ギヨーム8世 (アキテーヌ公)
この記事は語句の内部リンク、見出しのマークアップなどスタイルマニュアルに沿った修正が必要です。ウィキペディアの体裁への修正にご協力ください(ヘルプ)。(2018年8月) |
ギヨーム8世 Guillaume VIII | |
---|---|
アキテーヌ公 | |
ギヨーム8世の墓所 | |
称号 | アキテーヌ公:1058年 - 1086年 |
出生 | 1025年 |
死去 | 1086年9月25日 フランス王国、シゼ |
配偶者 | ガルサンド・ド・ペリゴール |
マティルド | |
オデアルド・ド・ブルゴーニュ | |
子女 | 一覧参照 |
父親 | アキテーヌ公ギヨーム5世 |
母親 | アニェス・ド・ブルゴーニュ |
ギヨーム8世(フランス語:Guillaume VIII, 1025年 - 1086年9月25日)は、アキテーヌ公およびポワティエ伯(ポワティエ伯としてはギヨーム6世, 在位:1058年 - 1086年)。はじめはガスコーニュ公(在位:1052年 - 1058年)で、アキテーヌ公となる前はギー=ジョフロワ(Guy-Geoffroi)と名乗っていた。アキテーヌ公ギヨーム5世(偉大公)とその3番目の妃であったブルゴーニュ公オット=ギヨームの娘アニェスの末息子。兄にギヨーム6世とウードおよびギヨーム7世が、義兄に神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世がいる。
生涯
ギヨーム5世の2番目の妃はガスコーニュ公の娘で、このためガスコーニュはアキテーヌの統治下におかれていた。ギー=ジョフロワは兄ギヨーム7世の在位中にガスコーニュ公となり、1058年にギヨーム7世が嗣子なくして死去したことを受けてアキテーヌ公ギヨーム8世となった。
ギヨーム8世は1064年にバルバストロ(ウエスカ県)を包囲されたアラゴン王ラミロ1世を援けるための連合軍の指導者の1人だった。この連合軍はローマ教皇アレクサンデル2世の提唱によるもので、後の十字軍の先駆となった。アラゴンと連合軍は都市を征服し、住民を殺害して多くの戦利品を獲得した。しかしアラゴンは翌年にはこの都市を奪還された。ギヨーム8世の2人の娘がともにイベリア半島の王に嫁いでいることから明らかなように、当時スペインのキリスト教勢力との同盟関係は重要視されていた。
子女
ギヨーム8世は3度結婚し、少なくとも5人の子供が知られている。
最初の妃はペリゴール伯アルダベール2世(Aldabert II)の娘ガルサンド(Garsende de Périgord)であったが子供は生まれず、彼女は後に離婚して尼となった。
2人目の妃マティルド(Mathilde)との間には1女が生まれたが、ギヨーム8世は不妊を理由に1068年5月に離婚した。
- アニェス(1052年 - 1078年) - カスティーリャ王アルフォンソ6世最初の妃
3人目の妃は又従兄に当たるブルゴーニュ公ロベール1世(Robert I)娘オデアルド(Audéarde,あるいはHildegarde,イルデガルドとも呼ばれる)で、彼女との間に以下の子女をもうけた。しかしこの結婚が正当であるという承認を得るために、ギヨーム8世はローマの教皇のもとへ赴かなければならなかった。
ギヨーム(1071年 - 1127年) - アキテーヌ公- ユーゴ(? - 1126年以降)生年不詳だが、1096年あるいは1104年とされる[1][2]
- アニェス(1072年 - 1097年) - アラゴン王ペドロ1世妃
- ベアトリス(? - 1110年) - カスティーリャ王アルフォンソ6世[3]と1108年に結婚、アルフォンソにとっては5度目の結婚で最後の王妃[4][5]結婚した翌年にアルフォンソと死別。寡婦となり後にメーヌ伯エリー1世と再婚し後妻になったとされる
他、名前不詳の愛人との間に庶子が3人、その内の1人は娘であるとされる
- アニェス(? - 1151年以降)[6]
脚注
^ “Guglielmo VIII di Aquitania” (イタリア語). Wikipedia. (2017-07-04). https://it.wikipedia.org/w/index.php?title=Guglielmo_VIII_di_Aquitania&oldid=88769292.
^ Gachard, M. (1863). “III. Note sur un cartulaire de la collégiale de Sainte-Croix, à Liège”. Compte-rendu des séances de la commission royale d'histoire 33 (5): 419–422. doi:10.3406/bcrh.1863.2771. ISSN 0770-6707. https://doi.org/10.3406/bcrh.1863.2771.
^ “Recueil des historiens des Gaules et de la France. Tome 12 / [éd. par Dom Martin Bouquet,... ; nouv. éd. publ. sous la dir. de M. Léopold Delisle,...]” (フランス語). Gallica (1840-1904). 2018年8月10日閲覧。
^ “AQUITAINE DUKES”. fmg.ac. 2018年8月10日閲覧。
^ MAREK, Miroslav. “Poitou 1”. genealogy.euweb.cz. 2018年8月10日閲覧。
^ “AQUITAINE DUKES”. fmg.ac. 2018年8月10日閲覧。
|
|
|