浅口郡









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岡山県浅口郡の位置(緑:里庄町)


浅口郡(あさくちぐん)は、岡山県(備中国)の郡。


人口10,985人、面積12.23km²、人口密度898人/km²。(2018年10月1日、推計人口)


以下の1町を含む。



  • 里庄町(さとしょうちょう)



目次






  • 1 郡域


  • 2 歴史


    • 2.1 近世以降の沿革


    • 2.2 町村制以降の沿革


    • 2.3 変遷表




  • 3 脚注


  • 4 参考文献


  • 5 関連項目





郡域


1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、下記の区域にあたる。




  • 倉敷市の一部(水島海岸通、水島高砂町、水島青葉町、水島南幸町、水島北幸町、水島南春日町、水島北春日町、水島南緑町、水島北緑町、水島東川町、連島町連島、西阿知町新田、西阿知町、船穂町水江、船穂町柳井原、船穂町船穂、玉島陶より南西)


  • 笠岡市の一部(大島中・西大島・西大島新田)


  • 浅口市の全域



歴史


716年(霊亀2年)、『続日本紀』8月癸亥の条で初見。備中国には都宇、窪屋、浅口、小田、後月、下道、賀夜、英賀、哲多の9郡をおいたとされる。浅口郡には八郷(阿知郷・間人郷・船穂郷・占見郷・川村郷・小坂郷・林郷・大島(嶋)郷)。郡衙推定地は不詳である。


かつては、郡域の南部は海域であり、大島、柏島、乙島などの島嶼が存在し、大島と本州側は水道となっていた。薗水道東部の海域(現在の倉敷市玉島中心部あたり)は「甕の海」「甕の泊」「玉の浦」と呼ばれる入江であった。しかし中世以降の干拓による新田開発により、陸続きとなった。また連島(都羅郷)は、古代においては備前国児島郡に属していたが、後の時代に備中国浅口郡に編入となった。


郡名の由来としては、古代吉備国におかれた県のひとつである波区芸県(はくきのあがた)が変形したものであるという解釈が有力とされる[1]。他に俗説として、郡南部が海域だった時代に、甕の泊に入る際には、出入口の浅い部分が難所となったらしいとのことであり、そこから浅い口の名で呼ばれるようになったとの伝承がある。



近世以降の沿革


  • 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が存在。(63村)






































































知行
村数
村名

幕府領

倉敷代官所
10村
片島村、乙島村、阿賀崎新田村、西組[2]、黒崎村、矢柄村分[3]、西之浦分[4]、西勇崎村[5]、勇崎浜、押山浜

旗本領(交代寄合山崎氏)
4村
西之浦村、●矢柄村、鶴新田村、亀島新田村
旗本領(その他)
1村
佐方村

藩領
備中岡山新田藩
21村
西阿知新田村、七島村、島地[6]、道越村、八重村、上竹新田村、占見新田村、小坂東村、深田村、大島中村、西大島村[7]、東大島[8]、西大島新田[9]、六条院西村、六条院中村、六条院東村、本庄村、小坂西村、鴨方村、口林村、池口[10]

備前岡山藩
10村
西原村、上竹村、下竹[11]、道口[12]、富[13]、亀山村[14]、占見村、地頭下村、地頭上村、益坂村[15]

丹波亀山藩
6村
上船尾村、下船尾村、長尾村、水江村、柳井原村、東勇崎村
備中浅尾藩
3村
大谷村、中島新田[16]、須恵村

摂津麻田藩
3村
下新庄村、上新庄村、浜中村
備中新見藩
2村
大江村、●連島村

備中松山藩
1村
東組[17]
岡山藩・新見藩
1村
西阿知村
亀山藩・松山藩
1村
玉島村



  • 慶応4年


    • 5月16日(1868年7月5日) - 幕府領が倉敷県の管轄となる。


    • 6月20日(1868年8月8日) - 交代寄合山崎氏が立藩して成羽藩となる。



  • 明治元年


    • 12月7日(1869年1月19日) - 松山藩が戊辰戦争後の処分により減封。郡内の領地が倉敷県の管轄となる。

    • 阿賀崎新田村が改称して阿賀崎村となる。



  • 明治2年


    • 6月19日(1869年7月27日) - 丹波亀山藩が改称して亀岡藩となる。


    • 6月25日(1869年8月2日) - 岡山新田藩が改称して鴨方藩となる。



  • 明治3年(1870年) - この年までに旗本領が倉敷県の管轄となる。

  • 明治4年


    • 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が鴨方県岡山県亀岡県成羽県浅尾県麻田県新見県の管轄となる。


    • 11月15日(1871年12月26日) - 第1次府県統合により、全域が深津県の管轄となる。



  • 明治5年6月5日(1872年7月10日) - 小田県の管轄となる。

  • 明治初年 - 中島新田が大谷村に合併。(62村)

  • 明治7年(1874年)(58村)

    • 西組・東組が合併して柏島村となる。

    • 東勇崎村・西勇崎村・勇崎浜が合併して勇崎村となる。

    • 下新庄村・上新庄村が合併して新庄村となる。



  • 明治8年(1875年)(53村)


    • 12月20日 - 第2次府県統合により岡山県の管轄となる。

    • 矢柄村分・西之浦分が合併して北面新田村となる。

    • 口林村・池口が合併して里見村となる。

    • 上船尾村・下船尾村が合併して船穂村となる。

    • 大江村・連島村が合併して大江連島村となる。

    • 島地が七島村に合併。



  • 明治9年(1876年)(52村)

    • 西大島村・西大島新田が合併して大島西村となる。

    • 東大島および六乗院西村の一部(安倉)が合併して寄島村となる。

    • 押山浜が勇崎村に合併。



  • 明治10年(1877年)(46村)

    • 柏島村・勇崎村が合併して柏崎村となる。

    • 七島村・亀山村が合併して八島村となる。

    • 上竹村・下竹が合併して竹村となる。

    • 矢柄村・大江連島村および北面新田村の一部(旧・矢柄村分)が合併して連島村となる。

    • 上竹新田村が八重村に、北面新田村の残部(旧・西之浦分)が西之浦村にそれぞれ合併。



  • 明治11年(1878年)9月29日 - 郡区町村編制法の岡山県での施行により、行政区画としての浅口郡が発足。郡役所が玉島村に設置。

  • 明治12年(1879年)(49村)

    • 柏崎村が分割して柏島村・勇崎村となる。

    • 大島西村が分割して西大島村・西大島新田村となる。

    • 竹村が分割して上竹村・下竹村となる。

    • 富が本村から正式に独立して富村となる。



  • 明治13年(1880年) - 道口が本村から正式に独立して道口村となる。

  • 明治14年(1881年) - 玉島村の一部が分立して上成村・爪崎村となる。(51村)



町村制以降の沿革



  • 明治22年(1889年)6月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(27村)


    • 玉島村 ← 玉島村、上成村(現・倉敷市)


    • 阿賀崎村(単独村制。現・倉敷市)


    • 乙島村(単独村制。現・倉敷市)


    • 柏崎村 ← 柏島村、勇崎村(現・倉敷市)


    • 連島村(連島村の大部分[近世の大江村・連島村]が単独村制)(現・倉敷市)


    • 鶴新田村(単独村制。現・倉敷市)


    • 西之浦村(単独村制。現・倉敷市)


    • 亀島村 ← 亀島新田村、連島村[近世の矢柄村・矢柄村分](現・倉敷市)


    • 甲内村 ← 片島村、西原村(現・倉敷市)


    • 西阿知村 ← 西阿知村、西阿知新田村(現・倉敷市)


    • 船穂村 ← 船穂村、水江村、柳井原村(現・倉敷市)


    • 長尾村 ← 長尾村、爪崎村(現・倉敷市)


    • 池田村 ← 八島村、道越村(現・倉敷市)


    • 道口村 ← 道口村、富村(現・倉敷市)


    • 竹村 ← 上竹村、下竹村、八重村(現・浅口市)


    • 占見村 ← 占見村、占見新田村、地頭下村(現・浅口市)


    • 吉備村 ← 佐方村、須恵村、大谷村(現・浅口市)


    • 津田村 ← 地頭上村、益坂村、本庄村(現・浅口市)


    • 小坂村 ← 小坂東村、小坂西村(現・浅口市)


    • 鴨方村 ← 鴨方村、深田村(現・浅口市)


    • 里見村(単独村制。現・里庄町)


    • 新庄村 ← 新庄村、浜中村(現・里庄町)


    • 西大島村 ← 西大島村、西大島新田村(現・笠岡市)


    • 大島中村(単独村制。現・笠岡市、浅口市)


    • 寄島村(単独村制。現・浅口市)


    • 黒崎村(単独村制。現・倉敷市)


    • 六条院村 ← 六条院西村、六条院東村、六条院中村(現・浅口市)



  • 明治30年(1897年)5月26日 - 玉島村・阿賀崎村が合併して玉島町が発足。(1町25村)

  • 明治33年(1900年)4月1日 - 郡制を施行。

  • 明治34年(1901年)2月6日 - 寄島村が町制施行して寄島町となる。(2町24村)

  • 明治35年(1902年)9月30日(2町21村)

    • 玉島町・乙島村・柏崎村が合併し、改めて玉島町が発足。

    • 甲内村・西阿知村が合併して河内村が発足。



  • 明治36年(1903年)


    • 1月1日 - 鶴新田村・西之浦村・亀島村・連島村が合併し、改めて連島村が発足。(2町18村)


    • 12月1日 - 池田村・道口村が合併して富田村が発足。(2町17村)



  • 明治38年(1905年)4月1日

    • 竹村・占見村・吉備村が合併して三和村が発足。(2町15村)

    • 津田村・小坂村・鴨方村が合併し、改めて鴨方村が発足。(2町13村)

    • 里見村・新庄村が合併して里庄村となる。(2町12村)

    • 西大島村・大島中村が合併して大島村が発足。(2町11村)



  • 明治45年(1912年)4月1日 - 連島村が町制施行して連島町となる。(3町10村)


  • 大正11年(1922年)1月1日 - 河内村が町制施行して河内町となる。(4町9村)

  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。

  • 大正12年(1923年)10月31日 - 三和村が町制施行・改称して金光町となる。(5町8村)

  • 大正14年(1925年)


    • 10月25日 - 鴨方村が町制施行して鴨方町となる。(6町7村)


    • 11月1日 - 長尾村が町制施行して長尾町となる。(7町6村)



  • 大正15年(1926年)1月1日 - 河内町が改称して西阿知町となる。

  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。


  • 昭和9年(1934年)7月15日 - 六条院村が町制施行して六条院町となる。(8町5村)

  • 昭和15年(1940年)2月11日 - 船穂村が町制施行して船穂町となる。(9町4村)

  • 昭和25年(1950年)6月1日 - 里庄村が町制施行して里庄町となる。(10町3村)

  • 昭和26年(1951年)1月1日 - 黒崎村が町制施行して黒崎町になる。(11町2村)

  • 昭和27年(1952年)1月1日 - 玉島町が市制施行して玉島市となり、郡より離脱。(10町2村)

  • 昭和28年(1953年)

    • 1月1日 - 西阿知町が倉敷市に編入。(9町2村)

    • 2月11日 - 長尾町が玉島市に編入。(8町2村)

    • 4月1日 - 黒崎町・富田村が玉島市に編入。(7町1村)

    • 6月1日 - 連島町が倉敷市に編入。(6町1村)



  • 昭和30年(1955年)4月1日

    • 鴨方町・六条院町が合併し、改めて鴨方町が発足。(5町1村)

    • 大島村が分割し、一部(大島の一部)が寄島町に編入、残部が笠岡市にそれぞれ編入。(5町)




  • 平成17年(2005年)8月1日 - 船穂町が倉敷市に編入。(4町)

  • 平成18年(2006年)3月21日 - 鴨方町・金光町・寄島町が合併して浅口市が発足し、郡より離脱。(1町)



変遷表




脚注





  1. ^ 永山 卯三郎著『岡山県通史』(1962年)


  2. ^ 記載は柏島村西組。


  3. ^ 記載は矢柄村ノ内北面新田。


  4. ^ 記載は西之浦村ノ内北面新田。


  5. ^ 記載は勇崎村。


  6. ^ 記載は七島村ノ内島地。


  7. ^ 記載は大島村ノ内西大島。


  8. ^ 記載は大島村ノ内東大島。


  9. ^ 記載は大島村ノ内西大島新田。


  10. ^ 記載は口林村ノ内池口。


  11. ^ 記載は上竹村ノ内下竹。


  12. ^ 記載は上竹村ノ内道口。


  13. ^ 記載は上竹村ノ内富。


  14. ^ 記載は上竹村ノ内亀山。


  15. ^ 記載は地頭上村ノ内益阪。


  16. ^ 記載は大谷村ノ内中島新田。


  17. ^ 記載は柏島村東組。




参考文献




  • 角川日本地名大辞典 33 岡山県

  • 旧高旧領取調帳データベース



関連項目



  • 大島 (備中国浅口郡)

  • 大島郷






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