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ゼノン Ζήνων / Zenon
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東ローマ皇帝
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在位 |
474年 - 491年
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出生 |
426年
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死去 |
491年4月9日
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配偶者 |
アルカディア |
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アリアドネ
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子女 |
ゼノン(母はアルカディア) レオ2世 ヒラリア |
王朝 |
レオ朝
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ゼノン(Ζήνων, Zenon, 426年 - 491年4月9日)は、東ローマ帝国の皇帝(在位:474年 - 491年)。アナトリア半島イサウリア地方の少数民族イサウリア人(ドイツ語版、ハンガリー語版、オランダ語版)の族長で、本名はタラシコデッサ。
生涯
皇帝レオ1世の下で実権を握っていたゲルマン人のアスパル父子を倒した功績で、皇女アリアドネの婿となり、レオ2世とヒラリアの1男1女を儲ける。なお、前妻アルカディアとの間にゼノンという息子が、弟にゼノンの死後に皇位を狙って反乱を起こして敗れたロンギヌスがいる。レオ1世の死後アリアドネとの息子レオ2世の後見役となるが、レオ2世が夭折したため自ら即位。即位間もない475年、反乱によってバシリスクスに帝位を追われるが、1年後には小アジアから軍勢を率いてコンスタンティノポリスへ攻め寄せ、帝位を奪回することに成功した。
その後も数々の謀反の陰謀などがあったにもかかわらず、皇位にあるまま生涯を終えることに成功した。ゼノンは民衆の信望も薄く、その治世は人気取りのためのばら撒き財政などに終始した。一説によるとゼノンは棺に納められた後に中で息を吹き返し、「許してくれ!」と三日間叫んだが、皆がゼノンを憎んでいたため無視してそのまま葬ったと言う[1]。
ゼノンの時代にオドアケルによって西ローマ帝国は滅亡し、オドアケルから西方帝位を献上されたため、名目上ではゼノンが東西合わせた全ローマ帝国の皇帝となった。488年に東ゴート王のテオドリック大王にオドアケル討伐を命じた。テオドリックはオドアケルを倒したが、すでにゼノンは491年に死去していたため、その統治権を復する事が出来なかった。
脚注
^ ジョン・フリーリ著、長縄忠訳、鈴木董監修『イスタンブール―三つの顔をもつ帝都』2005年 NTT出版 P100より。なお、同書のP126によれば、後の皇帝ヘラクレイオスは、ゼノンのようになるのを恐れ、死後三日間は棺に封をしないよう遺言したという。
参考文献
関連項目
東ローマ皇帝 
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テオドシウス朝 |
アルカディウス395-408 / テオドシウス2世408-450 / マルキアヌス450-457
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レオ朝 |
レオ1世457-474 / レオ2世474 / ゼノン474-475 / バシリスクス(対立皇帝)475-476 / ゼノン(復位)476-491 | 断絶 | アナスタシウス1世491-518
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ユスティニアヌス朝 |
ユスティヌス1世518-527 / ユスティニアヌス1世527-565 / ユスティヌス2世565-578 / ティベリウス2世578-582 / マウリキウス582-602 / フォカス602-610
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ヘラクレイオス朝 |
ヘラクレイオス610-641 / コンスタンティノス3世641 / ヘラクロナス641 / コンスタンス2世641-668 / コンスタンティノス4世668-685 / ユスティニアノス2世685-694 / レオンティオス695-698 / ティベリオス3世698-705 / ユスティニアノス2世(復位)705-711 | 断絶 | フィリピコス・バルダネス711-713 / アナスタシオス2世713-715 / テオドシオス3世715-717
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イサウリア朝 |
レオーン3世717-741 / コンスタンティノス5世741-775 / レオーン4世775-780 / コンスタンティノス6世780-797 / エイレーネー797-802
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ニケフォロス朝 |
ニケフォロス1世802-811 / スタウラキオス811 / ミカエル1世ランガベ811-813 / レオーン5世813-820
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アモリア朝 |
ミカエル2世820-829 / テオフィロス829-842 / ミカエル3世842-867
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マケドニア朝 |
バシレイオス1世867-886 / レオーン6世886-912 / アレクサンドロス912-913 / コンスタンティノス7世913-959 / ロマノス1世レカペノス920-944 / ロマノス2世959-963 / ニケフォロス2世フォカス963-969 / ヨハネス1世ツィミスケス969-976 / バシレイオス2世976-1025 / コンスタンティノス8世1025-1028 / ロマノス3世アルギュロス1028-1034 / ミカエル4世1034-1041 / ミカエル5世1041-1042 / ゾエ1042 / テオドラ(共同皇帝)1042 / コンスタンティノス9世モノマコス1042-1055 / テオドラ(復位)1055-1056 | 断絶 | ミカエル6世ストラティオティコス1056-1057 / イサキオス1世コムネノス1057-1059
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ドゥーカス朝 |
コンスタンティノス10世1059-1067 / エウドキア・マクレンボリティサ1067-1068 / ロマノス4世ディオゲネス1068-1071 / ミカエル7世1071-1078 / ニケフォロス3世ボタネイアテス1078-1081
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コムネノス朝 |
アレクシオス1世1081-1118 / ヨハネス2世1118-1143 / マヌエル1世1143-1180 / アレクシオス2世1180-1183 / アンドロニコス1世1183-1185
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アンゲロス朝 |
イサキオス2世1185-1195 / アレクシオス3世1195-1203 / イサキオス2世(復位)1203 / アレクシオス4世1203-1204 / アレクシオス5世ドゥーカス1204 / コンスタンティノス・ラスカリス1204
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ラスカリス朝 |
テオドロス1世1205-1222 / ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェス1222-1254 / テオドロス2世1254-1258 / ヨハネス4世1258-1261
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パレオロゴス朝 |
ミカエル8世1258-1282 / アンドロニコス2世1282-1328 / ミカエル9世(共同皇帝)1294-1320 / アンドロニコス3世1328-1341 / ヨハネス5世1341-1376 / ヨハネス6世カンタクゼノス1347-1354 / マタイオス・カンタクゼノス(共同皇帝)1353-1357 / アンドロニコス4世1376-1379 / ヨハネス5世(復位)1379-1391 / ヨハネス7世(対立皇帝)1390 / ヨハネス5世(復位)1391 / マヌエル2世1391-1425 / ヨハネス8世1425-1448 / コンスタンティノス11世1448-1453
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