マックス・ヴェーバー
































マックス・ヴェーバー
Max Weber
歴史学派

1894年のマックス・ヴェーバー

生誕
1864年4月21日
プロイセン王国の旗 プロイセン王国
Flagge Preußen - Provinz Sachsen.svg ザクセン県 エアフルト
死没
1920年6月14日(没56歳)
ドイツの旗 ドイツ国
Flag of Bavaria (striped).svg バイエルン州 ミュンヘン
研究分野
経済学を含む社会科学全般
影響を
与えた人物

カール・ヤスパース、ルカーチ・ジェルジ、タルコット・パーソンズ
実績
唯物論への反証、社会科学におけるさまざまな方法論の整備
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マックス・ヴェーバー(中央の人物)


マックス・ヴェーバー(Max Weber、1864年4月21日 - 1920年6月14日[1])は、ドイツの政治学者・社会学者・経済学者である。マックス・ウェーバーと表記されることもある(正式な名前はカール・エーミル・マクスィミーリアン・ヴェーバー (Karl Emil Maximilian Weber)。マックスはマクスィミーリアンの省略形である)。同じく社会学者・経済学者のアルフレート・ヴェーバーの兄である。


社会学の黎明期のコントやスペンサーに続く、第二世代の社会学者としてエミール・デュルケーム、ゲオルグ・ジンメルなどと並び称される。[2]




目次






  • 1 略年譜


  • 2 主な業績


  • 3 著書


  • 4 伝記・書簡集


  • 5 入門書


  • 6 関連書籍


  • 7 脚注


  • 8 関連項目


    • 8.1 関連人物







略年譜



  • 1864年 プロイセン王国エアフルト[3]にて、父は政治家、母は上流階級出身の敬虔なプロテスタントの裕福な家庭に長男として生まれる。

  • 1865年 2歳の時脳膜炎にかかり、華奢でひ弱な体に不釣り合いな大きい顔をしていた[4]

  • 1869年 5歳の時、エルフルトからベルリンのシャルロッテンブルグ・ライプニッツ・シュトラーセへ引っ越した。「家庭」から「社会」へ出た。並外れて早熟だった[5]

  • 1876年 12歳の時、マキャベリの『君主論』を読み、哲学書では、スピノザ、ショーペンハウエル、カントに進んだ。少年時代は、シャルロッテンブルクの家で読書に多くの時間を費やした[4]

  • 1879年 15歳の時、読むだけでなく資料を集め、それを元にして歴史論文「インドゲルマン諸国民における民族性格、民族発展、および民族史の考察」を書いた[4]。大学入学前に王立王妃アウグスタ・ギムナジウムで学ぶ。

  • 1882年 18歳の時、ハイデルベルク大学、ベルリン大学等で法律学、経済史などを学ぶ。[6]

  • 1883年 19歳の時、シュトラスブルク[7]にて予備役将校制度の志願兵として1年間の軍隊生活を送る[8]。将校任官試験を最優等の成績で合格し、予備役将校の資格を持つ下士官に昇進した[9]。 

  • 1889年 「中世商事会社史」で博士の学位を取得、テオドール・モムゼンより、「わが子よ、汝我にかわりてこの槍を持て」という祝辞を送られる。

  • 1892年 ベルリン大学の私講師となり、ローマ法と商法を講義。「東エルベ・ドイツにおける農業労働者の状態」(社会政策学会による農業労働者調査報告)。

  • 1893年 マリアンネと結婚。

  • 1894年 30歳でフライブルク大学の経済学正教授として招聘される。フライブルクの同僚には哲学者のハインリヒ・リッケルトがいた。

  • 1895年 フライブルク大学での教授就任講演「国民国家と経済政策」で賛否両論の大きな反響を引き起こす。

  • 1896年 ハイデルベルク大学に招聘される。

  • 1898年 実父との確執から神経を病み、大学を休職しサナトリウムで静養。

  • 1903年 病気のためハイデルベルク大学の教職を辞して名誉教授となる。

  • 1904年 ようやく病気から癒え、新たな学問活動を再開。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を発表。セントルイス万国博覧会の際に開かれた学術会議への出席のためアメリカに旅行し、そのついでにアメリカのプロテスタント諸派を調査。ヴェルナー・ゾンバルトやエドガー・ヤッフェらと共に、「社会科学・社会政策雑誌」(Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitik)の編集に従事し始める。

  • 1905年 第一次ロシア革命に際し、ロシア語を習得。

  • 1906年 ネッカー川の畔の家に移り、知的サークルの中心的存在として、エルンスト・トレルチやカール・ヤスパースらと交わる。ロシア革命に関する諸論文を執筆・公表。

  • 1910年 「経済と社会」に含まれる諸論文の執筆を開始。

  • 1911年 「世界宗教の経済倫理」の執筆を開始。

  • 1914年 第一次世界大戦勃発。この大戦の引き金となったセルビア人青年によるオーストリア皇太子暗殺の報を聞いたとき、ヴェーバーはしばらくの間沈痛な面持ちで黙想した後、「神よ、われわれを地獄に落とす愚か者たちからわれわれを守りたまえ」と発した[10]。活発に政治的発言を行うのと同時に、翌1915年にかけてハイデルベルクの陸軍野戦病院で軍役を行う。1日13時間ずつ、1年間に2日しか休みを取らなかった[10]

  • 1916年 「儒教と道教」「ヒンドゥー教と仏教」を発表。




臨終の床に伏すヴェーバー



  • 1917年 「古代ユダヤ教」を発表。軍務を退いた後、学問・研究に専心する傍ら「フランクフルト新聞」に、ヴェーバーが戦争を通じて見て取ったドイツ政府と議会システムの根本的な欠陥を指摘した政治論文を発表した。論文は4月から7月にかけて分載された。[11]。「国家社会学の諸問題」(10月25日、ウィーン、未公表)、「職業としての学問」(11月7日、ミュンヘン)を講演。この講演内容の出版は1919年。

  • 1918年 ウィーン大学に招聘される。敗戦を迎え、5月に新聞分載の政治論文を加筆し『新秩序ドイツの議会と政府』が刊行された[11]

  • 1919年 ミュンヘン大学に招聘され、そこで「職業としての政治」(1月28日)を講演。この講演内容の出版は1919年。

  • 1920年 ミュンヘンでスペインかぜに因る肺炎のため死去。56歳。



主な業績


ヴェーバーは、西欧近代の文明を他の文明から区別する根本的な原理は「合理性」であるとし、その発展の系譜を「現世の呪術からの解放(die Entzauberung der Welt)」と捉え、それを比較宗教社会学の手法で明らかにしようとした。[12]そうした研究のスタートが記念碑的な論文である「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1904年-1905年)である。この論文の中で、ヴェーバーは、西洋近代の資本主義を発展させた原動力は、主としてカルヴィニズムにおける宗教倫理から産み出された世俗内禁欲と生活合理化であるとした。この論文は、大きな反響と論争を引き起こすことになったが、特に当時のマルクス主義における、「宗教は上部構造であって、下部構造である経済に規定される」という唯物論への反証としての意義があった。[13]


その後、この比較宗教社会学は、「世界宗教の経済倫理」という形で研究課題として一般化され、儒教と道教、ヒンドゥー教と仏教、古代ユダヤ教、の研究へと進んだ。しかし、原始キリスト教、カトリック、イスラム教へと続き、プロテスタンティズムへ再度戻っていくという壮大な研究計画は、本人がスペイン風邪を原因とする肺炎で命を落としたことで未完に終わった。特に、イスラム教については、ほとんど手を付けることはなかった。




妻マリアンネと(1894年)


一連の宗教社会学の論文と並んで、ヴェーバーが行っていたもう一つの大きな研究の流れは、「経済と社会」という論文集としてまとめられている。[14]これは、ヴェーバーが編集主幹となり、後に「社会経済学綱要」と名付けられた社会学・経済学の包括的な教科書に対し、1910年から寄稿された論文集である。この論文集も、最終的にはヴェーバー自身の手によって完成することはなかった。彼の没後、妻であったマリアンネ・ヴェーバーの手によって編纂・出版されたが、このマリアンネの編纂については、批判が多い。[15]その後、1956年と1976年にヨハネス・ヴィンケルマンによる再編纂版も出ているが、本来ヴェーバーが目指していたと思われる、あるべき全体構成については、今なお議論が続いている。[16]この「経済と社会」は、教科書的・体系的な社会学を構築しようとしたのと同時に、宗教社会学における「合理化」のテーマを、比較文明史・経済史における特殊・個別事例の巨大な集積に照らし合わせて検証していくケーススタディ(Kasuistik、決疑論)を行ったものとしても位置づけられよう。[17]また、「経済と社会」の中の「支配の諸類型」における、正当的支配の三つの純粋型、すなわち「合法的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」は社会学や政治学の分野で広く受け入れられることとなった。


また、ヴェーバーは、社会学という学問の黎明期にあって、さまざまな方法論の整備にも大きな業績を残した。特に、人間の内面から人間の社会的行為を理解しようとする「理解社会学」の提唱が挙げられる。さらには、純理論的にある類型的なモデルを設定し、現実のものとそれとの差異を比較するという「理念型(Idealtypus)」も挙げられる。[18]また、政治的価値判断を含む、あらゆる価値判断を学問的研究から分離しようとする「価値自由(Wertfreiheit)」の提唱も、大きな論争を引き起こした。[19]


ヴェーバーは、ハイデルベルクでの知的サークルを通じて、年長の法学者ゲオルグ・イェリネック、哲学者ヴィルヘルム・ヴィンデルバント、同世代の神学者エルンスト・トレルチや哲学者ハインリヒ・リッケルト、さらには若年の哲学者カール・ヤスパースや哲学者ルカーチ・ジェルジ(ゲオルク・ルカーチ)らと交わり、彼らに強い影響を与えた。また社会学者タルコット・パーソンズもヴェーバーの著作を通じて強い影響を受けている。タルコット・パーソンズがハイデルベルク留学中に師事した社会学者・経済学者のアルフレート・ヴェーバーは実弟である。


日本においては、丸山眞男や大塚久雄や川島武宜をはじめとして、多くの社会科学系の学者に強い影響を与えた。[20]ヴェーバーの日本における受容は、日本が太平洋戦争で敗北したのは「合理主義」が欠けていたためであるという問題意識と[21]、社会科学におけるマルクス主義との対置という文脈、という2つの理由が大きかった。[22]



著書



  • 『職業としての学問』(Wissenschaft als Beruf)(講演)

  • 『職業としての政治』(Politik als Beruf)(講演)

  • 『宗教社会学論集』(Gesammelte Aufsätze zur Religionssoziologie)

    • 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(Die protestantische Ethik und der 'Geist' des Kapitalismus)

    • 『プロテスタンティズムの諸信団(ゼクテ)と資本主義の精神』(Die protestantische Sekten und der Geist des Kapitalismus)

    • 『世界宗教の経済倫理』(Die Wirtschaftsethik der Weltreligionen)

    • 『序論』(Einleitung)

    • 『儒教と道教』(Konfuzianismus und Taoismus)

    • 『中間考察』(Zwischenbetrachtung)

    • 『ヒンドゥー教と仏教』(Hinduismus und Buddhismus)

    • 『古代ユダヤ教』(Das antike Judentum)



  • 『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』(Die 'Objektivität' sozialwissenschaftlicher und sozialpolitischer Erkenntnis)

  • 『ロッシャーとクニース』(Roscher und Knies und die logischen Probleme der historischen Nationalökonomie)

  • 『アメリカ合衆国における教会とゼクテ』("Kirchen" und "Sekten" in Nordamerika)

  • 『東エルベ・ドイツにおける農業労働者の状態』(Die Verhältnisse der Landarbeiter im ostelbischen Deutschland)

  • 『国民国家と経済政策』(Der Nationalstaat und die Volkswirtschaftspolitik)

  • 『新秩序ドイツの議会と政府』(Parlament und Regierung im neugeordneten Deutschland)

  • 『歴史学の方法』(Kritische Studien auf dem Gebiet der kulturwissenschaftlichen Logik)

  • 『古代社会経済史 古代農業事情』(Agrarverhaltnisse im Altertum)

  • 『理解社会学のカテゴリー』(Über einige Kategorien der verstehenden Soziologie)

  • 『遺稿集 経済と社会』(Wirtschaft und Gesellschaft)(※「経済と社会」は遺稿なので、本来あるべき全体構成については、今なお議論されており確定していない。)
     以下は、邦訳出版された部分訳での題名の一部。

    • 『社会学の基礎概念』

    • 『経済行為の社会学的基礎範疇』

    • 『支配の諸類型』

    • 『経済と社会集団』

    • 『種族的共同社会関係』

    • 『宗教社会学』

    • 『法社会学』

    • 『権力と支配』

    • 『支配の社会学』

    • 『都市の類型学』

    • 『国家社会学』

    • 『音楽社会学』





伝記・書簡集



  • マリアンネ・ウェーバー『マックス・ウェーバー』(大久保和郎 訳、みすず書房、新装版1987年) ISBN 4622019493

  • マリアンネ・ウェーバー『マックス・ウェーバー青年時代の手紙』(阿閉吉男・佐藤自郎 訳(上・下、新訳版)、文化書房博文社、1995年)ISBN 4830107294、 ISBN 4622019493

  • バウムガルテン『マックス・ウェーバー:人と業績』(生松敬三 訳、福村書店、1971年)

  • A・ミッツマン『鉄の檻 マックス・ウェーバー 一つの人間劇』(安藤英治 訳、創文社、1975年) ISBN 4423800152


  • 長部日出雄『二十世紀を見抜いた男 マックス・ヴェーバー物語』(新潮社、2000年/新潮選書、2008年) ISBN 4106036088

  • 今野元『マックス・ヴェーバー ある西欧派ドイツ・ナショナリストの生涯』(東京大学出版会、2007年)ISBN 9784130362306



入門書



  • 青山秀夫『マックス・ウェーバー』(岩波新書、1951年)。度々復刊

  • 安藤英治編『ウェーバー プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(有斐閣新書、1977年) ISBN 4641087369


  • 折原浩『デュルケームとウェーバー』(三一書房、1981年)

  • 住谷一彦、小林純、山田正範『マックス=ヴェーバー』(清水書院、1987年) ISBN 4389410784

  • 徳永恂、厚東洋編『人間ウェーバー ― 人と政治と学問』(有斐閣、1995年) ISBN 4641058334


  • 山之内靖『マックス・ヴェーバー入門』(岩波新書、1997年) ISBN 4004305039

  • 安藤英治『マックス・ウェーバー』(講談社学術文庫、2003年) ISBN 4061595873


  • 折原浩『ヴェーバー学の未来 「倫理」論文の読解から歴史・社会科学の方法会得へ』(未來社、2005年) ISBN 4624400577


  • 牧野雅彦『マックス・ウェーバー入門』(平凡社新書、2006年) ISBN 4582853102


  • 仲正昌樹『マックス・ウェーバーを読む』(講談社現代新書、2014年)ISBN 4062882795



関連書籍




  • タルコット・パーソンズ(稲上毅・厚東洋輔訳)『社会的行為の構造』(木鐸社、1976年、原著初版1937年)


  • 武藤光朗『社会科学におけるプロレタリアと実存 マルクスとウェーバー』(理想社 1950年)

  • 金子栄一『マックス・ウェーバー研究―比較研究としての社会学』(創文社、1957年)


  • カール・レヴィット(柴田治三郎ほか訳)『ウェーバーとマルクス』(未來社、1966年)


  • レイモン・アロン(北川隆吉・宮島喬ほか訳)『社会学的思考の流れ II デュルケム パレート ウェーバー』(法政大学出版局・叢書ウニベルシタス、1984年) ISBN 4588000535

  • Hartmut Lehmann, Guenther Roth eds., Weber's Protestant Ethic: origins, evidence, contexts(Cambridge University Press、1987).ISBN 0521558298

  • R・ベンディクス(折原浩訳)『マックス・ウェーバー――その学問の包括的一肖像』(三一書房(上・下)、1987年-1988年) ISBN 4380872122 (初版は中央公論社、折原浩訳、一冊本、1966年)


  • 折原浩『マックス・ウェーバー基礎研究序説』(未來社、1988年) ISBN 4624400305

  • W・J・モムゼン(安世舟・五十嵐一郎・田中浩訳)『マックス・ヴェーバーとドイツ政治I 1890-1920』(未來社、1993年) ISBN 4624300785

  • W・J・モムゼン(安世舟、五十嵐一郎、小林純、牧野雅彦訳)『マックス・ヴェーバーとドイツ政治II 1890-1920』(未來社、1994年) ISBN 4624300793

  • 牧野雅彦『ウェーバーの政治理論』(日本評論社、1993年)ISBN 4535580979


  • 佐野誠『ヴェーバーとナチズムの間』(名古屋大学出版会、1993年)ISBN 4815802114

  • W・J・モムゼン(中村貞二他訳)『マックス・ヴェーバー――社会・政治・歴史』(未來社、1994年)

  • W・J・モムゼン、J・オースターハメル、W・シュベントカー編(鈴木広・米沢和彦・嘉目克彦監訳)『マックス・ヴェーバーとその同時代人群像』(ミネルヴァ書房、1994年) ISBN 4623023915

  • F・H・テンブルック(住谷一彦・小林純・山田正範訳)『マックス・ヴェーバーの業績』(未來社、1997年) ISBN 4624011376

  • ヴォルフガング・シュルフター,折原浩(鈴木宗徳・山口宏訳)『『経済と社会』再構成論の新展開――ヴェーバー研究の非神話化と『全集』版のゆくえ』(未來社、2000年) ISBN 4624400518


  • 橋本努・橋本直人・矢野善郎編『マックス・ヴェーバーの新世紀――変容する日本社会と認識の転回』(未來社、2000年) ISBN 462440050X

  • フリードリッヒ・ヴィルヘルム・グラーフ編著『ヴェーバー・トレルチ・イェリネック――ハイデルベルクにおけるアングロサクソン研究の伝統』(フリードリッヒ・ヴィルヘルム・グラーフ他、聖学院大学出版会、2001年)ISBN 4915832457


  • 羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの犯罪』(ミネルヴァ書房、2002年)


  • 犬飼裕一『マックス・ウェーバーにおける歴史科学の展開』(ミネルヴァ書房、2007年)ISBN 978-4623048915


  • 雀部幸隆『公共善の政治学――ウェーバー政治思想の原理論的再構成』(未來社、2007年)ISBN 4624301056


  • 佐野誠『ヴェーバーとリベラリズム――自由の精神と国家の形』(勁草書房、2007年)ISBN 9784326351404


  • 橋本努・矢野善郎編『日本マックス・ウェーバー論争――プロ倫読解の現在』(ナカニシヤ出版、2008年)ISBN 9784779502736

  • W.=シュルフター、佐野誠・林隆也訳『マックス・ヴェーバーの研究戦略――マルクスとパーソンズの間』(風行社、2009年)ISBN 9784862580252


  • 宇都宮京子 編集、小林純 編集、中野敏男 編集、水林彪 編集『マックス・ヴェーバー研究の現在: 資本主義・民主主義・福祉国家の変容の中で』(創文社、2016年)ISBN 978-4423800294



脚注




  1. ^ “ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年2月11日閲覧。


  2. ^ 社会学


  3. ^ エアフルトは、宗教改革者マルティン・ルターが大学生活を送り、卒業後、アウグスティヌス会の修道院に入って、真摯な修道生活を送ったところ。町中の至る所に大小さまざまな尖塔がある。中心の丘の上に、この町を象徴する大聖堂が聳え立っていて、宗教的な雰囲気を醸し出している。また、東独に属していたので、ソ連の宇宙飛行士の名を取ってユリ・ガガーリン環状路10・12番がヴェーバーの生まれた家跡の番地である。生家跡であることを示す金属製の案内板が取り付けられていて、マックスと弟アルフレットの名前が浮き彫りにされている。(長部日出雄著 『マックス・ヴェーバー物語 -二十世紀を見抜いた男- 』 新潮社 《新潮選書》 2008年 30-31ページ)

  4. ^ abc長部日出雄著 『マックス・ヴェーバー物語 -二十世紀を見抜いた男- 』 新潮社 《新潮選書》 2008年 30ページ


  5. ^ 長部日出雄著 『マックス・ヴェーバー物語 -二十世紀を見抜いた男- 』 新潮社 《新潮選書》 2008年 39ページ


  6. ^ 学制仲間と祝杯挙げる、浮かれ騒ぐ、そのうちに霙(みぞれ)の道に滑って足の骨を折って入院などで、結局大学の講義を大して聞かないままハイデルブルクを去り、家帰ると母親ヘレーネにいきなり平手打ちを食うような状態であった。(長部日出雄著 『マックス・ヴェーバー物語 -二十世紀を見抜いた男- 』 新潮社 《新潮選書》 2008年 68-70ページ


  7. ^ アルザス地方の中心都市でフランス名ストラスブール、アルホンス・ドーテの短編『最後の授業』で有名


  8. ^ プロイセンで高級官僚になるための道程としては大学生活の内一年間の兵役を済ませておかねばならなかった。そこでこれまで経験したことのないような屈辱と辛酸を味わった。しかし、身体は疲労困憊していても、頭脳は疲れていないので目が冴えハイネやツルゲーネフを読んだ。この一年志願兵の衛兵勤務ははなはだ金のかかるものだった。送金依頼の手紙二は軍隊生活の実態をときにはユーモアを交えて書き、シュトラスブルクの親戚の様子も報告する長文の手紙を書いた。(長部日出雄著 『マックス・ヴェーバー物語 -二十世紀を見抜いた男- 』 新潮社 《新潮選書》 2008年 76、80・82ページ)


  9. ^ 長部日出雄著 『マックス・ヴェーバー物語 -二十世紀を見抜いた男- 』 新潮社 《新潮選書》 2008年 90ページ

  10. ^ ab長部日出雄著 『マックス・ヴェーバー物語 -二十世紀を見抜いた男- 』 新潮社 《新潮選書》 2008年 22ページ

  11. ^ ab長部日出雄著 『マックス・ヴェーバー物語 -二十世紀を見抜いた男- 』 新潮社 《新潮選書》 2008年 23ページ


  12. ^ マックス・ヴェーバー、『宗教社会学論選』中の「宗教社会学論集 序言」「世界宗教の経済倫理 序論」など。


  13. ^ カール・レヴィット『ウェーバーとマルクス』


  14. ^ なお、「経済と社会」(Wirtschaft und Gesellschaft)という表題についても、ヴォルフガング・シュルフターは「経済と社会的秩序ならびに社会的勢力」(Die Wirtschaft und die gesellschaftliche Ordnung und Mächte)としている。マックス・ヴェーバー全集(Max-Weber-Gesamtausgabe)でも両方が併記されている。参照:http://hwm5.gyao.ne.jp/hkorihara/7kyotosympo.htm


  15. ^ フリードリヒ・H・テンブルック、『マックス・ヴェーバーの業績』、未来社に収録の「『経済と社会』からの訣別 ――ヨハネス・ヴィンケルマン編集による、テクスト校訂上の説明付き『経済と社会』改訂第五版(テュービンゲン、一九七六年)に対する論評のために――」


  16. ^ 折原浩、『日独ヴェーバー論争: 『経済と社会』(旧稿)全篇の読解による比較歴史社会学の再構築に向けて』;ウォルフガング・シュルフター、折原浩、『『経済と社会』再構成論の新展開―ヴェーバー研究の非神話化と『全集』版のゆくえ』


  17. ^ 参照:http://hwm5.gyao.ne.jp/hkorihara/zuisou4.htm


  18. ^ マックス・ヴェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』(Die 'Objektivität' sozialwissenschaftlicher und sozialpolitischer Erkenntnis)


  19. ^ マックス・ヴェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』(Die 'Objektivität' sozialwissenschaftlicher und sozialpolitischer Erkenntnis)


  20. ^ ヴォルフガング・シュヴェントカー、『マックス・ウェーバーの日本 受容史の研究1905-1995』


  21. ^ 丸山眞男、『日本の思想』


  22. ^ カール・レーヴィット(柴田治三郎ほか訳)『ウェーバーとマルクス』(未來社、1966年)



関連項目







  • 新カント派

  • 宗教社会学

  • 社会学

  • 知識社会学

  • ドイツ民主党

  • 文化科学

  • プロテスタンティズム

  • 法社会学

  • 暴力の独占

  • 歴史社会学

  • 歴史主義



関連人物



  • ゲオルク・イェリネック

  • ハインリヒ・リッケルト

  • ゲオルク・ルカーチ

  • エルンスト・トレルチ

  • フリードリヒ・マイネッケ

  • カール・シュミット

  • フリードリヒ・ナウマン

  • カール・マンハイム

  • 大塚久雄

  • 内田芳明









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