フェリペ・メロ







この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はメロ、第二姓(父方の姓)はデ・カルヴァーリョです。















































































































































フェリペ・メロ Football pictogram.svg

Felipe Melo 2014-15.JPG

ガラタサライでのフェリペ・メロ (2014年)

名前
本名
フェリペ・メロ・デ・カルヴァーリョ
Felipe Melo de Carvalho
ラテン文字
Felipe MELO
基本情報
国籍
ブラジルの旗 ブラジル
スペインの旗 スペイン
生年月日
(1983-08-26) 1983年8月26日(35歳)
出身地
ヴォルタ・ヘドンダ
身長
183cm
体重
80kg
選手情報
在籍チーム
ブラジルの旗 パルメイラス
ポジション
MF (CH / DH)
背番号
30
利き足
右足


クラブ1

クラブ

出場

(得点)
2001-2003
ブラジルの旗 フラメンゴ

24

(3)
2003
ブラジルの旗 クルゼイロ

31

(2)
2004
ブラジルの旗 グレミオ

19

(3)
2005
スペインの旗 マジョルカ

8

(0)
2005-2007
スペインの旗 ラシン・サンタンデール

49

(6)
2007-2008
スペインの旗 アルメリア

39

(7)
2008-2009
イタリアの旗 フィオレンティーナ

29

(2)
2009-2013
イタリアの旗 ユヴェントス

58

(4)
2011-2013
トルコの旗 ガラタサライ (loan)

62

(13)
2013-2015
トルコの旗 ガラタサライ

52

(2)
2015-2016
イタリアの旗 インテル・ミラノ

31

(1)
2017-
ブラジルの旗 パルメイラス

13

(2)
代表歴
2009-2010
ブラジルの旗 ブラジル

22

(2)

1. 国内リーグ戦に限る。2017年4月23日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

フェリペ・メロ・デ・カルヴァーリョFelipe Melo de Carvalho, 1983年8月26日 - )は、ブラジル・リオデジャネイロ州出身のサッカー選手。カンピオナート・ブラジレイロ・セリエAのSEパルメイラス所属。ポジションはMF。




目次






  • 1 経歴


    • 1.1 ブラジル時代


    • 1.2 スペイン時代


    • 1.3 イタリア時代


    • 1.4 トルコ時代


    • 1.5 イタリア復帰


    • 1.6 ブラジル復帰




  • 2 エピソード


  • 3 タイトル


    • 3.1 クラブ


    • 3.2 代表




  • 4 脚注


  • 5 外部リンク





経歴



ブラジル時代


7歳の時に地元のサッカースクールに入団し、9歳になるとCRフラメンゴの下部組織に加入した[1]。攻撃的ミッドフィールダーのポジションで、一年先輩のFWアドリアーノや同年のDFアンドレ・バイーアなどとともにプレーした。フォワードとしてプレーすることもあり、13試合で10得点したことがあった[2]。18歳でプロ契約を結び、マリオ・ザガロ監督の下で2001年11月4日のサンパウロFC戦でデビューすると、その11日後には初得点を決めた。2002年シーズンは21試合に出場し、2003年1月にはU-20ブラジル代表としてU-20南米選手権に出場した。


彼は幼少時代からフラメンゴの熱烈なファンであったが、この時期にフラメンゴは財政難に陥り、2003年には本人の承諾なしにクルゼイロECへの移籍が決定した[1]。攻撃的ミッドフィールダーのポジションにはアレックスなどがいたため、ベンチが定位置だったが、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督に率いられたクルゼイロは、2003年にブラジル全国選手権、コパ・ド・ブラジル、ミナスジェライス州サッカーリーグの3冠を達成した。2004年シーズンはグレミオFBPAにレンタル移籍したが、やはりベンチが定位置だった。



スペイン時代


2004年、リーガ・エスパニョーラのRCDマジョルカにレンタル移籍した。シーズン途中にラシン・サンタンデールに完全移籍したが、不慣れな左ウイングで起用されたため、思うような活躍はできなかった[1]。2007年、プリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格したばかりのUDアルメリアに移籍した。ウナイ・エメリ監督の指導の下、ボランチにコンバートされ、2007-08シーズンは8位という好成績で終えた[1]



イタリア時代




ユヴェントス時代のメロ


アルメリアでの活躍により、FCバルセロナやレアル・マドリードが興味を持ったといわれているが、2008年、イタリア・セリエAの強豪クラブであるACFフィオレンティーナに移籍することになった。「フィレンツェの街の美しさと、移籍前にフィオレンティーナのホームスタジアムであるアルテミオ・フランキにて観戦し、そのティフォジの熱狂ぶりが故郷のブラジルの熱狂を思い起こさせたからだ」[3]と本人は語っている。


フィオレンティーナ移籍後はすぐにレギュラーポジションを獲得した。2009年2月10日に行われた対イタリア代表との親善試合に代表初招集、セレソンデビュー戦を飾った。その後に行われたワールドカップ南米予選の対ペルー戦では代表初得点を決めている。その得点はハーフウェイライン付近でボールをカットし、そのまま1人でドリブルで駆け上がりゴールを決めるというものであった。コンフェデレーションズカップ南アフリカ大会ではレギュラーとして出場し、グループリーグのアメリカ戦では先制点を挙げるなど優勝に貢献した。


2009年7月、移籍金2050万ユーロでユヴェントスFCに移籍した(実質的にはマルコ・マルキオンニとの交換トレード)[4]。しかし高額な移籍金に見合う活躍はできず、最も期待はずれだった選手に贈られるビドーネ・ドーロを受賞した[5]


2010年には2010 FIFAワールドカップのブラジル代表に選出され、4試合に出場。7月2日に開催された準々決勝・オランダ戦において、ロビーニョの先制ゴールをアシストしたが、後半8分にヴェスレイ・スナイデルのクロスへの対応で飛び出したジュリオ・セーザルと交錯。同点ゴール[6]を許すミスをした上、28分にはアリエン・ロッベンを踏みつけて退場処分を受けた。この失態はブラジル国内で猛烈に批判され、帰国時には空港でサポーターから罵詈雑言を浴びせられる事態になった。



トルコ時代


2011年7月にガラタサライSKに150万ユーロでレンタル移籍(1300万ユーロでの買取オプション付き)[7]。プレーオフを含む36試合に出場し12ゴールを挙げ、ガラタサライの4シーズンぶりのリーグ優勝に貢献した。しかし、ガラタサライは買取オプションを行使せず、ユベントスと交渉の結果、レンタル料175万ユーロ、650万ユーロの買い取りオプション付きという条件で引き続きガラタサライにレンタル移籍することが決まった[8]


2012年11月24日のエラズースポル戦では1点リードの後半44分にペナルティエリア内で相手選手を倒し退場となったGKフェルナンド・ムスレラに代わって急遽GKを任されると、相手のPKを止めて勝利の立役者となった[9]
2013年7月16日、ユヴェントスからガラタサライに完全移籍。移籍金は375万ユーロ[10]。契約は3年間。



イタリア復帰


2015年夏、インテル・ミラノからオファーが届き、一時はガラタサライと契約を延長するなど交渉は難航したが、移籍市場最終日に土壇場でアレックス・テレスらと共に移籍が決定した[11]。2015年9月24日のエラス・ヴェローナ戦でインテルでの初得点を挙げた。12月22日のSSラツィオ戦で、ルーカス・ビリアとの競り合いで右足を高く上げ、相手の右肩にかかと落としする形でファールを犯してレッドカードで一発退場となり、その後3試合の出場停止処分を科された[12]



ブラジル復帰


2017年1月8日、SEパルメイラスへ3年契約で移籍した[13]



エピソード


  • 憧れの選手はジーコで[2]、そのジーコが鹿島アントラーズに在籍していたことや自身が幼い頃に柔道を習っていた経験から日本に関心を持っている。ユヴェントス移籍後はしばしば妻とともに、トリノの日本料理店で寿司や刺身、てんぷらを食べている[14]


タイトル



クラブ


フラメンゴ


  • カンピオナート・カリオカ (2001)

  • コッパ・ドス・カンペオンエス (2001)


クルゼイロ



  • コパ・ド・ブラジル (2003)


  • カンピオナート・ブラジレイロ (2003)


ユヴェントス


  • ビドーネ・ドーロ (2009)

ガラタサライ



  • スュペル・リグ (2011-12, 2012-13)


  • スュペル・クパ (2012, 2013)


  • テュルキエ・クパス (2014)



代表


ブラジル代表


  • FIFAコンフェデレーションズカップ (2009)


脚注




  1. ^ abcd「運命を変えたコンバート」ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2009年10月15日号、78-79頁

  2. ^ abfootballista、ソルメディア、2009年10月28日号、14-15頁


  3. ^ フェリペ・メロ:「フィレンツェは僕にとってのブラジル」 - Goal.com 2008年5月24日


  4. ^ サッカー=ユベントス、ブラジル代表メロと契約 - ロイター 2009年7月16日


  5. ^ F・メロに“金のバケツ”賞 - Goal.com 2009年12月15日


  6. ^ メロのオウンゴールという判定だったが、試合後に変更された。スナイダーの得点に変更 - 時事ドットコム 2010年7月4日


  7. ^ Agreement with Galatasaray for the disposal of the player Felipe MeloJuventus.com、2011年7月22日


  8. ^ Felipe Melo de Carvalho Galatasaray'daGalatasaray.org、2012年8月10日


  9. ^ ガラタサライ、GKフェリペ・メロがPKストップ - Goal.com 2012年11月25日


  10. ^ Felipe Melo ceduto al Galatasaray


  11. ^ エルナネス放出のインテル、F・メロら3選手を獲得 - Goal.com 2015年9月1日


  12. ^ “かかと落とし”で一発退場のF・メロ、3試合出場停止処分に - フットボールチャンネル 2015年12月22日


  13. ^ フェリペ・メロが母国ブラジルに復帰…パルメイラスと3年契約締結 - サッカーキング 2017年1月9日


  14. ^ F・メロが語る日本愛 - Goal.com 2009年10月5日




外部リンク








  • フェリペ・メロ (@_FelipeMelo_) - Twitter


  • フェリペ・メロ - National-Football-Teams.com


  • Felipe Melo – FIFA主催大会成績 (アーカイブ)


  • フェリペ・メロ - Soccerwayによる個人成績


  • News about the Felipe Melo (Turkish Version)


  • Statistics at TFF.org (トルコ語)


  • Profile at Transfermarkt

  • ESPN Soccernet stats page

  • Sambafoot.com profile









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