ゆめタウン祇園
この項目に含まれる文字「祇」は、オペレーティングシステムやブラウザなどの環境により表示が異なります。 |
ゆめタウン祇園 youme Town Gion | |
---|---|
ゆめタウン祇園 | |
地図 | |
店舗概要 | |
所在地 | 〒731-0113 広島県広島市安佐南区西原5丁目19番44号[1] |
座標 | 北緯34度26分21.8秒 東経132度27分58.9秒 / 北緯34.439389度 東経132.466361度 / 34.439389; 132.466361座標: 北緯34度26分21.8秒 東経132度27分58.9秒 / 北緯34.439389度 東経132.466361度 / 34.439389; 132.466361 |
開業日 | 1973年3月27日[1] |
敷地面積 | 約20,000[2] m² |
商業施設面積 | 16,252[3] m² |
営業時間 | 9:30-22:00 火曜日は1Fのみ8:30開店 |
前身 | いづみ祇園ショッピングセンター→ イズミ祇園ショッピングセンター(リブランド) |
最寄駅 | JR下祇園駅 |
外部リンク | ゆめタウン祇園 |
youme |
ゆめタウン祇園(ゆめタウンぎおん)は、広島市安佐南区西原に立地し、株式会社イズミが運営する郊外型ショッピングセンター「ゆめタウン」の店舗の一つである。イズミ初の郊外店[4][5]および、2000年代までイズミの広島地区の基幹店舗だった[6]。
目次
1 概要
2 館内
2.1 1973年5月3日全館完成当時
2.1.1 ファミリーランド
2.1.2 ファッションランド
2.2 1975年3月7日増床オープン当時
2.2.1 ファミリーランド
2.2.2 リビングランド
2.3 1980年6月13日改装オープン当時
2.3.1 ファミリーランド
2.3.2 リビングランド
3 交通アクセス
4 脚注
4.1 補足
4.2 出典
5 参考文献
6 外部リンク
概要
1971年(昭和46年)10月に計画発表[7]。1960年代半ばよりアメリカ合衆国で流行していた店舗スタイルを取り入れ[7]、国道54号沿いに計画された[補足 1]、モータリゼーションに対応した[9]、広島市外に出店する[補足 2]イズミ初の郊外店で[10][4][5]、中四国・九州地方初かつ[9][4][5]で、日本全国でも玉川高島屋ショッピングセンターに次ぐ規模で[7]、日本全国でも例が少なかった[11][4][5]。
計画開始時点で、地下1階地上4階建てのショッピングセンターとボウリング場を計画[7]。約5,300 m2の直営部分と[7]、約4,000 m2のテナント部分には、広島本通商店街から約100店と東京都・大阪府から7店舗から8店舗出店する計画だった[7]。また、24時間営業の4階建てのレストラン塔[7]。遊園地やプール、託児所などを計画していた[7]。計画当初の事業費は約16億5000万円[7]。仮称は祇園コミュニティセンターで[7]、1972年1月から建設開始、同年10月に開店予定だった[7]。
1972年(昭和47年)5月20日に起工式を実施[2]。その時点で、いづみ祇園ショッピングセンター(いづみ祇園店)の名称も決定[2]。その時点の計画では、地上5階建てのショッピングセンターと地上3階建ての40レーン整備したボウリング場を予定[2]。500台分の駐車場を予定していた[2]。その時点での開業予定は同年12月だった[2]。
建設途中までは、ボウリング場の併設を予定し[11]、機材は発注済みだったが[9][11]、アメリカ合衆国に視察に行った社長がブームの終焉を察知[11]。違約金を払い設計変更され、ボウリング場は中止された[11]。テンプレート内写真の左側にある塔は、当初ボウリングピンが設置される予定だった[11]。
最終的には、3階建てと4階建ての2棟[12]。テナントが68店出店[12]。275台分の無料駐車場が整備された[12]。最終的な事業費は約24億円になった[12]。
1973年(昭和48年)3月27日10時に開業[13]。開店当初は食料品・日用品・家電製品・食堂街を扱う[11]ファミリーランドと呼ばれるB館・C館(地上3階建・売場面積 4,165 m2[10])が先行開業[13][11]。当時250台分、整備された無料駐車場は[11][13]、規模の大きさより客から驚かれ[9]、開店日には車の行列が出来た[9]。開店日は約4万人が来店した[14]。
同年5月2日10時に、衣料品を扱うファッションランドと呼ばれるA館(地上4階建・売場面積 2,479 m2[10])が開店[15]。約2倍の店舗面積になり全面開業した[15]。1店舗で全てをまかなう「ワンストップ・オールライフ」をコンセプトにしていた[11]。開店当初は、A館とB館・C館は道路で隔てられていた。また貸会議室も9月にオープンした[13]。
開店当時、祇園ショッピングセンターは大成功し[16]、店舗の滞在時間がこれまでの平均50分から2時間に伸び[16]、そのことで同社内のこれまでの一人あたりの売り上げの平均が700円から800円だったのが[16]、祇園ではマイカーで1週間分の買い物をする客が多いことで2,400円から2,500円の売り上げになった[16]。年間売り上げ目標も、30億円から41億円に変更[16]。開店した年の夏頃までに、駐車場の収容台数を160台増加させたが[17]、それでも交通問題は避けられずが[17]、休日の店前に500mから600mの車の入場待ちが発生[17]。店前の国道は渋滞になり、可部警察署[補足 3]から、出入り口の拡張や河川敷の駐車場としての活用など指導が出た[17]。
それらの成果から、広島市レベルの都市でも郊外型ショッピングセンターが成功することを証明し[16]、その後同様のショッピングセンターを五日市町など複数計画することになった[16]。
1975年(昭和50年)3月7日には8億円かけて増床を行い、ファミリーランド(B館・C館)を4階建てに増築することで売場面積を3,200 m2増加させて約11,000 m2に拡大[18][19]。増床分は衣料品販売拡大に使用[18]。売場の変更も行い、ファッションランドはリビングランドに改められた[20]。
1980年(昭和55年)6月13日に、大活性化工事(大改装)を実施しリニューアルオープン[21][22]。後日行われるブランド変更に伴う施設の若返りを目的とし[23]、売場の大部分を改装し、下りエスカレーターを新設した[23]。同月27日には、全店一斉にブランド変更を行い、イズミ祇園ショッピングセンター(イズミ祇園店)にリブランドされた[24][25]。同年12月には、A館とB館・C館を結ぶ連絡橋が完成した[21]。
2001年(平成13年)3月9日に、ゆめタウン祇園に再度リブランド[26][6][27]。当時、比較的古い店舗が多かった広島地区では初のゆめタウンを名乗る店舗になり、改めて広島地区の基幹店舗の立場を明確にした[26][27]。1億4000万円かけて改装が行われ、食料品売場の強化や、高級下着のコーナーや医薬品コーナーを新設した[26][27]。改装により年間売り上げ目標を78億円から81億円に上方修正した[6][27]。
食品売場を2009年4月に改装。リビング館(旧・ファッションランド)は2011年春に閉館、夏に取り壊されて、跡地には、三菱地所によりマンションザ・パークハウス 祇園が建設された[28]。
2017年2月3日に公表された広島県の耐震性能調査において、震度6強以上で「倒壊または崩壊する危険性が高い」とされたが、建て替え・耐震化の方針や時期は見通しが立っていない[29]。
館内
現在のフロアマップは公式サイト参照。
1973年5月3日全館完成当時
開店当時の全面広告および社史に基づく[13][11]。
ファミリーランド
- 1階 - 駐車場
- 2階 - 食料品全般・日用雑貨・味の街(食堂街)
- 3階 - 家具・インテリア・家庭用品・家庭電器・屋上広場
ファッションランド
- 1階 - 紳士服・肌着・舶来雑貨・カメラ・時計・ハンドバッグ
- 2階 - 婦人服・子供服・アクセサリ・呉服・憩いの広場
- 3階 - 寝装品・袋物・靴・レコード・楽器・文具・玩具
- 4階 - 音楽教室・女性教室
- 屋上 - 屋上遊園地
1975年3月7日増床オープン当時
開店当時の広告に基づく[20]。
ファミリーランド
- 1階 - 駐車場
- 2階 - 食品のフロア(総合食品売場・食堂街など)
- 3階 - 紳士と婦人のフロア(紳士服・婦人服など)
- 4階 - お子さまと実用衣料のフロア(子供服・下着など)
リビングランド
- 1階 - 日用雑貨とおしゃれのフロア(レジャー用品・化粧品・カー用品など)
- 2階 - 暮らしのフロア(電気小物・住宅設備・インテリアなど)
- 3階 - 住まいのフロア(食堂家具・居間家具)
- 4階 - ヤマハ音楽教室・ゲームコーナー・事務所
- 屋上 - 屋上遊園地
1980年6月13日改装オープン当時
開店当時の広告に基づく[22]。
ファミリーランド
- 2階 - 食料品と食べ歩きのフロア
- 3階 - レディスとメンズのおしゃれフロア
- 4階 - お子さまと実用衣料のフロア
リビングランド
- 1階 - スポーツとレジャーのフロア
- 2階 - 暮らしのフロア
- 3階 - 住まいのフロア
- 4階 - 文化のフロア(各種催し会場)
交通アクセス
可部線下祇園駅より徒歩6分
広島電鉄・広島交通バス 祇園出張所前バス停より徒歩2分
脚注
補足
^ 2008年4月1日の管理移管で、該当区間は国道183号の単独区間になっている[8]
^ 計画開始時点時点で店舗用地の行政区は、広島県安佐郡祇園町西原で、計画途中の1972年(昭和47年)8月27日に広島市に編入された。
^ 現在の安佐北警察署
出典
- ^ ab『「ゆめタウン」勝利の方程式』 218ページ
- ^ abcdef『郊外型ショッピングセンター起工 いづみが広島県祇園町に』 - 中国新聞 1972年5月23日 6ページ
^ 都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC (PDF) - 日本ショッピングセンター協会公式サイト内
- ^ abcd『「ゆめタウン」勝利の方程式』 39ページ
- ^ abcd『「ゆめタウン」勝利の方程式』 48ページ
- ^ abc『「ゆめタウン」に改称 イズミ祇園店 9日改装オープン』 - 中国新聞 2001年2月24日 11ページ
- ^ abcdefghijk『広島市外にもお目見え 郊外型ショッピングセンター 西日本で初めて 「いづみ」など 来年秋に完成 遊園地など併設』 - 中国新聞 1971年10月19日 7ページ
^ 一般国道54号の路線名及び管理者が変更されます - 国土交通省中国地方整備局広島国道事務所 平成20年3月24日
- ^ abcde『生きて イズミ会長 山西義政さん(1922年-)⑨ 郊外店 車社会にいち早く対応』 - 中国新聞 2011年11月15日 10ページ
- ^ abc『挑戦の流儀』 - 263ページ
- ^ abcdefghijk『挑戦の流儀』 - 104・105ページ
- ^ abcd『27日オープン いづみ祇園ショッピングセンター』 - 中国新聞 1973年3月20日 6ページ
- ^ abcde全面広告 - 中国新聞 1973年3月27日 12・13ページ
^ 『開店セールに主婦ら四万人 祇園のいづみ郊外型店舗』 - 中国新聞 1973年3月28日 6ページ
- ^ ab全面広告 - 中国新聞 1973年5月2日 14・15ページ
- ^ abcdefg『大当たり 郊外ショッピングセンター 予想を上回る売り上げ 年商41億も可能 多彩な催し物で固定客』 - 中国新聞 1973年9月3日 6ページ
- ^ abcd『スーパー前の国道渋滞 いづみ祇園店 マイカー順番待ち 出入り口拡張など改善を 可部署、店側に申し入れ』 - 中国新聞 1974年2月15日 13ページ
- ^ ab『祇園店があす新装オープン』 - 中国新聞 1975年3月6日 9ページ
^ 『挑戦の流儀』 - 264ページ
- ^ ab部分広告 - 中国新聞 1975年3月6日 9ページ
- ^ ab『挑戦の流儀』 - 265ページ
- ^ ab部分広告 - 中国新聞 1980年6月14日 24ページ
- ^ ab『いづみ→イズミ 販売戦略見直し 社名社章を変更』 - 中国新聞 1980年5月23日 6ページ
^ 全面広告 - 中国新聞 1980年6月23日 7ページ
^ 部分広告 - 中国新聞 1980年6月27日 10ページ
- ^ abc『挑戦の流儀』 - 269ページ
- ^ abcd『「ゆめタウン」勝利の方程式』 88-89ページ
^ 【NEWS】三菱地所レジデンス・マリモ『ゆめタウン祇園リビング館跡地に分譲マンションプロジェクト「ザ・パークハウス 祇園」』始動[リンク切れ] - SUUMOニュース 2012年4月21日
^ 中国新聞 2017年2月11日 18版 25面
参考文献
- 『挑戦の流儀』(イズミ50年記念誌編纂事務局・2012年)
- 『「ゆめタウン」勝利の方程式』(西川立一・ぱる出版) ISBN 978-4827204803
- 『中国新聞』 各バックナンバー
外部リンク
- ゆめタウン祇園