改造 (雑誌)
改造[1] | |
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![]() 創刊号表紙 | |
ジャンル | 総合雑誌[1] |
刊行頻度 | 月刊 |
発売国 | ![]() |
言語 | 日本語 |
出版社 | 改造社[1] |
刊行期間 | 1919年4月-1944年6月[1] 1946年1月-1955年2月[1] |

銀座改造社ビル
2007年(平成19年)
『改造』(かいぞう)は、戦前の日本で発行されていた、社会主義的な評論を多く掲げた日本の総合雑誌。1919年(大正8年)創刊、1955年(昭和30年)廃刊。
目次
1 歴史
2 改造社
3 注
4 参考文献
5 関連文献
6 外部リンク
歴史
第一次世界大戦後の1919年(大正8年)、山本実彦が社長を務める改造社から刊行された。主に労働問題、社会問題の記事で売れ行きを伸ばした。当時はロシア革命が起こり、日本の知識人も社会問題や社会主義的な思想に関心を寄せるようになった時期であり、初期アナキストの佐藤春夫、キリスト教社会主義者の賀川豊彦、マルクス主義者の河上肇、山川均などの論文を掲載した。
小説では幸田露伴『運命』、谷崎潤一郎『卍』、志賀直哉『暗夜行路』の連載などがある。また改造誌上にて当代を代表する谷崎潤一郎と芥川龍之介の文豪同士の「小説の筋の芸術性」をめぐる文学論争が繰り広げられることになり、文壇問わず注目される展開となった。文学面でも単なる文芸誌以上の内容の重厚さを見せる『改造』が支持され、より売上を伸ばす結果となった。
1927年8月号で創刊十周年懸賞創作募集を告知、1939年まで10回にわたって実施した(1935年まで年1回、以後2年に1回)[2]。
第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)、掲載した論文が共産主義的であるとして弾圧を受け(横浜事件)、1944年(昭和19年)に廃刊となる。第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)に復刊するが、経営は思わしくなく、1952年山本の死去により急速に衰え、労働争議の末、1955年(昭和30年)に廃刊。同年、元編集長の原勝が、三木武夫の保守合同をなそうとする意図および、それに対する保守党領袖の反応を詳細に分析してアメリカ合衆国国務省に知らせている。[3]
なお版元の改造社は、現在では改造社書店、改造図書出版販売株式会社として複数店舗で書籍の販売業などを営んでいるが、書籍の編集、出版は行っていない。
改造社
1919年(大正8年) - 総合雑誌『改造』創刊。
1921年(大正10年) - イギリスの著名な論理学者バートランド・ラッセルを日本に招聘。
1922年(大正11年) - アインシュタインを日本に招聘する。
1926年(大正15年) - 『現代日本文学全集』を1冊1円で発売し、円本ブームを起こす。
1929年(昭和4年) - 岩波文庫に対抗して改造文庫を発刊。
1933年(昭和8年) - 『文藝』を創刊。
1944年(昭和19年) - 解散、『文藝』を河出書房に売却。
1946年(昭和21年) - 再建、西田義郎が『改造』編集長となる。
1952年(昭和27年) - 山本死去
1954年(昭和29年) - 佐々木績が『改造』編集長となる。
1955年(昭和30年) - 倒産。
注
- ^ abcde『改造』 - コトバンク
^ 和泉司 (2008年6月). “『改造』懸賞創作の行方 さまよえる懸賞作家と翻弄されるテクスト”. 『三田國文』47号. 慶應義塾大学国文学研究室. p. 37-41. 2018年11月24日閲覧。
^ 国務省諜報調査局文書。リチャード・ラム筆。 RG 59, 1561, Records of the Bureau of Intelligence and Research 1945-1960, box7-14.
参考文献
- 関忠果、小林英三郎・松浦総三・大悟法進編著 『雑誌『改造』の四十年 付・改造目次總覧』 光和堂、1977年5月。
関連文献
水島治男『改造社の時代 戦前篇/戦中篇』図書出版社 1976
松原一枝『改造社と山本実彦』南方新社 2000
太田哲男『若き高杉一郎 改造社の時代』未來社 2008
木佐木勝『木佐木日記』現代史出版会 1975-76
外部リンク
- 山本実彦 (2004年3月16日). “改造の十五年”. 日本ペンクラブ. 2011年11月19日閲覧。
『「改造」直筆原稿の研究 山本実彦旧蔵・川内まごころ文学館所蔵』 紅野敏郎・日高昭二編、雄松堂出版、2007年10月。ISBN 978-4-8419-0460-4。 - 付属資料のDVD収録画像を公開しているデータベース。