株式総数
4万株
主要株主
東映
特記事項:第29回日本アカデミー賞協会特別賞受賞
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株式会社東映テレビ・プロダクション(とうえいテレビ・プロダクション、英語: Toei TV Production Co., Ltd.[1])は、日本のテレビ映画製作会社である[2][3][4][5][6][7][8]。略称は東映テレビプロ[8][9]東映TVPおよびTTP。東映の100%子会社である[6]


かつて存在した映画配給会社・第二東映の前身である同名企業とは、別の会社である[2][3][10][11][12]




目次






  • 1 沿革


  • 2 概要


    • 2.1 前史・黎明期


    • 2.2 テレビ映画を量産




  • 3 企業データ


  • 4 フィルモグラフィ


    • 4.1 テレビシリーズ


    • 4.2 劇場用映画




  • 5 おもな協力会社


  • 6 脚注


    • 6.1 注釈


    • 6.2 出典




  • 7 参考文献


  • 8 関連項目


  • 9 外部リンク





沿革



  • 1958年5月 - 東映が本社に「テレビ課」を置く[10][11]
    • 同年7月 - 旧・株式会社東映テレビ・プロダクションを設立[10][11]


  • 1959年2月 - 旧・株式会社東映テレビ・プロダクションを東映テレビ映画株式会社と商号変更[2][3]

    • 同年5月8日 - 東映テレビ映画を第二東映株式会社と商号変更[2][3][12](同社は1961年12月東映に吸収[12]

    • 同年11月2日 - 新たに株式会社東映テレビ・プロダクションを設立(現行)[2][3][4]



  • 2003年4月1日 - 東映大泉ビデオスタジオを合併[13]

  • 2003年6月 - 生田篤が代表取締役に就任[14]

  • 2009年11月 - 白倉伸一郎が代表取締役に就任[15]

  • 2014年6月 - 日笠淳が代表取締役に就任(現行)



概要



前史・黎明期



東映は、1957年(昭和32年)11月、関係会社として日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日ホールディングス)を設立、翌1958年(昭和33年)5月には本社に「開発部テレビ課」を設置、同年7月には、テレビ映画の製作会社として株式会社東映テレビ・プロダクション(旧社)を設立している[10][11][16]。NETテレビは、1959年(昭和34年)2月に本放送を開始[16]、同月、東映は、旧・株式会社東映テレビ・プロダクションを「東映テレビ映画株式会社」と商号変更、テレビ映画を製作するとともに、放映後のテレビ映画を各劇場に配給する会社とした[3]。同社が京都撮影所で製作した連続テレビ映画が『風小僧』(主演目黒ユウキ、全48回)であり、同作は同年同月3日にNETテレビ、同年3月3日に大阪の毎日放送テレビで放映を開始した[3][11][17][18]。同作は、東映初のテレビ映画であるとされる[3][11][18]。しかしながら、その3か月後には、同社は、東映の東京撮影所・京都撮影所の生産力を増強し、第二番線として配給するため、「東映テレビ映画株式会社」は「第二東映株式会社」へとさらなる商号変更を行った[2][3]



旧・テレビプロがこのようにして配給会社に転換、その自主性を確保するため、テレビ映画の製作事業を行う製作母体として、同年11月2日、新たに株式会社東映テレビ・プロダクションを設立した[2][3][4]。設立当初の本社は、東京都中央区京橋(当時)の東映と同一に置き、製作所を練馬区東大泉町(現在の東大泉)の東京撮影所内に置いた[2][注釈 1]。資本金は50万円(当時)であった[2]。いっぽう京都撮影所では、1964年(昭和39年)2月、テレビ時代劇のために東映京都テレビ・プロダクションを設立(1990年解散)、同年7月24日に放映を開始した『忍びの者』(主演品川隆二、全52回)を第1回作品として製作した[17][19]。1965年(昭和40年)11月6日、東映は、東映テレビ・プロダクションとは別に、PR映画やテレビ映画の受注製作を目的とした東映東京制作所(1965年 - 1985年)を東京撮影所内に設立している[20][21][注釈 2]。『スパイキャッチャーJ3』(1965年 - 1966年)、『キイハンター』(1968年 - 1973年、全262回)、あるいは「東映不思議コメディーシリーズ」(1981年 - 1993年)を製作したのは、東映テレビ・プロダクションではなく、初期においては東映東京制作所、後期(1985年以降)においてはその後身である東映東京撮影所第二企画製作部である。



テレビ映画を量産


東映は、1978年(昭和53年)1月20日、東京撮影所内に東映大泉ビデオスタジオを設立、テレビ用のマルチ撮影の可能なステージ(V1・V2ステージ)を増設した[22][23]。同ステージはもっぱら社外へ貸し出され、『翔んだカップル』(1980年10月3日放送開始、全27回)、『セーラー服と機関銃』(1982年7月5日放送開始、全11回)等が同社のステージで収録された[24]。2003年(平成15年)4月1日には、東映テレビ・プロダクションは東映大泉ビデオスタジオを合併、前者が存続会社として残った[13]。2006年(平成18年)には『時効警察』(製作メディアミックス・ジャパン)にスタジオを提供している[25]


2006年(平成18年)3月3日に発表・授賞式が行われた第29回日本アカデミー賞で「協会特別賞」を円谷プロダクション、西尾昇(1923年 - )、李鳳宇(1960年 - )とともに受賞した[26]


2015年(平成27年)6月現在、東京撮影所内の東映テレビ・プロダクション用レギュラーステージは、No.1・2・11・12・18・19である[27]。通常手がけているテレビ映画、たとえば『仮面ライダーアギト』(2001年)や同じく『仮面ライダー龍騎』(2002年)の劇場版の際には、「制作協力」としてクレジットされる[8]



企業データ



  • 社名 : 株式会社東映テレビ・プロダクション

  • 所在地 : 東京都練馬区東大泉2丁目34番5号

  • 代表取締役社長 : 日笠淳
    • 専務取締役製作所長 : 小嶋雄嗣


  • 事業内容 : テレビ映画の製作[4][6]

  • 資本金 : 2,000万円(2000年[13][4] - 2015年[6]

  • 設立 : 1959年11月2日[3][4]



フィルモグラフィ



テレビシリーズ







  • 『ナショナルキッド』 : 1960年8月4日 - 1961年4月27日放映(全39回)

  • 『少年ケニヤ』 : 1961年5月4日 - 1962年2月8日放映(全41回)

  • 『特別機動捜査隊』 : 1961年10月11日 - 1977年3月30日放映(全801回)

  • 『戦友』 : 1963年10月1日 - 1964年3月24日放映(全26回)

  • 『廃虚の唇』 : 1964年4月2日 - 同年9月24日放映(全26回)

  • 『特命諜報207』 : 1964年6月16日 - 同年11月17日放映(全22回)

  • 『悪魔のようなすてきな奴』 : 1964年10月1日 - 1965年4月1日放映(全26回)

  • 『風来物語』 : 1964年11月28日 - 1965年5月22日放映(全26回)

  • 『アスファルトジャングル』 : 1965年4月8日 - 同年9月30日放映(全26回)

  • 『乗っていたのは27人』 : 1965年5月29日 - 同年11月13日放映(全25回)

  • 『くらやみ五段』 : 1965年9月7日 - 1966年3月1日放映(全26回)

  • 『悪の紋章』 : 1965年10月7日 - 1966年3月31日放映(全26回)

  • 『嵐のなかでさよなら』 : 1966年4月24日 - 同年10月16日放映(全26回)

  • 『今井正アワー』 : 1966年6月18日 - 同年9月24日 / 同年11月27日 - 同年12月25日放映(全20回)

  • 『アタック拳』 : 1966年10月2日 - 1967年1月1日放映(全14回)

  • 『ある勇気の記録』 : 1966年10月7日 - 1967年5月26日放映(全34回)

  • 『あゝ同期の桜』 : 1967年4月6日 - 同年9月28日放映(全26回)

  • 『白い巨塔』 : 1967年4月8日 - 同年9月29日放映(全26回)

  • 『青空に叫ぼう』 : 1967年7月5日 - 1968年3月27日放映(全39回)

  • 『とぼけた奴ら』 : 1967年10月6日 - 1968年3月29日放映(全26回)

  • 『七つの顔の男』 : 1967年10月29日 - 1968年1月21日放映(全13回)

  • 『青い太陽』 : 1968年4月3日 - 同年9月25日放映(全25回)

  • 『河童の三平 妖怪大作戦』 : 1968年10月4日 - 1969年3月28日放映(前半1クールのみ[28]

  • 『裸の町』 : 1968年10月5日 - 同年12月28日放映(全25回)

  • 『絢爛たる復讐』 : 1969年2月11日 - 同年5月6日放映(全13回)

  • 『頑張れ!かあちゃん』 : 1969年4月3日 - 同年9月25日放映(全26回)

  • 『五番目の刑事』 : 1969年10月2日 - 1970年3月26日放映(全25回)

  • 『打ち込め! 青春』 : 1971年1月7日 - 4月1日放映(全13回)

  • 『お待ちどおさま』 : 1971年4月8日 - 7月8日放映(全13回)

  • 『太陽の恋人』 : 1971年7月22日 - 10月14日放映(全13回)

  • 『ターゲットメン』 : 1971年10月9日 - 1972年1月1日放映(全13回)

  • 『冠婚葬祭屋』 : 1972年1月8日 - 4月1日放映(全13回)

  • 『さすらいの狼』 : 1972年4月5日 - 同年9月27日放映(全26回)

  • 『人造人間キカイダー』 : 1972年7月8日 - 1973年5月5日放映(全43回)

  • 『どっこい大作』 : 1973年1月8日 - 1974年3月25日放映(全62回[29]

  • 『非情のライセンス』第1シリーズ : 1973年4月5日 - 1974年3月28日放映(全52回)

  • 『キカイダー01』 : 1973年5月12日 - 1974年3月30日放映(全46回)

  • 『旗本退屈男』 : 1973年5月12日 - 1974年3月30日放映(全25回)

  • 『ザ・ボディガード』 : 1974年4月4日 - 9月26日放映(全26回)

  • 『非情のライセンス』第2シリーズ : 1974年10月3日 - 1977年3月31日放映(全124回)

  • 『がんばれ!!ロボコン』 : 1974年10月4日 - 1977年3月25日放映(全118回)

  • 『正義のシンボル コンドールマン』 : 1975年3月31日 - 同年9月22日放映(全24回)

  • 『ザ★ゴリラ7』 : 1975年4月4日 - 10月3日放映(全26回)

  • 『燃える捜査網』 : 1975年10月10日 - 1976年1月16日放映(全14回)

  • 『大非常線』 : 1976年1月23日 - 1976年3月26日放映(全10回)

  • 『忍者キャプター』 : 1976年4月7日 - 1977年1月26日放映(全43回)

  • 『ベルサイユのトラック姐ちゃん』 : 1976年4月30日 - 9月17日放映(全19回)

  • 『ぐるぐるメダマン』 : 1976年7月10日 - 1977年1月29日放映(全28回)

  • 『快傑ズバット』 : 1977年2月2日 - 9月28日放映(全32回)

  • 『特捜最前線』 : 1977年4月6日 - 1987年3月26日放映(全509回)

  • 『ロボット110番』 : 1977年4月8日 - 12月30日放映(全37回)

  • 『冒険ファミリー ここは惑星0番地』 : 1977年9月6日 - 1978年1月24日放映(全20回)

  • 『野望』 : 1977年10月6日 - 1978年3月28日放映(全24回)

  • 『がんばれ!レッドビッキーズ』 : 1978年1月6日 - 12月29日放映(全48回)

  • 『燃えろアタック』 : 1979年1月5日 - 1980年7月11日放映(全71回)


  • スーパー戦隊シリーズ

    • 『バトルフィーバーJ』 : 1979年2月3日 - 1980年1月26日放映(全52回)

    • 『電子戦隊デンジマン』 : 1980年2月2日 - 1981年1月31日放映(全51回)

    • 『太陽戦隊サンバルカン』 : 1981年2月7日 - 1982年1月30日放映(全50回)

    • 『大戦隊ゴーグルファイブ』: 1982年2月6日 - 1983年1月29日放映(全50回)

    • 『科学戦隊ダイナマン』 : 1983年2月5日 - 1984年1月28日放映(全51回)

    • 『超電子バイオマン』 : 1984年2月4日 - 1985年1月26日放映(全51回)

    • 『電撃戦隊チェンジマン』 : 1985年2月2日 - 1986年2月22日放映(全55回)

    • 『超新星フラッシュマン』 : 1986年3月1日 - 1987年2月21日放映(全50回)

    • 『光戦隊マスクマン』 : 1987年2月28日 - 1988年2月20日放映(全51回)

    • 『超獣戦隊ライブマン』 : 1988年2月27日 - 1989年2月18日放映(全49回)



  • 『鉄道公安官』 : 1979年4月9日 - 1980年3月17日放映(全42回)

  • 『騎馬奉行』 : 1979年10月2日 - 1980年3月25日放映(全26回)

  • 『非情のライセンス』第3シリーズ : 1980年5月1日 - 12月4日放映(全26回)

  • 『それゆけ!レッドビッキーズ』 : 1980年8月29日 - 1981年3月28日放映(全77回)


  • メタルヒーローシリーズ

    • 『宇宙刑事ギャバン』 : 1982年3月5日 - 1983年2月25日放映(全44回)

    • 『宇宙刑事シャリバン』 : 1983年3月4日 - 1984年2月24日放映(全51回)

    • 『宇宙刑事シャイダー』 : 1984年3月2日 - 1985年3月8日放映(全49回)

    • 『巨獣特捜ジャスピオン』 : 1985年3月15日 - 1986年3月24日放映(全46回)

    • 『時空戦士スピルバン』 : 1986年4月7日 - 1987年3月9日放映(全44回)

    • 『超人機メタルダー』 : 1987年3月16日 - 1988年1月17日放映(全39回)

    • 『世界忍者戦ジライヤ』 : 1988年1月24日 - 1989年1月22日放映(全50回)



  • 『星雲仮面マシンマン』 : 1984年1月13日 - 9月28日放映(全36回)

  • 『兄弟拳バイクロッサー』 : 1985年1月10日 - 9月26日放映(全38回)

  • 『大都会25時』 : 1987年4月22日 - 9月23日放映(全23回)

  • 『仮面ライダーBLACK』 : 1987年10月4日 - 1988年10月9日放映(全51回)

  • 『ベイシティ刑事』 : 1987年10月7日 - 1988年3月23日放映(全24回)

  • 『仮面ライダーBLACK RX』 : 1988年10月23日 - 1989年9月24日放映(全47回)



劇場用映画


初期における製作物の一覧である[30][31][32][33]。現行における「制作協力」は含まない。



  • 『まぼろし峠』 : 企画野坂和馬、監督藤原杉雄、主演岩井半四郎、配給第二東映、1960年3月8日公開

  • 『まぼろし峠 完結篇』 : 企画野坂和馬、監督藤原杉雄、主演岩井半四郎、配給第二東映、1960年3月15日公開

  • 『風小僧 風雲虹ヶ谷』 : 企画小笠原久夫、監督仲木睦、主演山城新伍、配給第二東映、1960年3月22日公開

  • 『白馬童子 南蛮寺の決斗』 : 企画吉辺恒生、監督仲木睦、主演山城新伍、配給第二東映、1960年3月29日公開

  • 『浪曲国定忠治 赤城の子守唄』 : 企画野坂和馬、監督冬島泰三、主演若杉恵之介、配給第二東映、1960年4月5日公開

  • 『白馬童子 南蛮寺の決斗 完結篇』 : 企画吉辺恒生、監督仲木睦、主演山城新伍、配給第二東映、1960年4月12日公開

  • 『浪曲国定忠治 血煙り信州路』 : 企画野坂和馬、監督冬島泰三、主演若杉恵之介、配給第二東映、1960年4月19日公開

  • 『青空街道』 : 企画松丸青史、監督藤田潤一、主演倉田爽平、配給第二東映、1960年5月3日公開

  • 『青空街道 完結篇』 : 企画松丸青史、監督藤田潤一、主演倉田爽平、配給第二東映、1960年5月10日公開

  • 『風小僧 風流河童剣』 : 企画小笠原久夫、監督仲木睦、主演山城新伍、配給第二東映、1960年5月17日公開

  • 『風小僧 流星剣の舞』 : 企画小笠原久夫、監督仲木睦、主演山城新伍、配給第二東映、1960年5月24日公開

  • 『浪曲権三と助十 ゆうれい駕籠』 : 企画松丸青史、監督冬島泰三、主演倉田爽平、配給第二東映、1960年6月7日公開

  • 『浪曲権三と助十 呪いの置手紙』 : 企画松丸青史、監督冬島泰三、主演倉田爽平、配給第二東映、1960年6月14日公開

  • 『河童の三平 妖怪大作戦』 : 製作宮崎慎一・平山亨・斎藤頼照、監督北村秀敏、特撮監督矢島信男、原作水木しげる、脚本伊上勝、主演金子吉延、配給東映、1968年12月19日公開(短篇映画・東映ちびっ子まつり)

  • 『柔道一直線』 : 企画橋本洋二・平山亨・斎藤頼照、監督奥中惇夫、原作梶原一騎・永島慎二、脚本上原正三、主演桜木健一、配給東映、1970年7月19日公開(短篇映画・東映まんがまつり)

  • 『フィンガー5の大冒険』 : 製作相原芳男・小沢啓一郎、企画渡辺亮徳・市橋健司、監督石森章太郎、脚本飯島敬、主演フィンガー5、配給東映、1974年7月25日公開(短篇映画・フィンガー5と遊ぼう! 東映まんがまつり)



おもな協力会社



  • 特撮研究所

  • 大泉音映

  • 原田サウンド

  • 東京美工

  • 装美社

  • 日本映像クリエイティブ

  • レインボー造型企画

  • タケシレーシング

  • ブル

  • ジャパンアクションエンタープライズ



脚注


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注釈





  1. ^ 東映生田スタジオ所長などを務めた内田有作は、社員はほとんどおらず、外部の契約社員が主体であったことを証言している[9]


  2. ^ 同所管理課長を務めた内田有作は、組合運動の指導的メンバーを隔離する目的もあったと証言している[9]




出典





  1. ^ CONTENTS, 東映 (英語)、2015年6月22日閲覧。

  2. ^ abcdefghi年鑑[1961], p.139, 288.

  3. ^ abcdefghijk東映[1962], p.254-261.

  4. ^ abcdef年鑑[2013], p.288.


  5. ^ 関係会社、東映、2015年6月22日閲覧。

  6. ^ abcd第92期定時株主総会招集ご通知、東映、2015年6月10日付、2015年6月22日閲覧。


  7. ^ Toei Television Production, インターネット・ムービー・データベース (英語)、2015年6月22日閲覧。

  8. ^ abc東映テレビ・プロ東映テレビプロダクション、文化庁、2015年6月22日閲覧。

  9. ^ abc仮面ライダー怪人大画報 2016, pp. 172-175, 「仮面ライダーを育て上げた三賢人III 実務の賢者 内田有作」

  10. ^ abcd田中[1980], p.273.

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  12. ^ abc東北東映興業整理解雇事件、インターネット判例、1969年11月28日付、2015年6月22日閲覧。

  13. ^ abc東映テレビプロと大泉ビデオスタジオ合併、インプレス、2003年4月10日付、2015年6月22日閲覧。


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  15. ^ 『キカイダー』は日本人のカリカチュアだ、東洋経済新報社、2014年6月4日付、2015年6月22日閲覧。

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  18. ^ ab風小僧、テレビドラマデータベース、2015年6月22日閲覧。


  19. ^ 忍びの者、テレビドラマデータベース、2015年6月22日閲覧。


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  21. ^ 年鑑[1984], p.215.


  22. ^ 年鑑[1993], p.267.


  23. ^ V1・V2、東映東京撮影所、2015年6月22日閲覧。


  24. ^ 東映大泉ビデオスタジオ - テレビドラマデータベース、2015年6月22日閲覧。


  25. ^ 時効警察、テレビドラマデータベース、2015年6月22日閲覧。


  26. ^ 第29回日本アカデミー賞、日本アカデミー賞、2015年6月22日閲覧。


  27. ^ 東映東京撮影所、東映、2015年6月22日閲覧。


  28. ^ 『泣き虫プロデューサーの遺言状 ~TVヒーローと歩んだ50年~』105 - 106頁。予算厳守の体質に「やる気がない」と激怒した平山亨が、2クール目からの下請けを東映東京制作所に変更。


  29. ^ 労働争議の関係で、東映生田スタジオが下請けを担当。


  30. ^ 1960年 公開作品一覧 581作品、日本映画データベース、2015年6月22日閲覧。


  31. ^ 1968年 公開作品一覧 482作品、日本映画データベース、2015年6月22日閲覧。


  32. ^ 1970年 公開作品一覧 365作品、日本映画データベース、2015年6月22日閲覧。


  33. ^ 1974年 公開作品一覧 341作品、日本映画データベース、2015年6月22日閲覧。




参考文献



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  • 『東映十年史』、東映、1962年発行

  • 『映画年鑑 1967』、時事通信社、1967年発行

  • 『日本映画発達史 IV 史上最高の映画時代』、田中純一郎、中央公論社、1980年5月16日 ISBN 4124013248

  • 『映画年鑑 1984』、時事映画通信社、1984年発行

  • 『メディアの熟成 情報産業成長史論』、野崎茂、東洋経済新報社、1989年8月発行 ISBN 4492760733

  • 『映画年鑑 1993』、時事映画通信社、1993年発行

  • 『私の履歴書 経済人 38』、日本経済新聞社、2004年6月1日発行

  • 『映画年鑑 2013』、時事映画通信社、2013年発行

  • 『宇宙船別冊 仮面ライダー怪人大画報2016』 ホビージャパン〈ホビージャパンMOOK〉、2016年3月28日。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
    ISBN 978-4-7986-1202-7。



関連項目



  • 東映京都テレビ・プロダクション

  • 東映企画プロモーション

  • 東映東京制作所

  • 東映大泉ビデオスタジオ

  • 東映太秦映像

  • 第二東映



外部リンク




  • Toei Television Production - IMDbPro(英語) (要会員登録)


  • 東映テレビ・プロ - 文化庁日本映画情報システム


  • 東映テレビプロダクション - 文化庁日本映画情報システム


  • 東映テレビプロダクション - テレビドラマデータベース





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