中国四大美人
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中国四大美人(ちゅうごくしだいびじん)とは、中国の歴史上において特に美人とされる四人の女性のこと。
一般に中国四大美人と呼ばれるのは以下の女性たちである。
西施(春秋時代)
王昭君(前漢)
貂蝉(後漢)
楊貴妃(唐)
ただし、このほかに卓文君(前漢)を加え、王昭君を除くこともある。また虞美人(秦末)を加え、貂蝉を除くこともある。
目次
1 沈魚落雁閉月羞花
1.1 沈魚美人
1.2 落雁美人
1.3 閉月美人
1.4 羞花美人
2 関連項目
沈魚落雁閉月羞花
沈魚落雁・閉月羞花でそれぞれ絶世の美人を表す四字熟語になるが、画題として扱う場合は「沈魚美人」「落雁美人」「閉月美人」「羞花美人」と呼ばれる四人の伝説的な美女を連作した物を言う。また、俗説では絶世の美女である彼女達にも一点ずつ欠点があったとも言われる。
沈魚美人
西施。
貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光(西施)は谷川で洗濯をしている姿を見出されて越国の王宮へ召しだされた。たとえ乱れ髪で粗末な格好をしていても美しいと評された西施の美貌に迷い、呉の王夫差は越の狙いどおり国を傾けてしまう。彼女が川で洗濯をする姿に見とれて魚達は泳ぐのを忘れてしまったと言われる。俗説では、大足が欠点であったという。なお、最初と呼ばれる沈魚美人は毛嬙。
落雁美人
王昭君。
前漢時代、異民族の懐柔のために後宮の女性を下賜することが決まり、国のために異邦に嫁いだ女性。旅の途中、故郷の方向へ飛んでいく雁を見ながら望郷の思いをこめて琵琶をかき鳴らした所、彼女の姿と悲しい調べに魅入られて雁が次々に落ちてきたと言われる。俗説では、撫で肩が欠点であったという。なお、最初と呼ばれる落雁美人は麗姫。
閉月美人
貂蝉。
『三国志演義』で有名だが、正史には登場しない架空の人物である。
猛将呂布の手で悪臣董卓を誅殺させるために養父によって離間策に利用された。董卓の養子であるにも関わらず呂布は一度は婚礼の約束もした貂蝉を想うあまりに董卓を殺してしまう。天下を憂いて物思いに耽る姿のあまりの美しさに、月が恥じて雲に隠れてしまったと言われる。俗説では、耳の小さいことが欠点であったという。
羞花美人
楊貴妃。
初め、唐の太子の夫人だったが舅である玄宗皇帝に寵愛されて皇后に継ぐ貴妃の地位を得た。皇帝の寵愛を笠に彼女の一族が専横を始めたため、地位を危ぶんだ安禄山が反乱を起こし、楊一族は亡命の途中に兵士の憎悪を受けて殺害され楊貴妃も首を括られた。彼女が後宮を散歩すると庭の花が妃の美貌と体から発する芳香に気圧されてしぼんでしまったと言われる。俗説では、腋臭が欠点であったという。
関連項目
- 世界三大美人