糸井嘉男
阪神タイガース #7 | |
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2018年5月12日、マツダスタジアムにて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府与謝郡与謝野町[1] |
生年月日 | (1981-07-31) 1981年7月31日(37歳)[2] |
身長 体重 | 188[3] cm 98[3] kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2003年 自由獲得枠[2] |
初出場 | 2007年3月27日[2] |
年俸 | 4億円(2018年)[4] ※2017年から4年契約[5] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
WBC | 2013年 |
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糸井 嘉男(いとい よしお、1981年7月31日 - )は、京都府与謝郡与謝野町出身[6]のプロ野球選手(外野手)。右投左打[2]。阪神タイガース所属。
NPB史上初の6年連続打率3割・20盗塁・ゴールデングラブ賞達成者[7]および、NPB史上最年長盗塁王記録保持者[8]。愛称は「超人」[9][8]「ヨッピ」[10]。
目次
1 経歴
1.1 プロ入り前
1.2 日本ハム時代
1.3 オリックス時代
1.4 阪神時代
2 選手としての特徴
2.1 打撃
2.2 守備
2.3 走塁
3 人物
4 詳細情報
4.1 年度別打撃成績
4.2 年度別打撃成績所属リーグ内順位
4.3 WBCでの打撃成績
4.4 年度別守備成績
4.5 タイトル
4.6 表彰
4.7 記録
4.8 背番号
4.9 登場曲
4.10 代表歴
5 脚注
5.1 注釈
5.2 出典
6 関連項目
7 外部リンク
経歴
プロ入り前
中学時代は学校の軟式野球部に所属。3年時、勝てば府大会へと繋がる試合の直前、練習中に糸井がベンチに座りこんでいたのを見つけた顧問の教師に「帰れ!」と怒鳴られ、本当に帰宅してしまう(その教師はあくまでも制裁で言っただけで本当に帰らすつもりはなかった)[11][12]。チームも早々に敗退してしまい、強豪校からの誘いを受けられず、岩滝町に隣接する宮津市にある宮津高校に進学した[11]。
高校入学直後に中学時代から割れていた膝の皿を手術[13]。リハビリを行い2年時にようやく走れるようになる[11]。2年の春先の練習試合で復帰登板を果たすが一人に投げ終えた所ですぐに肩の痛みを発症し降板[13][14]。今度は肩を手術することとなり、その後医師の許可が降りた3年春からようやく復帰[14]。実質3年時の4ヵ月しかプレーしていなかったが、投手として阪神のスカウトからも注目される[14]。それでもドラフト会議での指名が確実ではなかったことから4年後を見据え、近畿大学に進学した[15]。
近大野球部では、1年秋から先発を務めていた同学年でエースの野村宏之や、1学年下の貴志款八(その後日本新薬)の陰に隠れ、3年時の2002年春まで関西学生野球連盟のリーグ戦出場がなかった。しかし同年の秋季リーグでデビューを果たすと、4年時の春季リーグではエースとして2度の完封勝利を含む5連勝(無敗)の大活躍でリーグMVP・最優秀投手・ベストナインの三冠に輝いた。大学通算成績は19試合に登板、9勝2敗、防御率1.49であった。同期には田中雅彦や中村真人らがいる。
2003年11月19日に行われたプロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズに自由獲得枠で指名され入団。背番号は26。
日本ハム時代
2004年-2005年は、2年間は一軍登録されることはなく、二軍では通算36試合に登板し、8勝9敗3セーブで防御率は4.86であった。
2006年4月25日に正式に外野手にコンバート。投手として結果を残すことは出来なかった糸井だが、高田繁GMに野手としての素質を見込まれての転向であった。すると転向僅か5ヶ月にして9月度のイースタン・リーグ月間MVPを受賞(月間打率.397)。2軍のシーズン成績は打率.306、8本塁打、8盗塁を記録。シーズン中の一軍出場はなかったが、11月のアジアシリーズでは出場登録28人枠入りし、11月11日のチャイナスターズ(中国野球リーグ選抜チーム)戦にて途中出場で1軍初出場を果たした。
2007年、2年目にして開幕一軍入りを果たすが、結果を残せずすぐに二軍落ち。その後故障もあったが9月に再昇格し、プロ初安打・初盗塁を記録。しかしその盗塁の際に足を痛めてしまい、すぐに登録抹消となった。二軍では同僚の金子洋平に次ぐイ・リーグ2位の12本塁打をはじめ、打率.319、長打率.579、14盗塁と好成績を残した。
2008年は左翼手として初の開幕戦先発出場を果たすものの、3月30日に楽天戦で負った肉離れを押して試合に出続けた事により、故障箇所を悪化させてしまい二軍落ち。一軍復帰後にはプロ入り初を含む5本塁打を打つ。クライマックスシリーズ第1ステージでは1番打者に抜擢された。
2009年は2年連続の開幕スタメンの座を掴むと[16]、打順は主に7番や2番、ポジションは前年まで3年連続でゴールデングラブ賞を獲得していた森本稀哲を押しのけセンターとしてそのままレギュラーに定着。6月には初の月間MVPを受賞。「不安ばっかりだったが、必死に練習してきた。起用してくれた監督、コーチ、そして転向を打診してくれた高田監督(当時東京ヤクルト監督)に感謝したい」と秘めた思いを口にした[16]。7月には監督推薦によりオールスターゲームにも初出場を果たした[17]。シーズン終了までレギュラーを守り、チームのリーグ優勝に貢献。自己最多となる131試合に出場し、初めて規定打席に到達し、打率.306(リーグ7位)、15本塁打、24盗塁(同7位)、出塁率.381(同6位)、長打率.520(同4位)、OPS.901(同3位)という成績をマークし、パ・リーグ外野手部門2位でベストナインを[18]、同外野手部門1位でゴールデングラブ賞[19]を初受賞した。契約更改では3倍以上増となる年俸6,000万円(推定)でサインし、「投手で入って野手になったときは1軍が目標だった。活躍できるなんて想像もしていなかった」と喜びを口にした[20]。
2010年はターメル・スレッジが退団した影響で主に「5番センター」としてクリーンアップの一角を担った。6月15日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では1試合4二塁打を放った。イチローや井口資仁ら好打者に並ぶ史上10人目の記録だが「ホンマですか。必死なだけです」と語った[21]。7月1日には、選手間投票により2年連続でのオールスターゲーム選出を果たす。本拠地最終戦の9月26日の西武戦(札幌ドーム)では9回裏にサヨナラ打を放ち、勝利を引き寄せた[21]。この年は前年を上回る打率.309に64打点、26盗塁、さらに初の4割台となる出塁率.407を記録。2年連続でゴールデングラブ賞をパ・リーグ外野手部門の1位で獲得[22]。オフの契約更改にて年俸1億円の大台に到達した他[23]、背番号を同年まで坪井智哉がつけていた7に変更。背番号7に変更された際、「坪井さんの付けてた背番号なので相当な重みを感じています。」とコメントしていた。この記事を見た坪井は自身の公式ブログで「涙が出そうになった」とコメントし、『7番似合ってるやん!』と糸井にメールしたことを明かしている[24]。
2011年、打順は稲葉篤紀に代わる3番にまで昇格。相手投手の攻めも厳しさを増し、リーグトップタイの19の死球を受け[25]、8月には右手小指に死球を受けて骨折しながらも痛みを押して出場を続けた[25][26]。それでも打率はシーズン中盤までリーグ首位に立ち、最終的に自己最高でリーグ2位の.319を記録、本塁打も11本放ち3年連続の打率3割・2ケタ本塁打を記録した[25]。出塁率は12球団全選手の中で唯一4割を超え、自身初タイトルとなる最高出塁率を獲得し、「出塁は毎年意識しており、(タイトルを)獲得できて光栄」と喜びを語った[25]。31盗塁も自己最多でチームトップ[25]。守備でも3年連続でゴールデングラブ賞を受賞[25]。2年ぶり2度目のベストナインはリーグ外野手部門の1位で獲得した[27]。12月13日、9,000万円増の年俸1億9,000万円(推定)でサインし、野手転向者としては石井琢朗が横浜時代の2005年の年俸2億5,000万円に次ぐ高額年俸となった[28]。
2012年、右翼への安打時の一塁走者の三塁進塁を気にかけていた首脳陣の、右翼手の陽岱鋼と「センターの守備力は変わらない。ならば(糸井)嘉男の強肩を生かす布陣の方が良い」という考えにより右翼手にコンバートされる[29]。オールスターゲームには稲葉篤紀に次ぐ両リーグ2位の得票を集め初めてファン投票で選出され、4年連続の出場を果たした[30]。しかし怪我を抱えてのプレーとなり[26]、前半戦は僅か2本塁打で、5月16日以来8月3日まで本塁打が出ないなど思いがけない不振に見舞われた[31]。8月25日の試合前練習で左脇腹を痛め、翌日に登録抹消[26]。「負けられない戦いの中、怪我をして不甲斐なかった」と、患部が完治していない状態で9月7日に3番右翼でスタメン復帰し、7回に右前打を放って意地を見せた[26]。9月に打率.380、15打点でリーグ2位、出塁率.473、長打率.608はリーグトップの成績を記録し[32]、5本の先制打、1本の勝ち越し打を放ってチームの3年ぶりのリーグ制覇の大きな原動力となり[32]、3年ぶり2度目の月間MVPを獲得。最終的にシーズン成績は打率は4年連続で3割を超える.304(リーグ3位)をマーク、出塁率は.404で2年連続で最高出塁率のタイトルを獲得という成績を残し[26]、守備ではゴールデングラブ賞を4年連続で獲得し、
ベストナインは2年連続でリーグ外野手部門の1位の得票で2年連続3度目の受賞を果たした[33]。ポストシーズンに入っても好調を維持し、クライマックスシリーズファイナルステージ(札幌ドーム)では初戦と第2戦に2試合連続本塁打を放ちチームの日本シリーズ進出に貢献。初のクライマックス・シリーズMVPを受賞した[34]。11月17日、18日に行われた「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表に選出され[35]、
第2戦では自身初めて侍JAPANの4番に抜擢され4打数2安打を放った[36]。契約交渉では1,000万円増の2億円(推定)の翌年の年俸の提示を受け、これに保留[37]。球団はこのような評価となった理由を「糸井の成績は上がっているわけではない」とした。2度目の交渉からは代理人を伴ったものの交渉は上手くいかなかった[38]。
オリックス時代
2013年1月25日、木佐貫洋・大引啓次・赤田将吾との交換トレードで、八木智哉と共にオリックス・バファローズへ移籍することが発表された[39]。激震が走った大型トレードに、チームメイトの武田勝は「痛手であることは間違いない。僕らも気持ちの整理をつけてキャンプに臨みたい」と語り[40]、日本ハム時代に一緒にトレーニングをする仲だったという元同僚で当時テキサス・レンジャースのダルビッシュ有も「糸井さんトレードとか、ありえん」と自身のツイッターにツイートし、衝撃が走ったことを素直に表現した[41]。翌26日にほっともっとフィールド神戸で記者会見した糸井は、「関西出身なので、小さいころからよくテレビで見ていた。優勝目指して頑張りたい」と抱負を語った[42]。なお背番号は日本ハム時代と同じ7となった。2月20日に第3回WBC日本代表選手28人に選出された[43][44]。この大会では全7試合に出場し、打率.286、1本塁打、7打点、OPS1.024を記録した[45]。
シーズンでは安定した調子を維持し、5年連続での打率3割、ゴールデングラブ賞受賞をクリアしたほか、すべて自己最多の157安打、17本塁打、33盗塁(リーグ3位)を記録[46]。オールスターゲームにはファン投票で唯一の40万票超えとなる約43万票で自身初の両リーグ最多得票となり5年連続で出場[47]。オフの契約更改では自己最高の2億5,000万円プラス出来高(推定)で契約を更改し、その会見の際に「今は将来のことは考えていない。(メジャーへの思いは)でっかい大胸筋の奥に秘めておきます。」と冗談混じりに大リーグ挑戦の思いを一時的に封印すると述べた[48]。
2014年5月10日の日本ハム戦(ほっともっとフィールド神戸)では6回に5号先制3点本塁打を放ち、続く7回にも自身初の2打席連続本塁打となる6号ソロ本塁打を放った[49]。6月8日の広島東洋カープ戦(マツダ)ではプロ初の4番に座り、8号決勝2ラン本塁打を放った[50][51]。この試合以降4番として出場し、8月14日からは再び3番に戻ったが、多くの試合で4番として出場した[51]。シーズン終盤まで1位であった盗塁は、過去にパ・リーグでシーズン50試合以上で4番に座り盗塁王を獲得した選手はいないため、パ・リーグ史上初の「4番で盗塁王」なるかと注目された[51]。7月18日、19日に行われたMAZDAオールスターゲーム2014には、前年を上回る487,246票で2年連続でファン投票両リーグ最多得票を集め[52]、選手間投票でも両リーグ最多得票で選出され[53]、6年連続での出場を果たした。最終的に自己最高の打率.331で初の首位打者、同じく出塁率.424で2年ぶり3度目の最高出塁率のタイトルを獲得。2年ぶり4度目のベストナインと、6年連続のゴールデングラブ賞にも選出され、史上初の「6年連続打率3割・20盗塁・ゴールデングラブ賞」という快挙を達成した[7]。シーズン終了後の日米野球2014には、日本代表[54]の3番打者として出場した。契約更改では1億円増の年俸3億5, 000万円プラス出来高払い(推定)でサインしている[55]。
2015年、オリックスの主将に就任[56]。一軍公式戦では、5月20日に通算1000安打[57]、7月30日に通算100本塁打、9月2日に通算1000試合出場[58]と節目の記録を次々と達成。その一方で、シーズン序盤から満身創痍の状態で出場を続けた結果、7月2日に右肘靱帯や右足首腱の損傷で戦線を離脱した[59]。そのまま前半戦を終えたが、外野手部門のファン投票で3位に選ばれたオールスターゲームには、指名打者として出場した。後半戦から復帰し、7月30日の日本ハム戦(わかさスタジアム京都)では、プロ入り後初めての地元・京都での公式戦に出場し凱旋を果たす。その試合では1回裏に8号先制2ラン本塁打を放つと、5回裏には勝利を決定づける9号3点本塁打を放ち、この本塁打で一軍公式戦通算100号本塁打を達成した[60]。同時に1試合における自己最多打点も記録。試合後のヒーローインタビューでは、「思いが詰まった球場で(通算100本塁打を)達成できて嬉しい。光栄です」と述べた[61]。ここから調子を上げ、8月は打率.293、6本塁打、18打点、出塁率.409、さらに9・10月は打率.330、出塁率.434、12打点と復調した[62]。シーズン終了後には、推定年俸2億8,000万円(7,000万円減)で契約を更改[63]。さらに、PRP療法(自身から採取した血小板で左膝組織の修復や再生を図る自己多血小板血漿療法)を受けることで、左膝の回復を図った[64]。
2016年は開幕戦から10試合連続安打を記録[65]。4月13日の日本ハム戦(京セラドーム大阪)では、5回裏の打席で自身およびチームのシーズン初本塁打を放ち、前日にチームが至った2リーグ制導入後のワーストの開幕13試合連続本塁打無しという記録も止まった[66]。翌日の同カードでは、2試合連続本塁打(ソロ本塁打)でチーム唯一の得点を挙げ、チームにシーズン初の連勝をもたらした[67]。オールスターゲームにも、前年に続いてパ・リーグ外野手部門のファン投票で3位に入り、8年連続で出場した。8年連続の出場は、この年の出場選手で最も長い[68]。8月13日の対西武戦(西武ドーム)第1打席で、一軍公式戦4000打数(NPBにおける通算打率の規定打数)に到達[注釈 1]。9月15日の日本ハム戦で1回表にルイス・メンドーサから初球で13号先頭打者本塁打を放ったことを皮切りに、公式戦では自身初の3打数連続本塁打を記録。「同一選手による1回表の先頭打者初球本塁打を含む1試合3本塁打」というNPB史上初の快挙も達成した[70][71]。さらに、次のカードの9月17日・18日のソフトバンク戦(福岡 ヤフオク!ドーム)でも本塁打を放ち、自身初の3試合連続本塁打を記録[72][73]。走塁面では、5月8日の千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)で、一軍公式戦通算200盗塁を記録[74]。35歳の誕生日を迎えた7月31日の対西武戦(京セラドーム大阪)でシーズン自己最多の34盗塁を記録する[75]と、8月下旬からは1番打者に起用された。9月6日のソフトバンク戦(福岡 ヤフオク!ドーム)の7回表にニ盗を成功させたことによって、シーズン50盗塁に到達[76][77][注釈 2]。シーズン終盤には、猛烈な勢いで盗塁数を増やしてきた金子侑司(西武)との間で、熾烈な盗塁王争いを展開。最終的に53盗塁を記録し金子と分け合う形で自身初の盗塁王を獲得した。35歳2ヶ月での盗塁王獲得は史上最年長となる[79]。また、「34歳で開幕を迎えたシーズンの盗塁王獲得」という日本プロ野球史上4人目の快挙を成し遂げた[80]。シーズン終了後にはゴールデングラブ賞(いずれもパ・リーグ外野手部門)を受賞。ゴールデングラブ賞への選出は通算7度目で、セ・パ両リーグの現役選手としては最も多い[81]。
3月28日に取得していた国内FA権[82]を11月7日に行使することを表明[83]。11月10日付で、NPBからフリーエージェント宣言選手として公示された[84]。既にシーズン中から読売ジャイアンツや阪神タイガースなどの他球団が、糸井の獲得に興味を示していることを示唆する報道が相次でおり[85][86][87][88]、その一方で、オリックスも推定年俸総額18億円規模の4年契約を提示するなど慰留につとめていた[89][90][91]。
阪神時代
2016年11月21日に、阪神タイガースが契約合意を正式発表[92]。契約期間は4年で、年俸総額は推定18億円以上(推定)[93]。背番号は前年まで西岡剛が使用した7を譲り受け、西岡は背番号5に変更となった[94]。
2017年、金本知憲監督から早々に正中堅手の座を確約されていたが、1月の自主トレーニング中に右膝の関節炎が再発[95]。春季キャンプでは一軍の「沖縄組」へ参加したものの、本隊と別のメニューによる調整で患部のリハビリを優先させた[96]。3月15日の古巣オリックス戦(京セラドーム大阪)でオープン戦初出場[97]。3月31日のシーズン開幕戦(広島戦、マツダスタジアム)に「3番中堅手」として移籍後公式戦初出場を果たし、四球を選んだあとの3回無死一、ニ塁の第2打席で左中間越えの2点タイムリーツーベースを放った[98]。4回一死ニ塁でもダメ押しの右翼線適時打、7回にも左前打を放ち、この日3安打猛打賞の活躍でタイガースデビューを飾った[99]。移籍初戦でヒーローインタビューを受け、「いろんな意味で大事な試合に活躍できてよかった。一戦一戦、死ぬ気で戦うだけです!」と語った[100]。7月17日の広島戦、5回裏で出場した打席で、チェンジアップを空振りした際に右の脇腹を痛め、途中交代した。翌日、右脇腹の筋挫傷であることが判明し、登録抹消を余儀なくされた[101]。8月17日に1軍に復帰[102]。8月30日のヤクルト戦では、10回裏2死で迎えた第4打席で、プロ入り後初となる値千金のサヨナラソロ本塁打を右翼席へ放った[103]。そのままシーズン最終戦及びクライマックス・シリーズまで全試合に出場。1軍復帰した8月17日時点の打率は.267であったが[104]、9月16日まで打率.297まで上昇。自身8度目の3割へ射程圏内にいた[105]。最終的に打率.290でシーズンを終え、初めて規定打席に到達した2009年[16]以降、自身2度目となる3割を切る数字となったが[106]、リーグ打撃10傑入りは果たした[107]。また出塁率はリーグ7位の.381を記録[108]。レギュラーに定着以降最少の114試合の出場ながら[106]、自己2位の17本塁打[106]、同5位の62打点[106]やリーグ4位タイの21盗塁を記録した[109]。
選手としての特徴
NPB入り後に投手から野手へのコンバートに成功した選手として知られ[110]、日本を代表する5ツールプレーヤーであり[111]、史上初の「6年連続打率3割・20盗塁・ゴールデングラブ賞受賞」を成し遂げている[7]。しかし2015年には膝の故障によりその全てが途絶え(本塁打は17本を記録)、レギュラー定着後最低のシーズンとなったが[112]、オフに左膝の改善を図り、自身から採取した血小板を使って組織の修復や再生を図るPRP注射と呼ばれる治療を受けた[64]。すると2016年には再び打率.306と53盗塁をマークし、ゴールデングラブ賞を受賞。また17本塁打・70打点(共に自己2位)を記録。見事に復活を果たし、年を重ねるごとに進化している[112]。
打撃
8打席に1つ近い割合で四球を選ぶ優れた選球眼を持ち、またカウントに応じて打球方向を変える器用さも併せ持つ[113]。
芯でボールを捉えた時に日本人離れした打球の速さと飛距離を見せるパワーを持ち[114]、広い札幌ドームでも左方向へ本塁打を放つことができる技術を持つ[115]。レギュラー定着後8シーズンのうち統一球導入年の2011年、2012年以外の全6シーズンで15本塁打以上を記録している。打者転向当初の2008年から2010年までは左投手に対して打率.278と苦手にしていたが、2011年からは対左通算打率.304と克服した[113]。
打率と出塁率では、前述したように、2016年シーズン中にNPBの通算成績規定を満たした。通算出塁率.394は、NPB現役選手の最高記録である。また、現役選手からただ1人、歴代出塁率ランキングベストテンにランクイン(史上9位)。さらに、通算打率.301は史上23位で、現役選手では青木宣親、内川聖一に次ぐ3位に相当する[116](いずれも2018年終了時点)。
守備
一塁到達まで基本的に4秒を切り、バントヒットで一塁到達3.54秒を計測したこともある脚力を生かした広い守備範囲と[117]、肩の強さと制球力を持つ[118]。遠投120メートル[119]。投手として最速151km/hをマークした[120]。
中堅守備では後方の打球に強く、2010年にはUZR0.9を記録[121]。2012年には、右翼守備でUZR25.9を記録[122]。一方で自ら「内野手みたい」と語るなどのポカも多く[123]、2010年から3年連続で外野手リーグ最多失策を記録。2013年には失策数を1に留め、外野手としてリーグ4位の守備率.995を記録したが[124]、UZRは右翼守備でマイナスを記録した(-10.2)[125]。
走塁
牽制でベースに戻ることひとつ取っても、研ぎ澄まされたセンスと能力を持ち併せており、盗塁の失敗率が低い[126]。また、スタートを判断する嗅覚も優れている[126]。2015年は膝の故障の影響で11盗塁と数字が減少したが、この年のオフに上述のPRP注射を受けたことに加えて膝に負担のかからない走り方をマスターしたことで[127]、2016年9月6日に50盗塁に到達。NPBで35歳以上の選手が50盗塁以上を記録した前例は、1983年に福本豊が35歳11か月で54盗塁したのみで、糸井は33年振り史上2人目の快挙を成し遂げた[78]。福本、大石大二郎の34歳11ヶ月を上回る35歳2ヵ月での受賞で、史上最年長盗塁王となった。その背景には、その年に就任したヘッドコーチの西村徳文と打撃コーチの高橋慶彦から、「もっと走れる」と言われ上限を定めずに走るようになった影響がある[128]。
人物
父はトライアスロンの元選手で、母はバレーボールの元国体選手[129]。祖父は元高校体育教師で、教え子に野村克也がいる[113]。
オリックス移籍後の2015年には、当時の森脇浩司一軍監督からの任命を受けて、野球人生で自身初の主将に就任した[130]。しかし、チームは優勝候補と目されながら、森脇がシーズン途中で休養(後に監督を辞任)するなど低迷。糸井自身も、「(前年の好成績から)長打を増やすことを意識し過ぎたことに加えて、主将の肩書がプレッシャーになった」と述懐するなど、開幕から極度の打撃不振に見舞われた[131]。2016年には、前年途中から一軍監督代行を務めていた福良淳一新監督の方針で主将を置いていないが、糸井は「(2015年限りで)主将をクビになった」と受け止めていた[132]。
日本ハム時代から打席に入る際の登場曲としてSMAPの「SHAKE」を使用[133][10]。オリックス時代には、本拠地の京セラドーム大阪やほっともっとフィールド神戸では、「二人ならヤレルヤ~♪」というサビの部分の歌詞を「糸井ならヤレルヤ~♪」に変えたうえで、同球団のファンがサビを合唱することが恒例になっていた。そのSMAPは2016年末で解散し、同時期に糸井自身も阪神への移籍と共に転機を迎えたが、糸井は移籍後も「SHAKE」を登場曲に使い続けている[134]。「糸井ならヤレルヤ~♪」のコールも阪神ファンに受け継がれている。
オリックスから阪神への移籍については、移籍が決定した際に、「毎日悩みに悩んできた。」「今までどんなときも温かく声援くださったオリックスファンの皆さんには感謝の気持ちでいっぱい。その想いも踏まえた上でやはり今回の決断に至った中には、野球人として成長するために自分の中で変化というものが必要ではないかと考え、自分を奮い立たせて新しい環境でチャレンジすることにより更に成長出来るのではないかという強い思いと、そして何より金本監督の熱意に心を打たれたことがあった」と述べている[135]。移籍が正式に発表される直前(2016年11月23日)には、退団が決定していたにもかかわらず、オリックスのファン感謝イベントに出席。大声援で迎えられ、「(自分の名前の入った)旗を振っていてくれたり、タオルを掲げてくれていたので何か出来ることあるかな思っていた」と自身のバットに「ありがとう」と記してファンに手渡しし、最後はハイタッチして回るなど4年間を過ごした「どんなときも応援してもらえてありがたい。最後にみんなに会えてよかった」というファンに感謝の気持ちを示した[136]。同年11月25日に開かれた阪神への入団会見には、およそ200人もの報道陣が集結。糸井は、12台のテレビカメラを前に、阪神のイメージを「記者が多いなと。熱狂的なファンとマスコミのイメージが大半ですね」と表現した。また、「チームがトップに立つために、金本監督を胴上げするために一つでもチームに貢献したいなと思います」と語っている[137]。さらに、翌26日にゲストで出演した『せやねん!』(MBSテレビ制作の生放送番組)では、2017年の公約として「お立ち台(公式戦でのヒーローインタビュー)7回」を挙げた[138]。
2017年から阪神でチームメイトになる西岡剛とは、自身と同じパ・リーグの球団出身である縁で、阪神への移籍前から親交がある。糸井の阪神移籍に際しては、西岡が同球団で2016年まで付けていた背番号7を糸井に譲渡する意向を示したうえで、背番号を5に変更した。西岡もロッテに入団した2003年から延べ12年間にわたって背番号7を付けていたが、糸井が阪神でも7番の着用を希望していることを知ったため、「糸井さんは自分より実績がある」という理由で背番号を譲ることを決意。糸井の移籍交渉中には、糸井本人に連絡したうえで、「背番号を7番にするなら、気分よく(阪神に)来て下さい」とのメッセージを伝えたという[94]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | 日本ハム | 7 | 11 | 11 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .091 | .091 | .091 | .182 |
2008 | 63 | 205 | 188 | 19 | 45 | 14 | 1 | 5 | 76 | 21 | 13 | 3 | 5 | 0 | 10 | 1 | 2 | 53 | 6 | .239 | .285 | .404 | .689 | |
2009 | 131 | 496 | 425 | 74 | 130 | 40 | 3 | 15 | 221 | 58 | 24 | 6 | 18 | 1 | 46 | 8 | 6 | 93 | 6 | .306 | .381 | .520 | .901 | |
2010 | 138 | 583 | 488 | 86 | 151 | 33 | 3 | 15 | 235 | 64 | 26 | 8 | 13 | 1 | 71 | 2 | 10 | 94 | 7 | .309 | .407 | .482 | .889 | |
2011 | 137 | 578 | 489 | 72 | 156 | 30 | 0 | 11 | 219 | 54 | 31 | 6 | 9 | 2 | 59 | 2 | 19 | 91 | 5 | .319 | .411 | .448 | .859 | |
2012 | 134 | 597 | 510 | 72 | 155 | 21 | 3 | 9 | 209 | 48 | 22 | 9 | 0 | 1 | 75 | 2 | 11 | 86 | 9 | .304 | .404 | .410 | .813 | |
2013 | オリックス | 141 | 601 | 524 | 75 | 157 | 33 | 2 | 17 | 245 | 61 | 33 | 9 | 0 | 3 | 66 | 1 | 8 | 93 | 6 | .300 | .384 | .468 | .852 |
2014 | 140 | 590 | 502 | 73 | 166 | 36 | 2 | 19 | 263 | 81 | 31 | 9 | 0 | 4 | 70 | 7 | 14 | 73 | 7 | .331 | .424 | .524 | .948 | |
2015 | 132 | 565 | 484 | 61 | 127 | 22 | 0 | 17 | 200 | 68 | 11 | 4 | 0 | 1 | 72 | 2 | 8 | 78 | 10 | .262 | .366 | .413 | .779 | |
2016 | 143 | 616 | 532 | 79 | 163 | 24 | 1 | 17 | 240 | 70 | 53 | 17 | 0 | 2 | 75 | 5 | 14 | 84 | 13 | .306 | .398 | .451 | .849 | |
2017 | 阪神 | 114 | 493 | 427 | 60 | 124 | 16 | 0 | 17 | 191 | 62 | 21 | 6 | 0 | 2 | 59 | 0 | 5 | 62 | 12 | .290 | .381 | .447 | .828 |
2018 | 119 | 509 | 419 | 60 | 129 | 24 | 0 | 16 | 201 | 68 | 22 | 3 | 0 | 5 | 77 | 4 | 8 | 63 | 9 | .308 | .420 | .480 | .900 | |
NPB:12年 | 1399 | 5844 | 4999 | 732 | 1504 | 293 | 15 | 158 | 2301 | 655 | 288 | 80 | 45 | 22 | 680 | 34 | 98 | 870 | 90 | .301 | .394 | .460 | .854 |
- 2018年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[2]
年度別打撃成績所属リーグ内順位
年 度 | 年 齢 | リ | グ | 打 率 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | 26 | パ・リーグ | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2008 | 27 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | |
2009 | 28 | 7位 | - | 1位 | - | - | - | 7位 | 6位 | 4位 | 3位 | |
2010 | 29 | - | - | 6位 | 10位 | - | - | 5位 | 5位 | 6位 | 7位 | |
2011 | 30 | 2位 | - | - | - | - | - | 5位 | 1位 | 4位 | 2位 | |
2012 | 31 | 3位 | 2位 | - | - | - | - | 6位 | 1位 | 8位 | 4位 | |
2013 | 32 | 10位 | 9位 | 2位 | - | - | - | 3位 | 9位 | 9位 | 9位 | |
2014 | 33 | 1位 | 3位 | 1位 | - | 8位 | 5位 | 3位 | 1位 | 3位 | 3位 | |
2015 | 34 | - | - | - | - | 9位 | - | - | 10位 | - | - | |
2016 | 35 | 4位 | 5位 | - | - | - | - | 1位 | 5位 | 10位 | 4位 | |
2017 | 36 | セ・リーグ | 10位 | - | - | - | - | - | 4位 | 7位 | 9位 | 9位 |
2018 | 37 | - | - | - | - | - | - | 3位 | 5位 | - | 10位 |
- -は10位未満(打率、出塁率、長打率、OPSは規定打席未到達の場合も-と表記)
[139]
WBCでの打撃成績
年 度 | 代 表 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 日本 | 7 | 31 | 21 | 4 | 6 | 2 | 0 | 1 | 11 | 7 | 2 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 | 3 | 2 | 0 | .286 | .500 | .524 | 1.024 |
[140]
年度別守備成績
年 度 | 球 団 | 外野 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
2006 | 日本ハム | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
2007 | 61 | 112 | 4 | 2 | 1 | .983 | |
2008 | 125 | 234 | 7 | 2 | 2 | .992 | |
2009 | 138 | 302 | 4 | 5 | 0 | .984 | |
2010 | 136 | 286 | 9 | 7 | 1 | .977 | |
2011 | 131 | 266 | 8 | 5 | 0 | .982 | |
2012 | 125 | 194 | 5 | 1 | 1 | .995 | |
2013 | オリックス | 104 | 103 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
2014 | 139 | 223 | 5 | 3 | 3 | .987 | |
2015 | 88 | 119 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | |
2016 | 118 | 174 | 4 | 6 | 0 | .967 | |
2017 | 阪神 | 104 | 133 | 2 | 4 | 0 | .971 |
2018 | 117 | 165 | 4 | 3 | 1 | .983 | |
NPB:12年 | 1285 | 2208 | 55 | 38 | 9 | .983 |
太字年はゴールデングラブ賞受賞年- 2018年度シーズン終了時
タイトル
首位打者:1回 (2014年)
盗塁王:1回 (2016年)
最高出塁率:3回 (2011年、2012年、2014年)
表彰
ベストナイン:5回 (外野手部門:2009年、2011年、2012年、2014年、2016年)
ゴールデングラブ賞:7回 (外野手部門:2009年 - 2014年、2016年)
月間MVP:2回 (野手部門:2009年6月、2012年9月)
クライマックス・シリーズMVP:1回(2012年)
オールスターゲーム敢闘選手賞:1回 (2013年第1戦)
記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:2007年3月27日、対オリックス・バファローズ1回戦(京セラドーム大阪)、8番・左翼手で先発出場
- 初打席:同上、3回表にトム・デイビーから遊飛
- 初安打:2007年9月10日、対千葉ロッテマリーンズ19回戦(千葉マリンスタジアム)、5回表に高木晃次から右前安打
- 初盗塁:同上、5回表に二盗(投手:高木晃次、捕手:里崎智也)
- 初打点:2008年3月25日、対埼玉西武ライオンズ1回戦(札幌ドーム)、1回裏に西口文也から遊撃適時内野安打
- 初本塁打:2008年6月27日、対オリックス・バファローズ7回戦(京セラドーム大阪)、3回表にラモン・オルティズから中越ソロ
- 節目の記録
- 1000本安打:2015年5月20日、対福岡ソフトバンクホークス11回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、1回表に中田賢一から左前安打 ※史上279人目[57]
- 100本塁打:2015年7月30日、対北海道日本ハムファイターズ16回戦(わかさスタジアム京都)、5回裏に屋宜照悟から左越3ラン ※史上275人目
- 1000試合出場:2015年9月2日、対東北楽天ゴールデンイーグルス21回戦(楽天Koboスタジアム宮城)、3番・右翼手で先発出場 ※史上473人目[58]
- 200盗塁:2016年5月8日、対千葉ロッテマリーンズ8回戦(QVCマリンフィールド)、1回表に本盗(投手:大嶺祐太、捕手:田村龍弘) ※史上73人目、一塁走者・T-岡田と重盗[74]※史上73人目
- 250盗塁:2017年5月28日、対横浜DeNAベイスターズ9回戦(阪神甲子園球場)、1回表に二盗(投手:今永昇太、捕手:戸柱恭孝) ※史上45人目[141]
- 150本塁打:2018年5月25日、対読売ジャイアンツ10回戦(阪神甲子園球場)、5回裏に菅野智之から右越ソロ ※史上167人目[142]
- 1500本安打:2018年9月21日、対広島東洋カープ22回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回表に野村祐輔から右前安打 ※史上124人目[143]
- 年齢による記録
- 35歳以上のシーズン50盗塁:53盗塁(2016年、35歳)※史上2人目[78][128]
- 史上最年長盗塁王:35歳(2016年)[144]
- 連続記録
- 6年連続打率3割・20盗塁・ゴールデングラブ賞:2009年〜2014年 ※史上単独1位[7]
- 6年連続打率3割・20盗塁:2009年〜2014年 ※史上1位タイ(松井稼頭央と並ぶ)
- 6年連続打率3割・ゴールデングラブ賞:2009年〜2014年 ※史上2位(イチローの7年連続に次ぐ)
- 6年連続打率3割:2009年〜2014年 ※史上8位タイ
- 通算記録
- 打率.3008(史上23位、現役選手中3位)[145]
- 出塁率.394(史上9位、現役選手中2位)
※2018年度シーズン終了時点
オールスターゲームの記録
- 出場:10回 (2009年 - 2018年)
- ファン投票選出:6回 (2012年 - 2017年)
- ファン投票両リーグ最多得票:2回 (2013年、2014年)
- 選手間投票選出:8回 (2010年 - 2014年、2016年- 2018年)
- 選手間投票両リーグ最多得票:1回 (2014年)
- 監督推薦選出:1回 (2009年)
- その他の記録
- 1試合4二塁打:2010年6月15日、対東京ヤクルトスワローズ4回戦(明治神宮野球場) ※最多タイ記録・史上10人目(4打席連続は史上6人目)
全球団から本塁打:2013年5月11日、対北海道日本ハムファイターズ7回戦(京セラドーム大阪)、1回裏に谷元圭介から右越3ラン ※史上26人目- 1回表の先頭打者初球本塁打を含む1試合3本塁打:2016年9月15日、対北海道日本ハムファイターズ24回戦(札幌ドーム) ※史上初[71]
- 同日開催の試合で2人の選手が1回表に先頭打者初球本塁打:2016年9月15日、糸井が対北海道日本ハムファイターズ24回戦(札幌ドーム)で、桑原将志(横浜DeNAベイスターズ)が対阪神タイガース23回戦(阪神甲子園球場)で記録 ※史上初[146]
背番号
26 (2004年 - 2010年)
7 (2011年 - )
1 (2012年侍ジャパンマッチ)
9 (2013年WBC)
登場曲
- 『Lotta Love』 - MINMI (2007年)
- 『Pure』 - EXILE (2008年)
- 『Closer』 - ニーヨ (2008年)
- 『JUST DANCE Feat. Coldy O'Donis』 - レディー・ガガ (2009年)
- 『Livin' on a Prayer』 - ボン・ジョヴィ (2010年)
- 『On the Floor』 - ジェニファー・ロペス feat. ピットブル (2012年)
- 『PAPI』 - ジェニファー・ロペス(2012年)
- 『SHAKE』 - SMAP (2013年 - )
- 『レット・イット・ゴー~ありのままで~』 - 松たか子 (2014年)※期間限定で使用
- 『ダイナマイト』 - SMAP (2015年)※期間限定で使用
代表歴
- 侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」
- 2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表
- 日米野球2014
脚注
注釈
^ この試合が終了した時点で、通算打率がNPB歴代23位の.300(4003打数1202安打)になった[69]。
^ NPBの一軍公式戦で35歳以上の選手がシーズン50盗塁を達成した事例は、通算盗塁数のNPB記録を保持している福本豊が1983年に35歳で達成して以来、33年振り史上2人目である[78]。
出典
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^ FA市場の目玉は外野手、外野手の層が薄い球団は?
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^ 糸井嘉男、衰え知らずの35歳はどこへ行く 巨人?阪神!?それとも…
^ オリックスオーナーが糸井引き留め厳命、大型契約へ中島以上の契約も
^ 糸井、残留も選択肢「オリックスで優勝したい」球団首脳が交渉で確認
^ オリックス・宮内オーナー FA権の糸井に残留懇願「今後もなくてはならない選手」
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^ 阪神糸井「無理ですね」リハビリ順調も中旬合流×」日刊スポーツ 2017年2月8日
^ 阪神・糸井、いきなり虎初ヒット出たァ!金本監督「安心しきっとる」
^ 糸井、阪神初ヒットは2点タイムリーツーベース 開幕戦2打席目に貴重な一打
^ 糸井が3安打3打点の満点虎デビュー「一戦一戦、死ぬ気で戦う」
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^ 糸井がプロ初のサヨナラ本塁打 「甲子園で打てて最高の気分」 デイリースポーツより 2017年8月30日閲覧
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^ 阪神・糸井 打率.297で自身8度目3割射程圏
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^ 投手から野手転向 開花した糸井、雄平の才能に続くのは誰
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- ^ abオリックス糸井、史上最年長盗塁王なるか。ハイペースで量産「スタートを判断する嗅覚がすごい」【どら増田のオリ熱コラム#78】
^ オリックス糸井「おかげさまで最高にいい状態」
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^ 糸井4年総額18億円で阪神入り
^ 阪神入りの糸井、オリックスファンに感謝バットで別れ
^ 糸井入団会見に報道陣200人目の金本監督を胴上げする
^ 阪神・糸井、来季公約はお立ち台7回
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^ 日本野球機構 打率【通算記録】
^ 糸井&桑原 プロ野球史上初!同日2本のプレーボール弾!
関連項目
- 京都府出身の人物一覧
- 近畿大学の人物一覧
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
- オリックス・バファローズの選手一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
外部リンク
個人年度別成績 糸井嘉男 - NPB.jp 日本野球機構- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
糸井 嘉男 - 阪神タイガース公式サイト
バックナンバー 表彰選手 NPB.jp 日本野球機構
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