千本通
千本通(せんぼんどおり[1])は京都市の主要な南北の通りの一つ。二条通以南は、平安京の朱雀大路に該当する。
目次
1 現状
2 歴史、由来
3 沿道の主な施設
4 交差する道路など
5 脚注
6 関連項目
現状
北は北区鷹峯から南は洛中を離れ、伏見区納所町の旧京阪国道納所交差点まで延びている (淀の近隣地域で、京都競馬場や京阪電気鉄道の淀駅が近くにある)。
七条から八条まで梅小路公園、京都鉄道博物館などで中断。
また、一筋西に新千本通があるため、五条通から久世橋通間は旧千本通と呼ばれる。九条通以南は、かつての鳥羽街道である。
三条以北は明治から大正にかけて拡幅されており、大部分は片側2車線となっているが、途中今出川から丸太町までは片側1車線である。三条以南は南北の主要な通りとしての機能は、京都市電の経路そのままに後院通を経て四条通以南で大宮通へとつながる。三条通以南の千本通そのものは古くからの道幅を残し、大半が南行き一方通行となっている。
歴史、由来
平安京の中心朱雀大路をその起源とする。この朱雀大路は船岡山が正面に来るように決められたとも言われる。名前については、船岡山西麓の葬送地への道に千本の卒塔婆を建て供養したのを通り名とした、または、『日蔵夢記』で、日蔵が地獄へおちた醍醐天皇と出会い「自分を地獄の責め苦から救い出すために千本の卒塔婆を立ててほしい」と、訴えられたので卒塔婆千本立てたことに由来する。
右京の衰退によって、都の西のはずれの道になり、大内裏の焼失によって二条通以北の本来、大内裏のあるべきところにも延長された。現在では京都の中央の南北の通りの地位を烏丸通に譲っている。
明治末から大正初期の京都市三大事業の一つ、その後大正末から昭和に掛けての都市計画事業として拡幅と市電の敷設が行われ、北大路から三条は京都市電千本線が通っていた。明治、大正の頃には三条から今出川の北にかけて河原町と並ぶ繁華街として栄えた。
沿道の主な施設

大極殿跡
立命館朱雀キャンパス
- 佛教大学
- 船岡山
京都ライトハウス 千本北大路下ル
上品蓮台寺 千本鞍馬口上ル
引接寺(千本えんま堂) 千本廬山寺下ル
石像寺(釘抜地蔵)
大報恩寺(千本釈迦堂)
大極殿跡 千本丸太町
京都市営地下鉄東西線 - 二条駅
山陰本線(嵯峨野線) - 二条駅 - 丹波口駅
立命館朱雀キャンパス(中川会館)
京都市中央卸売市場第一市場 五条から七条
嶋原 五条から七条
角屋もてなしの文化美術館 千本花屋町
公共職業安定所分室
梅小路公園、梅小路蒸気機関車館
羅城門跡 千本九条
京都府立鳥羽高等学校 千本九条
鳥羽離宮跡
交差する道路など
- ここでは、主要な通りとしての三条以北について記述する。
- 交差する道路などの特記がないものは市道。
交差する道路など 西←<千本通>→東 |
交差する場所 |
路線番号 |
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府道31号西陣杉坂線 |
北区 |
鷹峯 |
北↑ ∧千本通∨ ↓南 |
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府道31号 | |||||
- |
[北山通> [今宮通> |
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市道181号京都環状線 <北大路通> |
千本北大路 |
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<鞍馬口通> |
千本鞍馬口 |
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上京区 | |||||
<寺之内通> |
千本寺之内 |
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府道101号銀閣寺宇多野線 <今出川通> |
千本今出川 |
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- | |||||
<中立売通> |
千本中立売 |
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<出水通> |
千本出水 |
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市道187号鹿ヶ谷嵐山線 <丸太町通> |
千本丸太町 |
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府道111号 | |||||
<御池通> |
府道37号二条停車場東山三条線 [押小路通> |
中京区 |
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府道37号 | |||||
(二条駅前ロータリー) |
<御池通> |
二条駅東口 |
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府道112号 | |||||
府道112号二条停車場嵐山線 <三条通> 西大路三条方面 |
<三条通> [後院通> |
千本三条 |
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脚注
^ 京都市内の通りの名称は「通」となっていて「り」を送らない。例外として道路標識では「通り」として送る表記を採用しているが、印刷資料で送るものは極めて珍しい。京都市内の通り#表記参照
関連項目
- 京都市内の通り
後院通(主要街路としての南の延長)- 朱雀大路
- 鳥羽街道
京都市内の南北の通り | ||
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西隣の通り 六軒町通 新千本通 |
北は 鷹峯 まで |
東隣の通り 紫竹西通・浄福寺通・土屋町通・坊城通・京阪国道 |
千本通 | ||
南は 旧京阪国道納所交差点 まで |