ルート・ファン・ニステルローイ
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名前 | ||||||
本名 | ルトヘルス・ヨハネス・マルティヌス・ファン・ニステルローイ Rutgerus Johannes Martinus van Nistelrooij |
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ラテン文字 | Ruud VAN NISTELROOY |
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基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | (1976-07-01) 1976年7月1日(42歳) |
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出身地 | オス |
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身長 | 188cm |
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体重 | 80kg |
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選手情報 | ||||||
ポジション | MF(CMF)→FW(CF) |
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利き足 | 右足(利き手は左) |
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クラブ1 | ||||||
年 | クラブ |
出場 |
(得点) |
|||
1993-1997 | ![]() |
69 |
(17) |
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1997-1998 | ![]() |
31 |
(13) |
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1998-2001 | ![]() |
67 |
(62) |
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2001-2006 | ![]() |
150 |
(95) |
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2006-2010 | ![]() |
68 |
(46) |
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2010-2011 | ![]() |
36 |
(12) |
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2011-2012 | ![]() |
28 |
(4) |
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通算 | 449 |
(249) |
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代表歴2 | ||||||
1998-2011[1] | ![]() |
70 |
(35) |
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監督歴 | ||||||
2014- | ![]() |
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2016- | ![]() |
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1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月2日現在。 2. 2014年10月24日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ルトヘルス・ヨハネス・マルティヌス・"ルート"・ファン・ニステルローイ(Rutgerus Johannes Martinus van Nistelrooij、1976年7月1日 - )は、オランダ・北ブラバント州オス出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。
オランダ、イングランド、スペインの3つのリーグで得点王を経験し、UEFAチャンピオンズリーグでも3大会で得点王となった。また、2002年にはIFFHSの世界得点王にも選ばれた。
目次
1 経歴
1.1 クラブ歴
1.2 代表歴
1.3 指導者経歴
2 エピソード
3 個人成績
3.1 クラブ
3.2 代表
3.3 代表でのゴール
4 タイトル
4.1 クラブ
4.2 個人
5 脚注
経歴
クラブ歴
- オランダ時代
1993年にオランダのクラブチーム・FCデン・ボスでキャリアをスタート。セントラルミッドフィールダーからセンターフォワードへとコンバートされるとフォワードとして頭角を現し、1996-97シーズンに31試合に出場して12得点を挙げた。その翌シーズンに36万ユーロでSCヘーレンフェーンへと移籍。ヘーレンフェーン加入後、ストライカー起用をしようとしたフォッペ・デ・ハーンに対して「あなたは間違ってるよ。僕は純粋なMF」と抵抗し、前線でチャンスを待ち続けなければならないポジションでのプレーに難色を示していた[2]。しかしデ・ハーンの熱心な指導によってストライカーとして成長し、31試合で13得点を挙げた。同クラブでのプレーはその1年のみであった。1998年にPSVアイントホーフェンへ当時のオランダリーグ最高額の移籍金630万ユーロで移籍。
移籍1年目に31得点を記録してエールディヴィジ得点王となり、ヨーロッパ全体でも2番目に多い得点を決めた選手となった。その活躍からオランダリーグ最優秀選手に選ばれた。1999-2000シーズンも勢いは止まらず、2年連続でリーグ得点王、リーグ最優秀選手となった。PSVでの活躍が海外からも注目され、2000年にマンチェスター・ユナイテッドFCが獲得に名乗りを挙げ、アレックス・ファーガソン監督は、ヘーレンフェーンのトライアウトを受ける息子に「すぐにファン・ニステルローイのサインをもらってきてくれ」と頼んだとされる。また、マンチェスター・ユナイテッドはPSVに代理人を送り、契約を結んだ[3]。十字靭帯断裂のため移籍は先送りとなり、翌2001年に入団。
- マンチェスター・ユナイテッド
移籍1年目にアラン・シアラーやティエリ・アンリらと並んでリーグ記録となる8試合連続ゴールを決めるなど23得点を挙げ、プレミアリーグの得点ランクで2位タイにつけた。また、UEFAチャンピオンズリーグでも10得点を記録し、大会得点王となる。その年、PFA年間最優秀選手賞にも選ばれた。
マンチェスター・ユナイテッド時代
翌年もUEFAチャンピオンズリーグ得点王、更に3つのハットトリックを含む25得点でプレミアリーグ得点王に輝くなど、オランダのみならず世界有数のストライカーに成長した。2004年2月7日エヴァートンFC戦ではクラブ通算100得点を達成し、ミルウォールとのFAカップ決勝ではPKを含む2ゴールを挙げ、タイトル獲得に貢献した[4]。2004-05シーズンは怪我によりリーグの多くを欠場した。しかし、UEFAチャンピオンズリーグでは8得点を記録し、3度目の得点王となる。2004年9月16日のオリンピック・リヨン戦での得点はマンチェスター・ユナイテッドでのチャンピオンズリーグ29得点目となり、デニス・ローの有していた欧州大会におけるクラブ最多得点記録28を更新した。
2005-06シーズンもゴールを量産し、最終的に得点ランク2位となる21得点を決めたものの、ウィガン・アスレティックFCとのフットボールリーグカップ決勝などを始めベンチで過ごすことが増えた。ウェイン・ルーニーを主軸にルイ・サハとファン・ニステルローイをチョイスする監督のアレックス・ファーガソンの起用法に反発。また、クロッサーとしてホットラインを築いていたデビッド・ベッカムの移籍後に同ポジションに収まったクリスティアーノ・ロナウドとそりが合わなかったことなどもあり、2006年7月27日に移籍金1500万ユーロでレアル・マドリードに移籍した[5]。
- レアル・マドリード
移籍早々のリーグ第2節レバンテUD戦でハットトリックの活躍をみせると、2006年11月12日のCAオサスナ戦では前半のみでハットトリックを達成し、後半にも1点を追加し計4得点を取るなど、1年目から得点を量産。優勝がかかった終盤戦でも、31節から37節までウーゴ・サンチェス以来となる7試合連続ゴールを決めた[6]。これによりチームのリーグ優勝に貢献し、個人としても25得点をあげ得点王となった。しかし、2007-08シーズンの後半に負傷した際、メディカルスタッフやプレドラグ・ミヤトヴィッチSDの制止にも関わらず、独断でアメリカで手術を行い残りのシーズンをふいにした。2008-09シーズンにも負傷をしてしまい、診断のためアメリカへと渡った(この時はクラブとの合意を得た上で行った)。その結果、右膝半月板の損傷とされ、シーズン中での復帰は絶望とされた[7]。
2009年9月20日のシェレスCD戦で80分にクリスティアーノ・ロナウドに代わって復帰を果たし、89分にはゴールも挙げたが、その試合で再び怪我に見舞われてしまい、6週間の離脱を余儀なくされた[8]。本人はレアル・マドリードで現役生活を終えたいと代理人を通じ語ったが、レアル・マドリードが2009年夏の移籍市場に行った大型補強の結果、出場機会が激減し、2010年1月24日にレアル・マドリードとの契約を解除してハンブルガーSVに1年半の契約で移籍した[9]。
- HSV
2010年2月6日の1.FCケルン戦で途中出場しブンデスリーガデビューを飾ると、続く同月13日のシュトゥットガルト戦で2得点を挙げた。3月11日のUEFAヨーロッパリーグラウンド16・ファーストレグのアンデルレヒト戦では、ヨーロッパリーグ初得点を挙げた。
2011年冬の移籍市場で、ゴンサロ・イグアインの離脱によってFWの補強が急務になったレアル・マドリードへのレンタルでの復帰が取り沙汰された[10]。ファン・ニステルローイ自身もこの移籍には乗り気であり、移籍金の一部を自ら負担する姿勢もみせた。しかし、HSV側はこのオファーを拒否した。その影響もあってか、シーズン後半戦はわずか2得点に終わった。2011年6月2日、大型補強を行っていたマラガCFへの移籍を発表。フリーでの1年契約であり、約1年半ぶりのスペイン復帰となった[11]。
- マラガ
2011年10月1日のヘタフェCF戦で移籍後初得点を記録した。2012年5月14日に現役引退を表明した。
代表歴

オランダ代表で練習中のファン・ニステルローイ
オランダ代表には1998年11月19日のドイツ戦で代表デビューを果たす。2006ドイツワールドカップメンバーにも選ばれたが、監督のファン・バステンの起用法などに不満を持ち、大会終了後には「マルコ(ファン・バステン)がベンチにいる間は代表として戦わない」とその後の代表招集を拒み続ける。また、EURO2008予選で若手FWの1人だったフンテラールが怪我で出場できない試合があった時にファン・バステンから直接出てくれないかと電話があったが、ファン・ニステルローイは断った。フンテラールの代役という形が嫌だったらしい。その後、ファン・バステンと和解し、2007年8月22日のスイスとの親善試合からオランダ代表に復帰している。
2008年8月5日、代表引退を発表した。しかし、「2010南アフリカワールドカップに出て欲しいと言うのなら、NOとは言えない」と代表復帰を匂わす発言をしている。また、半月板の負傷により離脱している間には「代表チームから招集されて、W杯でプレーできるように戦いたい」と語った[12]。
2010南アフリカワールドカップは代表選考から漏れ、出場できなかった。
2010年8月30日にロビン・ファン・ペルシの負傷により、代役として2年ぶりに代表に招集された。9月3日のEURO2012予選のサンマリノ戦で途中出場し2年ぶりの得点も挙げた。
指導者経歴
2014年3月28日、2014 FIFAワールドカップ後にオランダ代表監督に就任するフース・ヒディンクのアシスタントコーチに就任することが決定した[13]。2015年6月29日にヒディンクが退任し、後任にダニー・ブリントが監督に就任しても、引き続きコーチ職に留任している。2016年2月3日、2016-2017シーズンから古巣PSVの下部組織のコーチ職に就任することが発表された[14]。
エピソード
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この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2015年4月) |
- セミプロ時代は両親の影響で地元の大学に通いながらプレーしていた。
- 元オランダ代表のパトリック・クライファートとは生年月日と身長(体重も1キロ差)が全く同じであるが、犬猿の仲であることはよく知られている。2人のサッカー人生、生まれた環境等も対照的。2トップを組んだことがあるが全く噛み合わなかった。
- 本人ではなくクライファートがオランダ代表で先発メンバーだった時に記者会見の場で「僕はパトリック・クライファートのように完成されたセンターフォワードではないがストライカーとしての自信はある」と言い、ポストプレーによるアシストよりも点を取ることの方が得意だと語った。
- プレミアリーグでシーズン跨ぎながらも10試合連続ゴールを記録。これは長らくプレミアリーグの最長記録だった。(15-16シーズン、ジェイミー・ヴァーディが同一シーズン中に更新)
- サッカーの他に、テニスと体操をやっていた時期がある。
- 2007-08シーズンのUEFAチャンピオンズリーググループステージ最終節、ホームでのラツィオ戦終了後、すぐにピッチサイドへと向かい、観客席の女性にユニフォームを手渡した。その女性はファン・ニステルローイと同郷の余命2か月と宣告されていた重病患者で、お互いに面識はなかったが、彼女の事情を耳にしたファン・ニステルローイの父親がそれを息子に伝え、ファン・ニステルローイがその試合に招待した。女性はそれを受け取ると、涙を流しながら感謝の気持ちをキスで表現し、泣き崩れる彼女をファン・ニステルローイは、温かい表情で見守った。
- 利き手は左。
個人成績
クラブ

レアル・マドリード時代
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
オランダ |
リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ |
期間通算 |
|||||||
1993-94 | FCデン・ボス | エールディヴィジ | 2 | 0 | |||||||
1994-95 | 15 | 3 | 2 | 3 | |||||||
1995-96 | 21 | 2 | |||||||||
1996-97 | 31 | 12 | |||||||||
1997-98 | ヘーレンフェーン | 31 | 13 | 5 | 3 | ||||||
1998-99 | PSV | 8 | 34 | 31 | 5 | 1 | |||||
1999-00 | 23 | 29 | 2 | 0 | |||||||
2000-01 | 10 | 2 | 2 | 3 | |||||||
イングランド |
リーグ戦 | FLカップ | FAカップ |
期間通算 |
|||||||
2001-02 | マンチェスター.U | 10 | プレミア | 32 | 23 | 2 | 2 | ||||
2002-03 | 34 | 25 | 3 | 4 | |||||||
2003-04 | 32 | 20 | 4 | 6 | |||||||
2004-05 | 17 | 6 | 3 | 2 | |||||||
2005-06 | 35 | 21 | 2 | 0 | |||||||
スペイン |
リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 |
期間通算 |
|||||||
2006-07 | レアル・マドリード | 17 | プリメーラ | 37 | 25 | 3 | 2 | ||||
2007-08 | 24 | 16 | 1 | 0 | |||||||
2008-09 | 6 | 4 | 0 | 0 | |||||||
2009-10 | 1 | 1 | 2 | 0 | |||||||
ドイツ |
リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール |
期間通算 |
|||||||
2009-10 | ハンブルガーSV | 22 | ブンデス | 11 | 5 | - | 0 | 0 | 11 | 5 |
|
2010-11 | 25 | 7 | |||||||||
スペイン |
リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 |
期間通算 |
|||||||
2011-12 | マラガCF | 9 | プリメーラ | 28 | 4 | 4 | 1 | 32 | 5 |
||
通算 | オランダ | エールディヴィジ |
167 | 92 | 16 | 10 | |||||
イングランド | プレミア |
150 | 95 | 14 | 14 | ||||||
スペイン | プリメーラ |
96 | 50 | 11 | 3 | ||||||
ドイツ | ブンデス |
36 | 12 | - | 0 | 0 | 36 | 12 |
|||
総通算 |
449 | 298 | 40 | 27 |
代表
オランダ代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1998 | 1 | 0 |
1999 | 8 | 1 |
2000 | 1 | 0 |
2001 | 7 | 7 |
2002 | 4 | 1 |
2003 | 8 | 5 |
2004 | 11 | 6 |
2005 | 9 | 5 |
2006 | 5 | 3 |
2007 | 5 | 2 |
2008 | 5 | 3 |
2010 | 3 | 1 |
2011 | 3 | 1 |
通算 | 70 | 35 |
代表でのゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1999年4月28日 | ![]() |
![]() |
1-2 |
1-2 | 親善試合 |
2. | 2001年4月25日 | ![]() |
![]() |
4-0 |
4-0 | 2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
3. | 2001年6月2日 | ![]() |
![]() |
2-2 |
2-4 |
|
4. | 2-4 |
|||||
5. | 2001年8月15日 | ![]() |
![]() |
0-2 |
0-2 | 親善試合 |
6. | 2001年9月5日 | ![]() |
![]() |
5-0 |
5-0 | 2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
7. | 2001年10月6日 | ![]() |
![]() |
3-0 |
4-0 |
|
8. | 4-0 |
|||||
9. | 2002年11月20日 | ![]() |
![]() |
1-3 |
1-3 | 親善試合 |
10. | 2003年3月29日 | ![]() |
![]() |
1-0 |
1-1 | UEFA EURO 2004予選 |
11. | 2003年4月2日 | ![]() |
![]() |
1-1 |
1-2 |
|
12. | 2003年11月19日 | ![]() |
![]() |
3-0 |
6-0 |
|
13. | 4-0 |
|||||
14. | 6-0 |
|||||
15. | 2004年6月15日 | ![]() |
![]() |
1-1 |
1-1 | UEFA EURO 2004 |
16. | 2004年6月19日 | ![]() |
![]() |
2-0 |
2-3 |
|
17. | 2004年6月23日 | ![]() |
![]() |
1-0 |
3-0 |
|
18. | 2-0 |
|||||
19. | 2004年10月23日 | ![]() |
![]() |
2-1 |
3-1 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
20. | 3-1 |
|||||
21. | 2005年3月30日 | ![]() |
![]() |
2-0 |
2-0 |
|
22. | 2005年6月8日 | ![]() |
![]() |
0-1 |
0-4 |
|
23. | 2005年9月3日 | ![]() |
![]() |
0-1 |
0-1 |
|
24. | 2005年9月7日 | ![]() |
![]() |
3-0 |
4-0 |
|
25. | 4-0 |
|||||
26. | 2006年5月27日 | ![]() |
![]() |
1-0 |
1-0 | 親善試合 |
27. | 2006年6月4日 | ![]() |
![]() |
1-0 |
1-1 | 親善試合 |
28. | 2006年6月16日 | ![]() |
![]() |
2-0 |
2-1 | 2006 FIFAワールドカップ |
29. | 2007年9月7日 | ![]() |
![]() |
2-0 |
2-0 | UEFA EURO 2008予選 |
30. | 2007年9月12日 | ![]() |
![]() |
0-1 |
0-1 |
|
31. | 2008年5月29日 | ![]() |
![]() |
1-0 |
1-1 | 親善試合 |
32. | 2008年6月9日 | ![]() |
![]() |
1-0 |
3-0 | UEFA EURO 2008 |
33. | 2008年6月21日 | ![]() |
![]() |
1-1 |
1-3 |
|
34. | 2010年9月3日 | ![]() |
![]() |
0-5 |
0-5 | UEFA EURO 2012予選 |
35. | 2011年3月29日 | ![]() |
![]() |
3-2 |
5-3 |
タイトル
クラブ
エールディヴィジ優勝 1999-00, 2000-01
FAプレミアリーグ優勝 2002-03
リーガ・エスパニョーラ優勝 2006-07, 2007-08
個人
エールディヴィジ得点王 2回 1998-99, 1999-00
FAプレミアリーグ得点王 1回 2002-03
リーガ・エスパニョーラ得点王 1回 2006-07
チャンピオンズリーグ得点王 3回 2001-2002, 2002-2003, 2004-2005- FIFA 100
脚注
^ “Ruud van Nistelrooij - Goals in International Matches” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/nistelrooij-intlg.html
^ http://www.voetbalprimeur.nl/nieuws/606912/nederlandse-topspits-was-pingelaar-pure-middenvelder-vijftien-miljoen-.html
^ Van Nistelrooy in melting potTelegraph. Retrieved、2010年4月30日
^ Man Utd win FA CupBBC Sport、2004年5月22日
^ “ファン・ニステルローイ移籍が正式決定”. uefa.com (2006年7月28日). 2009年10月16日閲覧。
^ Van Nistelrooy goals rescue RealBBC Sport、2007年6月9日
^ “ファン・ニステルローイ、右膝手術で今季絶望”. livedoorスポーツ (2008年11月14日). 2009年10月16日閲覧。
^ “V・ニステルローイ、復帰戦で負傷”. asahi.com (2009年9月21日). 2009年10月16日閲覧。
^ HSV verpflichtet Ruud van Nistelrooy Archived 2010年1月27日, at the Wayback Machine. HSV.com 2010年1月23日
^ “レアル・マドリー、V・ニステルローイ獲得のため約2億円をオファーか”. スポーツナビ (2011年1月22日). 2011年1月27日閲覧。
^ “ファン・ニステルローイがマラガへ移籍”. uefa.com (2011年6月2日). 2012年1月28日閲覧。
^ “ファンニステルローイ、代表復帰を目指す”. ロイター.co.jp (2009年9月4日). 2009年10月16日閲覧。
^ “オランダ代表、ヒディンク氏の監督復帰を正式発表”. Goal (2014年3月28日). 2014年10月24日閲覧。
^ “V・ニステルローイ氏がストライカー育成へ…来季からPSV下部のコーチに”. SoccerKING (2016年2月5日). 2016年2月6日閲覧。
獲得タイトル・記録 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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オランダ代表 - 出場大会 | ||||||||||||||||||||||||||||
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