アルベルト・ディ・ジュッサーノ (軽巡洋艦)
艦歴 | |
---|---|
発注: |
|
起工: |
1928年3月29日 |
進水: |
1930年4月27日 |
就役: |
1931年2月5日 |
退役: |
|
その後: |
1941年12月13日戦没 |
除籍: |
|
性能諸元 | |
排水量: |
基準 5,191トン |
全長: |
169.3 m |
全幅: |
15.5 m |
吃水: |
5.3 m |
機関: |
|
最大速: |
37ノット (67 km/h) |
兵員: |
507名 |
兵装: |
53口径15.2cm連装砲4基 連装魚雷発射管2基 |
アルベルト・ディ・ジュッサーノ(Alberto di Giussano)はイタリア海軍の軽巡洋艦。アルベルト・ディ・ジュッサーノ級軽巡洋艦の1番艦で、ジェノヴァのアンサルド社で建造され1931年に竣工、第二次世界大戦で戦没した。
艦歴
1928年3月29日に起工。 1930年4月27日に進水し、1931年2月5日に竣工した。
1940年7月9日、戦艦コンテ・ディ・カブール、カイオ・ジュリオ・チェザーレなどとカラブリア沖海戦に参加した。
8月にはパンテレリア島沖で機雷を敷設した。その後は北アフリカへの輸送船団の支援に当たっていた。
1941年12月9日夕方、アルベルト・ディ・ジュッサーノはアルベリコ・ダ・バルビアーノと北アフリカのドイツ軍への補給のためにパレルモを出撃した。だが、シチリア島トラーパニ沖でイギリス軍機に発見され攻撃を受けたため、2隻はパレルモへと引き返した。
12月12日夕方、ガソリンなどの物資を搭載した2隻は護衛の水雷艇チーニョと再度出撃したがまたしてもイギリス軍機に発見されてしまう。これにより約1時間の遅れが生じイギリス艦隊に捕捉されてしまうこととなった。13日3時20分過ぎ、2隻はイギリスの駆逐艦シーク、マオリ、リージョン、オランダの駆逐艦イサーク・スウェールズの奇襲を受ける。3本の魚雷が命中したアルベルト・ディ・ジュッサーノは沈没、またアルベリコ・ダ・バルビアーノも撃沈された。この戦闘はボン岬沖海戦といった。
|